3月19日、台湾の南部、高雄に行ってきました。

以前は台北から高雄まで飛行機で30分、

汽車で5時間でした。


向田邦子さんがこの路線の飛行機事故で

亡くなられて一時は汽車を利用したものですが、

何分5時間の旅でした。


今回は新幹線で1時間半の旅です。昔は毎月の

ように高雄に行ったものです。

それだけわれわれにとって高雄は大事な仕入先

であった訳です。


40年前にはかなりの数の職人、業者がいました。

とりわけ今回訪れたコウさんは台北のチョウさん

と並ぶ台湾随一の職人でありました。

二人は同じ師に習った兄弟弟子です。


コウさんが引退して20年位になります。子供さん

達も50歳前後となりそれぞれ別の職に就いて

います。何年ぶりの高雄でした。息子さんとは、

数年前にお会いしました。娘さんとはコウさんが

廃業して以来ですので20年ぶりです。

4人で食事をしながら昔話に花を咲かした1日

でした。コウさんとはやはりお互いの体調のことに

話が行きます。コウさんも78歳、もう一度くらい

お会いしたいものです。


今では皆無と言ってよい程、台湾には貝の職人

はいません。台湾の経済発展とともに3Kの

この仕事が嫌われたからです。貝の業者は

労働力を大陸に求めて工場を移しました。

その時に職人も指導のため移住しました。

台湾から職人が居なければ材料の貝を輸入

する業者も居なくなる訳です。

これはかっての日本が歩んだ道と同じです。


一方のチョウさんは20年くらい前に亡くなられ

ました。息子さんも腕のよい職人さんでしたが

10年くらい前に廃業しました。


台湾人が大陸の中国に工場を移して20年。

今では彼らの工場で育った中国人の職人が

中国人の経営する貝工場で働いていると

聞きます。われわれも仕入先のシフトを

変えざるを得ないでしょう。

このパターンは全ての業種に当て嵌まり、

驚くことではありません。


これに引き換えフィリッピンの貝の業界は40年

前から時が停止したままの状態です。

次回はフィリッピンの貝の業界について報告

させてもらいます。