なんと20日もブログを放置してしまっていた。申し訳ない限りである。

私生活が色々と忙しかったと言い訳しておこうと思う。

 

 日本の人々は どうにもこうにも忙しい

 一本調子のキッカケで 消費と浪費を行ったり来たり

 

さて、「桜ナイトフィーバー」である。桜の気持ちを代弁したかのような歌詞がとても好きだ。でも、一番好きなフレーズは「日本の人々はどうにもこうにも忙しい」である。私自身もいろいろと予定があったりなどした。その予定がまだポジティブなものが多かったため良かっただけで、これがネガティブな残業などであった場合どうなるか。どうしても気落ちするだろうと思う。体力も削られる。

 

 ハロウィンの流れでクリスマスが終わったらすぐさまお正月

 節分 バレンタイン ひなまつり

 そして ぼくらの季節がやってくる

 

いや、ポジティブなイベントも考えものである。実際はひなまつりの後にホワイトデーが来てお花見シーズンが来て新年度が始まって…と続く。その度にショッピングモールに売り場を用意される。ひなまつりが終わったらすぐ五月人形が販売され始めるといった具合に。

そこには「消費と浪費を行ったり来たり」する日本人の姿があると思える。

 

また、「日本の人々はどうにもこうにも忙しい」のフレーズは、KANがフランス留学を経験したから書けた歌詞だと思えてならない。海外の文化と日本の文化のギャップに対する意識が根底にあると思う。私個人としては、海外万歳というのはどうかと思うが、学ぶべきものがあるのは確かだと思うし、またKANもそれをはっきりと認識していたのではないかと思う。

 

【楽曲情報】

作詞:KAN

作曲:KAN

特別興味があったわけではないのに、耳に残る音楽がある。私にとってこの歌はその1つである。

 

プリキュアのアニメは未見であるし、Wiiで昔プレイしていた「太鼓の達人Wii ドドーンと2代目!」に収録されていたため、それで知ったに過ぎなかった。ファンから怒られてしまいそうなほど、プリキュアについての知識はない。

 

 つながる キズナ最高!

 凛々しく強く パワー炸裂!

 (※合いの手は省略)

 

お気づきの通り、Hybrid ver.である。曲の選択画面での流れ出しはこのHybrid ver.のサビであった。何故かこのサビが頭に深く刻まれた。プリキュアについて何も知らないのに、何年も覚えていたというのは、それほど強烈で印象的なメロディと歌詞であったからだと思う。

それから10年ほどして初めて原曲(前期OP)を聴いた。すでに指摘されているとは思うが、Hybrid ver.の方が全体的にブラッシュアップされていたように思う。

 

そしてHybrid ver.のfor the Movieの編曲家のクレジットに水谷広実の名もあった(他に亀山耕一郎と村田昭もクレジットされている)。水谷は、「ほんとにあった怖い話」のあのメインテーマも、私が特に好きなアニメの1つである「のんのんびより」の劇伴も担当している。何という偶然だろうと思った。

しかも、作詞の六ツ見純代は、同じく作詞家である青木久美子の妹である。青木久美子といえば、私がまず思い浮かべるのは杉山清貴&オメガトライブの「REMEMBER THE BRIGHTNESS」であるが、こんなところからも、多少なりとも関係が見つけられるのだ。プリキュアと杉オメを結びつけるのは難しいが、こう考えると関係があるように思えてくるのだ。

 

このようなことを知ると、点と点が線で結ばれたような快感がある。だから、作曲家や作詞家を調べることは、どうしてもやめられないのだ。そして、この歌もまた、一生忘れられない歌になるだろう。

 

