・・のはずが。
上野の森に住む、先日1歳の誕生日を迎えたばかりの"やんちゃ姫"。
大好きな木のてっぺんで、ガラス越しにお尻を向け丸くなってお休み中でしたびっくり

「シャンシャン~せっかく名古屋から貴女に会いに来たんよ。せめて1度だけでも、くるっと振り返ってカワイイお顔見せてよ」の願いも空しく、「後がつかえておりまーす、立ち止まらないで下さーい」との警備員さんの声により、あっさりとパンダ舎観覧終了。
その時間、およそ5分あるかないか?!

それにしても上野動物園のパンダは、シャンシャンのブームもあってか本当に大人気です。
今朝は早めに名古屋を出て東京に向かい、まず上野動物園へ。開門まで30分くらい待ちました。
一応私も友人も手帳所持者なもので優先列に並ばせてもらえて、比較的先に入場できてるはずなのですが。
門が開いた途端に皆パンダ舎へダッシュ(よい子は真似をしてはいけません)するもんだから、マジで怖かったよ~!!パンダに夢中で周りが見えていない大人がまた多いこと←人のことは言えん儂あせる
行列に並んでから1時間待って、ようやくパンダに会うことができました。
それでも自分達はまだマシな方で、私達が帰る頃に行列に並んでいた人達はシャンシャン達とのご対面まで240分以上待ち(4時間以上!?)と言われてましたガーン

途中から雨が降りだし、やがて冷たい風も吹いてきてかなり体が冷えるわ、キャリーバッグと傘を両手に持っての慣れぬ移動で、念願のシャンシャンに会えてからの私、放心。
疲れきって発作も出かかった時には、本気で思いましたよ「儂、もう家に帰りてぇ~えーんと。


否、夜にはずっと楽しみにしていた舞台。2ヶ月ぶりに、当時の推し役者さん(でもこの直後に突然引退・・2023年現在消息不明ですえーん)が、初めて現代劇で演技されている姿が観られます。
それまでどんなに心折れようとも、負けるな私グー!!

ちなみに、シャンシャンのパパ・リーリーは、
雨に濡れるのが嫌なのか、下に潜ってました。そしてママ・シンシンは、というと・・

やはり相変わらず、モリモリと笹を食べまくっておりました。パワフル母ちゃんです。
大変なご対面だったけど、生・パンダファミリーの姿にやっぱりほっこりパンダ


トウのたったアリス、もしくはエイリアンな女海賊こと私の冒険の旅はまだまだto be continued..

現時点での私達は、早めにホテルにチェックインして今はのんびり中です。友人(念の為に言っておきますが、女性ですよ)は隣で寝息を立てております。・・

 
追伸・・2022年に中国の保護センターに旅立って行ったシャンシャン。でも大事にされてて元気に過ごしているようで安心したよラブ

↑のCMがテレビで流れていた頃の私は、まだ三重の田舎に暮らす、色々なバンドが好きな、夢多き若い女の子でした。
・・というとまた「お前が"女の子"なんてぬかせるガラかよpgr」されるかもしれませんが、私だって生まれた時からオバハンだったわけじゃない。
恐らくはこのCMに出ていた子達と、ほぼ同世代だと思います。

「距離に負けるな、好奇心」。
このキャッチコピーが当時、私の心をどれほど叩き何度突き動かしたことか!
だけど我が家は両親ともに厳しく、私22歳で社会人の時点で、門限が8時←実話です。
ちょっとでも遅くなると、勤務先にまで確認の電話をかけてくるので(1990年代半ばは、まだケータイは普及しておりません)、ひたすら大迷惑ガーン

「見たいライブが名古屋であるで、行きたいんよ」と一言でも口にした日にはもう・・両親から「いかに名古屋が危険な場所か」「若い女性の夜の一人歩きがどんなに危ないか」と延々説教アセアセ
特に母は病的な心配性だったので、たかだか「ライブを見に、友達と近鉄乗って名古屋行きたいん」のいう話だったはずが。
なぜか「あんたみたいなアホな子は、名古屋の地下鉄の中でスリや痴漢にあって、あげくのはてには襲われるに決まってる。いくらあんたみたいな、みっとみない子(みっともない・・母から見て"エイリアン、化けもん"って意味なんです)でも、男はヤルことヤレればええんやから。そういうことされて傷もんになったら人生終わりやでな!!まで行き着きます。
しかも、まるで"実際に自分の目でそんな場面を見てきたように"断言しよりますから。

