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イベント出演情報

2014年8月31日(日)
「ONE NIGHT DREAM」<ヴォーカル出演>

2014年7月27日(日)
「REALIZE SUMMER DANCE SHOW☆2014」
<スペシャルゲスト/ヴォーカル出演>

2014年6月8日(日)
Project「Toy Box」vol.0 <ヴォーカル出演>



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続・オペラ歌手はマイクを使っていないという錯覚

私は以前、現代演劇におけるオペラの上演は、全て「生音」である。それは、表面的にそう感じるているだけの錯覚です。
オペラ歌手がマイクを使っていないというのは、数百人収容の小さな音楽ホールでピアノ伴奏を使った場合の話です。今日における2000人以上収容の劇場の場合、現代の音色を重要視したオペラ歌手の発声法では、オーケストラ伴奏を入れると到底客席後ろまで声は通りません。なぜなら、劇場自体がそういう音響で作られていないからです。
世界にあるどの劇場にも、オペラ歌手の声が客席後ろまできちんと響き渡るようにするために、見えない「オペラ音響」というプロ職人が必ずいます。
このように申し上げました。

昨日、カウンターテナー歌手のリサイタルがプレミアムシアターで放送されたので視聴しました。

会場は、1,156席収容のトゥールーズ・キャピトル劇場(フランス)での公演で、共演は7名の古楽アンサンブルです。リサイタルであっても、これだけ広い劇場ならば必ず見える「ライヴ音響」のプロ職人はいます。
案の定、各楽器の側には繊細な音まで収音できるコンデンサーマイクが設置されていたのですが、カウンターテナー歌手の側には目に見えるマイクは設置されていません。
マイクのある古楽アンサンブルの伴奏と生声歌唱では、声が埋もれ音響バランスも悪くなる。ところが、舞台の上を動き回っていても鮮明に歌声が聞こえてくるので、必ずどこかにマイクが設置されているはずだと思っていたら見つけました。


予想通り、首の後ろから耳の後ろにかけてヘッドセットマイクが装着されていました。しかし、自然且つ生々しく聞こえてくるところが、プロ職人の技「ライヴ音響の極み」です。

皆さんが劇場で生のリサイタルを観て感動しているのは、見える「ライヴ音響」というプロ職人の力もあることを決して忘れないで下さい。

島倉 学

教え子の舞台観劇


本日は、ご厚意に預かり、現在教え子が出演中の雪組公演の宝塚グランドロマン『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-貸切公演を東京宝塚劇場[東京都]で観劇させて頂きました。


宝塚音楽学校に合格したのが、つい最近のことだと思っていましたが、月日は早いもので宝塚歌劇団入団、そして今回舞台に立っていらっしゃる姿を拝見し、実感致しました。

これまで相当な苦労があったと思いますが、舞台に立つ姿は本当に幸せそうなお顔で、美しく輝いておりました。そんな姿を拝見し、大変誇りに思います。


お身体にお気をつけて公演頑張って下さい。


島倉 学




MANA'Sキッチン


昨日は、新作!沖縄料理のゴーヤとしらすチャンプルー(ごちゃまぜ) 、MANA'S特製出汁を使ってジューシー(炊き込みご飯)を作りました!


メインのゴーヤとしらすチャンプルーですが、ゴーヤは薄切りにしてサッと炒める方が甘味が出て、苦味とのバランスが良くなります。まずゴーヤをオリーブオイルで炒め、軽く焦げめが付いたら塩胡椒で味付け。次にしらすを一緒に炒め、フライパンのまわりからオリーブオイルを少し追加し、溶き卵を流し込んで軽く炒めて完成です。仕上げに塗した鰹節との相性も抜群です。

隠し味は胡麻油ですが、余計な調味料は一切入れず塩胡椒のみで十分美味しく仕上がります。

ジューシーの具材(豚肉、人参、コンニャク、ごぼう、ひじき、昆布、ネギ)




全国高校野球 京都国際初優勝おめでとうございます!


昨日、録画していた甲子園決勝戦を鑑賞。両チーム本当に素晴らしい戦いでした!

京都国際高校1956年の平安以来68年ぶり5度目の快挙並びに初優勝、本当におめでとうございます!