【楽曲情報】

作詞:六ツ見純代

作曲:高取ヒデアキ

もう何年も前のことになるが、私は精神的に極めて低迷していた時期があった。いわゆる「病んだ」状態であった。朝起きてから寝るまでの全てが鬱であった。このような精神状態は、よくトンネルに喩えられるが、私はトンネルという喩えは(不適切とまではいかないが)実態とは少し乖離しているきらいがあると思う。トンネルに喩える人々は、往々にして「鬱を乗り切った」「鬱にならないだけの心のエネルギーを元々持ち合わせていた」人であるためである。だから光が見えるイメージとセットで語られるのだろう。実際は、マンホールの穴に落ちたような感覚ではないか。蓋は閉められて、下水が流れ、真っ暗でものすごく不快な気分になる、そんなところに閉じ込められているような感覚と言った方が、より適切であるように思う。鬱から抜け出すのはそこから無理やり這い上がるようなものである。やはり、体に染みついた臭いはそう簡単には取れないし、その空間に閉じ込められていたことを時々思い出す。つまりは、フラッシュバックが起こりうる。それほどまでに、一度精神をやられてしまうと大変なのだ。

 

さて、この曲はTVアニメ「少女終末旅行」の劇伴のメインテーマである。もう7年も前のアニメになるというのだから、時の流れは恐ろしい。テレサ・テンもびっくりである。原作は漫画であり、アニメはメディアミックスの一環である。私はこの作品はアニメで知った。アニメは全話観たのだが、「記憶は薄れるから記録するんだよ」という台詞が印象的であったことは今でもはっきりと覚えている。

この作品は、「絶望と、なかよく」がキャッチコピーである。「絶望」が作品の中で重要な役割を果たす。

 

この作品に出会ってから1年ほどして、私の精神状態はまさしく「絶望」の淵に追いやられてしまった。その頃、なぜかこのアニメのサウンドトラックを買っていたので、聴いてみた。メインテーマは6分ほどの曲であった。最初は「長い」と思った。しかし、何度か聴くうちに、曲の中に「優しさ」「温かさ」を確かに感じることができた。曲調は明らかに「冬」を意識していると思う。なのに、暖炉のような温もりがそこにある。調べたところ、全体的に子守唄を意識して作られたものであったということが分かった。その温もりの正体は、MAYUKOの清らかな歌声である。「生まれたての子供に耳元で聴かせるくらい優しく歌って」というオーダーに見事に応えている。

 

冒頭で述べた通り、このアニメが放送されて7年になる。放送後の私の人生には、「絶望」的な出来事が何度もあり、「絶望」的な精神状態に陥ることも何度もあった。2024年を迎えた今、ようやく「絶望と、なかよく」することが出来つつあるように感じる。この曲がどれほどそれに寄与したかは分からないが、人生を変えた一曲であることに変わりはない。

 

【楽曲情報】

作曲:末廣健一郎

2023年11月、KANが亡くなった。KANといえば「愛は勝つ」というイメージが一般的だ。もちろん、「愛は勝つ」についての思い出もあるのだが、今回はこの歌について書こうと思う。この歌は、「愛は勝つ」の次にリリースされたシングルであったが、「愛は勝つ」がヒットしすぎたために隠れてしまったようである。生前のKANはこの歌を嫌っていたという話をインターネット上で目にしたことがある。確かに、歌詞は明らかに「愛は勝つ」の路線であるし、「愛は勝つ」にあったストレートさは少しぼやけてしまっているのは否めない。売り上げも「愛は勝つ」と比較すると、どうしても芳しいものではなかった。それでも私は「愛は勝つ」以上にこの歌が好きだ。


 歴史はつくられてきた ぼくなんかが知らないところで
 未来を夢見るなら最初に 目の前の岩を取り除くことから
 すぐに始めよう 見えなかった道がまっすぐにのびてるはずさ


ここまでは「愛は勝つ」の歌詞と(メッセージ性は)大差ないだろう。ところが、「愛は勝つ」と決定的に異なるのはこの後の歌詞である。


 考えが甘かったみたい くねくねと曲がって見えるよ
 思ったより遠い道のり ひとりでずっといるとつい弱気になる


なんと、歌詞に登場する人物(おそらく男性)は一度追い詰められている。「愛は勝つ」はひたすら誰かを励ます歌であったが、この歌は「考えが甘かった」と予想外の出来事に心が折れそうになっている。ここがポイントだと思う。「愛は勝つ」は名曲だが、「信じること」を続ければ「必ず最後に愛は勝つ」などということは、現実においてまずありえない。しかし、「考えが甘かった」から、予想外の出来事が起こって「弱気になる」といった出来事は多くあるはずだ。私にとって、人間関係がそれである。


