何故、水銀が不老不死の仙薬の原料と信じられたのか?元々、水銀は毒であることは知られているのに!
縄文時代の日本列島は1万年にわたり平和で安定した世界であったことはが考古学的に証明されている。もちろん、縄文人達は中国大陸の人々に比べ、はるかに長寿だったといえる。現在でも、インフルエンザやコレラなど伝染病は日本海が隔離してくれていることから、当然、納得出来る。幕末、開国後にコレラの流行が多発したが、下関では船の出入りに注意を払ったことが歴史となっているし、福岡にあった古代の迎賓館である鴻臚館は検疫が主目的で、都の許可が出るまで留め置かれた。
また、金メッキ、木造船の防腐、消毒薬(赤チン)などに古代(縄文時代)から利用されていた水銀が、中国大陸でも採れるが、日本列島でも多く産出した。すなわち、消毒薬などにも利用される水銀が多く採れる日本列島の住人が長寿であったことから、水銀を研究して不老不死の仙薬を開発出来るに違いない!と考えても不思議では無い。
① 水銀について(参考)
水銀は理化学機器用(温度計,体温計,水銀灯など),電気機器,鉱工業用(アマルガム製錬,アマルガムめっき,有機合成の触媒,塗料など),医薬用品(消毒,下剤,農薬など),歯科用品(銅,銀,錫アマルガム)など広く用いられたが,最近では生物に対する有毒と環境保全の問題などから使用が控えられている。
水銀の世界での分布は一様ではなく,火山国でしか産出しない。火山の多い日本はかつて世界有数の水銀産出国であった。
水銀の鉱山としては,スペインのシウダ・レアルにあるアルマデン鉱山が有名で,古代ローマの紀元前372年からアラブ時代,そして現在に至るまで辰砂及び自然水銀を産出していたが,2004年7月に生産を停止した。日本では,北海道イトムカ鉱山や,古代から産出記録がある丹生鉱山が知られており,自然水銀の産出が多いことでも有名であった。しかし,現在では世界の水銀鉱山は全て操業を廃止し,まったく生産されていない。
② 丹生鉱山(wikiより)
縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行われていた。丹生鉱山に隣接する池ノ谷・新徒寺・天白遺跡からは、粉砕した辰砂を利用した縄文土器が発掘されており、辰砂原石や辰砂の粉砕用に利用したと見られる石臼も発見されている。
③ 辰砂(wikiより)
不透明な赤褐色の塊状、あるいは透明感のある深紅色の菱面体結晶として産出する。『周禮』天官冢宰の鄭注に「五毒 五藥之有毒者」のひとつにあげられるなど、中国において古くから知られ、錬丹術などでの水銀の精製の他に、古より赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されている。『史記』巻128貨殖列伝に「而巴寡婦清 其先得丹穴 而擅其利數世」、巴の寡婦清、その先んじて丹を得るも、しかしてその利を擅(ほしいまま)にすること数世と、辰砂の発掘地を見つけた人間が巨利を得た記述がある。
中国大陸の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになった。日本では弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。漢方薬や漆器に施す朱漆や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは吉野川上流や伊勢国丹生(現在の三重県多気町)などが特産地として知られた。
④ 弥生時代後期、北九州から山陰の古墳の朱に、中国大陸産のものがあった(参考)、、、これはヤマト政権につながる渡来人の墓であろう。この後の古墳の朱は国内産を使っている。
⑤ 秦の始皇帝と水銀(参考)
1974年、農民たちが無数の陶器で出来た兵士の像=兵馬俑を発見したことで、始皇帝陵の実在が確認されました。このときの学術調査で、始皇帝陵から採取された土から自然界の100倍にもあたる水銀が発見され、司馬遷の記述が事実であったことが裏付けられました。
始皇帝が水銀の存在を知っており、それを利用していたのは間違いなく事実でしょう。
始皇帝の時代以前から、中国には“不老不死”の思想がありました。諸子百家のひとつ、道家の思想から派生した宗教である道教には、神仙=仙人となって不老不死を得ることが究極の理想であるとする考え方がありました。そこから派生した長生術が煉丹術(れんたんじゅつ)です。煉丹術は、はじめ不老不死の秘薬を作るとこから始まりました。これを『外丹術(がいたんじゅつ)』と呼びます。
⑥ 不老不死の仙人の住む蓬莱山と不老長寿(参考)
中国を初めて統一した秦の始皇帝は、強く不老不死を求めたことが「史記」に記されています。始皇帝は徐福という男に命じて、東の海に浮かぶ仙人が住む島「蓬莱山」に行き、不老不死の薬を貰ってくるか、仙人を咸陽に連れてくるように命じました。古代中国では、東の海に浮かぶ島に不老不死の仙人が住んでいる、という伝説がありました。