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Tadのブログ

ウロウロ、フラフラしている京都のAround40男(本業:診断“志”資格を持つ経営コンサルタント、副業:いろいろ)が、趣味の世界・日々思うこと・気づいたことなど、いろんなことを書いています。
ちょっとのぞいていって下さーい。

残暑お見舞い申し上げます。
ブログの更新自体がずい分ご無沙汰になっておりますね・・・mOm



サッカー・イングランドプレミアリーグの話です。

さあ、ついに2013-14シーズンが始まりました。
我がチェルシーFC、監督にジョゼ・モウリーニョを再び迎え、
タイトル奪回へ向けて歩み出しました。
そして彼の第2期政権は、「若手選手の育成による長期に渡るタイトル保持」
も目的です。


その緒戦、NHK衛星で生中継がありましたので(NHK、有難う!)
かじりつく様に見ておりました。


<第1節(ホーム):8/18>

チェルシーFC 2-0 ハル・シティ

得点者:オスカル(13分)、ランパード(25分)


前半20分くらいまでだけなら、「大楽勝」って感じでした。
その後がイマイチ。

最初に与えられたPKをランパードが止められた時には、悪い予感すらしました。
でも、崩れないのはさすがです。
しかし、新戦力が非常に多く、コンフェデ杯の影響による怪我人もいて
まだチーム全体のコンディションや連携が十分でない様子。

ただ、ハル側も時間が経つにつれてパスが回りだし、サイドにボールが納まる
ようになって、両チームの均衡が取れるようになりました。
あくまでも決定力の差だけでしょう。
こちらとしては無失点で終われたことが何よりです。


次週には、マンUとのアウェイ戦やUEFAスーパーカップがありますから、まあ
あんまり派手に勝って気が緩むよりは良いか・・・と言っておきましょう。

そういう意味では、まずまずのスタートです。



毎週毎週やきもきするでしょうが、とにかくタイトルを獲りたい!
特に、リーグ戦とチャンピオンズリーグ。
とても期待しています。


ペタしてね

我がチェルシーFCの話です。

ついに来ましたね、この時が!

Tadのブログ-jose

Welcome back, Jose!
また我々に多くのトロフィーを与えてください。

バルセロナなんかブッ飛ばせ!
グアルディオラなんかブッ飛ばせ!(・・・バイエルン、とは言いません。バイエルンは昔から好きなチームなのでw)

まずは、4年契約を全うし、若い選手達を育てながら(今いる選手を出来るだけ活用する方向で)、
国内ではマンチェスターの牙城を崩して、プレミアリーグタイトルの奪還を、
そして、2度目・3度目の欧州チャンピオンズリーグの制覇を期待します。

もちろん、私もただ応援するだけでなく、金銭的にもサポートしてますから
・・・シャツとかをいろいろと買って(シャツやグッズ販売の利益は、クラブの運営資金になるのだ)。

その後、契約延長していただければ、とても嬉しい(笑)。
今、50歳。確か、60歳になったら、ポルトガル代表監督をやりたい、って前に言っていたと
思うので、それまでチェルシーに居てください。お願いします。
頼みましたよ~。


ペタしてね

またまたまたまた、我がチェルシーFCのの話です。
昨年のUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝に続き、今年もUEFA欧州大会で優勝しました!
でも、ヨーロッパリーグだけどね(笑)。

たった今まで、アムステルダム・アリーナ(AJAXの本拠地)でその決勝戦をまたまた
インターネットの無料ストリームを見つけたので、生中継を見ておりました。


<UEFAヨーロッパ・リーグ決勝:5/15>

ベンフィカ(ポルトガル) 1-2 チェルシー

得点者:トーレス(チェルシー、59分)、カルドーゾ(ベンフィカ、68分、PK)、
    イヴァノヴィッチ(チェルシー、90+2分)



前半、パスを上手く回していたのも、ドリブルでスペースへ突進していたのも、ベンフィカのほうでした。
こちらは、抜かれたところを後ろから(もしくは斜め後ろから)タックルに行っていることが多かった。
審判があまりイエローを出さない感じで助けられた部分もあった気がしますね。
(もっとも相手側もラフプレーとか必要以上に大げさに倒れるのとかがあったけれど)

