西郷さんの愛犬は洋犬! | 日本の歴史と日本人のルーツ

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西郷隆盛が下野して鹿児島に戻る前までの愛犬は洋犬または和犬との雑種であり、日本の在来種としての薩摩犬ではなかったようだ。

大阪造幣局を視察する明治天皇を迎える近衛兵の左端のトップは西郷隆盛であろうと言われている(参考)。近くに洋犬が伏せているが、まさに西郷隆盛の愛犬と考えられる。

近衛兵と明治天皇、左端の人物が菊の御紋の錦の旗を持つ西郷隆盛

近衛兵の左の並びを拡大した。左端が西郷隆盛、左下が愛犬として飼われている洋犬。


雑談

肥満に悩む西郷隆盛は、ドイツ人軍医のテオドール・ホフマンの減量治療を受けながら、下剤(便秘薬)のひまし油を飲んだり、愛犬と狩猟や散歩などに出かけて運動に精を出したという記録がある(参考)。
 
ダイエットとして愛犬を連れて屋外で運動するため、どんどん痩せていく姿を目撃者が見ており、会うたびに西郷隆盛の容姿が変わっていったはずである。しかし、ほとんど全ての絵と上野公園の像は肥満のままで愛犬を連れており、格好だけのダイエットは失敗して進んでいない様に見える。

すなわち、肥満して恰幅が良く描けた西郷隆盛の絵は残したが、激痩せして情けない西郷隆盛の絵や写真は、例えあったとしても、捨てられたか、いつのまにか忘れ去られていったと考えられる。


参考

① 上野公園の西郷隆盛像の犬(参考)

高村光雲(たかむら・こううん、高村光太郎の父)の手になるあの上野恩賜公園の西郷隆盛像も、本人没後の作。西郷の写真も残っていないので、頭から胴まではお雇い外国人のキヨソネが描いた肖像画を参考にし、胴から下は西郷が愛用したズボンを土台にしてつくられたという。

西郷隆盛の銅像のかたわらに付き添う犬は、高村光雲の弟子・後藤貞行の制作。兎狩りの得意な桜島産の薩摩犬がモデルである。ところが、実際には西郷の愛犬は、もと徳川将軍家にいた「お虎」という名の洋犬だったらしい。制作途中で洋犬は西郷像に似つかわしくないのではないかという話が出て、急遽、薩摩犬に代えられたのだという。


上野公園の西郷隆盛像の愛犬は耳が直立した薩摩犬



② 服部英龍が描いた西郷は着流し姿で洋犬をつれている(参考)。


鹿児島の画家・服部英龍が描いた西郷は、着流し姿で洋犬を連れており、上野の銅像のモデルとなった。明治6年の政変後、温泉で湯治している西郷を物陰から盗み見して肖像画を描いたとされる。最近は狩野派の画人・中原南渓が描いた肖像画を服部が模写したとの説が強い。


(参考)、、、耳が直立していない。



③ 西郷隆盛の愛犬は洋犬




④ 西郷隆盛の愛犬は洋犬(wikiより)

軍服姿の西郷隆盛  床次正精作。床次は薩摩藩士族で西郷とは面識があり、床次の描く西郷の顔は実物によく似ていると言われている。


⑤ その他の絵を三枚

霊山歴史館の「西郷隆盛肖像画」(参考)、、、黒と白の二匹の愛犬。左の純白の薩摩犬は存在するのか?また、右の犬の耳が丸まっている。

国分郷土館が所蔵する服部英龍の「南洲翁狩姿」=霧島市、朝日新聞(参考)、、、黒と白の二匹の愛犬。左の純白の薩摩犬は存在するのか?右の犬の耳も直立していない。

あるブログから、、、まさに洋犬に見える。


⑥-1 薩摩犬、、、体毛と直立した耳に注意

西郷隆盛の連れている犬は薩摩犬。「ツン」という名をつけて愛していました。ただし、飼っていたのはメスとされていますが、上野に立つ銅像はオス。よって、銅像の薩摩犬は愛犬であるツンをイメージしたものではないともされています。(参考)


⑥-2 薩摩犬、、、体毛と直立した耳に注意

朝日新聞(参考)


⑦ 西洋系の猟犬

ハウンド系の耳が垂れていて白っぽくてぶちがある犬、茶色の犬とか、ビーグル系の同じく耳が垂れていて白っぽい下地に茶色や黒のブチのある洋犬(参考)


⑧ 日本帝国陸軍の軍用犬(wikiより)

幕末の開国以降、洋犬が大量に輸入された。明治期、雑種がほとんどとなり、和犬は絶滅状態となった。現在の和犬は復元されたもの。

以下の写真は軍用犬をまるで軍人扱いして、軍犬の出征のお祝いをしている写真である。犬種はシェパードの系統か!



⑨ イギリス王室近衛兵のマスコット犬