シモデ先生のまあじゃんうんちく version2 -15ページ目

シモデ先生のまあじゃんうんちく version2

題名の通り、マージャンに関するうんちく話を、自分なりの観点で紹介しています。最近はあまり書いていませんが(笑)。


マージャン強くなりたい、という人にはあまり役に立たない話ばかりかも(笑)。

高校3年の年末あたりに、とある雑誌を見つけました。
「近代麻雀オリジナル」

当時連載していたのが、確か…、
「ノーマーク爆牌党」「ナルミ」「阿羅漢(あらはん)」
あたりでしたかね~。
どんな内容だったかは、話すと長くなるので割愛。

で、近代麻雀のような麻雀劇画誌に付き物なのが、麻雀店の広告。
「うわぁ、東京にはこんなに麻雀店があるんだぁ」
「東京に行く機会があったら、あちこち行ってみたいなぁ」
なんて思うわけですよ。


フリー麻雀店のマナーや知識については、
漫画家の片山まさゆき先生と馬場裕一プロ共著の、
「バカヅキハリケーン」を何度も繰り返して読みました。
詳しい内容については、これまた長くなるので割愛。


そして、大学受験のシーズンがやってきました。
そのうちの1校の受験会場が千葉でした。

受験が終わって、行く先は当然、麻雀店。
記念すべきフリー麻雀のデビューは、津田沼の「どくだみ荘」。

どくだみ荘って、今でも生き残っているんですよね。
20年以上営業が続いている麻雀店って、相当少なくなりましたよね~。

デビュー戦の結果は、可もなく不可もなくでした。
内容は、無我夢中でほとんど覚えていません。
強いて言えば、記念すべき第1打は、役牌のドラでした。
当然、ドラ表示牌を見ていませんでした(笑)。


翌日は2店目、明大前にあった「ミスチョイス」。
片山まさゆき先生が経営していた麻雀店です。

当時としては画期的だった「成績集計システム」があった記憶があります。
開店して間もない事もあって、おしゃれな店内だったのが印象的でした。


前回の記事で、入門書の選択も重要、というお話をしましたが、
初めに選んだ麻雀店というのも、今後の麻雀人生に大きく影響を与えると思うのです。

今思えば、いい麻雀店を選べて良かったと思います。
当時は、近代麻雀などの広告に書いてある、数少ない情報しか無かったですからね。
今は、インターネットでいろいろ調べられますからね。

フリー麻雀店にいつかは行ってみたい、という方は、
最初のお店選びは大事ですよ~。



第5回のお話は、ひとまずここまで。
ちなみに、大学受験は全滅。
まぁ、当然ですよね(笑)。

結局、書類審査だけで受かった、名古屋の専門学校に入学する事となるのです。

次回からは、いよいよ名古屋時代に突入です。
ではまた~。

高校に入って、麻雀を覚えるために、入門書を買うわけですが。

今思えば、当時の麻雀入門書って、初心者にわかりにくいものが多かった気がします。

私自身の頭の出来が悪かったのかもしれませんが(笑)。


ちなみに私が買った入門書では、

チーの晒し方が、数字の順番通りだったり。

(例)カン二萬チーの場合

二一三ではなく、一二三(真ん中の二を横にする)


清一色の4フーロ目にもパオが発生する、など。


まぁ、他にもツッコミどころが結構ありました(笑)