後半に、チェフ&マタのファインプレーからトーレスのゴールで先制し、PKで追いつかれ、ロスタイムに
マタのCKからイヴァノヴィッチの勝ち越しヘディングゴールで劇的勝利を収めたわけですが、
双方ともに、チャンピオンズリーグで勝ち負け、とはいうレベルにはなかったのは正直に
認めなくてはならないと思います。
(チェルシーは選手層はOKも、戦術面がイマイチ。ベンフィカは選手層が確実に一段劣っていた)
もちろん我がチェルシーを応援しているワケですから、手に汗握ってはいたのですが、
そこのところが非常に残念。故に、どこか醒めた目で見ている自分もいました(苦笑)。


昨年のチャンピオンズリーグ優勝の時は「引いて守ってカウンターで勝っただけ」とずい分
叩かれもしましたけれど、その作戦は意図も明確で対戦相手の力を殺ぐに十分効果がありました。
今年は、ボール保持率が高かったのかもしれないけれど(今日の決勝はちょっと低かったが)、
見ていて不安が大きかったです。ボールを奪われたら、一気に畳み込まれそうな脆さがあったので。
その辺りの構造的なところを、来季きちんと修正→成熟させてもらいたいなと思うのです。
新監督に期待します。
あと、絶対に空中戦の強さは維持して欲しい。パスをこちょこちょ回して点を取っても
(どこかのエンジと青のチームみたいな・・・最近はそれでも点を取れなくなって来てるよねwww)
クロスやコーナーキックに合わせてヘディングでドカン!というのも、平等に1点なので。
だから、今レンタルに出しているルカク選手に戻ってきてもらいたいのだけれど。



来季以降は、もうヨーロッパリーグに回ることのないようにお願いしておきます。
(必ずチャンピオンズリーグで決勝トーナメントへ進んでくれたらいい話ねw)
ヨーロッパリーグ制覇はこれが最初で最後、で結構ですから!(笑)

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いよいよ2012-13シーズンも、この日曜のプレミアリーグ最終戦を残すのみです。
しっかり勝って終わっていただきたいものです。

Come on, the Blues!


ペタしてね

またまた、サッカー・イングランドプレミアリーグの話です。


まず、ビックリするようなニュースがありました。

そう、マンチェスター・ユナイテッドのファーガソン監督が退任、という話。
これは驚きました。
もう2、3年はやるだろうと思っていたから。

でも、今シーズン勝てたし、今のメンバーではCLは難しい。だけど、CLで勝ち負け
できる陣容を整えるところまで時間はない、と思っていたのかもしれません。
だとすると、非常に納得感のある決定です。
但し、ライバルのライバルたる所以は、この監督によるところが大きかったので、
喪失感もとても大きいのですが・・・。
来季はチェルシーも新監督(というより復帰か?)を迎えるから、
ガチンコ勝負をしたかったですけどね。

その後任候補にモウリーニョ、クロップ、モイズが挙がっています。
この中での、私の一押しはモイズ(現エバートン監督)。

理由?
クロップはムリでしょ(英語で監督業できるのか?そもそも)。
モウリーニョは、だってチェルシーに帰ってくるもん!(笑)

それに、モイズだったら、マンUの文化とピッタリなんですよ。
日本人にはピンと来ないかもしれないけれど、どちらも、

・グラスゴー生まれ
(カトリックが多い街=マンU支持者にはカトリックが多い、かつモイズは元セルティックの選手)

・熱烈な労働党支持者
(離合集散を繰り返している日本とは違って、英国では一旦支持政党を決めたら
滅多なことでは鞍替えすることはない・・・自分達の階級の利害を包括的に代表するから。
そういう仲間意識は日本など比べ物にならない。そしてグラスゴーもマンチェスターや
リバプールもそういう労働者の多い街)

・じっくりチーム熟成型マネージメント
(ファーガソン監督の27年は異常としても、モイズも11年エバートンを率いている)

