外国語として英語を学ぶ人に必要な英文法は、伝えたい事実や想いを正確に表現するために参照するものだと考えています。それは従来の学校英文法をもとにした一般的なものとは異なります。最近、記事を閲覧される方が急増していることもあり、改めてブログの趣旨を伝えておきたいと思います。

 

 このブログの原点は、かつて大学受験の講師をしているときに、教え子に納得できる説明をするために、文法事項の真相を調べ始めたことです。そうするうちに、英語のネイティブスピカ―のもつ感覚や実際に使っている表現と学校文法が想像以上に乖離していることが分かってきました。

 確信めいたものはありましたが、当時は簡単に情報が収集できる環境ではなく、断定的なことは言えませんでした。ところが、ここ最近の情報環境の民主化のおかげで、貴重な情報が簡単に収集できるようになりました。

 

 例えば、英米の英文法書や辞書がネット上で閲覧でき、原書のまま読めるようになりました。英語の標準化が始まった18世紀以降の英文法書に限っても少なくとも100冊以上はあたったと思います。時代ごとに英文法がどのように教えられていたのか、その変遷をたどり、通時的に幅広く見ることができるようになったのは、そのおかげです。

 また、英語で書かれた世界中の論文も数多く読むことができます。日本の論文にも優れたものもあり、それらを合わせてこのブログで紹介しています。その中には、標準語だけではなく、地方語や世界で使われる英語の情報も含まれます。その言語の本来の特徴は、人工的に創られた標準語だけではなく、人々が自由に使う地方語やinformalな表現の中にあるものだと分かったのはそのおかげです。

 

 さらに、情報化が進んだ現代では、多くの映像作品などのコンテンツを視聴することができます。中でもシナリオに基づいて作り込まれた作品は、何重にもチェックされた良質な表現です。実際にその言葉が使われた文脈やそのときの声の出し方、表情、その裏にある本当の意図など、ことばの実際を知る多くの情報があふれています。文法説明の妥当性を検証するのに最適です。

 

 取材を通して常にあった疑問は、わが国の学習英文法は、なぜ実用やネイティブ感覚と乖離しているのかということです。明らかになったその答えをまとめました。

 

 現代英語の成立時期はおよそ1500年ごろと言われています。そのころには、屈折(語形変化)を失い、それに代わって語順と機能語が文法的仕組みを担う言語になっていました。ネイティブは幼少期に接する環境から語順と機能語の働きに習熟します。それほど重要ではなくなり廃れつつあった屈折をしばしば無視します。これは現代英語の文法的な仕組みの特徴から、言語学的には正当なことです。三単現のSや人称代名詞の格変化などの屈折が揺らぐのはそのためです。

 (詳しくはこちらの記事にあります)

なぜ、英語のネイティブはwhomを使わないのか | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 英文法が本格的にまとめられたのは、英国が発展するに伴って標準語を持つことが時代の要請になったからです。その規格として創り出されたのが言語を統一するための規範ルールです。標準化にとって最も重要なことは、地域や階層でまちまちな表現を統一することです。結果として、英米の規範文法は規範からはずれた表現を、方言やスラングとして禁止することになります。

 

 英語のネイティブは現代英語にとって最も重要な語順や機能語に関しては当然習熟していて、重要な誤りをすることはほぼありません。ところが、正確に伝えるために本来必要ではない屈折に関しては寛容で無頓着です。結果として、屈折は地方や階層でまちまちになります。

 言語話者がほぼ誤ることはなく、もともと統一されている表現は、特に教育する必要はありません。規範を作って教育で徹底する対象は、地方や各階層でまちまちな表現です。英語のネイティブにとっては寛容であるはずの屈折が英文法の最重要課題になったのは自然な流れです。

 (標準化について詳しくはこちら記事にあります)

文法的正しさの二面性―Hopefully等の正誤論争とネイティブの文法感覚― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 不幸なことに、英語の標準化の理想とみなされた言語は、屈折を重視し、語順や機能語がほとんど重要とはされないギリシア語やラテン語でした。ギリシア語やラテン語はわが国でいえば、漢文に相当するような、教養語だったからです。全米初の大学に相当する教育機関ハーバードでは、設立当時ギリシア語やラテン語を教え、英語はおしえられませんでした。英語が大学の科目になったのは、ハーバード設立以降100年以上も後のことです。

 屈折重視、語順と機能語の軽視は、規範的英文法の特徴になります。18世紀から20世紀の初頭ごろまでの英文法は標準化が主目的だったので、実際に使われる英語を規制します。そのため特に公教育で標準化がすすめられた19世紀ごろの教科書は規則のルールブックになっています。

 標準化を進めていた当時の学校教科書の原書を1つ紹介しておきます。

『Complete English grammar for common and high schools』1907

 