どんだけうちの親に「恐怖に満ちあふれた、治安の悪い街」だと思われとったんや名古屋?一昔前のNYとか今はなき香港の九龍城砦じゃあるまいし。

しかもうちの父、勤め先が定年まで名古屋の会社だったんですが、一体何を見てきたんやろう?
ちなみに私は名古屋市民になってほぼ20年、学生や社員として通っていた時期を含めるともっと長い間名古屋市内を行き来しとりますが、スリにあったこと1度もないですし、痴漢はものすごく若かった頃にお目にかかったことがあるものの、今は名古屋の地下鉄ってめちゃめちゃ安全ですよ。
もちろん、20年も暮らし続けて、これからもずっといたいぐらい、街の住み心地も気に入ってますハート←感想には個人差があります、念の為。

・・今から二十ン年前の我が家で、私一人が。
たかだか「ライブに行きたい」と口に出すだけで父は激怒、母は大泣き・・で毎回必ず「私はボロボロの傷ものにされて人生END決定→よって名古屋行きは絶対許さん!!」という、とんでもない結論に落ち着くのが常でした。


↑の「アリスのエクスプレス」のCMが流れていたのは1988年。もう30年も前なんですね。つくづく年齢を実感せずにはいられない今日この頃ガーン

"距離に負けるな、好奇心"っていうけどな、私ここ(実家)におる限りは好奇心負けっぱなしなんやろうな」。
あの頃はそう思いながら、ただ恨めしそうに名古屋の方角を見つめるしかなかったのです。

親から離れたくて、大学受験で東京へ出たかったけどやっぱり反対され、愛知県内の某福祉系大学(ええあそこです、地元の人ならバレバレです)に推薦が内定していたのに、それも「将来そんな、ばっちい仕事(両親は福祉関係の仕事は「汚い」と言い張っていた)に就かせるために、お前を育てたつもりはない!!」と激怒され、断りを入れるはめになりました。
それを押しきるほどの強さは当時の自分にはなく・・半分言いなりで語学系の学校に入り、就活時には「安定度が違うし、大体一般企業はあんたには勤まらん、絶対無理」とほぼ強制的に公務員試験を受けさせられ、やりたくない仕事を何年かやった人間です、私って奴は。
皮肉にも現在、当時私が取りたかった資格を持っている方々に、私自身がお世話になっているのよね汗
そしてかつて「汚い」と蔑んだ福祉関係の方々に、両親も今では目一杯・・"ばっちい面も含めて"お世話になってます。


だからその後、転職し名古屋の会社に勤め始め、お金を貯めてついに名古屋に移住!!を果たしてからはもう、思いっきり弾けまくりましたな儂星
自分で稼いだお金で市内だけでなく、海外までライブに行ってしまった(香港3回、シンガポール1回。ちなみに親は「海外旅行も危ないから許さん!」人だったので、このこと未だに話してません)のですから。
若さはある意味、無謀とワンセットですあせる
そして名古屋で、北陸出身のケンケンと偶然に巡り合い一緒に暮らし始めてからも、そういう楽しさは続いていました・・しばらくは。

しかし、結婚してある程度歳を重ねてから。
思い通りにならないことがたくさん出てきたんです。代表的な危機が・・
まず旦那ケンケンが、リーマンショックの煽りを受けての所謂"ハケン切り"で一時失業。時を同じくして、私もかねてから患っていた持病が悪化し、継続して働くのが困難になりました。
それでもお腹は空くし、住んでいる家の家賃は払わんといかん。この頃のことはあまり思い出したくもないけど・・本当にしんどかった。
私、しょっちゅう泣いて怒って、物投げまくってた記憶があります←エイリアンですから、ある意味めちゃくちゃ凶暴爆弾

最近になって周りの色々な人の力をお借りしつつ、徐々に生活が落ちつくにつれて、私もケンケンもかつてのミーハー心がうずき始めました。
いや二人とも、そんな気持ちをなくした時期なんかない。ただ、辛すぎてほんの少し忘れてた・・違う、しばし封印してただけ。
今やケンケンはAKBグループにどっぷりハマり(6/16のナゴドでの総選挙、チケット取れなくて現在キャンセル待ち中)、私は8年前にとある方々に出会って、彼らから改めてこの名古屋の地がいかに素晴らしい場所か、教えていただきました。