試合9回まで0対0のまま、両チーム互角の戦い。その後、延長タイブレークに突入しサヨナラ負けのピンチを見事に凌いだ京都国際の勝利でした。選手たちの高いテクニック(外発的技術・行動力)とチームの守備力と瞬時に対処できるスキル(内発的技術・判断力)は、実に圧巻でした。


インターネットでは、決勝戦だけは通常の延長試合にしてタイブレーク制度は廃止してほしいという批判的意見が多くありますが、私はタイブレーク制度に大賛成です。なぜなら、本来は9回で決着をつけなければならない試合をダラダラと続けても、選手たちがまともに競技などできないからです。そもそもタイブレーク制度は、時短のためではなく選手たちの身体を守るためにあるのです。


過去に、18回まで延長したあげく翌日再試合というのがありました。地方予選からこの全国決勝まで上り詰めるだけでも身体は疲労困憊のはずですから、そんなことをしていたら選手たちの身が持ちません。それだったら、9回終了後の延長戦は、両チーム共まだ体力と集中力が残っているうちに新ルールのタイブレークで素早く決着をつける方が緊張感も高まり余程良い競技ができます。両チーム同じ条件の下で戦うのですから、何の問題もない。

「運も実力のうち」「勝負は結果が全て」ですから、上記のような批判の声は、全て負け惜しみであり見苦しい。


純粋な精神で立ち向かう選手たちの戦いは、我々に勇気と希望を与えてくれます。それを見ることができて、私は幸せでした!

野球を通して、夢を追うのではなく1つの目的に向かって一生懸命努力することは、必ず「心の財産」になります。

今度はそれを糧にして、最後は「人生の勝利者」となれるよう心から祈っています。

高校野球は、本当に素晴らしいです!


島倉 学



ミュージカル観劇レポート



昨日は、ミュージカル『モーツァルト!』を帝国劇場で観劇しました。


この作品は、青年期のヴォルフガングが幼少期に目覚た才能の化身「アマデ」と対峙しながら、天才として生きる彼の苦悩(光と影)を描いています。

主役ヴォルフガング・モーツァルトを演じた古川雄大氏は、それを見事に演じきっていました。以前よりも演技と歌唱に磨きがかかり、本当に素晴らしかったです。

ヴァルトシュテッテン男爵夫人役の涼風真世氏は、言うまでもなく魅力的な存在感と貫禄のある演技と歌唱が圧巻でした。


今回、久しぶりに観劇して私が思ったのは、小池修一郎氏の演出が本当に素敵でした。美術や衣装も実に美しくて魅了されました。

やはり、この作品の偉大さを後押ししているのは、作曲家のシルヴェスター・リーヴァイ氏の音楽です。どの楽曲もオーケストラ編曲が素晴らしい。


昨日は公演初日というのもあり、カーテンコールでは古川雄大氏の舞台にかける強い意志をトークで聞くことができました。その時に、リーヴァイ氏も特別ゲストとして舞台上に招かれ、こうお話されました。

日本版『モーツァルト!』は、小池修一郎氏の演出が本当に素晴らしいです。これまで長きに渡り世界中で上演されてきましたが、今回の日本公演が一番感動しました。


島倉 学




南海トラフ巨大地震は必ず起きる

天災は、この生命に与えられた「自然治癒力」と同じです。人間は、金儲けのために災いを起こすのが大好きな生き物です。「戦争」がその一つですけれども、そんな人間の身勝手な環境破壊で地球が傷付けば、宇宙の法則によって毒を排出し元に戻そうとする働きがあって当然です。それが、地震や異常気象などの災害です。

地球は、巨大な一つの生命体です。人間の体内に薬剤を入れれば副作用が出るのと同じで、地球も人間に環境を汚染されれば波動が上がり良くない変化を引き起こし副作用が出ます。
「南海トラフ巨大地震」が必ず起きることは既に分かっています。
これも全て神様から与えられた厳しい試練です。「因果応報」の道理によって悪業を清算しなければならないのは必然の報いですから、何が起きても取り乱さないように覚悟しておくことです。

島倉 学

島倉 学ミュージックスクール開講12周年記念のご挨拶

残暑の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
皆様には、日頃よりご愛顧を頂き厚く御礼申し上げます。

早いもので、スクールを開講してから8月で開講12周年を迎えました。
これもひとえに、私のレッスンを真剣に取り組み、ここまでついてきて下さった生徒様一人一人のお陰であると、心から感謝申し上げます。

