秦の始皇帝や日本人はユダヤ人の末裔としてもおかしく無い | 日本の歴史と日本人のルーツ

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秦の始皇帝と一族の秦は古代の羌族や日本人と同族であり、1万年以上、東アジア全域で活躍していた(参考)。そして徐福も同族であった(参考)。

「イスラエルの調査機関、アミシャープの報告では、羌族が失われたイスラエル10支族の文化を保持している」とすれば、現代日本人もユダヤ人でイスラエル10支族の一つと言える。

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ハニワ


参考

① 「失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎」(飛鳥昭雄著)の「第8章 秦始皇帝はユダヤ人だった!!」からお送りします(参考)。

徐福の羸氏(えいし)という姓は紀元前10世紀末、周(しゅう)の孝王(こうおう)
から非子(ひし)が授かったもので、広義の羌族を示すという。徐福自身は漢民族ではなかったようだ。また、秦始皇帝と徐福は同族であったという著者の見解が正しいとすれば、不老不死の仙薬を東国の蓬莱山に求めさせた意図は一体どういうことだったのか?また、失敗してもどった徐福に再度、機会を与えたのは、不老不死の薬を求めさせただけではなく、他の理由があったのではないだろうか?推測してしまう。

■徐福もユダヤ人か
秦始皇帝がユダヤ人、もしくは失われたイスラエル10支族の血を引いていたとすると、気になるのは徐福(じょふく)である。前章で見たように、秦始皇帝と徐福は同族であった。徐福の祖先、徐氏(じょし)の始祖は秦始皇帝の祖先と同じく羸氏(えいし)であった。

羸(えい)という姓は舜帝(しゅんてい)から伯翳(はくえい)
が賜ったものとされるが、これは漢民族が中原(ちゅうげん)の覇権を握った後に体系化された中国神話によるものである。漢民族は自らの血統の正統性を主張するために自らの始祖を象徴的に黄帝(こうてい)という名で呼び、神話のなかで最高位の存在に仕立てあげた。その際、非漢民族は直系ではなく、あくまでも傍系という形で出自を黄帝に結びつけたのだ。したがって、秦始皇帝及び秦王家のルーツが黄帝であり、漢民族と同視であると考える必要はない。

第6章で見たように、歴史的に羸氏(えいし)という姓は紀元前10世紀末、周(しゅう)の孝王(こうおう)から非子(ひし)が与えられたものであるとされる。非子が遊牧民の性格をもち、広い意味で羌族(きょうぞく)であったことは先に見た通りである。

当時はまだ失われたイスラエル10支族は存在しなかった。彼らが東アジアに来て羌族と同化するのは、おそらく紀元前5世紀ごろであろう。羌族とイスラエル人の同化の過程にはまだ不明な点が多い。イスラエルの調査機関、アミシャープの報告では、羌族が失われたイスラエル10支族の文化を保持している。最新の遺伝子の調査でも、日本人を含めてイスラエル人と非常に近い染色体を持っていることがわかっている。

しかし、羌族の歴史は失われたイスラエル10支族よりもはるかに古く、パレスチナに古代イスラエル王国が誕生するはるか以前に遡る。これは今後の課題ではあるが、ひょっとすると羌族はアブラハムの時代に東へと移動したヘブライ人の一派なのかもしれない。

いずれにしても徐福が羸氏であるということは、彼もまた漢民族ではなかった。同じ羸氏の末裔であることを秦始皇帝が知っていたとすれば、徐福を特別扱いし、東海へ不老不死の仙薬を求めさせたことも理解できる。

では、もし仮に秦始皇帝がユダヤ人ないしは失われたイスラエル10支族であったとすれば、どうか。同じ羸氏(えいし)であった徐福もまたイスラエル人の血を引いていた可能性はないだろうか。

徐福は『史記』のなかで徐市とも表記される。あくまでも日本語的に発音した場合ではあるが、これらは「ジョフツ」と読める。ジョフツという名前は、どこかジョセフと似た響きがある。ジョセフとは、ヘブライ語でヨセフのことである。中国語から日本語、英語、ヘブライ語と、あくまでも強引な語呂合わせではあるが、これをもって徐福をユダヤ人だと主張する研究家も事実いる。言語学的な問題を度外視して、あくまでも言霊という神秘思想からすれば、これらの類似性も意味あることとして評価はできようが、さすがに歴史学の土俵では相手にされないだろう。

しかし、徐福は方士であった。方士は原始的な道教の呪術師のこと。道教の思想が極めてユダヤ教に近いことはかねてから学者に指摘されてきた。表向き、道教は多神教ではあるものの最高位の神を天とし、その意思にかなった者が天子であり、中国全土を統治するにふさわしい徳を備えた皇帝であると位置づける。天と人の絶対的な主従関係は、まさにユダヤ教の絶対神ヤハウェとイスラエル人の関係そのものなのだ。

イスラエル人の血を引いていた秦始皇帝が絶対的な君主として中国全土を統一し、最初の皇帝と名乗ったのも、その背景にはユダヤ教の影響があったのではないか。漢王朝が自らの正統性を強調するために前王朝の始祖を悪人、暴君として吹聴し、それをもとにして『史記』が書かれたとすれば、本来の秦始皇帝の姿はまったく違うのかもしれない。暴君というよりは天の意思のもとに中国を統治したとすれば、それはまさにイスラエルの王ダビデやソロモンを思わせる。

仮に秦始皇帝がイスラエルの大王と同格だとすれば、その彼が選び、不老不死の仙薬を求めさせた徐福もまた天=絶対神ヤハウェの言葉を授かった預言者だったのではないだろうか。実はその痕跡が徐福伝説には残されている。


② アミシャブ(wikiより)

アミシャブはイスラエルの失われた10支族(12支族)を捜し求め、世界中の国々を調査している。最高責任者はラビ・エリエフ・アビハイル(Rabbi Eliyahu Avichail)。インドにはマナセ族の子孫ではないかとされる人々がおり、アミシャブ傘下の「ベネイ・マナセ」(Bnei Menashe)という団体が帰還運動を推進しているなど、世界各地で同様の活動を行っている。アミシャブは古代日本と日ユ同祖論に注目しており、アビハイルがすでに日本の各地へ赴き、調査を続けている。

アミシャブと同様の活動をする組織としては、シャーベイ・イスラエル(英語版)(Shavei Israel、ヘブライ語:שבי ישראל)も存在している。


③ 第二の徐福、大航海を行なった鄭和は羌族と同族で回教徒(イスラム教徒)だった(参考)。