神代文字の阿比留草文字の起源 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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神代文字の阿比留草文字が殷王朝の甲骨文字の一部に一致していることは知られているが(参考)、書体の変遷についての以下の親子関係図は興味深い。


参考

① 神代文字は甲骨文字を徐福が伝え、甲骨文字 → 古体篆字 → 阿比留草文字 へ変遷した

伊那の谷から古代が見える(2010.6.7、参考)

江戸幕府の修史事業として 林羅山らが編纂した歴史書・本朝通鑑 に、

徐福之来日本、在焚書抗儒之前 六七年矣、相蝌蚪篆?書添竹牒、時人知者鮮矣。
其后世世兵燹、紛失乱墜、未聞其伝、嗚呼惜哉。

始皇帝の焚書坑儒の6,7年前にやってきた 徐福一行 は、旧文字のオタマジャクシのような 古体篆字 で書かれた竹簡などを持ってきたが、当時の者で知るものは 少なかった。
その後 わが国でも 兵火で紛失し、今に伝わっていることを 聞かない。  惜しいものだ。

とあります。

また、韓国の南海島には、徐福の事跡と云われる『 岩に刻まれた徐福通過遺跡 』があります。


この文字は、始皇帝の時代、李斯が文字を統一する以前の、周代から伝わるいわゆる 籀文(ちゅうぶん)で書かれている事が解っています。

甲骨文字の書体は、次のように変遷しています。

古文(甲骨文・金文)
           ↓
籀文(石鼓文・大篆・古体篆字・蝌蚪文字)→ ハングル
           ↓             ↓            ↑
小篆 → 篆書   『 阿比留草文字 』  (神代文字 )
          ↓
古隷 → 隷書
          ↓
草書・行書・楷書

(上記のことは、大変重要な意味がありますが、国情もあり無視されるか、激しく非難されるかも知れません。^^;)


② 日本語の仮名文字に相当する神代文字の阿比留草文字と対応する甲骨文字を比較すると、甲骨文字に音読みと訓読みがあることが分かった(参考)


③ 日本語の起源

日本語は古代の中国大陸でも喋られ、殷人も末裔の秦人も日本語を喋った