歴史を感じさせる伝統家屋がある。一つは、高宗(第26代王)の妃・明成皇后の親戚の邸宅を生かしてレストランにしている、仁寺洞にある閔家茶軒である。もう一つは小説家・李泰俊(イテジュン)が作品を執筆した家である。こちらも食堂・カフェに使われている。どちらも古風な、魅力的な建物である。

 

 4月の「桜咲くソウル・京畿道へ」で訪ねることにしている。スケッチ風に紹介したい。二つとも、ソウル市指定の民俗文化財と民俗資料となっている。

 

【1】仁寺洞にある閔家茶軒(ミンガダホン)は、1900年代前後における明成皇后の親戚ミン・イクドゥ 大監の邸宅を改造して作った、韓国料理と韓国の伝統味を紹介するレストランである。 当時は破格的な形態の建築で、韓国初の改量韓屋として歴史的意味が深い建築物。「改良韓屋」としてソウル市民俗文化財15号に指定されている。インテリアは 「韓洋折衷」という。

 

【2】ソウルの北部に位置する城北区の城北洞(ソンブッドン)。そこには有名な食堂やカフェが並ぶ通り、城北道通りがある。そこから少し路地に入ったところに日本式の伝統家屋が現れる。小説家・李泰俊(イテジュン)が1933~45年まで執筆活動をした家である。ソウル市民俗資料に指定されている建築物。

 

 李泰俊は江原道の生まれ。1920年代後半から創作生活に入り、プロレタリア文学運動の全盛期には鄭芝溶 (チョンチヨン)らと「九人会」を組織した。純粋文学を旗印にし、活動を続けた。民主的民族文学の樹立を目ざした、左翼文壇の指導者の一人となる。 

 日本の植民地下で朝鮮語および朝鮮文学を守る運動で、画期的な役割を果たした雑誌『文章』の主宰者でもあった。

 解放後、北朝鮮へ移り、朝鮮作家同盟委員長などの要職についたが、53年、政変に巻き込まれ粛清された。

 代表作に短編集『鴉(からす)』(1935)、『福徳房』(1937)などがある。