2012年に独立開講して以来、毎年正直いつ潰れても悔いはないという覚悟で、本当に歌や音楽を愛する方のためだけに尽くし、多くの方々にサポートして頂いた結果、ここまで続けてこられた気が致します。

日本はどれだけ豊かになっても、心が貧しい国です。
芸術とは、他者に自分の全てを捧げるためだけに存在する。それが使命です。そして、人間が生きていく上で絶対に欠かせない「衣食住」を超越するのが芸術文化です。

私の恩師のお言葉
「歌は心!身体で音楽を感じなさい!そして、歌の美しさを常に思い、唱うことの喜びを感じ、歌に幸多かれ。音楽を生活の一環とし歌に対する情熱を忘れずに生きなさい!」

これからも、その言葉をずっと大切にして「島倉 学ミュージックスクール」発展のため全身全霊努めてまいりますので、皆さま今後ともご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

代表 島倉 学

パワーストーンとチャクラ



昨日、パワーストーン専門店で私のチャクラに合うように石を入れ替えて調整し浄化して頂きました。


私の歌唱動画をいつもご覧頂いている方はよくお分かりだと思いますが、私は身体の軸を意識する時、必ずチャクラを通過させて歌唱しています。


私達の身体には7つのチャクラがあり、気のエネルギーを取り込んだり排出したりしています。

肉体と精神は深く繋がっているため、身体がひどく疲れていると、自己防衛の為にチャクラが全て閉じてしまいます。


特に、私のように1日何十人〜何百人とレッスンをしていると、外部からいろんなエネルギーの影響を受けてしまいます。身体が弱った状態が続くと、当然チャクラのバランスも悪くなり、純粋なエネルギーを取り込むことも他者に与えることもできません。


私は、普段から「気づきの呼吸」で己の存在を深く知り、潜在意識を目覚めさせることで宇宙と一体化する感覚を自分の歌唱で確認しています。

その感覚が乱れていることに気が付き、いくら自分で軌道修正しようとしても、自分軸となるチャクラが乱れていては身体に負担がかかってしまいます。

だから、私はチャクラのバランスを調整し活性化させるために、その時の身体の状態に合う石の色を選んで頂いています。


島倉 学

渋谷


昨日は、スクール定休日だったので、新施設の渋谷アクシュとリニューアルオープンしたばかりのSHIBUYA TSUTAYAに行ってきました。その後、渋谷スクランブルスクエアでゆっくりショッピングをしました。



人混みが苦手な私は、普段から都心へ出かけないのですが、行きつけのパワーストーン専門店で石の入れ替えと浄化をしてもらいたかったので、久しぶりに渋谷を満喫しました。

それにしても、渋谷の街が随分と変わっていてビックリしました(笑)


島倉 学



トゥーランドットの真実


オペラの原作とされる『トゥーランドット』の起源は、ペルシャにおける「謎かけ姫物語」の長年に渡る変遷を経た作品が基です。似たような物語が幾つも存在し、古くはニザーミーの叙事詩「ハフト・ペイカル(七王妃物語)」(1197年)にまで至ります。その中のボドリアン図書館所蔵写本からヨーロッパで生まれた作品がフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ氏(1653年 - 1713年)の『千一日物語』(1711年)です。ちなみに、『千一夜物語』とは全く別の作品です。

現在、作曲家のジャコモ・プッチーニ氏(1858年 - 1924年)による有名な『トゥーランドット』の原作は、カルロ・ゴッツィ氏(1720年 - 1806年)がコメディア・デ・ラルテの劇として発表した『トゥーランドット』(1762年)とされています。しかし、フランスのオバニアク氏による長年の研究では、ペティ氏の『千一日物語』の中の「カラフ王子と中国の王女の物語」と類似点が多すぎることから舞台向けに盗作した作品とまで言われています。
唯一異なるのは、トゥーランドット姫(ペティではトゥランドクト姫)に仕える女奴隷のアデルマ(ペティではアデルミュルク)が最後に短刀で自殺しようとする場面です。彼女は、カラフに妨げられ命が助かる。そして、トゥーランドット姫が彼女に自由を返すという点です。ちなみに、ペティ氏の『千一日物語』では、トゥランドクト姫に仕える女奴隷のアデルミュルクは、本当にカラフ王子を愛し最後に自害します。
以上を踏まえると、『トゥーランドット』の原作は、ゴッツィ氏の同名劇作品よりもペティ氏の『千一日物語』の要素が強いのです。

