5月7日に香港経由でセブに行き。

ホテル着、午後8時前。

早速旅装を解き、TM氏に到着の報告です。

今回は香港ーセブ間がビジネスクラスにアップグレード

でしたので、機内食を夕飯とする。

シャワーを浴びて、持参のつまみで水割り。

朝4時起で午後8時着。やはり疲れていて酔いも

速く、そのままベッドイン。


8日朝8時に貝の職人がホテル来、貝の材料、

デザインを渡し。9時から3軒の取引先廻りをして

午後ホテル帰る。5時に水牛の職人来。

以前から作っている勾玉を若干の修正依頼。

そして4時頃から部屋で一人宴会の始まりです。

6時頃、TM氏から電話。いつもそのまま酔っぱ

らって夜中まで眠るので、目覚ましコールです。

6時半TM氏宅。氏の手料理でジントニックを戴く。

10時前にお暇をする。

氏とは30数年来お付き合い願っています。

ありがたいことです。


9日(日)は8時15分TM氏の迎えでセブカントリー

クラブ。大体ホテルから10分くらいの近さ。

TM氏がメンバー会員ですので、土日祝はプレイフィー

2,000円、ウイークデーはなんと1,000円。

今日はは別のコンペがあって,そちらに参加している邦人

もあり2組でのスタート。

私は最近赴任されてきた御夫婦とその会社の同僚

の方と4人で周る。

明日が大統領選を始め統一選挙のためゴルフ場

では8日から11日まで酒類の販売禁止とか。

TM氏の送りで3時ホテル着。シャワーを浴びて

水割りの始まり。7時頃近くのホテルで夕食。

外国人にはアルコール提供OKとのこと。


10日は選挙で休日。朝からテレビで選挙の

状況を観る。

候補者からかなりの金(1000から2000円)

が貰えるらしい。

テレビでは何処そこのバランガイ(部落の長)が

殺されたとか、車が爆破されて死人がでたとか、

ザンブァンガでは銃で撃たれて何名死んで二十数名

重傷とか、選挙センターに報告されるのはこればかし。

これでこの日は終わり。またまた部屋で水割り。

酒の肴は持参のつまみにそれぞれの職人の作品を

眺めること。


11日は、朝2軒取引先まわり。午後から漁師の村に

貝を見に行く。ここの主とは30年来の付き合いだった

が一昨年死亡。59才。

子供たちが後を継いでいるが勢いがなし。

水牛の職人がボーンの勾玉作ってくる。想像したより

出来よし。今夜もこれを見ながら水割り。

故中安氏の-今夜も毒を飲んでいますか-の言葉を

思い出す。


12日、明日離島なので忙しい。朝、貝の職人来。

出来具合検品。貝アクセサリー、ウッドアクセサリー

業者訪問。持ち帰り商品の農水省証明書発行の

申請依頼。これが無いと空港の検査官とひと悶着

しなければならない。

帰りの荷物整理。ホテルに残すゴルフバッグ、

スーツケース、台湾の空港で預けるもの、

台湾内に持ち込むものと仕分ける。


6時半TM氏宅。今夜も氏の手料理でただ酒を飲む。

氏とは前述の通り30年来の付き合いですが、氏が

いなければセブ滞在も味気ない生活だったと思います。

氏のことについては別の機会に報告します。

セブの主と云っても過言ではないでしょう。


これでセブの仕事は終わり。今回は選挙のため1日

活動するのが短かったですが、いつもはマルコス夫人の

イメルダさんと大学で同窓だったと云うオバサンのところ

にも寄ります。


13日香港経由で台北。今回もアップグレードで

ビジネスクラスのため夕食は機内食で。

ホテルに着くとシャワーを浴びて、アサヒドライの缶ビール

500ml。


14日、いつもの喫茶店でモーニング。

午前中2軒の訪問。

昼は朝の喫茶店で海老の焼き飯と台湾ビール。

これも10数年同じメニュー。

午後もう1軒寄ろうと思ったが暑いので中止。

ホテルで相撲観戦。

6時半、台湾料理の欣葉餐庁。紹興酒陳年1本、

しらすとしじみの味噌煮(これは故中安氏の大好物)、

空芯菜or A菜、切干大根と卵のオムレツ風を注文。

これも20数年来同じ。変わるとすればたまに太刀魚の

切り身を揚げたもの、いか団子の揚げたもの、

牡蠣の春巻きまたは蜆のにんいく漬け。

しかし一人では3品で充分。

それでも食べるのは半分位。

紹興酒はもう少し若い頃は時に2本。

行きもだが、帰りは夜市を眺めながらのホテルまで歩き。


15日、帰国。

次回にフィリッピンの業者等についてバリ島との違いを

交えながら報告します。


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①黒蝶貝の選別


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②これで殆どの工程をこなす。


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③穴あけ作業。
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④水牛の勾玉。
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⑤メキシコ貝の四角、長角、

 ピンク貝の丸、ダエンパーツ。
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⑥マクタン島の隆起サンゴ。
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⑦メキシコ貝でシズクのパーツ作らす。


























中安清司氏とは私の前の代からのお付き合いです。

私は40年近い付き合いをしていただき、氏と言うより

師とお呼びする方が相応しい間柄です。氏は前に

ブログで書きました黒原和男先生と標本貝の収集を

通じて親しい間柄でもありました。


私が氏とフィリピンに行きましたのが、35,6年前と

思います。


私はアクセサリーの貝を、氏は標本貝を求めての旅

でした。輸入に際しては、私のコンテナに氏の一般的

な原貝を混載していました。


羨ましかったのは、氏が漁師から買ったポケットに

入るくらいの原貝で数十万の利益を得ることでした。

しかし、これは氏の目利きによるもので到底私には

真似の出来ることではありませんでした。


30数年まえにセブでシンセイタカラ貝?が採れて

ミセスポンセが私に儲かるから買えと薦められましたが、

1ケ100万円の価格に驚き買いませんでした。


帰国後、氏に”セブでシンセイタカラが採れていた”

