下関の近代化遺産、前田の火力発電所の跡地 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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現在、下関市前田は、前田砲台跡が史跡として注目されているが、関門海峡側の空地は明治近代化遺産であった。すなわち、昭和42年から長府の埋め立て地に移転したが、下関の産業を支えた火力発電所の跡地であった。送電線の延長距離や石炭供給を考えると不便な地と考えられるが、排気ガスと騒音の影響を考えての立地であろう。

そして、竹崎町の白石正一郎旧邸の跡地が中国電力の下関支社となっているが、明治時代創立の馬関電灯会社の本社かつ発電所であった。

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前田の旧発電所跡、現在はセブンイレブンと民有空地

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前田の旧発電所跡(民有空地)

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前田の旧発電所跡(民有空地)

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中国電力の下関発電所、長府の町そして満珠島

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竹崎町の中国電力下関支社と白石正一郎旧邸跡


参考

① 前田の旧火力発電所の今昔

wikiによると関門鉄道トンネルにも電力を供給した。昭和45年までには廃止されている。

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平成28年(2016年)現在、セブンイレブンと更地

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昭和50年(1975年)、更地

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昭和45年(1970年)、工場記号

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昭和25年(1950年)、発電所記号

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大正9年(1920年)、発電所記号



② 長府の中国電力下関発電所の今昔

昭和42年(1967年)3月に1号機が運転を開始、2号機までが建設された(wikiより)。

総出力:57.5万kW
敷地面積:約342,667m2
1号機
定格出力:17.5万kW
使用燃料:石炭
営業運転開始:1967年(昭和42年)3月
2号機
定格出力:40万kW
使用燃料:重油
営業運転開始:1977年(昭和52年)9月

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平成28年(2016年)現在

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昭和50年(1975年)

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昭和45年(1970年)

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昭和25年(1950年)


③ 中国電力の歴史(参考)

明治29年(1896年)6月 馬関電灯(株)設立(資本金6万円、社長松尾寅三)、本社は観音崎町(ふるさと下関より)
明治43年(1910年)7月19日 馬関電灯、本店を下関市竹崎町に移転
大正5年(1916年)5月4日 馬関電灯、九州電灯鉄道に合併
大正6年(1917年)5月18日 九州電灯鉄道、下関発電所、1,250kW増設
大正8年(1919年)11月1日 中国電力(株)設立(資本金600万円、社長野口遵)
大正10年(1921年)7月21日 九州電灯鉄道、前田発電所(汽力5,000kW)運転開始


④ 馬関電灯株式会社の竹崎発電所の建設

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明治32年(1899年)の時点では、観音崎町(左上)に発電所が見える。

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明治43年(1910年)に運転を開始した竹崎発電所

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大正8年(1919年)の竹崎町、電燈会社が見える

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大正9年(1920年)の竹崎町に発電所記号が見える。竹崎発電所(下関発電所)のこと!1930年地図には発電所記号が見えなくなっている。

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平成28年(2016年)現在の竹崎町中国電力下関支社と白石正一郎旧邸跡


⑤ 赤間関の電力は前田の火力発電所から関門海峡沿いに送電された(参考)


馬関電燈株式会社


下関に初めて電灯がついたのは明治二九年のことである。(注: 最初は観音崎町)

松尾寅三、内田吉三郎、土井重吉、関谷福太郎、永積安兵衛、伊藤房次郎の諸氏により、竹崎町に建てられた。この場所は白石正一郎の家の跡であり、石垣はそのままの感じで残っている。現在は記念碑が建てられている。

(写真集 明治大正昭和 下関より)(彦島のけしきより)