電灯会社、下関市竹崎町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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電灯会社附近

そのころ(今から四十年前)竹崎町の大通りはなくて現在の藤田ビル(駅西口)から斜めに西に向う小路が竹崎のメインストリートだった。

突き当りには市場が出来ているが、小宮外科のある所が母校の関西小学校で、この小路は唯一の通学路であり、子供連中の遊びの広場であった。

丁度真中辺にある中国電力の社屋は勿論この小路に面していた。現在の真裏に当る訳である。

「正ちゃん電球替えておいで」 切れた電球を持って行くと度の強い眼鏡の小父さんが受付けにならんだソケットに新らしい電球を差し込んでパッと灯のつくのを確めて無言で渡して呉れた。

たしかそのころは無料だったと思う。門の向いには焼いも屋があった。オーケ姉ちゃん(大きい姉さん)のお使いのときには決って焼いもを買わされた。

子供のころのこと、電灯会社よりは芋屋の小母さんの方が印象が強い。若くて逝った長姉はビンツケ芋が好物だった。(藤田)

(馬関図絵 亀山八幡宮社務所)(彦島のけしきより)

黄線: かつての旧道
青斜線: 海岸


参考

① かつての竹崎発電所は白石正一郎邸であった(参考)

② 下関の発電所の歴史(参考)

③ 白石正一郎旧邸の浜門(参考)