ヒーシーなどの糸通しの品は順調に売れています。

マクタンローズも少なくなりました。今後の入手は困難でしょう。

マクタンオーキッド(クチムラサキ芯)も最近になって100本近く

バタバタと出ました。皆さんにお売り出来るのはこれが最後です。

取引先が全部買うと云ってくれましたがこれだけ残しました。

売るのが目的ですがやはり寂しくなります。

メキシコ貝のスクラップです。

日本では使い物になりませんが保管してあります。

クジャク部分にマジックで線を描きフィリピンに持参して線の

部分でカットさせ裏に薄く樹脂を貼りペンダントヘッドを作ります。

フィリピンの職人の技ですが、再生するのが楽しみです。

 

出来上がりを見ながらホテルの部屋で水割りを呑むのが

楽しみです。

 

今回のタイトル〝南国土佐を後にして〝は私のことではありません。

CDを車の中でときどき聞きます。ペギー葉山のCDです。

ペギー葉山で大ヒットした〝南国土佐を後にして〝 ですが

ずいぶん柔らかい音曲になっています。

歌詞の設定が土佐から都(大阪か東京)に出て

故郷を思い出す歌になっているからでしょう。

 

私が小さい頃、大人たちが歌っていた〝南国土佐を後にして〝 

は土佐出身の兵士たちが中国地方(チャイナ)に出兵して

故郷を思い作詩、作曲した歌でした。

 

南国土佐を後にして中支(中国の中部地方)へ来てから幾年ぞ

思い出します、故郷の友が門出に歌ったよさこい節を

おらも(俺も)負けずに励んだ後で歌うよ土佐のよさこい節を、

〝土佐の高知のはりまや橋で

坊さんかんざし買うを見た〝

 

月の路営で焚き火を囲み、しばし娯楽の一時を

おれも自慢の声張り上げて歌うよ土佐のよさこい節を、

〝みませ(桂浜近くの集落)見せましょ 浦戸を開けて

 月の名所は桂浜〝

 

国の親父は室戸の沖でくじら釣ったという便り

おらも負けずに手柄を立てて歌うよ土佐のよさこい節を

〝ゆうたちいかんちや(皆さんがお国自慢を云ってもいけない)

 おらんく(わたしの)池にや

 潮吹くさかな(くじら)が泳ぎよる〝

注)太平洋は私の家の池。

 

これが元の歌詞ですが、

歌詞も一部を変えただけでほとんど同じです。

曲も戦地に赴き明日をも知れぬ兵士たちが歌ったものですから

鼓舞する曲です。

現在の曲は都に出てから故郷を偲ぶ設定ですから柔らかい曲に

成るのは仕方ないでしょう。

 

しかしこれで作詞、作曲が武政英策では

兵士たちも浮かばれないでしょう。

 

私の持っているCDはこの1枚だけです。

 

ホワイトヒーシーの2~3mm、4~5mm(実際は6mm近い)が

残り少なくなりました。

藤沢に移った時は、それぞれ数千本ありとても売り切れない

だろうと思い値下げしたくらいでした。

私が元気なころは船便のコンテナで輸入していましたから運送代は

ゼロ円に等しいものでした。

従って2~3mっも4~5mmも仕入れ価格は同じでしたので

販売価格も同額にしていました。

今回、計量しますと4~5mmの1本と2~3mmの3本と同じ重さです。

現在は航空便での輸入ですので当然運送費は違って来ますので

太い方の価格は高くなります。

 

上からイモ貝エバーラスト、マガキ貝エバーラスト、マクタンリリ、

マガキ貝エバーラストですがマガキ貝の2点は

少しカット違います。

古い商品ですがバラで袋に入っていますので1個1個拾いながら

糸通ししています。

 

