ソウルの光化門広場に、世宗(セジョン)大王と李舜臣(イスンシン)の大きな銅像が立っている。この地下に二人の人物を紹介するストーリー展示館がある。ハングル創製、自然科学に理解のあった名君・世宗と秀吉の朝鮮侵略で海戦を制した名将・李舜臣。二人の事績をたどると長い物語となる、ストーリー展示館は数多くの資料を並べ、そこまで踏み込んでいる。

 

 4月1~3日の「桜咲くソウル・京畿道へ」で、このストーリー展示館を見る予定だったが、タイトは行程となるため省いた。その代わり、洪陵(高宗と明成皇后の陵墓)近くにある世宗大王記念館を見学する。

 ここ10数年、講座の受講生を案内して、主に韓国の地方を巡った。その旅で、最終日にソウルに入り、それなりに市内の歴史散策もしてきた。しかし、今回のようにソウル中心の旅は初めてである。

 旅程を組みながら、姜在彦(カンゼオン)著『ソウル』を読みながら、事前に市街地を散策したような気分になった。

 

 朝鮮の儒教と開国期の歴史に詳しい姜在彦氏は、本来の研究よりも、司馬遼太郎の『街道をゆく 耽羅紀行』の折、現地を案内したことで知られる。

 その姜在彦氏の『ソウル』を読んで、「私と同じ感慨を抱いている」と思った。銅像に、街路名に、施設名に歴史上の人物が付けられていることに、姜在彦氏は次のような思いを抱く。

 

「変貌しつづけるソウルの街だけれども、韓国人たちは歴史にこだわる。彼らは歴史を通じて、たえず自己確認をしつづけないと不安なのかもしれない。あるいは、歴史(過去)こそアイデンティティという、儒教社会の名残りの気分なのだろうか。ソウルには、いまも歴史があふれている」

 

 世宗路、乙支路、忠武路、退渓路、元暁路、栗谷路、秋史路、茶山路、白凡路…。どのような人物か、お分かりだろうか。いずれも歴史に名を残す偉人ばかりで、街路名を通じて三国時代から近代まで韓国通史を勉強することになる。

 

 今回の旅では、ソウル市街地を歩きながら、韓国史のなかでも、朝鮮王朝のある一時期を掘り下げることになる。太宗(3代王)~世祖(7代)、それと高宗(26代)の時代である。「まさか、このような場所に」と思うポイントもある。死六臣(サユクシン)の墓である。「春は桜の名所」と知り、行程に組み込んだ。

 

 死六臣の墓(ソウル市有形文化財第8号指定)は、水産市場で有名な鷺梁津(ノリャンジン)駅近くの公園にある。首陽大君(スヤンテグン、のちの世祖)から王位を奪われた端宗(タンジョン、第6代王)の正統性を訴える成三問ら6名の臣下が、世祖を亡き者にしようとするが、未遂に終われ処刑される。処刑された6名を人々は忠臣であると称え「死六臣」と呼ばれるようになった。公園からは漢江(ハンガン)や63ビルディングを眺められ、春には桜が美しい場所になっている。

 

 今年は暖冬のせいもあり、桜の開花が早まりそうと聞く。昨年4月1日、景福宮前にいた。21世紀の朝鮮通信使SOUL―東京 日韓友情ウオーク」に参加したからである。その頃は、桜が満開だった。

 これに合わせて旅程を組んだが、今年はもっと桜の開花が早いのかもしれない。