暮れの25日が仕事納めでしたが、私にはSCRAP & BUILTで

終わって明ける年末、年始です。


貝フクロウのストラップが200本の注文でしたが

不良品があり123本しか納めれませんでした。




25日、下のペンダント5本の注文です。


金具不良のアクセサリー。

12月になり石油ストーブを焚いています。

湯を沸かしその中に不良の製品を入れ糊を柔らかくして

貝を外します。

ずーと溜めてあったのでしょうみかん箱一杯あります。

貝は昔の物で一級品の貝です。

メキシコ貝はクジャク模様ですので剥がすのに慎重を要します。



外した後の金具はスクラップです。



プカシェルAの注文50本です。

ブレスレットを解体して糸通ししました。

クラスAの7~10mmが残り少なくなりました。


再度仕入れるか否か迷っています。

値段も上がっていることでしょうし。



昔仕入れた黒蝶貝に上のようなマベパールが付いたのが

数十個ありましたのでフィリッピンでカットして裏に樹脂を

貼らして売りましたが、残りが作業場から出てきました。




ミセスポンセから仕入れた黒サンゴのビーズネックレスです。

ほとんどはシェルワールドで売りましたが1本だけ残して

ありました。

これも残りの黒サンゴパーツを加えてショートネクレスに

組み換えました。

また一つママさんとの思い出の品が無くなります。



解体品です。



上のブレスを解体してタカセ貝のビースを拾っています。

中央のブルーのビーズもタカセ貝の染めです。


日本製のタカセ貝ライスビーズです。

上は4x5mmのライスビーズです。

ネットで1粒10円で出していますが、例えば20cmで

38粒x10円=380円になります。



上は5x7mmのライスビーズです。

これは15円ですので、30粒x15円=600円になります。

これでは使いづらいと思います。

いづれも糸通しでなくて個数で半額程度にして売りたく

思っています。


日本製黒蝶貝ヒーシーです。

9mmサイズです。

20cmで厚さに変化がありますが100個余りで30gです。

ネットで1個10円ですが100個余り(30g)で300円にします。


上の3点1月7日に大幅値下げしました。

ネットで価格を見てください。

今までに買って下さいましたお客さんには申し訳ございません。

仕入れ価格からですと損失ですが残しても仕方がありません。


パウアシェルヘアピン2点セットもおかげさまで完売できました。

これも損切りでした。

まだまだ見切りの品が出てくると思います。



半端ものを繋ぎ合せて40cmにしています。

ほとんどが現在のフィリッピンでは作られていない

プカレットなどです。


暮れから小学生の孫が来ています。

お年玉を餌にビーズ通しをさせています。

金の力です。頑張ってくれています。

ピンクの紐の解体は終わってブルーの紐に取りかかりました。





孫は3日に帰りましたが125本仕上げてくれました。

後は自分でします。

まだ150~200本は出来るでしょうか。


孫が手伝ってくれている間、私は大学駅伝を観戦しながら

祝い酒でした。



土佐鶴、富久娘、八海山と比べながら呑んでいます。


今年はいろいろと決断の年だと思っています。

27年間営業して来ましたアクセサリーショップも閉じる

予定です。


今後はシェルワールドと社の方のみで展開する予定です。


境川沿いのゆりかもめ。

親子連れがゆりかもめに餌をやっています。

おびただしい数のかもめが寄ってきています。




ココプカレットのプルメリア付きのブレスを解体して40cmの

長さに糸通ししています。

45本できましたが200本あまり出来ると思います。

他にも注文の品が入っています。

解体解体の日々が続きます。


このようにして売れても製品で仕入れた価格にはとうてい

及びませんが在庫減らしの為です。

たぶん今年中続くのではないでしょうか。




今年もめじろがみかんを頼りにやってきました。

必ず2羽でやってきて1羽が食べ、他の1羽は外敵の見張りです。

この時期は食べ物が少なくなる頃でしょう。


1月からしらす漁の禁漁期間に入りました。

これから3ケ月は酒の肴が1品少なくなります。


昨年は夏まで不漁で秋口から手に入りだしました。