私の人間関係においてのモットーは、「誠実かつ優しく、人を拒絶しない」であった。それで高校生まではなんとかなってしまった。問題は大学である。大学では「誠実」にやってるつもりがただの空回りで意味がなかった(むしろマイナスであった)とか、知り合いに「優しく」した結果、それにつけこんで授業に出ずに講義のレジュメだけもらおうとする輩であったと分かったとか、どうしても無理な人がいて「ブロ解」してしまったとか、1年生の間だけで色々あった。もちろん私自身も人間関係を築く上で、誤りやタブーを犯していたのだろうと思う。その時私は「考えが甘かった」と思わざるを得なかった。中森明菜の「十戒」ではないが、優しいだとか、下手に出るだけでは良好な人間関係を築けないと知った。


そして、ずっと「ひとり」でこそなかった(「ぼっち」は幸いにして回避できたのである)が、「ひとり」の時間も多かった。その時、私は非常に弱気になっていたと思う。


 だけどいつかはたどりつけるはず
 光のように 絶対に
 

そう、この歌は「愛」を歌っているが、愛以外の人間関係にも言えることだろう。

もちろん、「絶対に」などということはないが、「いつかはたどりつける」という希望を持つことは非常に大切なことのように思う。いつかは上手くいくという希望がなければ、やはり心を保たせるのが難しくなると思う。どこかで「上手くいく」という希望が人間には必要だと思う。今の世の中、もしうまく行っていないとしたら、どこかに絶望と諦観が潜んでいるのではないか。

とにかく、私はこの歌を非常に気に入っている。KANは没後にサブスク解禁がなされたので、このブログをご覧になった読者の皆さんもぜひ聞いていただければと思う。

 

【楽曲情報】

作詞:KAN

作曲:KAN

これもやはり受験期の思い出の歌である。言うまでもなく、明治大学の文系のキャンパスは東京にある。当時の私は地元の良さなど分からなかったので、「俺は東京に出る」と意気込んでいた。もちろんその中には「大学に行って彼女ができたら甘いひとときを過ごしたい」などという下心も混じっていた(結局、野望はすぐに打ち砕かれた)。このように、様々な思惑があった。ここでは詳しく述べることはできないが、かなり自分を追い込んだ。私は、強迫的な考え方を持って勉強していた。「明治に入るか、死ぬか」と本気で考えていた。

 

さて、「TOKYO FANTASIA」である。この歌は筒美京平が作曲で、いい曲であるのは当たり前ではないか、というのはあるが、彼の90年代の作品の中でも私は特に気に入っている。

 

 TOKYO FANTASIA 幸せは摩天楼

 星のFANTASIA 見上げるほどに届かない

 

実は私は「幸せは摩天楼」という一節を中心に歌詞の意味がよく分かっていない。幸せとは摩天楼のように幻想的(あるいは幻想)なもの、ということなのだろうか。こういうことは、よくある。歌詞の考察の類が私は苦手なようである。合っているのか間違っているのか、いつも不安になる。

 

しかし、この歌を聴いて、「東京ってこういう街なんだ」というイメージが私の頭の中で作り上げられたのは紛れもない事実である。やはり、東京といえばキラキラしているというイメージが私の中にはあった。春はビルに囲まれた公園の桜が咲き誇り、夏には高層ビルに「緑のカーテン」が作られ、秋には街路樹が色づき、冬にはイルミネーションが煌めく…歌詞に登場する女性は、突然の出逢いに半信半疑ながらも、運命の彼に巡り逢えたからと覚悟を決める。私は、別に女の子と出逢うという意味に限らず、このようなロマンティックな出逢いが東京には溢れていると信じていた。何度も聴いた背景にはこれがあるだろう。

 

実際の東京は、キラキラというよりギラギラに近く、ほとほと参ってしまったが、その辺のことはまたの機会に述べることとしよう。

 

【楽曲情報】

作詞:湯川れい子

作曲:筒美京平

この歌がつい昨年まで新幹線の車内チャイムで使われていたことは多くの人の知るところである。

しかし、この歌のタイトルが「AMBITIOUS JAPAN!」であること、また新幹線で流れているチャイムがこの歌であったと知ったのはほんの数年前のことだった。今回はその経緯について書こうと思う。

 

ある日、なぜかテレビの音楽番組を観ていた。TOKIOの本人達が出演していたかは失念してしまったが、少なくとも確かジャニーズ(当時)の何らかのグループが歌を披露していたように思う。

 

Be ambitious!