と話しますと、”買ってきていれば150万円で買って

やったのに”との返事です。早速、”来月買ってきます”

と云いますと今度は、”買ってはだめだ、その貝は砂地

に棲む貝だから必ず漁師が網を打って何個か採れて

いるはずで価格は暴落しているはずだ”の言です。


貝を扱う場合、その貝が砂地に棲む貝か、岩地に棲む

貝か見極める必要があるとの教示です。


氏の洗う貝は実に見事な洗いでした。また氏は独特の

センスの持ち主で私のアクセサリーパーツ製作にも

数々の助言をいただきました。


晩年、氏は一人で度々セブに行かれるように成りました。

一度、こんなことがありました。


漁師から20数万円のイモ貝を買ったが傷物で、

欠けた部分を樹脂で埋めてその上に見事に貝の模様を

描いている訳です。

これを漁師の元に返してきてくれとのことです。


翌月、漁師の元に行き”この貝は修正を施されているから

ミスター中安が返品を希望している”と伝えますと”OK”との

返事です。漁師にミスター中安とは長い付き合いなのに

なぜ修正した貝だと教えないのかと問い詰めますと、

見抜けない方が悪いと言わんばかりです。

このことは漁師に限らずフィリッピンの私の取引先にも

云えることです。


氏が優れたセンスの持ち主であることは先に書きました。

その後はセブに行っても新種、珍種の貝も採れなくて、

私が紹介した台湾のガラス細工に打ち込むようになりま

した。

いわゆる台湾の夜店で売っていたガラス細工でしたが、

氏はそれにのめりこみガラス細工であったものを、

ガラス工芸の域に持って行った功績があります。

これは優れたガラス職人の蘇さんと氏のセンスの

コラボレーションの賜物です。

今、このガラスも貝の3Kと同じく台湾を離れ、ベトナム

に場を移して製作されています。


その氏も13日に亡くなられました。


私の家と氏の家は同じ町内で歩いて5分の距離です。

墓苑も私と同じところで至近距離です。


氏は余り酒が強くなく、鯨飲者の私に女性の居ない

ところでの酒は毒を飲んでいる気持ちだと常づね言って

居ましたが、この言葉も最早聞く事もできなくなりました。


最後まで、もう一度セブの漁師の処に行きたいと

言っていましたがそれも叶わぬことになりました。


昨日、氏の事務所にお邪魔して何か遺作品はないかと

見せてもらいに行きましたが、貝の方では氏の作品らしき

物を見つけることが出来ませんでした。


写真①の貝の額がありましたので撮ってきました。

こんな作品を載せやがってと氏に怒られそうですが、

これとて我々にとってはなかなか貝の配置が難しい

ものです。

とにかく氏の商品はすぐ売れました。


写真②は氏とは関係ありません。

パリの市内の貝をモチーフにしたインテリアショップで

見つけた商品の一部です。

この写真の両サイドに映っているサンゴ状のものが、

赤ヤギ,スポンジコーラル(赤サンゴ、

いわゆるアップルコーラル)の原木です。

よくアップルサンゴとはどんなサンゴと聞かれます

ので参考までに。





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3月19日、台湾の南部、高雄に行ってきました。

以前は台北から高雄まで飛行機で30分、

汽車で5時間でした。


向田邦子さんがこの路線の飛行機事故で

亡くなられて一時は汽車を利用したものですが、

何分5時間の旅でした。


今回は新幹線で1時間半の旅です。昔は毎月の

ように高雄に行ったものです。

それだけわれわれにとって高雄は大事な仕入先

であった訳です。


40年前にはかなりの数の職人、業者がいました。

とりわけ今回訪れたコウさんは台北のチョウさん

と並ぶ台湾随一の職人でありました。

二人は同じ師に習った兄弟弟子です。


コウさんが引退して20年位になります。子供さん

達も50歳前後となりそれぞれ別の職に就いて

います。何年ぶりの高雄でした。息子さんとは、

数年前にお会いしました。娘さんとはコウさんが

廃業して以来ですので20年ぶりです。

4人で食事をしながら昔話に花を咲かした1日

でした。コウさんとはやはりお互いの体調のことに

話が行きます。コウさんも78歳、もう一度くらい

お会いしたいものです。


今では皆無と言ってよい程、台湾には貝の職人

はいません。台湾の経済発展とともに3Kの

この仕事が嫌われたからです。貝の業者は

労働力を大陸に求めて工場を移しました。

その時に職人も指導のため移住しました。

台湾から職人が居なければ材料の貝を輸入

する業者も居なくなる訳です。

これはかっての日本が歩んだ道と同じです。


一方のチョウさんは20年くらい前に亡くなられ

ました。息子さんも腕のよい職人さんでしたが

10年くらい前に廃業しました。


台湾人が大陸の中国に工場を移して20年。

今では彼らの工場で育った中国人の職人が

中国人の経営する貝工場で働いていると

聞きます。われわれも仕入先のシフトを

変えざるを得ないでしょう。

このパターンは全ての業種に当て嵌まり、

驚くことではありません。


これに引き換えフィリッピンの貝の業界は40年

前から時が停止したままの状態です。

次回はフィリッピンの貝の業界について報告

させてもらいます。