『トゥーランドット』に登場する主要人物の中で、女奴隷のアデルマのみオペラではそのまま使用されておらず、カラフ王子の父ティムールに仕える女召使いのリューに変更されています。
原作とされる『千一日物語』では、トゥランドクト姫が逆にカラフ王子から出された謎かけに対し猶予を求めた後、アデルミュルクがカラフ王子に「トゥランドクト姫が貴方を暗殺しようとしている。」と言って信じ込ませる。その時、カラフ王子は自分と父の名前を漏らしてしまう。彼女は、彼に愛を告白し一緒に逃亡しようと説得するが、拒否されて絶望する。
翌日、この裏切り行為によって未知の王子の名を知ったトゥランドクト姫は、民衆の前で「王子の名はカラフ、ティムルタシュの息子。」と告げる。同時に、彼に惚れたことを告白し結婚に同意する。
その後、アデルミュルクは嫉妬からカラフ王子に会ったことをトゥランドクト姫に打ち明け、短刀で自害する。彼女の葬儀のあと、トゥランドクト姫とカラフ王子の挙式が取り行なわれ、皇帝アルトゥン・カーンの助力によって、カラフ王子の父ティルムタシュは自分の王国を取り戻すという結末です。

オペラでは、かつて異国の王子(ダッタン人)に亡ぼされた祖先のロウ・リン姫の名が出てきますが、原作では一切存在しません。トゥーランドット姫の冷酷さを復讐と愛の喪失で具現化するために設定された創作人物と言えます。同じくカラフ王子の父ティムールに仕える女召使いのリューも、敢えてプッチーニ氏がゴッツィ氏の同名劇作品のアデルマを変更した創作人物です。実在した人物がモデルになっている説もあります。このリューが最も作品の要であり、愛するカラフ王子のために秘密を隠したまま自害することで「無償の愛」を強調しています。
最終的にリューは、復讐と愛の喪失で冷酷になったトゥーランドット姫、権力と地位を求めてトゥーランドット姫を求愛したカラフ王子の心を変える存在です。そして、トゥーランドット姫の父アルトゥームとカラフ王子の父ティムールまでも権力の魔物から解放され、喪失した愛を取り戻していく。

プッチーニ氏の歌劇『トゥーランドット』で1番伝えたいメッセージは『愛』です。業(ごう)と欲、欺瞞(ぎまん)と不正が蔓延る社会で生きる人間から現在失われているのは、リューのような「無償の愛」です。その大切さを教えてくれる作品です。
ちなみに、今日まで第3幕「リューの死」以降未完とされ、以降の補筆を作曲家のフランコ・アルファーノ氏(1875年 - 1954年)が担当していますが、プッチーニ氏が描きたかった仕事は既にそこで完結しています。なぜなら、先にも述べたように、リューの自害(無償の愛)によって「登場人物たちの心は救われ喪失した愛を取り戻す」という強いメッセージが組み込まれているため、観衆は「心の余白」としてそれを感じ取ることができるからです。

これは私の主観です。「リューの死」以降の遺されたプッチーニ氏のスケッチは、本来ならば観衆が「心の余白」として感じ取るイメージを音楽で具現化するように託された想念です。だから、アルファーノ氏の補筆に対して初演指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ氏(1867年 - 1957年)が大幅に削除を要求したのも、それをスケッチから読み取っていたからだと私は解釈しています。つまり、トゥーランドット姫とカラフ王子の対峙や2人の愛の深層心理など、説明的に表現する余計な補筆は一切いらない。
また、リューの死後、突然豪華な演出と壮大な音楽でハッピーエンドを迎えるのはおかしいのではないかと言う意見もあります。そのため、後代のルチアーノ・ベリオ氏(1925年 - 2003年)の静かに終わる補筆も存在します。こちらも、リューの自害に対する慈悲深さが余りにも説明的で表現過多に陥っている。
私は、トスカニーニ氏によってカットされたアルファーノ氏補筆の第二版に同感です。豪華な演出と壮大な音楽でハッピーエンドを迎えるのは、全くおかしくありません。なぜなら、恋のハッピーエンドではなく、心が救われ愛を取り戻した平和のハッピーエンドなのですから。

島倉 学
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