我が友よ 冒険者よ

Be ambitious!

旅立つ人よ 勇者であれ

Be ambitious!

 

有名なサビである。「Be ambitious!」の部分はたった4音であるが、これが強烈な印象を私に与えた。

何かただならぬものを感じた私は、必死に「Be ambitious!」の音階を「ファソミファ」とドレミで覚え、ヤマハの「弾いちゃお検索」で検索した。

偶然見つかった。MIDIで作成されたと思われる音源を再生すると、やはり一致する。このような偶然は、音楽を聴く上で大きな役割を果たすことがある。

調べてみると、なんとこの歌も筒美京平が作曲しているではないか。しかも当時筒美は63歳であった。果たして63歳になった時の私がこれだけの大仕事を成し遂げられるだろうか。まず無理であろう。これは筒美京平のすごさのほんの一部ではあるが、ここに書き記しておきたい。

 

そしてさらに調べていくと、「また逢う日まで」「サザエさん」「ギンギラギンにさりげなく」「ふられてBANZAI」「Romanticが止まらない」…どれも筒美京平が作曲していたことが分かった。私が筒美京平を好きになったきっかけとしてこの歌は間違いなく大きな役割を果たしただろう。

 

残念ながら、筒美京平は私が筒美を知ってから1年ほど経った2020年に亡くなった。またこの歌の作詞のなかにし礼も、同年の暮れに亡くなった。

私の好きな音楽家が(仕方のないことではあるが)年を重ねるたびに亡くなっていくことが切ない。昨年だけでも高橋幸宏、坂本龍一、KAN、大橋純子など、数多くの音楽家が虹の橋を渡っていった。訃報を目にするたび、私が今好きな音楽家もいつかは必ずこの世を去ることになるという事実に打ちのめされる。どこかで「〇〇さん死去」というニュースを目にしなくてはならないことは、それより早く私が死なない限り確定している。訃報を見るたびに胸が締めつけられる思いだ。

そのような時、「旅立つ人に 栄光あれ」と彼岸での幸福を祈るべきなのかもしれない。

 

【楽曲情報】

作詞:なかにし礼

作曲:筒美京平

不覚にもヨスガノソラのアニメは未見である。ではどうしてこの曲を知っているかというと、中学生の頃、サウンドトラックに猛烈にハマっていた時期があり、いろいろと集めていたからである。ヨスガノソラのサントラもその一環で知ったのだった。

 

この曲はアニメの劇伴の音楽の中でも私は特にお気に入りである。言葉にするのが難しいが、田舎の情景が浮かぶような美しいメロディである。ヨスガノソラのアニメの舞台は田舎らしいので、ぴったりだと思う。また、3/4拍子というのも個人的には好きなポイントである。正直、話題になるほど官能的な描写があるアニメにこの曲は合うのかと余計な心配をしてしまった。

 

さて、この曲で一番謎であったのが、作曲家の「Bruno Wen-li」が何者であるかということであった。これだけのいい曲を作る作曲家であるから、初仕事というわけではなさそうである。だが、全くと言っていいほど情報がない。Brunoとあるから外国人なのか。そう思って、まずJASRACのデータベースを見た。契約があるようである。外国人でJASRACと信託契約を結んでいる外国人の作曲家は少ない。外国人の作曲家である可能性は少し低くなった。そのようにして色々と調べた結果、「ヨスガノソラが放送される10年ほど前から作曲家として活動を始め、作詞なども手掛けており、2010年ごろから劇伴の仕事が増えてきた人物」であるらしいことが分かった。そして、謎の情熱で作曲家を手当たり次第調べていくうちに、この作曲家ではないかと思い始めた。Wikipediaには活動期間の欄に「1998年-」とあるし、活動初期は劇伴よりも歌モノの作詞、作曲、編曲を多く担当していたというのも矛盾しない。この時点で、私はほぼ市川淳で間違いないだろうと確信していた。