なのでね。まあ、ここ2、3日注目しましょう。



そして、たった今まで、我がチェルシーFCの試合をまたまたインターネットの無料ストリームを
見つけた(たぶん海賊版)ので、生中継を見ておりました。


<第35節延期分(ホーム):5/8>

チェルシー 2-2 トッテナム・ホットスパー

得点者:オスカル(チェルシー、11分)、アデバヨール(トッテナム、26分)、
    ラミレス(チェルシー、39分)、シグルズソン(トッテナム、80分)


勝てた試合なのに!(怒)
ホントに、このベニテスという「暫定」監督はアカン!
攻撃も守備もちっとも意図が見えない。点を取った時も、取られた時も「偶然」って感じで。

過日のマンU戦もそうでしたが、パス回していても、ただ回しているだけ。
崩していく、なんて様相はない(ヒディンク・アンチェロッティの時はパス回しがきちんと「崩し」になってた)。
それだったら、カウンターサッカーしてくれるほうが余程いい。
だって、下手に相手のカウンターを食うことがないもの。
今日のアデバヨールのゴールなんて(完全なるカウンターではなかったけど)、
攻めあぐねたところの、一瞬のスキを突かれたに過ぎない。
もちろんそれをしっかり決めたアデバヨールは大したものだと認めざるを得ないけれど。
加えて、2点目を取ったあとだって、守備を固めて逃げ切るのか、意地でも3点目を取りに
いくのか、全然わからないボール保持。なんとなく回して、なんとなく取られて、
あれれ、と言ってる間にシグルズソンにシュートを打たれて終わり。
何だかなあ~。

勝てばチャンピオンズリーグ出場権確定で、土曜日の試合は消化ゲームにできたのに。
これじゃ、また降格争いして必死のアストン・ヴィラに対して勝ちにいかないといけない。
ただでも、疲労困憊(特にマタ!)なのに、マネージメントなんてありゃしない。

プレーをするのは選手です。しかし、どう試合するかは監督が決めること。
今日の試合だって、もしファーガソンが、モウリーニョが、モイズが監督だったら、
しっかり2-1で逃げ切れただろうと思うのです。
今の感じだったら、ディ・マッテオ監督のままでもそんなに変わらなかっただろう。


もう、怒り心頭です。
何だか、マンチェスター・Uがうらやましい。ああ、悔しいっ!
モウ監督、早く帰ってきておくれ!!


ペタしてね

久々に、サッカー・イングランドプレミアリーグの話です。

2012-13シーズンも最終盤に掛かっています。
我がチェルシーFC、非常に浮き沈みのあるシーズンを送ってきていますが、
まあ、最後までヤキモキさせられる感じであります。
もうリーグ優勝はマンUのものになり、FAカップも準決勝でマンCに破れ、
かろうじて、チャンピオンズリーグの敗者復活で回ったヨーロッパリーグで
決勝へ駒を進めている、という現況。
それは一発勝負ですから、もうその決勝戦で頑張るだけなんですけど、
問題は、来季のチャンピオンズリーグ出場権を取れるかどうか、です。

そのために、非常に大事な一戦が、今日の試合でした。
インターネットの無料ストリームを見つけた(たぶん海賊版)ので、生中継を見ておりました。


<第36節(アウェイ):5/5>

マンチェスター・ユナイテッド 0-1 チェルシー

得点者:ジョーンズOG(87分)


攻めているようでも、得点の匂いがあまりしない。
それが、試合の印象です。
パスはそれなりに回っているし、サイドも使えてはいる。
マンUもガチガチに引いて守っているわけではない。
でも、ボールがゴール前で収まっていないので、その収めたボールを叩いたところへ
飛び込むようなプレーや、しっかりとミートしたシュートが全くない。
そりゃ、怖さがないワケです。

マンUは、チェルシーに中盤や再度でボールを持たれてはいても、あわてずに
プレスに来て、いったんボールを持ったら、落ち着いてボールを回す、
スキあらば、1トップのファン・ペルシへパス。
ファン・ペルシは「何かしら起こしそう」な選手だから、ボールを持たれるだけで
怖さがあります。だから相手のほうがより得点の匂いがしていたように思えます。

