形があるモノは必ず壊れる、
生があるモノには必ず死が訪れる。
これは誰も逆らうことのできない普遍な自然の真理です。
ですが、我々生きている間、あまり意識したことはないと思います、特に若い頃は、ほとんどの人は意識しないと思う。
でも、私には若い頃から死について意識してました。
その理由(わけ)は、
私の両親は中国残留孤児で、私は中国で生まれ、
2歳の時に母を亡くしました。
12歳に母代わりに育ててくれたお爺さん(中国人)が亡くなった。
12年間で私にとって最も大切な人を二人亡くしました、
母が亡くなった時は2歳なので記憶がないが、爺さんの時はあまりのショックで涙もでなかった。
12歳の時(1975年)に父と兄と三人で日本の土を踏んだ。
その時ブルース・リーブームで、中国から来たということで拳法ができると勝手に思い込んで、クラスメートに中国拳法こっごさせられました。
その影響で格闘技が好きになりました。
後にブルース・リーがすでに他界していたことを知りました。これが三つ目の死でした。
そして、最も自分に死について意識したのは「あしたのジョー」でした。
自分も矢吹丈のようにリングで死にたい(実際矢吹丈が死んでいるのかは不明)と思った。
「細く長くよりも太く短い人生を生きたい」と思うようになったのは、成人になるまでに会った4人の死かもしれない。
以前に読んだ本の中に「子供が生まれた時に、子供にペットを買ってあげるといいよ、ペット(犬や猫)は20年も生きられないから、子供が成人する前に(ペットの)『死』を身近に体験することになるので、ひとの痛みがわかる大人に成長できる」というようなことが書いてあった。
ブルース・リーは「死亡遊戯」という映画を作ったのは、死と向き合うことによってどう生きるべきかを問いたかったと思う。
ブルース・リーの映画が世界を席巻した時に、彼はすでに龍となって天に登り、伝説となつて、神になりました。
伝説の男 ブルース・リーを後世に伝えていく。
それが自分の使命だと思ってます。












