ヘレン・ケラーと下関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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ヘレン·ケラー女史とトムソン女史(昭和十二年) 、へレン·ケラーはアメリカ女性で、社会福祉に尽した。県立下関盲啞学校を訪れ、梅光女学院で講演。宿舎でくつろがれる姿。(しものせきなつかしの写真集 下関市史別巻より)


初来日したヘレン·ケラー 

自身も盲ろう者であり、障害者の教育や福祉制度の振興を推し進めたヘレン·ケラーが昭和12年4月、初来日を果たした。

日本各地の30カ所以上で講演をし、下関市では下関梅光女学院や下関盲睡学校を訪れた。真ん中の女性がヘレン·ケラーで右は秘書兼指話通訳者のポリー·トムソン。

(丸山町·昭和12年-提供=辻芳子氏)(下関市の昭和より)(彦島のけしきより)


参考

① 今は無き旧山陽ホテル(参考1参考2)、、、ヘレン・ケラー の宿舎

 大正12年に建てられた旧山陽ホテル、ベーブ・ルースやヘレン・ケラー」も泊まった。


② ヘレン・ケラーゆかりの地

赤丸: 旧下関盲啞学校(下関南総合支援学校)
黄丸: 旧梅光女学院(梅光学院中学・高等学校、参考)
緑丸: 旧山陽ホテルと旧下関駅(参考)


③ 旧山陽ホテルを除き、この周辺は昭和20年に空襲にあった(参考1参考2)。


④ 梅光女学院も空襲を受けた(参考)


⑤ 旧山陽ホテル