 

そして2020年、アニメ放送から10年経った節目の年である。ついに答え合わせが行われた。判明するまでの経緯は省略する(気になる方はこちらをご覧になってほしい)が、ようやく明らかになったとホッとしたものである。

 

私の予想は的中した。やはり市川淳であった。

 

【楽曲情報】

作曲:Bruno Wen-li(市川淳)

2024年は最悪な年明けであった。凍った湖のような冷たい雰囲気が漂う東京の街から逃げるように帰省して、羽を伸ばせると考えていた冬休みである。アニメの「葬送のフリーレン」を一気に観たり、高校までの友達と遊んだりと、やりたいことを思い切りやって、年明けにも初日の出や初詣や遊びといったイベントが盛りだくさんと、期待に胸をふくらませ、エネルギーをチャージしようとしていた矢先の出来事である。

大晦日の日、インフルエンザを発症した。突然熱が39℃ほどまで上がったのだ。しかし、翌日には友人と極寒の中初日の出を見に行く約束がある。しかも前年は「受験直前に生活リズムを崩すのはまずい」などと言ってキャンセルしているときている。全力で「紅白歌合戦が終わるまでに治ってくれ」と祈り、紅白歌合戦を観ながら治そうとしたが、発熱は気合いでなんとかなるという次元を超えており、叶わなかった。初日の出は、友人も体調不良でダウンしていたこともあり、結局中止となってしまった。これが私をどれほど落胆させたか分からない。

翌日に病院へ行き、正月早々インフルエンザの診断を受けた。検査結果を待っている最中─永遠に感じられた2時間ほどの間のことである─「コードブルー 〇〇棟〇階〇〇号室」などという院内放送を聞いてしまった。あのドラマならクライマックスでミスチルの名曲が流れて感涙であろうが、初めて聞いた本物のコードブルーは、機械的な男性の声(事前に録音したものを機械的に繋ぎ合わせているのだろうか)で、全く温もりのない、率直に言って不気味なものに感じられた。「命に正月も何もないのか」と背筋が寒くなったのを強烈に覚えている。

これだけでも相当気が滅入ったが、暗黒の正月はまだ終わらない。満身創痍で帰宅し、お昼寝をしている最中、能登半島地震が発生した。あたりが暗くなった頃に起きてスマホを見ると「石川県で地震 最大震度:7」の表示があった。何事と思いテレビを点け、NHKのチャンネルが映ると、画面には「津波警報」「震度7」「避難!」の文字が乱舞していた。幸い、私の実家がある地域は何事もなかったのだが、後日、ニュースで偶然自分が行ったことのある地域が映った時、変わり果てた街の姿に呆然としたのは言うまでもない。テレビカメラは残酷なまでに現実を克明に映し出すと思った。余震のニュースも続き、翌日には羽田空港で飛行機同士の衝突事故が起こり……と日本中が辛い話題に満ち溢れていた。

そんな暗黒の正月から数日経った2024年1月5日午前11時前のことである(これは記録に残してある)。その頃にはもう熱はほぼ下がり、あとは体力の回復を待つだけといった段階まで来ていた。しかし、私の心だけは回復していなかった。ただでさえ心労が重なっていたのに、体調まで狂ってしまっては無理もない。

こういう時、私は“適当に“テレビを点ける癖があるようだ。この時もやはり意味もなくテレビを点けていた。そしてやはりNHKを観ていた。ちょうど「みんなのうた」をやっていた。

 速い速い車に乗って見えるフラクタル
 寒い朝を待てば連れてってくれる

これは何だ?車?寒い朝?意味がよく分からない。というかフラクタルって何?
まあ、フラクタルが理解できなかったことに関しては私の不勉強のせいであるが、とにかく何が言いたいのかよく分からないと感じてしまった。しかしながら、そのフラクタルに何か惹かれるものがあったのも事実である。だからチャンネルを変えなかった。サビでそれらが全て解決した。