 主語の人称に対応して動詞が屈折するという現象は、歴史的にみれば消滅に向かっています。法助動詞や、一般動詞の過去形は人称に対応して変化しませんが、困ることはありません。主語は名詞や代名詞で分かるので、わざわざ動詞の屈折を主語に対応させるのは煩わしいだけです。三単現のSは伝えるために必要ではありません。それが化石のように生き残っているのは、このテキスト(太字部)から分かるようにI、you以外の単数が主語のときにはS,またはesを付けるように教育してきたからです。

 

 英文法は、もともと英語を十分使えるネイティブを対象にした矯正のための禁止を伴う規範的ルールです。それは英語を話せる人が教養ある言葉使いを身に着けるためのもので、外国語として学ぶためのものではありません。

 例えば、よく議論になる基本5文型は、我が国をはじめ限られた地域で普及し、英米ではほとんど知られていません。文型は語順の法則を類型化したものです。幼少期に語順の法則を身に着けるネイティブには不要なのです。

 外国語として英語を学ぶ人には、語順の法則を理解するための1つのアプローチとして、文型には有用性が認められます。英文法の用途がネイティブの標準化から非ネイティブの言語習得に移り始めた20世紀初頭に、文型を5つに類型化したものをOnionsが考案し、斎藤秀三郎らが取り入れてわが国に広まります。

  (詳しくはこちらの記事にあります)

英語の品詞と文型―その根本を掘り下げる― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 英語の標準化がある程度行きとどいた世界の英語使用国では、1960年代までに公教育で英文法の授業が廃止されます。市場を失った英文法は、あらたなターゲットとして移民や外国語としての学習者など非英語話者へ売り込まれることになります。本来標準化のための規範文法が転用されることになったのです。

 規範ルールはもともとが実際に使っている表現を方言やinformalとして禁則にしたものです。本来の英語の文法的仕組みに例外が多いのでありません。規範ルールを英語のルールとして転用したから、規範から外れた表現が例外として生み出されたわけです。公教育から市場を移した英文法はさらにルールを追加されていきます。

 

 例えば、someは肯定文、anyは疑問、否定で用いられるというのは20世紀の中ごろからたまたま広まっただけで、使用実態とは関係ありません。状態動詞という言葉が作り出され進行形として使うことを禁止されます。willはその場で決め、be going toは前から決めていた時に使うという単純な使い分けルールを鵜呑みにしている人未だに結構います。この類の実態に合わない規則の多くが広まったのは、20世紀の後半です。

 生きて使われる言葉は、変化し多様なものです。よく似た意味の2つの表現A、Bがあるとします。このときAが相応しい場合、Bが相応しい場合、AでもBでも大差ない場合というのがあるのは普通のことです。規範的ルールは、AかBを明確に使分けるように作られます。

 一見分かり易い使い分けルールは、多くの場合実際の使用実態とは異なります。20世紀に広まっ規範ルールを検証し、実際に使われる表現を研究することは今世紀の課題になっています。

 (詳しくはこちらの記事にあります)

will とbe going toどちらもその場で決めた時に使う | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 英文法には根本的に矛盾する例外が多いのは偶然ではなく、歴史的必然です。このブログで取り上げている文法事項の多くは、たまたま見つかっているものではありません。現代英語が、本質的に、屈折を失い語順と機能語を文法的仕組みとして重要な言語であると気付いた人には、誰にでも見えてくるものです。

 語順については文型以外に、統語論として生成文法が知られています。ただし、生成文法は言語の普遍性を解明するのが目的で、英語のしくみを説明するものではありません。その成果の一部が、学習用に転用されるとしても、これからでしょう。

 

 従来の英文法では、名詞、動詞、形容詞と言った品詞が主役でした。「品詞」は屈折を主な文法的手段とするラテン語の概念で、英文法はラテン語文法を手本として創られたからです。冠詞、助動詞、前置詞、代名詞といった機能語の名称は皆わき役扱いです。名詞の飾り冠(かんむり)が冠詞、動詞が主演で助演するが助動詞、名詞の前に登場する前座が前置詞、名詞の代役をするのが代名詞というわけです。

 これからの英語学習にとって必要な英文法には、機能語の文法的役割を重視するという視点が欠かせません。屈折という標識を失った英単語は品詞が曖昧です。「名詞にaが付く」というラテン語文法的な発想から「機能語aが無標の単語を可算名詞化する」という英語本来の文法的仕組みに基づくとらえ方へ転換することが求められます。

 このような視点で英文法を構築するのは、過去のデータを積み上げるだけの言語AIでは無理だと思います。新たな進むべき道は人の創造力で切り開くしかありません。規範的規則を教えるだけならだれでも同じです。日本人英語講師の強みは、言語AIやネイティブだからといってできるわけではないことです。日英の文法的の組みの違い、英語本来の伝わるため仕組みとしての文法を解説するのは、腕の見せ所になるでしょう。

 

 ブログを記事にするとき、いつも意識するのは教え子の顔です。あの子たちがこの説明を聞いたときどんな反応をするだろうか。また、いつか目にするかもしれない後の世代の人たちのことを思います。結局伝えたいことは1つだけなのかもしれません。

 

  脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい

 

 

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