今年は豊漁を願っています。



オスメニアパールの帯止め、ブローチ謙用。

オスメニアパールのツメ止めアクセサリーが出てきました。
ブローチと帯どめの謙用商品です。

貝の大きさは約20x40mmです。

裏に32と書かれています。貝の形状がまちまちですので

金具職人がそれぞれの貝に合わせて1個1個作ったため

です。


オスメニアパールについては2010年1月20日のブログで

詳しく書かせていただいています。


別にフィリピンの大統領の名を冠した貝にはマグサイサイパール

があります。

これはギングチサザエでできたタマゴ型で染色されたものです。


マグサイサイではアジアのノーベル賞と言われる

マグサイサイ賞が有名です。





11月2日、高知県立坂本竜馬館館長の森健志郎が亡くなりました。

胸部動脈りゅう破裂での急死でした。

彼とは同期入社でモリケン、ダイと呼び合う仲で、

昨年は竜馬館を訪ねましたが不在で会えませんでした。

そのうち再度訪ねれば良いと思って帰りましたが、このようになっては

彼の帰館を待って会っておけば良かったと後悔しています。


冥福を祈っています。


同期会をしたのが何年前だったかとアルバムを探しましたが

見つからず、あの日は高知日赤病院で脳死患者の臓器提供で

編集局長の藤戸謙吾が(のちに社長、会長)が度々中座したのを

思い出しネットで調べると1999年の2月でした。


その後アルバムが見つかり2次会の写真です。

左から藤戸、岡田、1人置いて森健です。

この3人が亡くなっています。

会の日付けは1992年2月26日です。

同期は社長、論説委員長、局次長などの要職に就いて

活躍しました。


相次ぐ友の死で後ろを振り返る機会が多くなりましたが、

当方としましては愚直に残りの月日を一歩一歩

前を向いて歩くのみです。

ただし、酒の力を借りなければ歩けません。

立ち止まると痴呆か、認知症になりそうで不安です。


ついでに下の写真も見つけることが出来ました。



セブの中華料理店です。

左からミセスポンセ(ママさん)、リタ、私、ダイアナ

(リタの妹)です。2人はママさんの姪です。

1992年1月16日と記されています。

リタがアメリカから帰国していて嫌がるママさんを

無理やり連れ出しました。

ママさん78歳の時です。


リタはナースの資格を取り渡米し、働いてアメリカの大学を

卒業したと聞きました。

その後アメリカ人と結婚し子供にも恵まれたが離婚したとも

聞きました。

今はダイアナも渡米し一緒に住んでいると聞きます。


ママさんと私の誕生月が1月で、毎年このころはセブでした。

ママさんは“ダイ、お前は私の息子だよ”と言って輸出業者の

X'mas,パーティ、新年会、銀行のパーティなどに連れて行って

くれたものです。


下の写真は1973年当時のママさんの店です。

ママさんの両サイドの二人はミスツーリストでマニラから

来ての記念写真です。

右端がミスターポンセでパパさんは法律家でした。

パパさんとは夕食後よく麻雀の卓を囲みました。

他の娘たちは店員です。


ママさん夫婦には子供がなくボーイを養子に貰って育て

ボーイは3人の子供に恵まれていました。


この写真の左側が事務所で2階がママさんたちの住居でした。

この家屋にはママさんの身内の子供、店員など合わせて

60名が住んでいました。


ママさんは身内の子供たちをここから学校に通わせ

卒業まで面倒を見ていた訳です。

リタもダイアナもその一人です。


下の写真はゲストハウス前の私です。

ママさんがゲストハウスを建ててやるから

ここに泊まれと言われた当時のものです。

私の滞在中は隣にボーイ夫妻も泊り、朝は女中さんが

来て3人の食事を用意してくれたものです。


ゲストハウスはキャピトルヒルズの工場の敷地内に

建てられ、前には沢山のランの花が植えられていました。


ママさんはダイここに桜の木を植えたいと言っていましたが

望を叶えてやれませんでした。


工場には300名の従業員が働いていました。

ママさんは学校の教師を辞め一代でこのポンセ王国を

築きました。


キャピタルヒルズの地名はママさんの功績を讃え

ポンセヒルズと変更されました。

私のフィリッピンでの運転免許証もここになっています。


タリサイには家を建て運転手に住まわせ、周りにはブドウ畑