その中のお一方(役者さんです)が今回、東京での舞台に出演されると決まった!!と知った瞬間。
30年も前に「距離と親に」そして近年は「お金と生活に」負けっぱなしで、眠っていた私の好奇心が激しい勢いで目覚め、大暴走し始めたのです。
「6月やったら今から2ヶ月あるやん、そしたらお金は何とかなる!後は体のことと、移動手段や宿泊先やら♪エトセトラ~エトセトラ~(中略)、あの方に会いに行きたい、いや絶対行くで!!」と東京行き即決、我ながら無謀。
その話をたまたま、以前職場で一緒だった友人に話したらなぜか「私、一緒に行ってあげるよ。東京慣れてるから」・・とこれまた即決定
しかも彼女は宿泊先の予約だけでなく、今回の旅のスケジュールまで組んでくれました。あらまぁ、土地勘ある人が一緒やと心強いわびっくり


今回、10年以上ぶりに遠出をする、というのでこんなん買っちゃいましたよ↓
いや~最近のスーツケースって、めちゃめちゃ軽いんね。しかもカラーバリエーションも豊富やし。
とはいえネットの写真と現物は多少差が出るもんでして・・想像以上に可愛らしいカラーのものが来てしまったので、ちーと恥ずかしいですが照れまぁ、舞台に行く前にホテルにチェックインして、大荷物は置いてくるからエエか。

よし、ほなら、ぼちぼち冒険の旅に出かけよか。頭の中ではずっとラピュタの「君をのせて」が流れとるよ。
明日の早朝、舳先がカモノハシの形をした光る鉄の船(N700系新幹線)に乗って、荒れる海(人が多そうな東京)へ1泊2日の大冒険の旅に出発や~!!"
・・大袈裟だと笑いたきゃ笑え。10年以上、今暮らしてる場所から出とらんで、しかも人の多い場所が怖くてほとんど動けんかった私からしたら、こんなん「大冒険」レベルやわ。気持ち的には海外行くのと一緒!
さて、トウのたった一昔前の"アリス"こと私は、果たして東京に無事に行って、名古屋に無事に帰ってこれるのか?
予定では明日の今頃は、池袋周辺でウロウロしているはず・・です。午前中は上野動物園に行く予定。シャンシャンに会えるかな。

旅の結末は、まだ私の心の地図にすら載っとらんし、誰にもわかりません。だからこそ冒険なんやって。
あ~ドキドキワクワク、今晩寝れるかな。明日は朝5時起きやよ、ちゃんと起きれるかそれがまず心配や~キョロキョロ←オチはそこかい炎
1963年5月21日。
彼はこの日の朝(午前7時台とか言ってたような)、生を受けました。
出生時の体重は4000グラム超えていたというから、後に180センチ超えのノッポさん(笑)になるのは、既に生まれつき大柄の体質故だったんでしょうね、きっと。

富山では「男の子(長男だっけ?)が生まれると、お正月(初節句?この辺記憶曖昧で申し訳ない)に天神さまの掛軸を飾る」という古くからの風習がある・・と、前にケ○ミンショーでやっていた時に、「あんたんとこもやっとった?」と尋ねたら「うちは多分なかったよ。だって俺、生まれは富山じゃないし」・・。
そうなんです。彼の出生地は実は、青森県三沢市。
姑が元々三沢の人で、そこに勤務先の転勤で移り住んできた舅と結ばれ、長男として生まれたのが後に「ケンケン」と嫁(私)に呼ばれることとなる彼でした。

とはいえ彼が三沢にいたのは、1歳になる直前まで。
父親(舅)の転勤で富山市に引っ越して以降、舅は何年か他地方に単身赴任、ケンケン含め他の家族は定住することになり、二十数年北陸で暮らしていました。
ただ、「三沢も富山も雪国やから、そこに長年住んでいると寒さには強い」・・とは限らないらしい、彼の場合はアセアセ
最終学歴・・国立富山高専、ときいて「あんた頭エエんね、バリバリの理系やん」と言ったら、「いや、そこが一番早く受かったからそこに決めただけやって」ってあせる
・・いやいや、うちの在所やったら、よっぽど頭ええ人やないと高専なんぞ受けんし、それでも周りで受かった人も見たことあらへんで、ご謙遜を~ガーン


