やり残した人生の宿題「父への電話」完結編 | 淡路島のカメラマン・清水翔平

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淡路島を拠点に活動するカメラマン・清水翔平のありのままの日常を綴ったブログです。

前回のブログの続きです。

今回で完結です。

(数日前のメルマガを加筆・修正してお届けしています)

 

 

シリーズ1・課題に気づくまで

 

 

 

シリーズ2・課題に気づいてから電話をかけるまで

 

 

 

シリーズ3・電話をかけた最初の結果

 

 

 

 

前回のブログで、

 

僕は父親に離婚と結婚の報告をするため

約半年ぶりに電話をかけた

ということについて書きました。

 

そして僕は、過去これまで、起業して以来繰り返してきた、父親に対する怒りのエネルギーにつかまれ、

「関係をぶった斬る」

というパターンを繰り返してしまいました。

 

 

怒りと落胆が落ち着かないまま、

懇親会会場に入っていくと、

 

目の前にはメンターの亀井弘喜さん(かめちゃん)の姿があり

先ほどまで講座を一緒に受けていたメンバーたちと

楽しげに話している姿が見えました。

 

 

僕はかめちゃんのすぐ近くに座り、

たった今父親に電話してきたこと、

 

そして父から、

 

「お前はたくさんの人に迷惑をかけたんだ」

 

という言葉を言われたときに

憤ってしまい、

 

「もう一生会わねーよ」

 

と言って電話を一方的に切った

ということについて話しました。

 

 

かめちゃんはまず、

「意欲が素晴らしい!」と言って、電話をかけた僕の意欲と行動を労ってくれました。

 

 

その上で、僕が本当は

どういう捉え方と行動ができれば良かったかを教えてくれました。

 

 

かめちゃんは、

 

「しょうちゃんはお父さんに

『おっしゃる通りです』『迷惑をかけて申し訳ありませんでした』

と言えるようになったら次に進めるね」

 

と言いました。

 

 

それは、

単に「相手に従うべきだ」という浅い意味ではなく、

とても深い理由がありました。

 

 

僕は、

 

「たくさんの人に迷惑をかけた、というあなたの捉え方を

俺に押し付けないでほしい」

 

という気持ちでした。

 

「たくさんの人に迷惑をかけた」

と認めたら負けのような気がしていたのです。

 

 

けれども、かめちゃんは違う捉え方を僕に教えてくれました。

 

 

「『おっしゃる通り』っていうのは、

しょうちゃんにとってそうだという意味ではないけど、

 

でもお父さんの世界の中では

「息子が人に迷惑をかけた」というのはその通りなんだよね。」

 

 

僕はこの言葉を聞いたとき、

「確かに」と深く納得しました。

 

 

僕は、

「父に謝る=父の捉え方を自分も採用しなければならない」

と思い込んでいました。

 

 

けれど、

 

「父に謝る」「父の捉え方を認める」

 

ということと、

 

「私がその捉え方を採用する」

 

というのは、別なことなんだと気づいたのです。

 

 

父の世界と僕の世界は

別のものだという立場に立ったとき、

 

僕は、父親との間に一つ、精神的なレベルで境界線を引くことができた感覚がありました。

 

 

僕は、父の世界の中では確かに存在している、

「たくさんの人に迷惑をかけた息子」

という存在を認めてあげよう、という気持ちになりました。

 

 

かめちゃんは、

「今やる意欲はある?」

と聞いてくれました。

 

僕は「あります」と答え、

スマホを持って再び店の外に向かいました。

 

 

外に出て、一呼吸して父に電話をかけました。

 

 

父はすぐに電話に出てくれました。

父の声のトーンは思いのほか落ち着いたものでした。

 

 

僕は、たった今かめちゃんに言われた通りのことを父に伝えました。

  

「さっきは言いすぎた。ごめん。」

「たくさんの人に迷惑をかけたのは、その通りだと思います。」

「申し訳ありませんでした。」

  

父は冷静な声で相槌を返してくれました。

 

 

そして父は、

僕に承認の言葉をかけてくれました。

 

「お前が養育費と慰謝料をきちっと払っていることは俺は評価する」

 

これは今までとは明らかに違う展開でした。

 

父は、感情的になるとコミュニケーションを取るのが難しいけど、

 

普段はどちらかというと論理的で、

冷静な視点でものを考えられる人なんだなと

僕の中で認識が書き変わる感覚がありました。

 

 

父からはまた色々とマイナスの捉え方を言われましたが、

「父の世界における彼の捉え方だ」

と思えたら、

 

不思議と反論したい気持ちにもならず、

 

フラットな気持ちで父の話に対して

「うん」「うん」と

相槌を打つことができたのです。

 

 

 

それから、

パートナーと2人で挨拶にいくことについても

さっきは「それは無理だ」という強い言い方でしたが

 

「今すぐには無理だ」

「時間が必要だ」

 

という言葉に変わっていました。

 

 

これは僕の推測ですが、父の言い方はどことなく

 

「うんと言ってやりたいけど、まだ気持ちの整理がついていない」

 

というような雰囲気が感じ取れるものでした。

  

 

僕は、

「電話に出てくれてありがとう」

と言って、

穏やかに「また」と電話を切りました。

 

 

この日は、僕の世界の前提がまた一つ書きかわった日になりました。

 

 

おそらく父は父で、

 

孫に会えなくなった(と思っている)寂しさや

息子が前の奥さんの両親へ取り返しのつかない不義理をしたという罪悪感、

(推測ですが)親戚まわりから僕のことで言われた言葉に傷ついたことなど

 

いろいろな葛藤を抱えているのだと思います。

 

 

それを父がどう捉えて、

どのように気持ちの整理をつけるかについては、

僕の課題ではない部分になります。

 

 

現時点で僕にできることは、やり尽くした気がしました。

 

 

いつの日か

めぐと二人で両親に会いに行ける日が

来るといいなと思いつつ、

 

そこに囚われることなく、

また僕は日々、目の前のことを一生懸命にやり続けたいと思います。

 

 

山口にある角島で撮影した写真シリーズ。

SONY α7Ⅳで撮影。