これもマガキ貝の先端部分をカットしてガシャに掛けて丸みを

持たせたエバーラスチングです。

上の糸通しがフィリピンから輸入した時の状態の物です。

中側の凹みっを合わせながら糸に通しています。

下の糸通しは私が凹みの部分を同じ方向に向けて

糸通ししたものです。

こうすることでゴワゴワ感がなくなり、優しいネックかブレスが

出来ると思います。

下の端切れの山はネックかブレスにした残りと思います。

40mの長さの物が200本くらいありますが先ず端切れの物から

糸通しします。

 

イモ貝で作ったリーフを販売していますがどのイモ貝でか材料は

不明でした。

ただ余り高くないコモンシェル(普通の貝)だろうと思っていました。

形も大きさも不揃いでペアに組むのに苦労します。

9月にサンプルを持参して貝の職人に作るように依頼しましたが

材料の貝が判らないとの返事です。

元の買ったところに行って尋ねますと貝を見せてくれました。

 

何と材料はスジイモ貝です。

そんなに安い貝ではありません。

これで新しく作るとなると高くつきそうです。

 

久し振りの晴れ間に生垣の槇の木の剪定です。

ついでに月桂樹と大名竹も上を切りました。

 

昔、ロックエーカントスから仕入れたサンゴを槇のきの根元に

放ってあります。

ところが別の場所に置いてあったサンゴがノリの方に出ていました。

拾って上に上げようとして手お滑らして南側の道路に

落としてしまいました。

高さが4メートル近くありますので人とか車が通っていたら

大変でした。

 

直後に車が来ましたが大事に至らず冷や汗もんでした。

20cmくらいの大きさの物です。かなり重いです。

 

 

2ケ所に槇の木の小さいのが自生しています。

春には鉢に移植してやります。

 

みかんがそろそろ色づき始めましたのでヒヨドリが来ないうちに

ネットで覆いました。

しかし既にかなりの量が下に落ちていますので見ますと

横に穴が開きそこから腐って落下したのです。

木に着いたみかんを調べますとカメムシが

みかんに着いています。

叩き落としましたが今年はあまり収穫が望めそうにありません。

 

年を取り作業が億劫になり消毒もしていません。

おかげでバッタなども多く見られましたが害虫も増えたようです。

 

8日、急きょ列車で高知帰りでした。

藤沢を出て高知着まで約9時間でした。

学生時代の瀬戸号の18時間を考えますと便利になりましたが

やはり疲れます。

9日の帰りは航空券が取れ、1時間あまりです。

奥さんはみやげに野根まんじゅうを買いましたがあまりうまくありません。

 

昔の野根まんじゅうはころもが柔らかくて、あんこも程良い

甘さでした。

野根とは高知県と徳島県との県境に近い場所です。

たしか元祖野まんじゅうと記されていまが、今回の物は本家と

記されていると奥さんは言います。

これは元祖野根まんじゅうに似ても似つかない代物です。

 

久し振りに釜揚げしらすが手に入りました。

まだまだ不漁の様で500円パックが3個までです。

早速、馬路村のゆずをかけてチュウハイでした。

 

イモ貝リーフが届きました。

材料がスジイモ貝ですので高くつくだろうと諦めていましたが、

思ったよりリーゾナブルな値段で値上げも最小限で抑えることが

出来ます。

前以てコピーを渡してあったのでおおむね均一に

仕上がっています。

これですとペアに組むのも助かります。

 

材料を渡してあった白蝶貝の貝型も45個仕上がりました。

しかし中央に浅い小さな穴が開いていますのでそこに貝の筋目を

合わせるように頼んでありましたが守られていないのと

材料の裏側を貝の表にしたために黄蝶貝のものもあります。

仕えるのは半分くらいでしょうか。

私の使っている職人でしたらこのような失敗はないのですが

別の職人に頼んだためです。

長年使っている職人には急ぎの品を注文しています。

 

13日再度、帰高でした。

14日は友の墓参り、6月に来た時に笹が生えていましたので

剪定ばさみを持参しましたが、すでに刈り取られていて

小さいのがところどころに生えているくらいでした。

 

