福岡県飯塚市内のボタ山の現在 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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今、飯塚市に行ってもボタ山が何処に在るのか、元の炭住街がどうなっているのか、全く分からない!

南東から北西へ見る住友忠隈炭鉱ボタ山と太陽光発電書


住友忠隈炭鉱ボタ山、福岡県飯塚市南尾


参考

<あのころ>炭鉱不況に 寂れる炭住街

共同通信(2018.5.23、参考)


1953(昭和28)年5月23日、福岡県内の炭住街。日本の産業を支え続けた炭鉱が不況に陥った。極貧の暮らしを伝える佐賀県の少女の日記「にあんちゃん」(安本末子著)はこの年に書かれた。離職者が増えていく59年に土門拳が撮影した「筑豊のこどもたち」も失意のどん底にある子供たちの生活を描いた。