マーラーの歌曲の素晴らしさ、美しさに

    遅ればせながら気が付いて、半世紀近く

    になる私の音楽体験に新たな1ページが

    開かれたと喜んでいるところなんです。

 

                    でもマーラーって交響曲が有名ですよ

                       ね。

 

 私のマーラー体験も「第1番」から始まって

    交響曲ばかり繰り返し聴いてきました。

 

                    それでも歌曲なんですか?

 

 マーラーの良さって、繊細な部分に現れると

    思うんですよ。マーラー自身、指揮者として

    ワーグナーの楽劇などに触れ、壮大な音楽へ

    の憧れはあったと思いますが、そこは不向き

    だったんじゃないかと。

   

                    でも、交響曲の盛り上がりなんて素晴ら

                       しいですよ。

 ブルックナーと比較するとはっきりするん

    ですが、息が短い。ブルックナーやワーグ

    ナーのような息の長い音楽は書けませんで

    した。

    反面、静かな部分というのか音を繊細に絡

    ませた音楽は本当に素晴らしい。

 

                     それが歌曲によく出ているんですね。

 

 その通り。

    歌曲にこそマーラーが本当に描きたかった

    ものだと思いますよ。

    ただ、マーラーは未来を見据えた珍しい

    作曲家だったので、遺産としてどうしても

    交響曲を書くことが必要だったんだと思い

    ます。

 

                     クラシックといえば「交響曲」という

                        イメージがありますよね。

                        で、今回取り上げるのは交響曲なんで

                                                                                      すよね。

 マーラー究極の交響曲だと思います。

    歌曲の場合は「歌曲集」という形で共通の

    イメージを持つ歌曲をいくつかまとめた物

    で、演奏する順番も自由であったりします。

 

    今回紹介したい「大地の歌」は一見規模の

    大きい歌曲集に見えますが、全6楽章あって

    最後の第6楽章に向かって全体が配置され

    明らかに交響曲の構造になっています。

 

    素晴らしい歌曲作家であり交響曲作家である

    マーラーの2つの武器を合体した音楽、正に

    マーラーの究極だと思います。

 

 

 この曲は単に「交響曲”大地の歌”」とされ、

    第〜番といった番号が付けられていない理由

    はよく知られています。

 

                     わざと付けなかったんですか?

 

 マーラーにとって「第9番」というのは、 

    どうしても避けたかったんです。

 

                     どういうことですか?

 ベートーヴェンは「第9番」を最後に亡く

    なっていますし、ブルックナーは「第9番」

    の最後の楽章を書き上げられず亡くなって

    います。

    それで本来9番目となるこの曲には単に

    「大地の歌」としたんです。

    

                     期待通り最後の交響曲にはならなかっ

                        たんですか?

 そうなんですが、これで厄払いが出来たと

    思ったのか、次の交響曲には「第9番」と

    付けたんです。

    結局「第10番」を完成できずに亡くなっ

    ています。

 

 

                    そろそろ曲を聴きたいですね。

 

 この曲は友人から「中国の笛」という詩集

    を贈られたことが作曲のきっかけになって

    います。

  

                    中国の詩集って李白とかですか?

 

 そうです。中国の古い詩を編纂したもの

    なんです。

    当時マーラーは長女を幼くして亡くし、

    自身も心臓疾患を抱えたりで、これらの

    詩の持つ厭世観のようなものがマーラー

    の気分にマッチしたんですね。

 

 

 第1曲は各節の最後に”生は暗く、死も暗い”

   と繰り返されるのが印象的です。

 

   この曲の初演指揮者ワルターの名録音で

   聴いてみましょう。

 

 

                   冒頭のホルンが印象的で、切々とした音楽

                      ですね。

 

 

 第2楽章では”私は疲れています”と歌い、

    癒しを求めるような歌詞です。

 

    

                   交響曲の緩徐楽章なんですね。

 

 

 第3楽章は”小さな湖の中に浮かぶ東屋で

    酒を酌み交わす友人たち、岸と東屋を結ぶ

    竜の背のような小さな橋が湖面に映ってい

    る”といった風景が目に浮かぶような歌詞

    になっています。

 

              また五音階を使った旋律が中国の雰囲気を

    出しているのが特徴です。

 

 

                   チャーミングな曲、断然気に入りました。

 

 

 第4楽章は”若い娘たちが談笑しながら

    蓮を摘んでいるところに、一人の若者が

    通りがかり娘の心を乱す”といったこの

    交響曲で唯一「生」を感じさせる歌詞に

    なっています。

 

 

                  音楽が激しくなった所で若者が現れるんです

                     ね。そこから歌のテンポが早まってきます。

 

 

 第5曲は”この世のことが夢ならば

    何のために苦労するんだ、酒を飲ん

    で酔ってしまおう”と人生の無情を

    嘆くような歌です。

 

 

                   どこか第一楽章と似たような曲ですね。

 

 

 第6楽章は終曲で、この交響曲の主題で

    あり、長さも30分と一番の長さです。

    ”私の幸せはこの世には無かった、でも

    大地は同じまま、永遠に続いていく”と

    歌っています。

 

    最後に消え入るように「”遠に、永遠に”

    と謳われますが、マーラーはこの部分に

    「完全に死に絶えるように」と書き込ん

    でいます。

 

    マーラーは「この曲を聴いたら自殺者が

    出るんじゃないか」と本気で心配してい

    たそうです。

 

 

                  第五楽章まで案外分かりやすい音楽でした

                     が、この楽章は難解な感じです。

                     最後の”永遠に”は分かりましたが。

 

 確かにそうですね。マーラーが言いたい

    ことが詰まってる感じです。

    長くなるので歌詞を付けずに来ましたが、

    やはり歌詞を見ながら聴いた方が分かり

    やすいでしょう。

    じっくり何度も聴いてみる価値は十分あり

    ますから。

 

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 この記事が新たな出会いのきっかけとなれば幸いです。