 キラキラ 手足から伸びてゆくよ
 最後の光 見えなくても
 歌い声は聴こえるよ

幻想的なアニメーション映像の力も大きかったが、これを聴いた瞬間私の琴線に何かが触れた。Daokoの透明感のあるボーカルが見事に歌の持つ世界を作り上げていた。サビでの転調、メロディ、歌詞、全てに説得力があるように感じられた。素直に「ああ、良いなあ」と思えた。そして、何故か背中を押されたように感じたのである。気分が明るくなった。もちろん、これはきわめて個人的なメッセージの解釈であり、QUBITのメンバーが意図しているであろうメッセージとは大きく異なるのではないかと思う。しかし、この歌は「花は咲く」と同じような力を持っているように思えてならない。日本中が明るくなれるとさえ私は考えている。やはり、「コンタクト」というタイトルが人々の繋がり(あるいは結束)を感じさせるからであろうか。

【楽曲情報】
作詞:網守将平
作曲:網守将平、鈴木正人
これが実質初投稿である。どの歌のことを最初に書こうか迷ったが、「熱き心に」から書こうという結論になった。それほど、この歌についてのエピソードは私にとって大きいものなのだ。

「熱き心に」と私にはきわめて奇妙な縁があるように思える。この歌を聴いた最古の記憶は3歳の時であったように思う。私が3歳の頃といえば、ちょうどこの歌を作詞した阿久悠が他界した年である。確かその年の暮れに聴いたのではないかと思う。イントロのシンセサイザーの柔らかい音、Aメロと同じストリングスのメロディが脳に刻まれていた。
 あゝ 春には花咲く日が
 あゝ 夏には星降る日が
 夢を誘う 愛を語る

私がカラオケで熱唱すると、友人から「うるさい」と怒られるサビである。何故かこのサビを聴いた記憶は消えていた。3歳の頃の私には「夢」も「愛」も当然分からなかったからであろうか。いや、今だって分かっているつもりなだけなのかもしれないから、関係ないのか。その辺は謎であるが、とにかく、それでも何か感じるものがある。そう思わせる迫力が小林旭の歌にはあると思う。

本題に戻るが、この歌と私の「奇妙な縁」についてである。高校2年生の春頃、私は突然阿久悠に憧れ、明治大学を志望した。しかし、当時の私の学力はとても明治に受かるようなものではなかった。迷いながら勉強を続け、とうとう受験の時期がやってきた時のことである。明治大学をはじめとした東京の大学の多くは「地方会場」で受験することができないため、私はホテルに泊まった。ホテルの部屋は狭く、窮屈に感じられた。そのため、もう勉強をする気も起きず、ベッドに横たわってテレビを点け、NHKの総合テレビにチャンネルを合わせた時のことである。

阿久悠の特集をやっていた。しかも小林旭が「熱き心に」を歌うという。私は真剣になって聴いた。そう、阿久悠は明治のOBで、小林旭も中退こそしているが明治出身であったのだ。私は「これは受かる」と確信した。なんと本当に合格してしまった。
半分は下らない自慢話であるが、これが私と「熱き心に」の思い出である。

【楽曲情報】
作詞:阿久悠
作曲:大瀧詠一

なぜこのブログを始めたか。

 

このブログを始めたのは、他でもない、作詞家の阿久悠のエッセイ「愛すべき名歌たち─私的歌謡曲史─」(岩波新書)を読んで、「自分にも自分にとっての歌謡史があるのではないか」と考えたからである。あとは、著作権的なところがあるか。歌詞の引用に問題が生じにくいというのもある(AmebaブログはJASRACと契約しているようだ)。

私の尊敬する阿久悠や筒美京平はJASRACと少なくとも信託契約を結んでいることはデータベースを見れば明らかである。ということで、好きな作詞作曲家達のためにもこのブログを選んだ。

 

とにかく、私の人生は音楽とともにあった――というと大げさであるが、音楽は私の人生の中で大きなウェイトを占めるであろうことは事実である。それほど、音楽には強い影響を人の人生に与えうるのではないかと思う。ということで、私の好きな音楽とそれに付随する個人的エピソードをご覧いただけたら幸いである。

 

なお、このブログで取り上げる人名は基本的に敬称略としている。ご了承願いたい。