15日は自宅の墓参り。何年振りかの事でした。

山北の農協前に無人の良心市がありみかん置かれています。

一袋100円です。市場に出せない気量の悪いみかんですが

味は良いです。みやげに二袋。

身内の所に寄れば呉れるでしょうが、貰っても持ち帰りが一苦労です。

みかん畑。幼き頃の原風景です。

 

墓からそのまま高知空港。

 

空港の売店で元祖野根まんじゅうを買う。

元祖は〝天皇陛下御買い上げの栄〝とあり、

本家は〝両天皇陛下献上之栄〝と印刷されています。

元祖は天皇陛下が買われたくらいですから本物と思われます。

 

いつものレストランでかまぼこの盛り合わせでチュハイ3杯。

 

15日は江の島の花火大会。

家に帰り、早速元祖野根まんじゅうを食す。

ころもが柔らかくてこれぞ野根まんじゅうと思う。

しかし奥さんはこれでも昔の野根まんじゅうとは違うと言う。

 

2階から家族と見ていましたが、花火より酒で下に降りました。

 

2階から江の島を見ることが出来ます。

 

後日、奥さんは知人にあげるために高知からいもけんぴを

取り寄せました。

みかん箱より大きい専用の箱です。

最近のいもけんぴは関東のイモ松葉に似て堅いですが

近藤のいもけんぴは柔らかくて1cm角くらいの大きさです。

食べだすと止りません。これは空港などでは売っていません。

 

シャコ貝の問い合わせがありました。

無造作に家から持ってきましたが開けると中央に小さな凹みが

あります。

これはシェルワールドで売ることにして新しいのを持って

来ることにする。

 

相変わらず SCRAP & BUILT の毎日です。

 

 

 

台湾、フィリピン行きまでは自宅でも内職の毎日です。

 

夏休みに孫娘が来ていましたのでサンゴの糸通しをしてもらいました。

小学生ですがやはり目がいいので早いです。

むろん高くはつきます。

小学生の頃、祖父の畑仕事を手伝い祖父がお前の1/3しかできなくなった

と言っていたのを思い出します。

12本拾ってくれました。

 

まだ袋の中とかに端切れ、9ピンに刺したものとかが残っています。

本さんご、深海サンゴなど混ざっています。

これらは先ずサンゴの種類分けをする必要があります。

 

フィリピン行き前の一日の収穫です。

娘が友達に分けてやると持って行ってくれました。

助かります。

 

台風に備えて水槽の蓋が飛ばされないようにと思って中を見ますと

ピンク貝が3個入っています。

いつ入れたのかすっかり忘れていました。

液が弱かったのでダメージもなく助かりました。

 

昔、仲間から分けてもらったペーパーウエイトがまだ2個残っていました。

 

2日、羽田から台湾行きです。前回と同じくエバー航空です。

ただし前回は成田から桃園空港着でした。

今回は台北市内の松山空港着です。

松山空港は何十年振りでしようか。すっかり変わっていました。

 

翌日はやはりエバー航空で桃園からセブ行きです。

タクシーで4時前に台北駅。4時のバスで桃園空港。

午前10時過ぎにセブ着。タクシーでホテル。

TM氏と貝の職人に電話。

職人には午後3時に来るように指示。

その間、他の会社に行き注文していた物を受け取り。

 

オウム貝のハート、200~300個頼んであったが500個用意してくれている。

なかなか入手が難しいので全て買う。

 

ハマーシェルとペンシェル貼り合わせのスイライです。

これは従来通りなので購入。

こちらは従来の物と比べてサイズが違うので購入せず、

作り直しをしてもらうことに。

 

オウム貝の25mm~30mmのイヤリングパーツ。

最近仕入れたばかしだがついでに購入。

 

グリーシェルヒーシー。

他の会社に前以て頼んであって120本用意してくれてあった。

マド貝25mm。2,000個頼んであった。

但し穴開けも頼んであったが穴なし。

自分で開けることにする。

スポンジコーラルのパーツ。

なかなか入手が困難で4ケ月かかった。100個です。

 

