梅雨の時期のことだったと思います。マリア先生が調べ物していたときに、たまたま、
「諏訪にいた坂上田村麻呂の副長が、 林六郎の娘、有後姫と恋仲になり、宿世神社

という祠がある」という話を目にしたと教えてくれました。私の本名と関係のある事柄が

含まれており、それをこのところ何度も見るので、私がこの件と関係あるように思った

のだそうです。

 

それを聞いて、私も、林六郎の娘のことなどを調べてみました。私が見た情報では、

有後姫でなく、宇良古姫(うらこ)姫と出てきました。うらこの異称が「恨去」らしく、

恨んで去るだなんて、なんだか怖いと思いました。

 

諏訪といえば、蓼科の近くです。前の年の春に蓼科に行って以来、吸い寄せられるかの

ように半年ほどの間に、夫と子どもと3人で、4回も行きました。そして、蓼科に行った後、

決まって関係はますます悪化しました。一度は、見えない誰かが車に乗ってきたので、

誰だがわからないその人に、心の中で「降りて頂けないかしら・・・?」とお願いしましたが、聞き入れられず、居座られ、結局、その人は家にまでついて来ました。

その人の影響なのか、夫はイライラして怒鳴りながら高速道路を暴走。私は固まって、

おまわりさん、お願いです、スピード違反で捕まえてください、免停にしちゃってください、

と祈りながら乗っていました。

 

そんなことを思い出しながら調べていくうちに、林六郎の娘には、「宿世結神」という

呼称もあることがわかりました。恨んで去ったのに宿世結神? 何か事情がありそうです。

 

林六郎屋敷跡は千鹿頭神社付近にあり、林六郎はこの辺りの里長だったようです。

かつてはあった「御符古墳」が林六郎の墓と言い伝えられていたようですが、明治期に

古墳をこわしたのか、千鹿頭神社に合祀されたようです。

 

林六郎には、延暦年間(782~806年)に、坂上田村麻呂の後任で陸奥按察勧請使となった藤原緒嗣と共に、この地に諏訪の守矢神の御子である千鹿頭神を迎えたという伝承があるようです。

千鹿頭神は、守矢神の御子以外に、建御名方神の御子であるという説もあるようです。

また、宇良古姫は、林六郎娘となっていたり、妻となっていたり、千鹿頭神の妃となって

いたりで、いろんな説があるようでした。

 

調べていくといろいろ情報は出てくるものの、どんどん発散していく上に、どれも決定打に

欠けるところがあり、これだと確証が持てそうな情報には行き当たりませんでした。

 

ただ、この調べものをしていくと、肺が重苦しい感じになり、息が吸いにくくなるのです。

ちょうど梅雨の時期だったので、湿った空気によってそうなったのかと思っていましたが、

今も書いていくうちにそんな感じになってきたので、何かあるんだろうなと思います。

 

ヒプノセラピー:宇良古姫②

 

 

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