瞑想中に起きた、静かなメンタルブロック解放のプロセス | 淡路島のカメラマン・清水翔平

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淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

僕は朝起きると、

まずは10分〜15分の瞑想の後、 

ヨガとストレッチをして

1日を始めるのが習慣になっています。

 

 

一昨日の朝の瞑想で、

少し珍しいことが起きました。

 

 

それは、瞑想中に

静かにメンタルブロックの解放が起きたということです。

 

 

瞑想中は、

 

呼吸や、体の感覚というものに

意識を向け続けます。

  

思考が巡った時も、

思考が巡っている自分自身を

俯瞰するように観察します。

 

そうすると、

「自分に気づき続ける」

という状態になっていきます。

 

 

毎朝の習慣にしているうちに、

 

普段はなかなか気づきにくいような

自分の内側に宿る「小さな感覚」にも

瞑想中に気づけるようになってきました。

 

また、自分が今、

どれくらい内側に気づいているか?

どれくらい内側と繋がっているか?

ということにも、気づけるようになってきました。

 

 

調子がいいとき・エゴに囚われている度合いが低い時ほど、

繊細に気づける感じがします。

 

反対に、

調子が悪い時・エゴに囚われている度合いが高い時は、

思考が回りやすく、意識が散漫になる感じがします。

 

 

 

さて、話を今に戻します。

  

ここのところ、

瞑想中の意識が散漫になる傾向がありました。

 

 

それは今思うと、

昨日のメルマガでも書きましたが、

 

「変化するべきタイミングだよ」

 

というサインだったのかもしれません。

 

 

まだ、一昨日の朝の瞑想のタイミングでは、

そのことには気づけていませんでした。

 

ただ、なんとなく

調子が悪い感覚があり、

強い焦りに囚われていました。

 

 

そんな中で、いつも通り瞑想を始めました。

 

 

座って目を閉じてから、

しばらくは様々な思考が

頭上を駆け巡ります。

 

意識を内側に戻そうとしても、

すぐにまた、

どこか遠くに飛んでいってしまいます。

 

 

内側に見たくない何かがあり、

それを見たくないエゴが抵抗していたのだと思います。

 

 

しばらくして、

ようやく体の中心にある

感覚に意識が向き始めました。

 

 

ふと、みぞおちとお腹の間くらいのところに、

マイナス感情が溜まっていることにはっきり気がつきました。

 

 

「何かあるな。なんだろう?」

 

 

と思い、

意識をその辺りに集中させていきます。

 

 

すると、そこに溜まっていたものが

少しずつ体の中心を通って、

上の方に登ってくる感覚がしました。

 

 

それは、抑圧されたマイナス感情の塊でした。

 

 

恐れとも、怒りとも、悲しみともとれる

「感情の塊」が解けて

上の方に流れてくるのがわかりました。

 

 

その感覚に身を委ねていると、

ただ呼吸をしているだけで

泣けてくる感覚がしたのです。

 

 

マイナス感情を感じた出来事があったのですが、

 

僕はその時の感情に

蓋をしていたんだとわかりました。

 

 

目の前の仕事に支障が出るのではないか?

という恐れから、

 

そのマイナス感情を感じないように

蓋をしていたようです。

 

 

「思っていたよりも、傷ついていたんだな」

 

 

そのことに気がついたら、

すっと気持ちが軽くなったのです。

 

 

不思議と、瞑想を終えて

ゆっくり目を開けると、

 

もうその出来事を思い出しても、

平気な感覚になっていました。

 

 

センターピースでも

ブロック解放のワークを教わりますが、

 

このときは瞑想中に

「感情の大元に意識を向けていく」

ということをするだけで

 

ブロック解放ワークで経験するのと

似たようなプロセスを経験したようです。

 

 

 

これもきっと、

毎朝の瞑想を習慣にしていなければ

 

起きていなかったか、

もっと違う形で感情を解放するプロセスを

経験していたかもしれません。

 

 

 

なかなか経験しないことが

瞑想中に起きたので、

 

メルマガに書いてみたいと思い、

シェアしてみました。

 

 

素敵な夜をお過ごしください。

 

 

Model: めぐ

Location: 神戸ハーバーランド