6日、貝の職人来。

タカセの1本ヤシが残り少なくなったので白蝶貝でサンプル作らす。

取り敢えず150ペア注文。

ネットに載せている#6427の白蝶貝型がよくない。

他の職人に作らしたものです。これは30数年使っている職人の作。

やはりよい。とりあえず100個注文。

 

ギングチサザエの箸置き。200個注文。

30数年前に作らしたものですが裏に樹脂貼りを依頼。

 

オウム貝のシズクですがいつ作ったか忘れていました。

表面がくすんでおりこれでは売り物にならないので持参して磨かせました。

64個でした。

オウム貝の破損したものが20個くらいあります。

このシズク型を作らします。

5日、ポーリンと27~8年振りに会う。右がポーリン。

左は確かポーリンの姪のはず。

ポーリンと初めて会ったのは1972年。

彼女はミセスポンセの有能な秘書でした。

ボーイが店の店員を孕ませたため、パパさんは反対でしたが

ママさんが認め結婚。

この嫁が店の金をネコババするのをポーリンが忠告したのが原因で

ポーリンはポンセを去る。この話は他の人もママさんに忠告したが

ママさんは嫁をかばって聞き入れず。

結局、この嫁がのちのポンセの命取りとなる。

ポーリンは独立して事業を始めママさんの奨めもあり私も彼女と取引を

始めたがのちに東京のSがポーリンに取り入り彼と取引を始める。

Sと取引したら必ずトラブルになるからと私はポーリンとの取引を中止する。

結局、ポーリンとSは裁判沙汰になりポーリンは倒産してアメリカに働きに

出る。

1年前に帰国したばかしです。

そして今日の再会でした。

 

ポーリンに44年前に会った時は私よりはるか年上と思っていましたが

1歳違いでした。

今では杖をつき、付き添いが必要な状態です。

しかし15名の身内を学校に通わせたそうで今では彼らから毎月1万ペソの

仕送りがあり不自由はないそうです。

これもママさんの教えでしょう。

 

最近、つとに思い出す歌があります。

中学1年の英語の教科書JACK AND BETTYの表紙の裏に

オールドブラックジョーの楽譜と歌詞が記されていました。

歌詞の全ては忘れましたが、この部分だけは覚えています。

GONE ARE THE DAYS WHEN MY HEART・・・・

“若き日、はや夢と過ぎて・・・・”で始まり、

I HEAR THEIR GENTLE VOICES CALLING・・・・で終わりますが

ここでは何故かママさんのダイ、ダイと呼ぶ声が思い出されます。

 

フィリピンの取引先も台湾も44年の歳月は懐かしい人たちは

全て亡くなりました。

私もそろそろ終わりにしたいのですが・・・・・・・・。

まだ在庫はあり、30年以上使っている貝の職人の生活もあり

今しばらくフィリピン通いも続けねばならないでしょう。

 

ポーリンと会ったのはSMマーケットの中にあるゴールデンカオリー

レストランでした。

セブでは有名なレストランです。本店はラホッグにあります。

カオリーはタカラ貝です。つまり黄金のタカラ貝です。

実在する貝で、南洋タカラ貝です。オレンジ色をした美しい貝です。

フィリピン料理ですが私の好きな海産物料理でした。

 

6日はTM氏の迎えで氏のメンバーズクラブ、カジノエスパーニョです。

サーモンの握り、エビのてんぷら、枝豆、冷奴と水割りが進みます。

 

今回はポーリンと昼間の食事でしたが、TM氏が滞在中に1度か2度

招待してくれる以外はホテルの自室で出来上がった商品を見ながら

水割りの毎日です。

TM氏が招待してくれるカジノエスパニョか、やはり氏のメンバーである

セブカントリークラブの食事が唯一の豪華な夕食です。

 

取引先にタカセ貝の磨いたのが残っていました。

かなり大きい貝です。日本から持ち込んで磨かしたものです。

自宅に未磨きが30個くらいはあるのではないでしょうか。

そのうちに残りも持ち込みます。

8日。集めた商品を取引先に持ち込み航空便での依頼です。

しかしまだ充分ではありませんのでたぶん発送は月末になると思います。

 