どうもベニテスという監督は、何がしたいのかが見えてこない。
ジョーンズのオウンゴール扱いになったマタのシュートも必然性があったようには
思えない。マンUの右サイドが空いたところをたまたま上手く使えただけで、
そこを集中的に使うという意図があったとは思えない。
選手交代もデンバ・バとトーレスという特徴の似通ったFW2人を並べてみたりするし、
3人の交代枠をそもそも使い切ってもいない。

本当に、得たものは3ポイントという結果だけではないでしょうか。
もちろんチャンピオンズリーグ出場権には少しばかり近付いたかもしれないけれど、
とにかく必然性(=意図や計画があって、しっかりと自分達の行為をそこへ収めていく)
がないのです、この監督の戦術には。
だから、いつ見ても不安。相手チームのプレーがやたらよく見えてしまう・・・。

今季いっぱいで辞めてもらうのが当然の監督です。
これでは誰も納得しないです。


今季はリーグ戦3試合とヨーロッパリーグ決勝戦の合計4試合で全てです。
毎試合決勝戦のように戦うしかありません。
それで泣いても笑っても終わりということもあるし、監督の采配も行き当たり
バッタリなので、そういう期待の仕方が適切だと思います。

やっぱり、モウリーニョ氏に帰ってきてもらうしかないですね(笑)。
それが全てのような気がしますよ、マジで。


ペタしてね

このブログを始めた日=経営コンサルタントとして独立開業した日、ということで
今日でちょうど4年経ちました。

最近はあまりブログの更新はできてませんけど、
仕事は、ちょっとずつ舞い込んで来るようになってきた感じです。
(牛のような歩みではあるけれど)
ご愛顧有難うございます。

でも、まだまだ十分という様子でもありません。
無理な仕事は全くして来なかったので、まあそんなもんなのですが。

(頭下げて仕事をさせてもらう、みたいなことは一切していない・・正確には一回だけあるけど・・・
この業界は、一度ミスったら、次からお声が掛からなくなるから、確実にこなせる、的確に
コンサルティングできる案件だけを選んで仕事をしてきたのです。また、どれだけ仕事を
くれそうであっても、付き合いたくない人・哲学の合わない人とも距離を置いているので、
必然的に仕事は限られてくる)

ただ、世間の流れがどうしても自分の思う方向にはいかないので、

(・・・いつまで経っても、経済拡大を由とする政策ばかりで、年功序列もなくならないし、
新卒一括採用もなくならないし、ちっとも職務給制にもならない。消費税もそのままで、
主婦のパート優遇もさっさと止めればいいのにそのままで、年金の第3号被保険者も
なかなか廃止されない・・・などの諸政策がそのまま=私の意に反している!)

それが故に、仕事の量とは関係なく、「どうしても自分がやります!」と他人を
押しのけてまでやりたいと思う案件は非常に少ないです。

(上記そのまま放置されている諸政策と私のコンサルティングに何の関係が
あるの?と思ったら大間違い。これらと組織の人事制度や戦略立案は大いに
関係がある。モチベーションの持たせ方も違うし給与規定や責任の付与も
全然違ってくるのだ)

だから、限界も割と近くにあるような気もしています。

中小事業者の経営支援をやりたい気持ちに揺らぎは今のところないけれど、
社会としてツマンナイな、って思うことが多いから、どこへ向かって行けばいいのか
時々わからなくなるのです。

フロンティアが必要なのかもしれません。
それを探しに出かけるのはもう少し先だろうと思うのですが、
きっと探しには出かけるでしょう。
ずっと同じところに留まっていられるほど、我慢強くはないしね。


では、この1年もどうぞごひいきにmOm


ペタしてね

今までは、若く
(今でも若いつもりでいるけどw、いや、人間成熟してなくて幼いだけだwww)
どんなことでも先人を追いかける立場だった。

勢いもあったし、先に行った人の批判をしながら(それが後発者のアドヴァンテージだ)、
実力など少々伴わなくても、必死に追いかければ、ある程度のことは自然とできた。

だが、いくつかの場面では、自分が追われる立場になりつつある。
歴とした能力なんてまだまだ身についてなどいないのに、ただ時間が経ってしまったというだけで。。

いったんキャッチアップが始まって、誰かから追いかけられるようになったら、
もう、追いつき追い越され、遥か後方に捨て置かれることを覚悟しなくてはならない。
(その恐怖に駆られるが故に、誰もが自分の城や既得権益をかたくなに守ろうとするワケだ)