を作り、ダナオには海水浴場に従業員のために小屋を建て

休みの日は数台の車を連ねて従業員の慰安に

連れて行ってました。


ダイ!サンタロサに別荘を持つのが夢だとも話していましたが

後年にはこの夢も叶えました。


この王国もパパさん亡きあと他人の保証人となり

住宅も、工場も全てを失ってしまいましたた。



ボーイも早く死に嫁のギンギンも子供たちを残し

アメリカに渡り、アメリカ人と結婚したと聞きます。


ママさんは3人の孫たちの面倒を見なければならず

晩年は寂しいものでした。

3人の孫たちも助けとはならず、細々と商品を作り続け

私の取引先に持って行かせ買い取りを続けました。


面倒を見てくれたママサンさんに万分の一も恩返しが

出来なかったと思います。



ママさんは1994年に亡くなりました。

享年80歳でした。

グランドマジェスチックで一緒に食事をした2年後です。


この墓標にはdaughter in lawと刻まれています。

ママさんに養女が居たのかと思いましたが

考えて見るとボーイの嫁のギンギンのことです。

養女はadopted daughterでした。


ギンギンはポンセ王国の崩壊の一因でもあったと

思いますが墓標にはギンギンと3人の孫たちに

謝意を表す言葉が刻まれています。

人を疑わず、恨まず、ママさんらしい墓標です。


晩年は元の従業員が世話をしていましたが

私が訪ねますとベッドで寝ていても起き上がり

正座してパジャマの乱れを直すくらいの

奥ゆかしいフィリッピン女性でした。


土佐焼酎いごっそう。

ネットのお客さんが土佐に行き、お土産に焼酎を買って

来てくれました。

早速片瀬海岸に釜揚げしらすを買いに走り、呑んでいます。


長野からりんご。

今年も長野からりんごが送られてきました。

プロが選んだだけあって密をたっぷり含んだ

甘いリンゴです。


ベトナムからのサンプル。

20年以上前のサンプルです。
白蝶貝にパウア、マベ貝などでフルーツ、人の顔などを

巧みに埋め込んでいます。

技術的にはかなりの高度な品物です。

これ以前の品はベトナムで調達できる池蝶貝などの

淡水の貝のみで作られていましたが外国から海の貝の輸入が

出来だしたことが判ります。


こんな物も出てきました。

約4mmくらいのフトコロ貝を貼ったイヤリングです。

右のノシ貝が10mmくらいです。

片方に24個と中央にピンクの別の貝が付いています。

40年余り前の台湾製です。

イヤリング、ブローチを作ってもらいましたが1つだけ

残してありました。

台湾、高雄の張清奇氏から輸入しました。


キムタクのプカシェル。

ついでにキムタクが付けているプカシェルのコピーも

出てきました。プカシェルそのものはあまり良いプカでは

ありませんが見事に着けこなしています。

さすがです。


SCRAP & BUILTの毎日です。


白ヤタラのネックです。

ブレスレットは良く出ますが、ネックレスは不評です。

プルメリアに花の色はピンク、ブルー、イエローです。

注文が来る度にフィリッピンで作らしていましたが

ネックを左のようにブレスに変更して残りの白ヤタラは

40cmの糸通しにします。


子供用マクラメネックレス。

これもネックレスでは売れません。

右のようにブレスにしましたら早速注文をもらいました。


日本製黒蝶貝の丸一つ穴。

40年近く前、ヒーシーの流行った時に関西の業者が

真似て作ったものです。

あまり気が進まなかったのですがプカブームの後でしたから

総額300万円ほど仕入れました。


確か仕入れ価格は5円だったと思います。

ネットでは13円を付けていましたが最近5円に値下げしました。

しかし上の糸通しが20cmの長さで113個付いています。

すると113X@5=565円となります。

ブレスで500円近く、ネックレスでは1,000円となります。

1個1個を見れば10円余りの価値は充分あると思いますが

仕入れが500円のブレスは末端価格はいくらになるでしょうか。


これも思い切って更に価格を下げます。

20cmで30g、100個あまりです。厚さに寄って数は変動が

あります。


日本製の物は丸ナツメ、角ナツメ、タイコなどありますが、

おいおい検討してみます。

やはり義理買いはしてはいけないと判っていますが