一方の私は、彼に遅れることン年後の冬、三重県四日市市にて出生。
色々あって予定日より1ヶ月半も早くこの世に出てしまった(それが原因で、就学年が1学年早まりました・・)せいで、生まれた時の体重は彼の約半分、2200グラム。
・・だからといって今「小柄な体型」と言えないのが悲しいところですが。身長は伸びなかったけれど、体重と横幅の数字は未だ増える一方で・・まぁその辺は私を知る人はようわかっとるやろうし。
笑ってくれて大いに結構、ただし後で怖いよ~びっくり


生まれた場所も、育った地も環境もまるっきり違う、シィラ&ケンケン。
80年代、大学受験に失敗してからは、バンド活動に没頭したり、色々な仕事で各地を転々としていたケンケン(ただし高専で学んだ化学の知識は、今のところあまり生かされてないようで残念)。
10代のうちに既に身の丈が180センチを超え、自衛隊からスカウトが来たり(彼曰く「男で体がデカイと、誰でも声かけよるわ」らしい)、20代半ば頃にはその身長を見込まれて結婚式場のブライダルショーやパンフのモデルを体験したことがあるそうですちょっと待て、そりゃ「俺若い頃イケメン」自慢かいドンッ
ええなぁ、でもその写真見たことない、見てみたいのぉおねがい

一方で、小学校から高校まで冴えない性格と見た目で、母から「みっとみないエイリアン」「バケモン」と決めつけられていた私は、結局身長も150センチ以上伸びず。
高校生の頃、ある憧れの職に就くために行きたい大学はあったけれど、「そんな汚い重労働(これについてはそのうち書くかも・・)をさせる為に、お前を育てた覚えはない」と両親に猛反対され、第一志望の大学の推薦を断念。
その後別の学校に入って、卒業したら今度は「安定していて世間体もいい、誰でも仕事がこなせそうな職場に腰掛けで行くのが一番」と親が熱烈に希望して、それを叶えるのに公務員になったもののすぐに辞めて、仕事も次々と変わり・・。
だから、よく言えば「多ジャンルの職を経験して、それなりのスキルあり」、悪く言えば「何かひとつで身を立てられるほど、何事も続かない」。何がやりたいのかいつしかわからなくなって、ただ「親元を一刻も早く離れて、一生一人で何とか生きていく」ことだけを目標に日々を過ごした、ケンケンに出逢う前の20代の私。
モテない、冴えない、体型も「出るべきところが出ず、出たらあかんところばっかりデ○」。そんな自分がずっと嫌でした。
ましてや「自分がいつか結婚できる」なんて思ってもおらんかった。


そのまま育った所に居続ければ決して出会えない、交わるはずのなかった2本の道が、寄り添い始めたのが90年代末期、二人とも名古屋に出てきたから。
21世紀を迎える頃にはもう極めて自然に、二人で一緒に暮らしていて、入籍こそチャンスを逃した感ありありやったけれど・・。
2004年12月12日。戸籍上でも正式に夫婦になり、二人とも本籍地が愛知県名古屋市内に変更されました。今や夫婦揃って"名古屋人"!?
でもそれ以外、何が変わったんやろ私達はてなマーク良くも悪くも、何も変わっとらんのかもしれません、歳取っただけでキョロキョロ

出会ってから既に20年目、入籍からも14年目。
相変わらず「身長差32センチ」の二人、共に「長く険しい夫婦坂」を上り続けてきたけれど、未だに私はわからんことがあります。
"ケンケン・・何で私とずっと一緒におるん?一体私のどこがよくて、どの辺に惚れて結婚したんよ??
私、今でもええとこなしで気色悪いって言われるエイリアンやよ!?"
それをケンケンに面と向かって尋ねると、今でも笑ってはぐらかすか、もしくは「しつこいなーどうでもええやんかドンッ」とキレるかのどちらか。
それでも私がしんどい時に側におってくれるのは、この人しかおらんのです。そして言うんです「俺の帰ってくる場所は、ここしかない」って←わ~殺し文句。
・・ほんまやろか?