たぶん、それが怖くて、私は次々と場所を変え、
元の世界を切り捨てて生きてきたのではないだろうか。
(そうすれば、いつも新参者。いつも追いかける側でいられるからだ)

今更ながらそれに気が付いたのだが、
ついに逃げてばかりもいられず、捨て置かれることを受け入れなくてはならない時期も
徐々に近付きつつあるようだ。

どうするも、こうするもない。
それをいかに従容と受け止めるかだ。
私はそれを笑って受け止められるのだろうか。




ペタしてね

時々(いや、しばしばかもしれない)、

頑張りが、もしくは理想の追求が、オーバーランして(暴走とも言う)

「ヤバっ」て思うことがある。

いや、確実に人を傷つけているか、自分が誤解される原因になってしまったか、だろう。


40歳をとうに過ぎた今でもよくある。

昨日おとといもあった。


考えが足りてない。

もしくは、人の気持ちを理解したとしても、自分の言いたいことの要点を飛ばして

しまったり。


思い出すと、赤面せざるをえないくらい、恥ずかしい。

でも、もう取り返しはつかない。

でも、挽回もできることなら、したい。


・・・なんとかならないものだろうか?



ペタしてね

4月になりました。
終わりとスタート、どちらのイメージが強いかはひとそれぞれでしょうが、
まあ、日本ではとにかく一区切りであることには間違いないでしょう。

(欧米はイースターマンデーだな)

私の住む京都には、『京都新聞』という地方新聞がある。
なぜわざわざこれを述べるかといいますと、この新聞は、京都では、
5大紙(読売・朝日・毎日・産経・日経)なんぞよりも購読者数が多い
ある種、モンスター的な新聞だからだ。

京都で広告出すなら、5大紙に出すよりも、京都新聞に出すほうが遥かに
一般の人の目に留まると思う。


しかしね、そんな大新聞が、毎年くだらんことを記事にするのが、
この4月1日でもあるのだ。

その記事とは、「京都市内、京都府内の教職員の人事異動」だ。

要するに、先生やら事務職員やらの異動が紙面いっぱいに載るワケ。
校長から臨時講師に至るまで。


でも、よく考えてみてほしい。
学校の先生の異動って、ニュースなのか?
役付きでない一般の先生や事務職員なんて、企業だと単なる「平社員」と
何ら変わらない。違うか?
そんな「平社員」の異動をニュースにするってどういう神経なんだろう・・・って
子供のころからずっと思っていた。

そして自分の周りにいる公立学校の教師を見るにつけ、まあ、勤労意欲の薄い、
世間のことを知らない、それでいて自分の担当教科のことですらスペシャリストでも
ない、そんなレベルなんだな、これが。
そんな程度なのに、研修で忙しいから子供の面倒を十分に見られないだの、
近頃の子供は問題ばかりで一人では手に負えないからクラスの子供数を
減らしてほしいだの、よく言えたもんだと思うのだ。
それが出来ない場合は、今度は「だったら給料上げてくれ」だってさ、
給料がどっから出てるのかわかってるのだろうか?税金だよ。

今や、大抵の親御さんは子供の学力を伸ばすには学校だけでは不十分とお思いで
ある程度の年齢になったら、子供さんを塾へやるだろう。
どうしてか?教師のレベルが低過ぎるからなんじゃないのか?
もしくは文部科学省や教育委員会が作るカリキュラム自体が世間のニーズに
合ってないのではないのか?

