2024年は最悪な年明けであった。凍った湖のような冷たい雰囲気が漂う東京の街から逃げるように帰省して、羽を伸ばせると考えていた冬休みである。アニメの「葬送のフリーレン」を一気に観たり、高校までの友達と遊んだりと、やりたいことを思い切りやって、年明けにも初日の出や初詣や遊びといったイベントが盛りだくさんと、期待に胸をふくらませ、エネルギーをチャージしようとしていた矢先の出来事である。

大晦日の日、インフルエンザを発症した。突然熱が39℃ほどまで上がったのだ。しかし、翌日には友人と極寒の中初日の出を見に行く約束がある。しかも前年は「受験直前に生活リズムを崩すのはまずい」などと言ってキャンセルしているときている。全力で「紅白歌合戦が終わるまでに治ってくれ」と祈り、紅白歌合戦を観ながら治そうとしたが、発熱は気合いでなんとかなるという次元を超えており、叶わなかった。初日の出は、友人も体調不良でダウンしていたこともあり、結局中止となってしまった。これが私をどれほど落胆させたか分からない。

翌日に病院へ行き、正月早々インフルエンザの診断を受けた。検査結果を待っている最中─永遠に感じられた2時間ほどの間のことである─「コードブルー 〇〇棟〇階〇〇号室」などという院内放送を聞いてしまった。あのドラマならクライマックスでミスチルの名曲が流れて感涙であろうが、初めて聞いた本物のコードブルーは、機械的な男性の声(事前に録音したものを機械的に繋ぎ合わせているのだろうか)で、全く温もりのない、率直に言って不気味なものに感じられた。「命に正月も何もないのか」と背筋が寒くなったのを強烈に覚えている。

これだけでも相当気が滅入ったが、暗黒の正月はまだ終わらない。満身創痍で帰宅し、お昼寝をしている最中、能登半島地震が発生した。あたりが暗くなった頃に起きてスマホを見ると「石川県で地震 最大震度:7」の表示があった。何事と思いテレビを点け、NHKのチャンネルが映ると、画面には「津波警報」「震度7」「避難!」の文字が乱舞していた。幸い、私の実家がある地域は何事もなかったのだが、後日、ニュースで偶然自分が行ったことのある地域が映った時、変わり果てた街の姿に呆然としたのは言うまでもない。テレビカメラは残酷なまでに現実を克明に映し出すと思った。余震のニュースも続き、翌日には羽田空港で飛行機同士の衝突事故が起こり……と日本中が辛い話題に満ち溢れていた。

そんな暗黒の正月から数日経った2024年1月5日午前11時前のことである(これは記録に残してある)。その頃にはもう熱はほぼ下がり、あとは体力の回復を待つだけといった段階まで来ていた。しかし、私の心だけは回復していなかった。ただでさえ心労が重なっていたのに、体調まで狂ってしまっては無理もない。

こういう時、私は“適当に“テレビを点ける癖があるようだ。この時もやはり意味もなくテレビを点けていた。そしてやはりNHKを観ていた。ちょうど「みんなのうた」をやっていた。

 速い速い車に乗って見えるフラクタル
 寒い朝を待てば連れてってくれる

これは何だ?車?寒い朝?意味がよく分からない。というかフラクタルって何?
まあ、フラクタルが理解できなかったことに関しては私の不勉強のせいであるが、とにかく何が言いたいのかよく分からないと感じてしまった。しかしながら、そのフラクタルに何か惹かれるものがあったのも事実である。だからチャンネルを変えなかった。サビでそれらが全て解決した。

 キラキラ 手足から伸びてゆくよ
 最後の光 見えなくても
 歌い声は聴こえるよ

幻想的なアニメーション映像の力も大きかったが、これを聴いた瞬間私の琴線に何かが触れた。Daokoの透明感のあるボーカルが見事に歌の持つ世界を作り上げていた。サビでの転調、メロディ、歌詞、全てに説得力があるように感じられた。素直に「ああ、良いなあ」と思えた。そして、何故か背中を押されたように感じたのである。気分が明るくなった。もちろん、これはきわめて個人的なメッセージの解釈であり、QUBITのメンバーが意図しているであろうメッセージとは大きく異なるのではないかと思う。しかし、この歌は「花は咲く」と同じような力を持っているように思えてならない。日本中が明るくなれるとさえ私は考えている。やはり、「コンタクト」というタイトルが人々の繋がり(あるいは結束)を感じさせるからであろうか。

【楽曲情報】
作詞:網守将平
作曲:網守将平、鈴木正人