9日。11時のエバー航空で台湾行き。

セブ空港の荷物検査でポケットにホテルのルームキーがあるのに気付く。

これで2度目です。

台湾に着くとホテルに荷物を預けて取引先に支払い。

帰りには激しい雷雨に合う。今回はセブでも同じ目に合いました。

 

台湾のサンゴ屋に寄りましたが深海の枝サンゴも高くて手が出ませんでした。

 

南京東路の邱永漢ビル前です。

日本でも豪雨で山が崩れたりして大災害です。

地滑の文字を見かけますとつい身構えますが、この地滑りは床が濡れて

いるので人が滑らないように注意しての意味。

 

10日。松山空港から羽田。

待合室から駐機場を見るとすぐ近くに山が見えます。

こんなに近く山があったかとすぐには思い出せませんでしたが

右の方向が内湖かと思い出し左の方に移動するとやはり丸山飯店が

見えます。

 

11日。ゴーヤももう終わりだろうと目をやれば葉蔭にゴーヤが見える。

近付くと数個見えます。

結局、10個くらい収穫できましたが中には熟れすぎているのもあり

捨てました。

あとは諦めてネットと南天に絡んだ弦を取り、根を引き抜きました。

南天の根元に松が自生しています。

しその葉に隠れて見えませんでした。

この松は知っていました。

自生した松をこのように鉢に入れてほったらかしです。

ついでにすこし枝を払いすっきりさせてみましたがあまり変わり映えは

しないようです。

根元には破損した貝の捨て場です。

ついでにこちらもすっきりしましたが。

ホームセンターで15~20cmくらいのシンプルな松が1,200円で

売っています。

庭で自生の松を見つけてはこれはいくらの値打ちがあるだろうかと

思って悦に入っています。

奥さんはそんなに松ばかし植えてどうするのと言い、ホームセンターに

卸しに行けばとからかわれます。

今年はサルスベリもよく咲いてくれました。

台風で鉢が倒され咲いていたプルメリアの花折れてしまい、

今年はもう駄目だろうと思っていましたが、サルスベリの木に

持たせかけてありましたら一輪咲いていました。

友人から贈られた貴重なプルメリアです。

 

帰国すればゴーヤです。

平皿はゴーヤとシーチキンのチャンプル、箸の下の小鉢はゴーヤとセロリーの

微塵切りに胡麻と鰹節まぶした新料理です。

これでレモンチューハイを3杯呑み1ラウンド。シャワーを浴びて2ラウンドは

ウイスキーの水割りで最近は秋刀魚の塩焼きなど。

 

こうして一日が過ぎて行きます。

寝るのは5時とか6時。

年を取りますと寝たい時に寝て、起きたい時に起きる生活です。

これはフィリピンでも台湾でも同じです。

職人達が頼んであった品物を7時、8時に持参してもフロント預けです。

 

朝は3時、4時であろうと起きてSCRAP & BUILTです。

 

そろそろ沖縄の泡盛が恋しくなってきました。

 