教師や文科省の役人、教育委員会の役職員は、もっともっと仕事せーよ、と思う。
(今のままじゃ給料ドロボーだ)

民間の会社や事業所で同じ位働いている人が、どれだけ薄給で、日本を支えて
いるかと思うと腹が立つ。
それでいて、教育の現場なんて、滋賀県大津市のいじめに対する対処や、
大阪の桜宮高校の体罰教師みたいなことが当たり前に存在するのだ。

教師をはじめとする、公務員の給与は「所与」のものなんかじゃない。
国家財政が苦しければ、下がって当然。イヤなら成果を出してもらいたい。
成果とは、子供一人ひとりの学業レベルを上げ、日本全体の生産性がさらに高く
なり、世界で活躍できる素地を作る、ということだ。

(断っておくが、もちろん成果をあげている学校や先生はいらっしゃる。その一介の
先生であってもヒューマニティにあふれ、自分のことは本当に後回しにしてでも
子供の将来のことを思って尽くしていらっしゃる先生もいる。でもそんなの
何千分の1だ)



そういう意識のかけらもあるかどうかわからない奴らの人事異動なんてどうでもいい。
大事な京都新聞の紙面をそんなことに使ってほしくない。
もっと世間が知るべきニュースは別にあるんだ。

ペタしてね

どこぞのおバカな政治家が、「日本を取り戻す」と言って
政権復帰してからしばらくになりました。

その言葉がきっかけかどうかわかりませんけど、
そこかしこで、

「取り戻す」

という言葉が流行りになっているような気がします。


でも、「戻す」って言うけれど、それってホントか?って
いっつも疑問に思っております。

「戻す」というのは、元に戻す、という意味で使われているのでしょう。
しかし、一度違ってしまったものを、まったく以前の姿のように戻すことなんて
できるのだろうか???

壊れてしまった人間関係を取り戻す? →無理だろ。元通りにはならんよ。
タイトルを取り戻す? →物理的には可能そうだけど、そのために失くした時間や機会は
              帰っては来ない。
健康を取り戻す? →一見回復したように見えても、やはりダメージは残るはず。
福島を元通りに戻す? →やれるもんならやってみろ。絶対できっこない。だから原発は要らんのよ。

やっぱり私には、一度失われたものを「戻す」のは無理な気がする。
私自身のもともとの思考回路がそうなっているから、無理だという結論に至るのかも知れないが。


とにかく、この世界が時間というものを機軸に成り立っている以上、一度過ぎ去ったものを
元に戻すのは不可能なはず。だから「戻す」という言葉やその使い方自体は間違いでなくても、
実態として「戻す」ということはほぼ不可能に思える。



で、近い言葉というか、考え方に「直す」がある。
やり直す、出直す、取り直す、塗り直す、飲み直す・食べ直す(笑)・・・などなど。

これは過去に起きたあまり好ましくない事柄を、同じように過去にあった良き時代の
ことに似せた状態へ再度持っていくために、別のやり方で修復する・・・って感じかな。

うん、これだったら、いけそうだな。少なくともいけそうな気がする。

(別れた男女が)「やり直さないか?」 →有り得るよね。自分達が取っていたアプローチが
     良くなかった、ゆえに関係が破綻した。だからリセットしてやり方を変えて、別の
     結果を得よう(=上手くやろう)とする、ってことだから。
出直し選挙 →普通にあります。It's not unusual. (Tom Jonesの歌じゃないよwww)
仕切り直し →これも可能。相撲がお好きな方にはお馴染みでしょう。


って、考えると、何かをやりだして(もしくは、何かの状態になってしまって)相応の時間が
経ったものを、「戻す」のは基本的に不可能なのだと思う。
コトが起こってしまってから、気づいて戻そうとし始めるまでの間の時間はもう帰っては
来ないし、その間には他にもいろんなものが失われている。人も、モノも。


だとすれば、それはやっぱり「直す」ことになるのだと思うなあ。
失われた時、人、モノ。
同じアプローチは決して出来ない。でもそれを克服して(その際には違う手段に拠るしかない)
何とか思った方向に持っていこうとすることは出来る。
そしてそれは、決して「戻る」のはなく、新たに作り「直す」ことなのだから。



そうやって考えると、
日本もしくは日本人は懐古趣味が過ぎるというか、
一度過ぎ去ったことがいつまでも手の中にあると信じてるというか、
そんな感じに見える。

覆水盆に返らず

のはずなんだけどね。

そういう意味では徳川家康って世紀の極悪人だな。
せっかく鴨長明が、不変の真理をみんなに説明したのに、
それをウソついて隠してしまったのだから(笑)。

いかがでしょうかね?


ペタしてね