そんなケンケンも、今日が55回目の誕生日ですお祝い拍手!!
55年前の今日、この世に元気に(しかも4000グラム超えのビッグベビー)生まれてきてくれんかったら、出会うこともなかったわけで・・改めて感謝ラブラブ
だけどさすがに、一昔なら定年になっとる年齢、体にもガタが来るお年頃。
昨年頃からはリウマチを患い、手がこわばったり膝が痛くなって辛そうで、時折仕事も早退しています。
私、自分の持病が辛すぎるからって、彼が検査結果を告白するまで、そのしんどさに全然気づいてあげれんかった。やっぱ嫁失格ですわ。

それでも明日からもまた手を取り合い、先の見えない「長く険しい夫婦坂」を歩いて上り続けるのでしょう。
私は来月、20年以上ぶりに東京に行きます。パンダの赤ちゃんシャンシャンと、推しの役者さんに会いに。
そして同じ日、ケンケンはナゴヤドームで行われる「AKB48選抜総選挙」に、チケットが当たったら(参加するにしても、事前に抽選で当たらないと買えないらしい)参戦予定。
・・ええ歳してやっぱり変ですか、私達夫婦はてなマーク
「こんな"ミーハーな55歳のオッサン"やけど、ミーハーな私にとってはOnly oneの存在なんやでなーーーラブ・・と、ネットの中で愛を叫んでみる儂ガーン笑いたければ笑えばええよ、ただし後で(以下省略)・・。


追伸・・ブライダルモデルをやったことがある割には、写真大嫌いのケンケン。14年前、婚礼写真の撮影も散々嫌がったのを、私が「親孝行だと主って1枚だけ付き合って!!」と説き伏せて、本当に1枚だけ洋装でのツーショットをブライダル会社で撮ってもらいました
現在は髪も髭も白髪だらけで伸び放題、ほぼ仙人状態です・・AKBの握手会で若い子たちにも会うんやし(でも本人は「この格好のおかげで、逆に覚えてもらえるわ」と言い張ってますDASH!)もちっと小綺麗にしようよ、なぁ?
ビックカメラさんラブ

昨年だったか、ヨドバシカメラさんがようやく名古屋市内に初めてオープンしたものの・・当初、名古屋駅前にできる予定だったのが諸事情により頓挫。
結局、名駅(名古屋市民は名古屋駅を名駅と呼びます。読み方は「めいえき」)からは地下鉄で2駅の栄まで行き、さらに乗り換えて1駅の矢場町にある「松坂屋本店」の中に入ってしまいました。
・・はっきり言って、今住んでる場所からはちょっと遠いのよ。未だに私、ヨドバシさんには一度も行けてませんびっくり

しかし、ビックカメラさんは前々から名駅JR新幹線太閤通口(方角的には線路挟んで西側)に「名古屋駅西店」という大きな店舗がありまして。
その上、ちょうどほぼ1年前に同じく名駅の桜通口(先の太閤通口とはまるっきり反対側、線路挟んで東です)にオープンした「JRゲートタワー」の方にも、新たにもう1店舗入りました。
どちらの店舗も駅前で便利、フロアも広いし品揃えも豊富。どっちへ行ったらええん?←「好きにしろ~」とツッコミ入りそうやなドンッ


私、家電を見るのは結構好きなんですわ。白物も、黒物も。
色々と物色しながら「買ってきてうちへ持ってきたら、どんな風に使おうか」と思いを巡らすのが好きなのかもしれん・・そう、ビックカメラに行っても、その場で商品を購入することは実はあまりありません。
だって家電って重たいやん!!・・それに私、人の多い場所苦手やし、広場恐怖あるからたまに歩き回りながらしんどくなる時も汗

・・ということで、最近は家電もネットショッピングで選ぶ事が多くなりました。重たいもん持たんでええし、お出かけするのに準備もいらん。ラクし過ぎやろか!?

今回、ビックカメラさんと楽天市場さん、私がいつもお世話になっているお店がタッグを組んで新たに「楽天ビック」というショッピングサイトを開設したとのこと。
てことはこのサイトで何か購入すると、いつも楽天市場で貯めている「楽天スーパーポイント」も利用できるし、買った分またポイントが貯まるんやね。お~何てお得なんやろ・・と、早くも楽天ビックの商戦に見事に乗せられている私アセアセ
楽天のお買いものパンダちゃんも喜んでまうやろ~ラブラブ

しかも、これまたいつもお世話になっている「ECナビ」を通しての購入だと、そちらのポイントももらえてよりお得キラキラ


前にも書いたような気がしますが・・
私が今、切実に欲しいと思っている家電は「エアコン」と「洗濯機」なのです。
エアコンは前に住んでいた家で見事に壊れ、あまりの値段の高さに未だに手を出せず。
洗濯機は、今の家に来てからベランダに置いていますが、雨が降って濡れまくるせいか、ここしばらくあまり調子がよくありません。脱水や乾燥が途中で止まったり、動きが不安定なのです。
まぁ、我が家に今ある家電製品はほとんどが買ってから10年以上経っているから、単に"寿命"という可能性大ではありますがガーン


