旧大洋漁業本社跡地、下関市竹崎町 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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左手: 大洋漁業本社(この写真当時は下関支社か!)、右手: 山陽本線(下関駅)、中央: サンデン電車(参考)

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下関市竹崎3丁目11-11、旧大洋漁業本社跡地、2009年10月に解体


参考

① 大洋漁業の歴史(
参考)

大洋漁業の歴史は実に古い。一八八〇年(明治十三年)、中部幾次郎が興した会社である。家業である鮮魚の仲買、運搬業から立ち上げた。明治末期、事業の本拠を兵庫県明石から山口県下関に移した。大正時代には土佐捕鯨を買収し、捕鯨事業に着手した。太平洋戦争さなかの一九四三年(昭和十八年)、西大洋漁業統制株式会社に社名を変更。戦争では多くの漁船が日本軍に徴用され、漁船の大半を失うという痛手をこうむった。

戦後、大洋漁業株式会社として再出発。四九年(同二十四年)にはは大洋球団(現横浜ベイスターズ)を設立するまで会社は大きく成長した。一九五二年(同二十七年)には魚肉ハム・ソーセージを発売した。翌年には「マルは」(丸の円形に「は」の文字)のブランドでマルハ・ソーセージを本格的な生産に入った。

九三年(平成五年)に新しい商標を導入するとともに、マルハ株式会社と社名を変更した。

追加: のちに日魯漁業と合併して、マルハニチロになって今日に至っている。


② 旧、林兼商店本社建物解体=「マルハ」大洋漁業発祥のビル(参考)

2009年10月28日 (水) 17:14

現マルハニチロホ-ルディングスの前身、マルハ大洋漁業のル-ツ創業者、中部幾次郎氏が明治37年兵庫県明石から下関に移転。大正13年林兼商店設立、捕鯨業、トロ-ル漁業(近代漁業の先駆者)に進出。昭和11年現建物建設、そのご増設を重ねる。昭和20年大洋漁業設立。昭和24年大洋漁業、林兼商店合併。

<下関駅西出口前、旧大洋漁業下関支社ビル・・昭和24年以前は大洋漁業本社>
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③ 下関市大和町(参考)


④ 南東隅に石碑

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⑤ 捕鯨

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下関漁港を出港するキャッチャーボート(昭和30年代、ふるさと下関より)、大洋漁業は昭和21年に捕鯨を開始した。


⑥ 下関みなと祭1956年(昭和31年)

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