40数年前からプカシェルを扱い、プカシェルについては

人後に落ちないと自負していました。


40数年前のプカシェル一次ブームの時は、等級がスーパーA, 

A,B,Cクラスと4段階に分かれて、無論スーパーAが最上級

でした。

石原裕次郎を始め多くのスター及びモデル達が付けていたのは

スーパーAかAクラスのプカでした。

当時、ハワイではUS$50.00(約1万円)で売られていました。


当時の週刊誌の表紙を飾ったモデル達は全てプカシェルを付けて

毎週号の表紙を賑わしていました。


当時、日刊紙の記者から取材の申し込みがありましたが、

寝る間もないくらい忙しくて“電話取材にしてくれ”と頼んだほどでした。


記事には“総輸入元のシェルナカムラでは10万本あっても足りない

くらい。”と書かれていて、取引先が新聞に出ているぞと

教えてくれましたがあいにくその新聞は購読していませんでした。


爾来、Aクラスで非ずんばプカに非ずと認識していました。

しかしある雑誌でキムタクがプカを付けている写真を見て

眼から鱗が落ちる思いでした。




右がクラスAのプカです。

左がキムタクの付けていたプカの再現です。


そのプカはクラスで云いますとCクラスのプカです。

しかしさすがキムタクです。

サファーの彼が見事にワイルドなプカを付けこなしています。


以前からプカも白いプカ、タイガープカ、ラスティプカと種類を

分けて、更に種類別にクラスA,B,C,ワイルドプカ、

クレイジィプカと仕入れています。


どうしても物置のAクラスプカから手掛けていきがちですが

最近はワイルドプカの変化に富んだプカを差し替えながら、

差し替え後のプカを眺めて悦に行っています。




そして30年若かったら湘南海岸にあらゆる種類の

糸に通したままのプカを戸板に広げてビーチの若者に

似合ったプカを奨め、その場で個人個人の首周りに

沿った長さにしてオンリープカを売って見るのですが。



上は直径16mmクラスのプカの注文です。

バラのプカから拾い3本糸通しができました。

1本に85個くらいのプカが付いています。

1個3円50銭くらいです。

このクラスのプカも無くなりました。



(下はクラスAのプカ)。


(下は当社のクラスCのプカです)。

これはキムタクの付けていたクラスCではなくて、

比較的に粒が揃っていて表面に無数のクレータ状の

穴が開いています。

自然ぽくて面白いプカです。



上の写真のプカは手前がタイガープカ、奥がラスティプカ

です。


最近も御社で扱っているプカシェルは何処産ですかとの

問い合わせがありました。

答えは自信を持ってフィリピン産ですとお伝えしました。


以前のブログでプカシェルの由来を書きましたが、

プカを最初に発見したのがハワイアンです。

しかし1本40cmの長さには100個以上のプカシェルが

必要です。

例えば1万本のネックレスには100万個以上のプカが必要です。

同じ大きさのプカを揃えて用意するにはハワイでは到底無理です。


そこでハワイアンが眼を付けたのがフィリピンです。

現在でもハワイ産プカと名付けられたプカを目にしますが

先ず99.9%フィリピン産と言って間違いないでしょう。


40数年前に私が扱ったプカが27万本です。

27万X100=2,700万個のプカが必要です。

当時のプカは現在のプカより薄かったですので3,000万個

以上と思われます。

これらは全てスーパーAかAクラスです。


ハワイアンがフィリピンから仕入れたプカはとても私の比では

ありません。

日本の業者を始め世界の業者がハワイ産と信じてハワイから

仕入れたのです。


(グリーンシェルヒーシー4~5,2~3mm)。

それ程、人気のあるヒーシーではありませんが

2~3mmが残り10本くらいになりました。

材料はミドリイガイですので豊富に生息していますが

やはり作り手の減少です。

次回、入手できるか疑問です。





ヒーシーなどの端切れを拾って糸通しをしています。

特にクチムラサキのヒーシーは残り少ないので貴重品です。

上に乗ているのはアップルサンゴとプカのバングルです。


ウッドビーズとプカシェル、青サンゴとプカシェルの

バングル。

プカシェルの在庫減らしです。


アップルサンゴはこのような色で生息しているわけでは

ないです。

アップルコーラルとは赤ヤギ,オオイソバナ(スポンジコーラル)

