レイキを入れてから、ますます荒れていく夫にほとほと困り果てながらも、

なぜか自分の思考はどんどんクリアに冷静になっていきました。

 

レイキを入れて一ヶ月ほど経った頃から、当時私は育児休業中で家にいたのですが、

夫が出かけると何かに取り憑かれたように荷造りを始めるようになっていました。

一部は実家に発送し、一部は家の中の目につきにくい場所に片付けながら、

荷造りした段ボールは少しずつ増えて行きました。

 

早く逃げろ! ここにいてはいけない! という強迫観念にも似た気持ちで荷造りを

しながら、一方では、夫との生活が穏やかになって、ずっと続いていくことを願う。

自分でも、その矛盾に気付きながら、どうすることもできずにいました。

二度目のヒプノセラピーを受けたのは、そんな時期で、その理由を探ることになりました。

 

ヒプノが始まり、見えてきたのは石畳の道。私は少女で、着物の袖のあたりが見えます。

ピンク色の着物で、トンボのような模様が刺繍されています。少女は石畳の道を

駆け上がって行き、そこから集落が見えました。

 

場面が切り替わり、少し年代が進み、私は10代前半ぐらい。白い着物を着て、長い黒髪を

後ろに束ねて、お祈りをしています。背後にたくさんの人がいます。

マリア先生に「あなたは、何をする人?」と尋ねられ、「お祈りする人」と答える私。

 

大人の場面では、東大寺の大仏殿らしきところにいました。仕事でお祈りをしにきた

わけではなく、大仏を見に来たようです。そして、縁談が来て、流れに従い結婚しました。

 

夫のことは別に好きでもないけれど、仕方ありません。夫は、仕事も身の回りのことも

しなくて良い立場で、大酒飲みの遊び人、何を考えているのかさっぱりわからない人でした。

私以外にも奥さんらしき人がいて、その人とは相思相愛のようです。

 

私も何もしなくても良い立場。というより、むしろ、してはいけない立場。

夫の親戚も同じ屋敷に住んでいて、その人たちが私の一挙手一投足を見張っており、

何かしようものなら、陰で聞こえるように悪く言われます。お祈りのお仕事をしていた頃を

懐かしく思い出しますが、とてもじゃないけど、そんなことはできません。

 

夫はたまにしか私のところに来ない関係。格好いい人だけれど、別に好きでもありません。

こんなところいやだ、つまらないと思いながら、縁側の欄干にもたれて、庭を見ています。

それはそれは大きな庭で、大きな池も見えました。

 

「旦那さんが来ました。どんな人かな?」

長い長い廊下を、夫がこちらに向かって歩いてきます。近くに来る前から不機嫌オーラが

出ているのがわかります。来てくれなくていいんだけど・・・。近くに来た夫の顔を見ます。

見たことのある輪郭、目鼻立ち。

 

あっ! (現世の)夫と同じ顔!

 

場面が5年後に切り替わります。子どもがいます。さらに5年後、子どもが二人います。

身の回りのことも自分でしてはいけない立場だから、子どものお世話も思うようには

できないけれど、子どもといるときは幸せでした。


死の場面は、狭い木でできた箱の中のようなところ。誰もいない中、息を引き取ります。


もっと早く、あの屋敷を出ればよかった。あの夫と一緒にいると、碌なことがなかった。
子どもたちと楽しいことをいっぱいして、もっと長く一緒にいたかった・・・。

そんな思いがあふれてきました。

 

今の私に言いたいことは、「逃げて」「今ならまだ間に合う」「でも、そのうちに二進も三進も

いかなくなる」「あの男は貴女が思っているより危険な人」「お願い気付いて」。

そんなことが、ばらばらと伝わってきました

 

ヒプノセラピー:井上内親王様②

 

 

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