フクの南風泊漁港と南風泊市場、下関市彦島 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。


下関市彦島の南風泊漁港(3D)

彦島こ南風泊市場と南風泊漁港

南風泊漁港

寿美礼旅館のフク料理(参考)


参考

① 下関:フグ漁船出航式 今年で食用解禁130年

毎日新聞(2018.9.2、参考)

出航する漁船に手を振って見送る関係者たち=山口県下関市の南風泊市場で2018年9月1日、佐藤緑平撮影

フグ漁シーズンの到来を告げる「ふぐ延縄(はえなわ)漁船出航式」が1日、山口県下関市の南風泊(はえどまり)市場であり、県延縄協議会(吉村正義会長)や市場の関係者約80人が参加した。

協議会は漁船の安全操業や水産資源の保護育成のため1972年に発足し、現在はえ縄漁船55隻が所属する。あいさつで吉村会長は「私も漁師をやって50年あまりになるが、こういう年は初めて」と、7月の西日本豪雨や猛暑といった異常気象の影響を心配した。また、今年は明治維新150年、フグの食用が解禁されて130年の記念の年でもあり「この機会に漁業経営が安定化し、明るい漁村になるよう期待している」と激励した。

式典後、漁船3隻が沖合に放流するトラフグの稚魚4000匹を積んで出航し、岸壁に集まった人たちは「気を付けて」と手を振りながら見送った。漁期は来春まで。同県萩市の見島から長崎・対馬周辺の海域で操業する。【佐藤緑平】


② フク料理は明治21年(1888年)に伊藤博文により解禁となり、春帆楼がフク料理公許第一号店となった(参考)。


③ 下関フグ市場「最後」の競り  「築地と違い帰ってくる」

朝日新聞(2018.10.16、参考)

白石昌幸






全国で唯一、フグを専門に取り扱う山口県下関市の南風泊(はえどまり)市場が16日、現在の市場での営業を終了した。施設を建て替えるためで、今後は隣接の仮設市場で仮営業する。新市場は2022年度中に現在の場所でオープンの予定だ。

「最後」の競りは16日未明から行われた。競り人が威勢のいい声を上げながら、筒状の袋の中で指を握り合って価格を決める独特の「袋競り」で、三重県沖などでとれたトラフグを次々と競り落とした。

南風泊市場は1974年11月、唐戸市場から分離して開設された。漁船が大型化してフグの水揚げ量が増えて手狭になったためで、市場は水揚げしやすい広い岸壁やフグを生かすための水槽などを備えた。集荷・販売を一元的に扱っている。

市場を運営する下関唐戸魚市場の見原宏社長(63)は「長年この市場で競りをしてきたから寂しいし、育ててもらった感謝の思いもある。築地市場と違って4年後にはここに帰ってくる。仮設市場に移っても一生懸命、売っていきたい」と話した。(白石昌幸)


④ 下関のフク文化

明治20年(1887)の暮れ、当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文公が春帆楼に宿泊した折、海は大時化でまったく漁がなく、困り果てたみちは打ち首覚悟で禁制だったフクを御膳に出しました。

豊臣秀吉以来の河豚禁食令は当時まで引き継がれ、フク中毒が増加するなか、法律にも「河豚食ふ者は拘置科料に処す」と定められていました。しかし禁令は表向きで、下関の庶民は昔からふぐを食していました。

若き日、高杉晋作らと食べてその味を知っていた伊藤公は、初めてのような顔をして「こりゃあ美味い」と賞賛。翌明治21年(1888)には、当時の山口県令(知事)原保太郎に命じて禁を解かせ、春帆楼はフク料理公許第一号として広く知られるようになりました。