永平寺と白山比咩神社の隠された秘密 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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永平寺から発する聖なるラインの数と、白山の麓の白山比咩神社から発する聖なるラインの数を比較する。前者は5本、後者は永平寺から気比神宮への1本のみである。発する聖なるラインの多い程、創建年代は古いはずである。

特に、永平寺と三嶋大社を結ぶ聖なるラインの上に縄文時代の岩屋岩蔭遺跡、そして白山比咩神社奥宮の方向を延長すると二荒山神社がある。すなわち、永平寺のある場所は元々、縄文時代からの神聖な場所であったと考えられる。それなのに、永平寺そのものは13世紀の建立で比較的に新しい。

実は、白山比咩神社は716年に現在地に遷座しており、また永平寺は1244年に白山信仰の吉峰寺から近くの現在地に移って建立された。すなわち、何かの事情(多分、登山の容易さ)で白山比咩神社が北に移動して、空き地になった所に永平寺が建立されたと推測される。

その為か、永平寺の開祖、道元禅師が神仏混淆の「白山権現」の力を借りたとして、毎年夏に永平寺の僧侶が白山神社奥宮の前で般若心経を読誦しているとか!

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① 白丸: 白山比咩神社→永平寺→気比神宮
② 黒丸: 白山比咩神社奥宮→二荒山神社、→永平寺
③ 赤丸: 永平寺→白山比咩神社、→白山比咩神社奥宮、→気比神宮、→飯豊山神社→多賀城碑、→岩屋岩蔭遺跡→三嶋大社

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① 白丸: 白山比咩神社
② 黒丸: 白山比咩神社奥宮
③ 赤丸: 永平寺

白山比咩神社奥宮までの距離は永平寺からよりも、白山比咩神社からの方が短い。登山道の観点でも現在のルートの方が整備されている。


参考

① 白山比咩神社(wik iより)

白山は日本三霊山にも数えられ、古代から崇敬の対象であった。社伝由緒によれば、崇神天皇の時代に白山を遥拝する「まつりのにわ」が創建された。元正天皇霊亀2年(716年)に安久濤の森に遷座して社殿堂塔が造立された、と伝わる。

養老元年(717年)に越前修験僧・泰澄大師によって白山に登って開山。主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀された、と伝わる。

史料文献初出は、白山比咩神(しらやまひめのかみ)は仁寿3年(853年)10月に従三位に初叙された。

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② 白山比咩神社奥宮

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③ 永平寺

道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。

当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。

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④ 白山神社について(ヤフー知恵袋より)

白山神社系列の場合は、石川県の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)が総本宮とされてます。つまり、ここが本店で、全国の白山神社は、支店です。全国に白山神社は、2000社あります。祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)、そして、イザナギ、イザナミ。

白山信仰については、民俗学者の柳田國男折口信夫が、既に結論を発表してます。由来は、多岐にわたって非常に複雑なんですが、根本は朝鮮系です。

主要な内容は、以下。

1.石川県の白山という山の信仰から始まった。

富士山などとともに、日本三大霊山の一つとされるが、元々は山岳仏教(密教)である。しかし、明治の神仏分離政策・廃仏毀釈運動で神社化された白山神社は、石川、岐阜、新潟などに多い。

2.新羅に由来する朝鮮系の信仰

白頭山信仰を持った高句麗の渡来人が、加賀の白山を祀った。加賀(石川)にも白山信仰があり、両者が合わさった。

高句麗姫(こうくりひめ)=菊理媛(くくりひめ)
白山(はくさん・しらやま)=新羅人(しらぎひと) の山

3.菊理媛が『日本書紀』のイザナギ、イザナミ神話に取り入れられた後、三神が合祀されるようになった。

4.修験者泰澄が白山に登り開山し、修験の道場とした。

5.仏教の曹洞宗の道元禅師が、神仏混淆の「白山権現」の力を借りたとする、毎年夏には、永平寺の僧侶が、白山神社奥宮の前で般若心経を読誦する。

6.江戸時代に浅草新町(被差別部落の中心)で白山神社が祀られたため、関東だけは被差別部落で祀られる神社になった。

7.東北では「おシラ様」と呼ばれる蚕の神とされ、人と馬のあいの子とされた。

実は、明治時代に政府が、石川県の白山比咩神社を総本宮と定めた為に、各地の様々な白山信仰が隠されて、白山比咩神社から分霊を頂いたという話に書き換えられてしまってます。

密教(仏教)であったこと・朝鮮系であることは、殆ど伏せられてます

白山の山頂付近には、密教(山岳仏教)由来の白山神社(奥宮:写真)が今もあります。多くの方が参拝されますが、標高2400m、徒歩で4時間~5時間も掛ります。