ついつい買ってしまう癖が治りません。

今でもフィリッピンで同じことをしています。


創業60数年ともなりますと在庫も多々あります。

間口を広げるのは簡単ですが、終末にかけてsoft landing

する難しさをつくづく感じています。


上の黒蝶貝です。

間に真鍮の円盤を挟みネックレスを作ってみました。

とにかくこの黒蝶貝は数万個あります。



ガラスパーツと組み合わせてブレスも作って見ました。




ムラサキと白のヒーシー2/3mmです。

このような輪にしてイヤリングとして売りましたが

残った物は糸通しして材料売りにします。

クチムラサキ(セブビューティ)ヒーシーは貴重品です。


白蝶貝菊彫り55mm。

写真右上のツメ止め金具(ブローチ、ペンダント兼用)が

出てきましたので早速ペンダントを作り、

花芯には本サンゴ、または本真珠をつけて見せましたら

10個の注文をもらいました。
オーストラリアの白蝶貝です。真っ白の白蝶です。

残り少なくなりました。


今ではこの様な彫り物をする職人さんも日本には

いないでしょう。


ある程度は記念に残しておきます。


今年も残り少なくなりましたが年末、年始に懸けても

SCRAP &BUILTを続けます。


良いお年を迎えて下さい。




11月始めの日曜日にはみかんを採り入れねばと

思っていましたが、すでにヒヨドリが来て数個のみかんを

食い荒らしています。

急きょ前日に採り始めました。


20kgくらいの収穫ができました。

翌日の日曜日にはさらに10kgくらい収穫できましたので

30kgは収穫できました。


しかしこれだけの量を家族で食べ切る前に

かなりのみかんを腐らしてしまいます。

来年はみかんの木をゴルフのネットで覆いひよどり対策を

考えます。



我が家の老犬にもお裾わけです。

彼の有機肥料が貢献してくれています。

無農薬で大いに助かっています。


コハク、さんごなどのネックレス。

さんご8~9mm玉のイヤリング。

さんご丸玉のペンダントトップ。

こはく、さんごのパーツがあります。

暇を見つけて製品に変えています。


蝶のタッグブローチ。

パーツとしてかなりの在庫があります。

細かい物ですので手間が掛かりついつい後回しに

しています。

左からメキシコ貝、マダライモ貝、マガキ貝、タカセ貝です。




ホネガイも大小ありますがケースに入れてやらないと

扱いに苦労します。

色々のケースで試しています。



カエルの注文をもらいました。100個です。


高知県の広報誌、さんSUN高知です。

東京に出てきて以来送ってくれています。

今回の表紙は県東の安芸市のちりめんじゃこの天日干しの

風景です。

高知に帰りますと必ず食べますがやはり湘南の天日干し前の

やわらかい釜揚げしらすが口に合います。

天日干しにしないと長持ちがしないからでしょう。


さぁセブ行きです。

藤沢から羽田までは最近はバス利用です。

電車では横浜での乗り換えがつらくなりました。


いつもの通り両替をしてキャセイのラウンジ。




水割りとつまみですがウイスキーのダブルの注文でしたが

私の酒鬼(チュウクエ)を知ってかバーテンダーさんは

トリプルくらいの濃さで、少し呑んでは水を足さないと

呑めないくらいの量を入れてくれます。多謝!多謝!

つまみはいつもの生サーモン、ハム、チーズなどの盛り合わせ。

2杯呑んで機内へ。


今回も香港で2時間遅れの出発。

当然セブ着も2時間遅れ。

TM氏には夜も遅いので電話せず。



9月に買ったオオムガイより2周り大きい磨きがあったので

ついつい買ってしまいました。

厳重に荷造りして次回の航空便で送るように頼んで

きました。



スイジガイもきれいなのがありましたので迷いましたが

買いませんでした。


夜はTM氏の誘いで4日に京都のHY氏、5日に東京の

YS氏が到着しており4名でセブカンで祝杯。


翌8日(日)は久々に4名でゴルフでした。

YS氏は健脚で18ホール歩きでしたが我々3名は

カートなしではとてもプレイ出来ないこの頃です。


今回の結果は48,47のスコアで何年振りかで

100を切ることが出来ました。


思えば長い道のりでした。


かってプロとプレイした時に“ときどき70代で廻るでしょう”