他の麻雀仲間が持っていた入門書を見比べてみたり、

仲間に聞いたりして、何とか覚えたものでした。


そういう経験があるからこそ、入門書の選択が重要だなぁ、と思うのです。

「世界一わかりやすい麻雀テキストを作る」

のが、私の将来の目標の1つでもあります。



麻雀を少し覚えたら、次に手にするのは戦術書。

とはいうものの、現在に比べると、市販されている戦術書がまだまだ少なかったですね。

ましてや、能登半島のド田舎では、見つけること自体が大変でした。


知っている限りの本屋を何件か回って、ようやく見つけた戦術書。

早速買って、最初の数十ページを読みました。

1ページ目に、

「自摸のリズムを習得してからというもの、ここの所連戦連勝…」

みたいな事が書いてあったのですが、当時の私の知識では理解不能でした。

ひとまずこの戦術書は、もう少し分かるようになってから読もう、

と、本棚に大切にしまう事にしました。


そして後日、別の戦術書を買いました。

こちらの戦術書は、私レベルにも理解できる部分が結構ありましたね~。

こちらは公表しましょうか。

池田書店から出版された「東大式・麻雀に勝つ考え方」。

そう、井出洋介プロのベストセラーの1つでもある戦術書ですね。


戦術書を読んだり、時々麻雀やっても、高校時代はなかなか勝てませんでした。

まぁ、前回も書きましたが、麻雀が面白いとは思うようにはなったものの、

麻雀にのめりこむほどまでは、まだ行っていませんでしたからね~。


当時は、効率良く麻雀を上達する方法が、ほとんど無かったように思います。

しかし今は、色んな手段がありますし、あらゆる情報が溢れかえっています。

麻雀が上手な若者がどんどん増えているのも、当然だと思うのです。

「へぇ、こういう考えがあるんだ~。凄いな~」

と思わせられる事も少なくありません。

現代の麻雀の水準が上がったんだなぁ、と感心する反面、

今の人達は上達する手段がたくさんあって羨ましいなぁ、とも思うのです。



第4回のお話は、ひとまずここまで。

ちなみに、当時すぐに本棚行きとなった戦術書を、2年後くらいに改めて読んでみました。

「あぁ、こういう事を言いたかったんだなぁ」

と、内容自体はある程度理解出来ました。

実践しようと思ったかどうかは、想像にお任せします(笑)。


次回は、高校卒業前後のお話の予定です。

ではまた~。



さて、高校に入学したのはいいのですが、
元来の勉強嫌いが災いし、授業についていけなくなっていきました。

高校時代も引き続き野球部に。
なんとか、3年の夏まで続ける事が出来ました。
一生懸命やったとは言えませんし、正直しんどかったです。
辞める度胸が無かったからでしょうかね(笑)。

ただ、今思えば、続けて良かったです。
一応、最低限のトレーニングはやってきたので、
基礎体力が身についたのが、何よりも大きいですね。

勉強嫌いなうえに、部活もしんどい。
となると、授業中の大半は睡眠になるわけです。
自宅で7時間、学校では平均2時間くらい寝ていたと思います。
よく卒業できたものですね(笑)。


そろそろ麻雀の話もしましょうか。
一応、麻雀を題材としたブログなので(笑)。

高校3年の夏までは、1~2ヶ月に1回やるかどうか、という程度でした。
ほとんどの高校がそうだと思いますが、野球部はなかなか休みが無いんですよね。
日頃の練習に加え、週末は練習試合。
さらに、年に3回は大会がありますからね。

で、3年の夏になると、部活に行かなくて済む。
その反動で、麻雀をやる機会が大幅に増えましたね。
本来なら、受験勉強に充てる時期のはずなんですけどね(笑)。


当時の麻雀の成績ですか?
とにかく負けまくっていましたね~。
点数計算は出来る人に任せっきりで、なかなか覚えなかったですし。
自分の知識や経験の無さを棚に上げて、
「こんなはずはない。なんで勝てないんだ」
なんて思っていたりして。

負けたその時は、悔しい気持ちになるのですが、
それでも「もう麻雀やめよう」と思った事は無かったですね~。
これは今でも不思議です。

もし、しもで少年がここで麻雀をやめていたら、
どんな人生になっていたのでしょうか?
…って考えてみましたが、想像がつきません(笑)。



第3回のお話は、ひとまずここまで。
今回は高校時代のお話でした。

今思えば、なんで点数計算をすぐに覚えられなかったのでしょうか?
ちょっと頭のいい人からすれば、信じられないと思うのでしょうね。
私自身も、しばらくの間は分かりませんでした。

私なりに気づいたのは、麻雀教室の講師になって、何年か経ってから。
おそらく「自分の中の優先順位がかなり下位」だったからなんですね。
学校の事、部活動の事、テレビゲームの事、などなど。
野球部を引退するまでは、麻雀以外の事で精一杯で、
点数計算を本気で覚えようとは思わなかったのです。