のことでそれをビーズ状に作り一部分に熱を加えて赤い色を

飛ばすと赤と黄色い写真上の色となります。

あたかもリンゴを思わせる色からアップルサンゴと

命名されたのです。


赤を全て飛ばしたものはタイガーコーラルと言われて

います。


(タイガーコーラル15mmビーズ)。




スポンジコーラルのアクセサリーはアフリカサンゴ、山サンゴ、

古代サンゴとも言われて売られています。


(ハナビラタカラのレイ)。

30年以上前に仕入れた物ですが、不良品が多くて

売り物になりません。

しかし貝は非常にきれいで捨てるに捨てれず

どうにか使えないかと試行錯誤してみましたが

よい案も浮かばず、そのままにしていました。

300本はあるでしょう。1本に30個くらい付いています。

従って1万個くらいです。

結局、穴をあけてハナビラタカラ穴あきとして売ります。


貝の裏側に釣り糸を固定するためにビニールパイプを

埋め込み糊づけしていますので、糊が残っています。

従って一般のハナビラタカラ穴あきより安くします。



(オーストラリア産白蝶貝)。

いよいよ残り50個を切りました。

9月にフィリピンに持参して貝型を作ります。

マジックで中央に線を入れているのは貝のセンターに

小さな浅い穴が開いています。

個の穴を消すためにこの線に沿って貝の中央の彫りを

入れさせるためです。


(ゴーヤの緑のカーテン)。

今年もゴーヤの苗を買って2本東側に植えていますが

豊作です。

緑のカーテンは立派な日よけになり実益をもたらして

くれます。

“ゴーヤよ今年も有難う。”



昼食前、釜揚げしらすには馬路村のゆずをかけて

ゴーヤチャンプルとを肴に焼酎のレモン割りで

楽しんでいます。



今日もしらす。



明日もしらす。



明後日もしらす。


チューハイにしらす、ゴーヤチャンプルでパワーをもらい

SCRAP & BUILTを続けています。



14~16mmのプカを12本糸通ししました。

お客さんからの要望が多いです。

重くてそのままではネックに向かないと思いますが

ネットで見ますと1個1個使ってイヤリングにしたり

数個でチョウカーにしているようです。


昔、コンテナで輸入したものですが、今は航空便での

輸入ですので重くて運賃が嵩みペイしません。



白とグリーンに染めた2~3mmのヒーシーの端切れです。

たぶんブレスかネックレスを作った残りでしょう。

300本くらいですが1本に白ヒーシーが6cmついています。


作ってみたいネックレスがあります。

クチムラサキナゲット(マクタンオーキッド)のバラもあります。

2つを組み合わせて作りました。


早速、30本の注文を貰いました。

私が早朝に3本、4本と作っていますので製作費は

計算していません。



クチムラサキナゲットが品薄ですので

あまり出来ないでしょう。



白ヒーシー2~3mmに枝サンゴっをミックスしたネックです。

昔、本サンゴをフィリピンに持参して作らした物です。




直径12mm大のプカを拾って10本糸通しができました。

このサイズ以上のプカは重くて年寄には扱いが

困難になりだしました。

早く処分をしたく思っています。



アップルコーラルのナゲットが沢山あります。

白ヒーシー2~3mmとでネックのサンプルを作ってみました。

来年用に少し作り置きをしてみます。



イモ貝の先を1cm弱の長さにカットして糸通し

したものですが、古いもので糸がよじれて使い物に

ならないと思っていましたが差し替えますと

面白いネックになりました。

30本くらいですのですぐ売れるでしょう。

できれば再度作らして見たい商品です。


(Before).



松の木が3年剪定されていません。

いつも2年毎に来てくれる庭師さんと音信不通でした。

FAXを入れますと返事がきて、どうやら体調が悪かった

ようです。


盆明けに来てくれ初日は一人で、2日目は二人で来てくれ

すっきりさしてくれました。




上の写真の2本は庭に自生した松ですが大きくなりました。


(After)。

さっぱりとなりました。 




ゴーヤが豊作です。

さすがにゴーヤとベーコンのチャンプルは飽きてきました。

新しくシーチキンとゴーヤのチャンプルを作ってくれました。

あっさりとした味で酒の肴になります。



傍らで老犬は寝てばかしです。

散歩には連れて行ってもらっていますが、階段の上がり降りは

抱いてやらねばなりません。

こちらも老老介護です。




今年もみかんの出来具合は良いようです。

早めにヒヨドリ対策をします。


そろそろ台湾、フィリピン行きが近付いてきました。