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Webであなたの夢が叶う!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ストークスです。

今日は、
紀元後のストークスにフォーカスします。

1800
 ジョージ・ガブリエル・ストークス
  (アイルランド)
    ストークスの定理

ストークスは、
アイルランドの数学者、物理学者です。
流体力学、光学、数学などの分野で重要な貢献をした。
1851年に王立協会のフェローに選出され、1885年から1890年まで会長を務めた。
1849年から死去する1903年まで、ルーカス教授職も務めている。

ストークスの定理

ベクトル解析の定理のひとつである。
3次元ベクトル場の回転を閉曲線を境界とする曲面上で面積分したものが、
元のベクトル場を曲面の境界である閉曲線上で線積分したものと一致することを述べる。
ベクトル解析におけるグリーン・ガウス・ストークスの定理を、
より一般的な向きづけられた多様体上に拡張したものも、同様にストークスの定理と呼ばれる。
微分積分学の基本定理の、多様体への拡張であるともいえる。

明日はエルミートにフォーカスします。

お楽しみに!

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ワイエルシュトラスです。

今日は、
紀元後のワイエルシュトラスにフォーカスします。

1800
 カール・ワイエルシュトラス
  (ドイツ)
    楕円関数論、複素解析

ワイエルシュトラスは、
ドイツの数学者です。
初期の業績は超楕円積分の研究で、これがきっかけでベルリン大学に招聘された。
楕円関数論では、位数2の楕円関数である\wp関数の研究を行い、
複素解析では、解析接続に基づいた厳密な方法を発展させた。
その他、イプシロン-デルタ論法、一様収束の概念の考案など、微分積分学の基礎付けや、
一変数複素関数、代数関数のべき級数による理論の整備に業績を残した。
とくにリーマンとともに複素解析の研究を進めたのは有名であり、
リーマンが直感的方法を好んだのに対してワイエルシュトラスは厳密な解析的手法を好んだとされる。
いたるところ微分不能な連続関数の具体例を示し、実解析においてもその名を轟かし、
極小曲面の理論で幾何学にも業績がある。
弟子には、ミッタク=レフラー、ソフィア・コワレフスカヤがいる。

明日はストークスにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ブールです。

今日は、
紀元後のブールにフォーカスします。

1800
 ジョージ・ブール
  (イギリス)
    ブール代数

ブールは、
イギリスの数学者・哲学者です。
記号論理学の研究で知られています。

ブール代数

当時、数学は「数」や「図形」を扱う学問で、「論理」は哲学の分野であると考えられていました。
ブールは論理や推論を数学的に考えられるのではないかという発想を持ち、1844年の論文において「演算」を記号で表し、その記号同士の計算を考えました。
更に1854年には著書『思考の法則の研究』の中で、数学的な記号を用いて論理的な結論を導き出す方法を提唱します。
この考え方は、今日の「ブール代数」の元となっています。

明日はワイエルシュトラスにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webであなたの夢が叶う!のHirokoです。

Webで数学、
数学史からみえてくるもの:ガロアです。

今日は、
紀元後のガロアにフォーカスします。

1800
 エヴァリスト・ガロア
  (スランス)
    ガロア理論

ガロアは、
スランスの数学者です。
代数方程式の解の構造を調べる等、代数学に多大な貢献を残しました。

1823年、12歳でルイ・ル・グラン高等中学校に入学したガロアは語学などの勉強に次第に飽きてしまい、落第してしまいます。その後フランスの有名な数学者アドリアン=マリ・ルジャンドルの幾何学の著作に出会ったことがきっかけで、ガロアは数学に熱中していくことになります。

1828年と1829年の二度、ガロアは理工科学校(エコール・ポリテクニーク)を受験しました。しかし口頭試問でのガロアの回答を理解できなかった試験管に苛立つなどの態度もあり、二度とも受験に失敗してしまいます。
この間ガロアはルイ=ポール=エミール・リシャールという教師に出会い、彼の勧めで論文を執筆します。その論文はフランス科学アカデミーに提出され、オーギュスタン=ルイ・コーシーに審査されるはずでした。しかしコーシーは論文を紛失してしまい、科学アカデミーからは満足な返事が得られませんでした。
その後ガロアは自分の論文に少し手を加え、科学アカデミー主催の賞に応募します。この時のアカデミー事務局長ジョゼフ・フーリエがガロアの論文を持ち帰りますが、不幸にも他界してしまいガロアの論文はまたもや発見されないままとなってしまいました。

1830年、ガロアは高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリオール)を受験、合格します。
当時のフランスは革命のさなかであり、王政派と共和主義派が激しく対立していました。共和主義だったガロアは校長のジョセフ・ダニエル・ギニョーと対立し、ついには放校処分となってしまいます。このエコール・ノルマルではオーギュスト・シュヴァリエという人物と出会い、生涯を通じての親友となります。
学校から離れたガロアは国民軍砲兵隊に入るなど、共和主義の活動に身を入れていきます。何度も投獄されることになりますが、数学の研究も続けていました。

1832年5月、ガロアは恋愛問題によって決闘を申し込まれます。決闘は5月30日の朝に行われることとなり、その前日の夜にガロアはオーギュスト・シュヴァリエに宛てて遺書を書き、その中でこれまでの数学に関する研究成果を書き記しました。
5月30日の早朝、ジャンティーユ地区グラシエールの沼の近くで決闘が行われました。ガロアは腹部を撃たれ、その場に放置され、午前9時30分にコシャン病院に運ばれました。外科医のドニ・ゲルボアが治療に当たりましたが、5月31日午前10時に弟アルフレッドに見守られながらガロアは息を引き取りました。

シュヴァリエが受け取った遺書はアカデミーに提出され、ジョゼフ・リウヴィルはこれを整理して1846年に自身が編集する『純粋・応用数学雑誌』に掲載しました。1897年には『ガロア全集』が刊行されています。

「五次以上の方程式には一般的な代数的解の公式がない」ということはニールス・ヘンリック・アーベルによって証明されていますが、方程式がどのような場合に代数的な解を持つかということは分かっていませんでした。ガロアの理論はこれを明らかにし、数学界での方程式に関する研究は大きく前進することになります。

明日はブールにフォーカスします。

お楽しみに!

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Webで数学、
数学史からみえてくるもの:クンマーです。

今日は、
紀元後のクンマーにフォーカスします。

1800
 エルンスト・エドゥアルト・クンマー
  (ドイツ)
    理想数の研究

クンマーは、
ドイツの数学者です。
整数論の発展に大きく貢献しました。


クンマーの理想数

フランスの数学者であるオーギュスタン・ルイ・コーシーとガブリエル・ラメは、
フェルマーの最終定理の証明に取り組んでいました。
彼らの証明方法では素因数分解の一意性が重要な意味を持っていましたが、
これを知ったクンマーは素因数分解において虚数を含んで考えると一意性がなくなることを指摘しました。
この後クンマーは素因数分解の一意性の問題に取り組み「理想数」という考えを導入しました。
理想数の概念はリヒャルト・デーデキントに受け継がれ「イデアル」という概念が生まれることになります。


フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理の証明には、1816年にフランス科学アカデミーによって懸賞金がかけられていました。
クンマーはこのフェルマーの最終定理について限定的な場合の証明をしましたが、
その功績が認められ1850年に3000フランの金メダルを受賞しました。
フェルマーの最終定理に関しては1850年に再びフランス科学アカデミーが、
1908年にはドイツの資本家のパウル・ヴォルフスケールが懸賞金をかけています。
1997年にアンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を完全に証明し、受賞しました。

明日はガロアにフォーカスします。

お楽しみに!

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