下関大丸とヤマトホテル | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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昭和29年、貿易ビル(初代下関大丸、昭和25年開業)(参考)とヤマトホテル

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昭和30年頃、初代下関大丸とヤマトホテル(ふるさと下関より)

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昭和34年以降-昭和46年以前までの間、左がヤマトホテル、右が二代下関大丸(参考)

{8DE47C1A-5F34-4F05-A9FD-D0714C93D9FF}昭和46年-昭和52年の間はヤマトホテルは更地となる、昭和52年以降三代目下関大丸(シーモール内)に移転し、この場所も更地となる(参考)

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平成29年(2017年)現在、南から北へ、初代下関大丸(現山口県貿易ビル)、ヤマトホテル跡地(現駐車場)、二代下関大丸跡地(現駐車場)

下関大丸の隣にあったヤマトホテルは戦前の満州のヤマトホテルとは全く関係ない。おそらく、所在地が下関市大和町一丁目2番にあったので、ヤマトホテルと名乗ったのであろう。経営者は左隣の東洋海事工業で、この会社の本社は東京に移転した(参考)。


参考

① 下関大丸(参考)


② 下関大丸の隣のヤマトホテルは戦前の満州のヤマトホテル(wikiより)とは別

満州のヤマトホテルは、かつて南満州鉄道株式会社が経営していた高級ホテルブランド。1907年から1945年まで満鉄線沿線の主要都市を中心にホテル網を展開していた。ヤマトホテル以外の直営ホテルと合わせて満鉄ホテルチェーンと総称された。

初代の大連大和ホテル外観


写真の大連ヤマトホテルは、北欧風ルネサンス様式で建てられた荘厳な外観の建物。特別市制度施行により東清鉄道事務所、市役所と建物の用途が変わり、その後、東京から移転した満鉄本社に。満鉄本社移転後に二代目の大連ヤマトホテルとなる。


(平原健二コレクション関門浪漫より)(彦島のけしきより)



③ 2代目大丸の北隣は?

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現在は立正佼成会の建物になっているが、旧国鉄の下関工事局の建物があった。さらに北隣あった旧大洋漁業本社が平成21年に取り壊された(参考)。

昭和62年(1987年)、国鉄民営化に伴い下関工事局は閉鎖され、建物は解体された(参考)。



④ JR下関駅(参考)