世界一セクシー女優 ソフィア・ローレン
自分はあんまりはハリウッドの俳優や女優に詳しくないのですが、ソフィア・ローレンさんについては子供の時分からよく覚えてます。
日本のテレビCMにも出ていたので、よく覚えてます、こどもながら「色ぼう女優さんだな〜」と思っていました。
自分の中では世界一のセクシーの女性だと思います。
そんなセクシーなソフィア・ローレンさんも今日で89歳になります(1934年9月20生まれ)。
いつまでもセクシーのまま長生きしてほしいです。
鉛筆で描いたりんご🍎
上の絵は5分で描いたりんごです。
今回は鉛筆画の描き方について少し書きたいと思います。
私が鉛筆画を描いていることを知る友人や知人から「鉛筆画の教室を始めたら?」と言われます。しかし、自分は鉛筆画について人から学んだことないので、全ては自分独自のモノなので、人には教えるほどのモノはないと思ってます。
だけど、自分が今まで描いてきた鉛筆画の中で自分自身の描き方があります、興味ある方の参考になれば良いなと思いここですこしお話しします。
まず、リアルの鉛筆画とマンガの違いの一つに色の濃淡があります。
上のりんごの絵のようにリアルなモノクロの鉛筆画の一枚を濃淡に分けると数種類や数十種類の色あります。
鉛筆画ではそれを見分けて描くことがとっても大事だ思います。
例えば平面で同じ色であっても光当たり具合で色が違います、それを観察する目が絵を描くのに必要だと思います。
私は色鉛筆画を描かないのはその大変さを理解しているからです。
他にもありますが、それはまだの機会に書きます。
今日(2023/09/07)は長渕剛さんの67回目の誕生日。
長渕剛さんは自分と同じ鹿児島の人(私は中国生まれで、両親が鹿児島生まれなので、日本に帰って来た時には鹿児島の学校に通い、高校は鹿児島実業高校を卒業しました)で、高校の時によく長渕剛さんの歌を聞いていました。
好きな歌には「順子」「とんぼ」「ろくなもんじゃない」などあります。
長渕剛は女性のファンよりも男性のファンが多いですね、
自分は男子校なので、クラスメイトにも熱狂的な長渕剛ファンいましたね。
私は熱狂的なファンではなかったけど、歌はよく聞いてました。
マイク・タイソンはモハメド・アリと共にボクシングについて詳しくない人でも知っているだろう。
マイク・タイソンについては、詳しくはウィキペディア(Wikipedia)を読めばかるが。
私はタイソンにもっとも影響を与えたのは師のカス・ダマトであり、もしカス・ダマトがいなければタイソンは世界王者になれなかったと思う。
タイソンが世界チャンピオンになる一年前にカス・ダマトが亡くなっていた。
これは仮説になりますが、もしあと3年遅く、いや1年遅く亡くなっていたらタイソンはおそらくすごい戦績を残し、誰もが認める史上最強のボクサーになっていただろう。
ブルース・リーは映画の中でいろんな武器を使っています。
最も有名なのは「ヌンチャク」ですね、ブルース・リーの代名詞にもなっています。
ドラゴン危機一発ではヌンチャクは使っていないが、敵が投げたナイフを投げ返したり。
また、最後の戦いにナイフを仕込んだり(脚に)してたり、近くにあるものを武器にしたりしてます。
ドラゴン怒りの鉄拳からヌンチャクを主に使ってます、対多人数と対日本刀と上手く立ち回ってます。
ドラゴンへの道ではタブルヌンチャクのほか、棍棒と投げ矢使ってます。
多人数にはダブルヌンチャクと棍棒を使って戦い、飛び道具には投げやで対抗しています。
燃えよドラゴンでは、ヌンチャク、長い棍棒や二本の棍棒のダブルスティックを使ってます。
死亡遊戯では、 ダン・イノサント(パスカル)のダブルスティックに対して竹の棒のバオ(バンブースティック)で戦いを挑んでいる。不利と見たイノサントはヌンチャクを取り出し、これに対してリーもヌンチャクで応戦している。
徒手空拳のジークンドーには本来武器術はないのだが、ブルース・リーは映画用にアレンジしたと思います。
これは以前勤めていた工場の守衛のおじさんからのリクエストで描いた加山雄三さんです。
守衛の人は会社の門のところに立って、出勤時に「おはようございます!」、退勤時に「お疲れ様でした!」と挨拶するのですが、誰も返しません。
私は必ず目を見ながら挨拶を返すようにしていたし、自分からも挨拶するようにもしていました。
そうしているうちに守衛のおじさんと仲良くなって、頼まれて描いたのがこの絵です。
この会社は半年もしないうちに辞めってしまった、辞めた理由は「事故が多すぎる」からです。
過去に4日連続事故を起こしたり、私の在籍中に一日に二つの事故があったり、
と、とにかく事故が多い会社でした。
挨拶しない、工場の中でも歩きスマホなど、社員のレベルの低さが事故の原因になっているとおもいます。
挨拶は人間関係の基本です、挨拶できない人は仕事もできない、と思います!
鉛筆で描いた高田純次さん(鉛筆画)
高田純次さんは私にとって心の師匠であり、ライバルでした。
90年代に「5時から男」という高田純次さんのコマーシャルがありました。
当時、私は会社員で工場で働いてました、独身だったので趣味のマラソンに夢中で往復の通勤ラン、またお昼休みも30分走っていました。
17時までほとんど仕事しないでテキトー職場で同僚たちと遊んでいました。
17時すぎの残業だけ働いてた。
というのは遊ぶ相手がいないから一生懸命?働きました。
高田純次さんのコマーシャルでは17時から遊ぶことになっていたが、私は17時まで遊んでいました。
逆バージョンです、高田純次さんとは。
仲間から「お前には悩みはないだろう」っと言われ、
つけたあだ名は「ミスター・ゴーイングマイウェイ)でした。
そんな楽しい独身時代でした^ - ^