まずはエアコンか、うちは6畳間と4畳半やから、真ん中の襖を取っ払っても10畳ちょい。
ならばこれくらいでどないでしょう?
ほんでもって洗濯機は・・
ちーとお高いけれど、我が家はケンケンの作業服やら何やらをガシガシ洗わなきゃならんので、最低でも7キロぐらいは必要なんです・・。
ああ、マジで欲しいなぁ、だけど宝くじでも当たらんと買えんかも?神様お願い、宝くじかボートレース当てさせて~←結局神頼みキョロキョロ

とりあえずこれは、今すぐにでも買おうかな・・と検討中↓。
Bluetooth対応ではないし、値段はお手頃だけど、音がものすごく冴えてキレがいいのですよこれ。
ただし、コード真ん中のスイッチのところで断線しやすいのが玉にキズ、ですが(実はそれで今までに4個ぐらいダメにしたのよ・・)。


今月の楽天お買い物マラソンも終わりに近づきましたが、ビックカメラ×楽天市場の新しいショッピングサイト「楽天ビック」に、これからも刮目していきたい私でした。
本当にエアコンか洗濯機が買えたら、また書きますね~音符いつになるやら・・
私は小学校高学年~高校生ぐらいまで、周りの女の子達がアイドルに夢中になる中、「西部警察」や「太陽にほえろ!」などの刑事ドラマが大好きだった、一風変わった子でした。

最近になって、テレビでもCSでそれらのドラマがリピート放送されて(しかもHDリマスター版だったりする!)改めて観られるようになったのは、本当にありがたいこと。
特に「Gメン'75」とか「ザ・ハングマン」シリーズとかね。あの頃は夜9時になると有無を言わせず寝るように躾られていたので、リアルタイムで見られなかったのが本気で悲しかった。

逆に「特捜最前線」は、本放送終了後なぜか地上波の名古屋テレビ(現在の「メ~テレ」)で、平日午前11時頃の時間帯で何度も何度もリピート再放送やってたんです。本放送自体が10年近くでものすごい本数があるのを、最初から最後まで(恐らく欠番回は省いて・・だろうけど)一通り放送→また第一話に戻り~を何回やってたやろ?それに、途中で放送時間帯も変わってたような・・。
さすがに石原裕次郎さんの何回忌だかでテレ朝系の各局が「西部警察」の再放送を始めた中、その時間帯でガンとして「特捜最前線」を放送し続けた時は、私もブチ切れてメ~テレに電凸した記憶あり。
結局しばらく後になってから、別の時間帯で「西部警察」放送してくれたはず・・でもメ~テレは再放送をやるべきやったんやん!「西部警察」全国縦断ロケで名古屋と三重に来てるんやから、石原軍団。それも2回も!
(パート2でのお化け煙突とステーキのあさくま爆破はスゴかったよ。そしてナガシマスパーランドでなぜかハトさんこと舘ひろしさんが劇中ライブ。パート3になってからは、四日市にもロケで来てました。しかも私の在所の近くに・・平日やったから見に行けんかったけどね)

確かに、放送時間が夜9時以降の刑事ドラマは、今はどうだか知らないけれど(「相棒」も連ドラになってから観てない)、私達が子供の頃はストーリーも劇伴も大人向け、という感じがして憧れていました。
また「特捜最前線」の話になってしまいますが、エンディングに流れる「私だけの十字架」の暗いことったら・・大人になって歌詞の意味がわかってから驚いた。死別の歌やんガーン

近頃「Gメン'75」のオープニングやエンディング曲を続けて聴く機会があり、その中でこの曲がものすごく印象に残っています。
特に2番の歌詞が。
最近、もう会えなくなってしまった人の後ろ姿に、なぜだか重なるような気がして・・

↑歌詞全文はこちら(直接コピペはできないようなので、上の動画観ていただくか、リンク先の歌詞読んでみて下さいな)。

"Wandering Man そうさいつでも
Wandering Man 自由な空へ
風のゆくえを追いかけながら
背中で別れを告げた
いとしいひとよ忘れない
どこへゆこうと忘れない"
「遥かなる旅路」
ドラマ「Gメン'75」
253話~306話
エンディングテーマ