まぁ、それでもやっぱり私自身の頭が悪いのが一番の原因ですかね(笑)。


次回も高校時代のお話の予定です。
ではまた~。
さて、中学生になったしもで少年。

1年生の夏に、引き篭もりになりかけた時期はありましたが、
それ以外は、何とか無事に過ごす事が出来ました。

そして、高校受験も終わり、あとは卒業式を待つばかり。
そんな時期に、同級生から、
「しもで~、麻雀せん?(麻雀しない?、という意味)」
というお誘いが。

そういえば、ファミコンでちょっとやった事あったっけ。
人間相手にやった事ないから、やってみようかな。

というわけで、中学3年生の卒業間近、
しもで少年が麻雀デビューを果たす事となるのです。


しかし、当時はファミコンの2人打ち麻雀しかやった事がない、しもで少年。
対面からチーしようとしては、
「左からしかチーできん」
って止められたり。
他にも、よくわかっていないまま、1日が終わりました。

今思えば、麻雀牌こそ使ってはいたものの、
ゲームとして成立したか怪しかったですね。

それにもかかわらず、
「またやってみたいな」
という気持ちがうっすらとありました。

それでも、当時は麻雀よりもテレビゲームの方が楽しかったので、
麻雀の面白さに嵌るのは、もう少し後の話。



第2回のお話は、ひとまずここまで。
今回は中学校時代のお話でした。

基本的に学校という空間が嫌いでした。
1年生の夏休みの時期、部活に行きたくなくて、
仮病を使って、1ヶ月も自宅で引き篭もっていました。
何か特別な事があったわけでもなく、小さいストレスが積み重なった感じ。

当時は、
「うつ病とかそういうものは、精神的に弱い人間がなるものだ」
という認識が、どこかしらあった気がします。
今思えば、私も危なかったかも。
時代背景と環境が許せば、ずっと引き篭もっていたかったくらいです(笑)。

まぁ、今だから、笑い話で済ませられますけどね。

おっと、話が重くなってしまいましたね。
次回以降はなるべく軽い話をしたいものです(笑)。
ではまた~。
1973年2月2日、石川県の能登半島の先の方で産まれました。

私の田舎は、もうそれはそれは田舎でして。
私の集落には小さい雑貨屋が2つあるくらい。
商店街、と名のつくところは、3キロくらい離れていましたね~。

子供の頃は泣き虫で、よくガキ大将に泣かされていました。
とはいうものの、基本的には周囲の人とはある程度仲良く振舞っていました。
自他ともに認める鈍感なのに、
「嫌われないようにするには、どうすればいいのか」
という事に関しては、子供の頃から敏感でしたね。
特に田舎だと、周囲の人とそれなりの付き合いが出来ないと、
自分はもちろん、親も大変な思いをしますからね。

少年野球のチームに入っていて、実際野球も好きでした。
でも、みんなでいる時よりも、一人で壁当てしている方が好きでしたね。
「マウンド上のしもで、第一球を投げました」
みたいに、頭の中で実況しながら(笑)。

ここまで読んでいただければ分かるとは思いますが、
一人でいる時間の方が大好きでしたね~。

性格というのは、子供の頃に大部分が形成されるのですね。
ここまで書いてて、
「自分、子供の頃と変わらんなぁ」
と、改めて思った次第です(笑)。


そんなしもで少年、小学校高学年の時にファミコンを買ってもらいまして。
自分が欲しいと思ったソフトを、ねだって買ってもらうのですが、
そんな中、父親の趣味で買ったソフトが1本だけありました。

そう、任天堂から発売された「麻雀」です。
私と麻雀の、最初の出会いとでも言うのでしょうか。

見よう見まねでやってみたのですが、
「なんで3つずつ揃ったのにアガリにならないの?」
みたいな感じで、どうやったら点数が貰えるとか、よく分からなかったですね。

というわけで、ひとまず麻雀とはおさらば。
次の再会は、3年くらい後になるのでした。



第1回のお話は、ひとまずここまで。
「ここから始めるのかよ!」
というツッコミを受けそうですが、
子供の頃にどう育ったか、どう生きてきたかについては、
後々の話にも関係してくるのです。

こんな感じで、次回以降も書いていこうと思います。
ではまた~。