と言われましたが、答えは“たまにです”答えたのが

遠い遠い昔の話です。


セブカンでの4名。



ゴルフの後は食事をしながらジャックダニエルで

祝杯です。


9,10,11日は仕事です。

11日の夜はTM氏がセブカンのバーに

招待してくれました。

今回3度目の招待です。

9月も同席されました日本人の方と3名です。



料理はイカリングの揚げた物(カラマリス)、

シュリンプシニガン(エビと卵の炒め物)などです。

フィリッピン料理ですがセブカンのは絶品です。

水割りを呑みながらときどきガーリックライスを混ぜて

食べます。

とにかくTM氏とは40年近くの付き合いですので

私の好物を知り尽してくれています。


イモ貝ヒーシー2/3mmが欲しくて数か所に当たりましたが

全く手に入りませんでした。

10本くらい持っている所は相当古い商品で買う気に

なりませんでした。


どうやらヒーシーの職人も減っているようです。

予想は出来ていました。とにかく3Kの仕事です。


今後、セブでの貝の職人もどんどん減って行くものと

思います。

職人がいなければ材料も集まりません。

かっての日本、台湾のように同じ道を歩むのでしょうか。


ただし原貝(われわれがアクセサリーに使う貝ではなくて)は

豊富ですので無くならないと思います。
いわゆる貝の加工品の減作が予想されます。


初めてフィリッピンを訪れたのが1972年です。

45年の歳月が過ぎました。


ミセスポンセ、カントスの亡きあとはもっぱら華僑の業者との

付き合いでした。

しかしその華僑の人たちも若くして亡くなったり、倒産したりして

止むなくフィリッピン人との付き合いです。


中には私のデザイン商品で儲けて土地と家を買った者も居ますが

彼らは私の品物を横流しして私の怒りを買い、倒産して米国に

働きに出た者もいます。意外と多いです。


フィリッピン人と付き合うためにはオリジナルデザインも横流しされる

覚悟が必要です。

フィリッピンではバリのように商品を作り置きする余裕がありません。

そして注文してもサンプルより良い品物は決して上がってきません。

もちろんバリでもこの傾向はあります。


良い業者を見つけることが大切ですがこれが一番難しいところ

です。

それと年に何度も行ってクレームをつけ約束を守らすことです。


最近の傾向ですとそろそろフィリッピンとの付き合いも

考える必要な時期に来ています。


思えばミセスポンセ、カントスなどに会えて幸せなビジネスでした。

フィリッピンの貝産業が輝ていた古き良き時代でした。


私が20年若ければインドネシア(特にバリ島)に注目します。



この額は30年前ジャカルタで買ったものです。

帽子と顔は白蝶貝、ヘアはマベ貝、帽子のリボンはカメの甲羅、

英語の文字は白蝶貝をイトノコでカットしたものです。

30年前にすでに機械化されていました。



バリ島の黒蝶貝の商品です。
超音波で見事な彫刻が施されています。

今でも500~1,000個は欲しい商品です。


水牛のツノ、ボーンパーツにもセブではできない逸品が

数々あります。

インドネシアは機械化が進んでいます。

いろいろバリエーションしたパーツが考えられます。


ただしバリの完成品のアクセサリーは感心しません。

かなり粗悪です。


15年くらい前でしょうかバリの職人が私のブレスを付けて入る

のに驚いて聞きますと日本人が作れないかと持ってきた

とのことでした。

白のヤタラの商品です。

インドネシアではヤタラ、ヒーシーなどは作られていません。

しかしフィリッピンの衰退を考えますと今後は判りません。


セブにもミセスポンセ亡きあとに台湾の機械を持ち込もうと

試みましたが受け付けてくれませんでした。


日本からもルーター、エアーブラシなどを何度も

持ち込みましたが物を大事にしなくてすぐに壊してしまいます。

結局、セブの機械化は大きく遅れてしまいました。



バリ島の店舗の写真です。

天井からコメ貝のシャンデリア、マド貝のシャンデリアなどが

下がっています。

昔はフィリッピンの専売特許の商品でした。

コンテナ船で1型100個、200個と仕入れた物です。

今、セブではまとまっての入手は困難です。


バリの貝製品(パーツ)には興味がありますが、

もうバリまで行く気力、体力がありません。



今回セブでしてきた仕事の一部です。

白蝶貝ネコ。

少し気になるところがありましたので修正させました。



古い商品で黒蝶枠と中のシュジとに段差が出来て

いましたので修正させました。



タカセ貝のバレッタ用ですが貝と貝の繋ぎ目で

割れていました。

繋ぎをさせました。いままではそのまま捨てていました。



写真の上のサーフが古い商品で1,000個くらい

有ります。今回持ち込んで下のようにブルーの

ハイビスカスを描き込んでもらいました。

このように古い商品を生かすためのセブ行きになります。


ウッドのサーフボードデザインも10数種類、

1,000個以上はあると思います。


ヤコウ皮つきパーツ。

ヤコウ貝のパーツを作らして残った部分がかなりある

のですが他のパーツ作りに追われてなかなか皮つきの

パーツ作りに手を回わしてくれません。


今回、来年用に新しいアクセサリーを2,3点考えて

注文してきました。


とにかくここ5~6年では売り切れないくらいの在庫が

あります。

まずブログにて報告しながら浅草橋、ネットで格安に

売りたく思っていますのでご注目ください。


フィリッピンにはそれでも年6回は行く予定です。

在庫を処分するには在庫のみの販売では続かず

他のパーツの仕入れも必要です。


TM氏から75歳までは来いと云われています。

昔は70まで来いでしたがその次は何歳までと

言われるでしょうか。


今年の台湾は3回に減らしました。