《これまでのお話》
催眠から覚めて、これは宿世結神の宇良古姫だろうと思いましたが、一つひっかかる
ことがありました。
髭面の父親が林六郎で、夫が藤原緒嗣だったとしたら、二人は延暦年間(782~806年)
の人ということになります。当然、宇良古姫も、この時代の人ということになります。
ですが、以前のヒプノで、前世の人として井上内親王が出てきたことがありました。
井上内親王は、717年から775年の間を生きた人なので、あまりにも年代が近く、
場合によっては重なりそうです。少なくとも、井上内親王は、延暦年間には、
怨霊になって猛威をふるっていたはずで、まだ、生まれ変わってはいなさそうです。
だから、これはあり得ないと思って、マリア先生に聞いてみました。先生が仰るには、
複数の前世の人が同じ時代にいることはあり得るということでした。また、現世の
複数の人から、同じ前世の人が出てくることもあり得るということでした。
たしか「分け御霊」の考え方に基づくもので、その説明も聞きましたが、難しくて、
あまりよく理解できていないので、これ以上書くのはやめておきます。
宇良古姫は、帰ってこない夫を恨めしく思って、恨んでこの世を去りましたが(恨去姫)、
夫側の事情を知ると、なんだ、しょうがないな・・・と思えました。
以下は私の想像であり、根拠となる記載等はありませんが、宇良古姫の死後、残された
一人息子を通じて、髭面の父親の林六郎と夫の緒嗣は仲良くなったのかもしれません。
なんとなくですが、かつて結婚に反対した髭面の父親も、孫に会って婿を受け入れた
のかもしれないという気がしました。そうやって協力関係になった二人は、一緒に
守矢神の御子である千鹿頭神を勧請したり、祠をたてたりしたのかもしれません。
なお、藤原緒嗣は、藤原百川の息子です。藤原百川は、白壁王が光仁天皇として即位
した際のキーパーソンで、井上内親王を死に追い込んだのも、百川の策略だという説が
あります。百川は、779年に亡くなっていますが、竜に変身した井上内親王に蹴り殺されたと、『愚管抄』には書かれています。
百川が他界したとき、息子の緒嗣はまだ5歳でしたが、桓武天皇は百川を高く評価して
いたので、何かと緒嗣を可愛がり、一人前になるまで育ててくれたようです。
後に、緒嗣は、蝦夷征討と平安京造営の二大事業が民衆を苦しめているとして、この
二大事業の差止を桓武天皇に進言しました。桓武天皇は、真逆の意見だった菅原真道と
緒嗣に議論させた結果、緒嗣の意見を採用し、805年、二大事業を停止しました。
蝦夷征討は、戦争なので即時停止はできず、810年代まで続いたようですが、
平安京造営は即時停止となりました。桓武天皇が、794年に平安京に遷都した時点では、
平安京は未完成だったのです。桓武天皇が平安京に遷都したのは、早良親王や
井上内親王の怨霊から逃れるためだったとも言われていますが、よほど遷都を急いで
いたために、かなり未完成の段階で平安京に移ったのかもしれません。
調べていくうちに、これらのつながりを知って、何やらぞくぞくっと寒くなったのでした。
- ヒプノセラピー:宇良古姫 終わり -