1963年5月21日。
彼はこの日の朝(午前7時台とか言ってたような)、生を受けました。
出生時の体重は4000グラム超えていたというから、後に180センチ超えのノッポさん(笑)になるのは、既に生まれつき大柄の体質故だったんでしょうね、きっと。

富山では「男の子(長男だっけ?)が生まれると、お正月(初節句?この辺記憶曖昧で申し訳ない)に天神さまの掛軸を飾る」という古くからの風習がある・・と、前にケ○ミンショーでやっていた時に、「あんたんとこもやっとった?」と尋ねたら「うちは多分なかったよ。だって俺、生まれは富山じゃないし」・・。
そうなんです。彼の出生地は実は、青森県三沢市。
姑が元々三沢の人で、そこに勤務先の転勤で移り住んできた舅と結ばれ、長男として生まれたのが後に「ケンケン」と嫁(私)に呼ばれることとなる彼でした。

とはいえ彼が三沢にいたのは、1歳になる直前まで。
父親(舅)の転勤で富山市に引っ越して以降、舅は何年か他地方に単身赴任、ケンケン含め他の家族は定住することになり、二十数年北陸で暮らしていました。
ただ、「三沢も富山も雪国やから、そこに長年住んでいると寒さには強い」・・とは限らないらしい、彼の場合はアセアセ
最終学歴・・国立富山高専、ときいて「あんた頭エエんね、バリバリの理系やん」と言ったら、「いや、そこが一番早く受かったからそこに決めただけやって」ってあせる
・・いやいや、うちの在所やったら、よっぽど頭ええ人やないと高専なんぞ受けんし、それでも周りで受かった人も見たことあらへんで、ご謙遜を~ガーン


一方の私は、彼に遅れることン年後の冬、三重県四日市市にて出生。
色々あって予定日より1ヶ月半も早くこの世に出てしまった(それが原因で、就学年が1学年早まりました・・)せいで、生まれた時の体重は彼の約半分、2200グラム。
・・だからといって今「小柄な体型」と言えないのが悲しいところですが。身長は伸びなかったけれど、体重と横幅の数字は未だ増える一方で・・まぁその辺は私を知る人はようわかっとるやろうし。
笑ってくれて大いに結構、ただし後で怖いよ~びっくり


生まれた場所も、育った地も環境もまるっきり違う、シィラ&ケンケン。
80年代、大学受験に失敗してからは、バンド活動に没頭したり、色々な仕事で各地を転々としていたケンケン(ただし高専で学んだ化学の知識は、今のところあまり生かされてないようで残念)。
10代のうちに既に身の丈が180センチを超え、自衛隊からスカウトが来たり(彼曰く「男で体がデカイと、誰でも声かけよるわ」らしい)、20代半ば頃にはその身長を見込まれて結婚式場のブライダルショーやパンフのモデルを体験したことがあるそうですちょっと待て、そりゃ「俺若い頃イケメン」自慢かいドンッ
ええなぁ、でもその写真見たことない、見てみたいのぉおねがい

一方で、小学校から高校まで冴えない性格と見た目で、母から「みっとみないエイリアン」「バケモン」と決めつけられていた私は、結局身長も150センチ以上伸びず。
高校生の頃、ある憧れの職に就くために行きたい大学はあったけれど、「そんな汚い重労働(これについてはそのうち書くかも・・)をさせる為に、お前を育てた覚えはない」と両親に猛反対され、第一志望の大学の推薦を断念。
その後別の学校に入って、卒業したら今度は「安定していて世間体もいい、誰でも仕事がこなせそうな職場に腰掛けで行くのが一番」と親が熱烈に希望して、それを叶えるのに公務員になったもののすぐに辞めて、仕事も次々と変わり・・。
だから、よく言えば「多ジャンルの職を経験して、それなりのスキルあり」、悪く言えば「何かひとつで身を立てられるほど、何事も続かない」。何がやりたいのかいつしかわからなくなって、ただ「親元を一刻も早く離れて、一生一人で何とか生きていく」ことだけを目標に日々を過ごした、ケンケンに出逢う前の20代の私。
モテない、冴えない、体型も「出るべきところが出ず、出たらあかんところばっかりデ○」。そんな自分がずっと嫌でした。
ましてや「自分がいつか結婚できる」なんて思ってもおらんかった。


そのまま育った所に居続ければ決して出会えない、交わるはずのなかった2本の道が、寄り添い始めたのが90年代末期、二人とも名古屋に出てきたから。
21世紀を迎える頃にはもう極めて自然に、二人で一緒に暮らしていて、入籍こそチャンスを逃した感ありありやったけれど・・。
2004年12月12日。戸籍上でも正式に夫婦になり、二人とも本籍地が愛知県名古屋市内に変更されました。今や夫婦揃って"名古屋人"!?
でもそれ以外、何が変わったんやろ私達はてなマーク良くも悪くも、何も変わっとらんのかもしれません、歳取っただけでキョロキョロ

出会ってから既に20年目、入籍からも14年目。
相変わらず「身長差32センチ」の二人、共に「長く険しい夫婦坂」を上り続けてきたけれど、未だに私はわからんことがあります。
"ケンケン・・何で私とずっと一緒におるん?一体私のどこがよくて、どの辺に惚れて結婚したんよ??
私、今でもええとこなしで気色悪いって言われるエイリアンやよ!?"
それをケンケンに面と向かって尋ねると、今でも笑ってはぐらかすか、もしくは「しつこいなーどうでもええやんかドンッ」とキレるかのどちらか。
それでも私がしんどい時に側におってくれるのは、この人しかおらんのです。そして言うんです「俺の帰ってくる場所は、ここしかない」って←わ~殺し文句。
・・ほんまやろか?

そんなケンケンも、今日が55回目の誕生日ですお祝い拍手!!
55年前の今日、この世に元気に(しかも4000グラム超えのビッグベビー)生まれてきてくれんかったら、出会うこともなかったわけで・・改めて感謝ラブラブ
だけどさすがに、一昔なら定年になっとる年齢、体にもガタが来るお年頃。
昨年頃からはリウマチを患い、手がこわばったり膝が痛くなって辛そうで、時折仕事も早退しています。
私、自分の持病が辛すぎるからって、彼が検査結果を告白するまで、そのしんどさに全然気づいてあげれんかった。やっぱ嫁失格ですわ。

それでも明日からもまた手を取り合い、先の見えない「長く険しい夫婦坂」を歩いて上り続けるのでしょう。
私は来月、20年以上ぶりに東京に行きます。パンダの赤ちゃんシャンシャンと、推しの役者さんに会いに。
そして同じ日、ケンケンはナゴヤドームで行われる「AKB48選抜総選挙」に、チケットが当たったら(参加するにしても、事前に抽選で当たらないと買えないらしい)参戦予定。
・・ええ歳してやっぱり変ですか、私達夫婦はてなマーク
「こんな"ミーハーな55歳のオッサン"やけど、ミーハーな私にとってはOnly oneの存在なんやでなーーーラブ・・と、ネットの中で愛を叫んでみる儂ガーン笑いたければ笑えばええよ、ただし後で(以下省略)・・。


追伸・・ブライダルモデルをやったことがある割には、写真大嫌いのケンケン。14年前、婚礼写真の撮影も散々嫌がったのを、私が「親孝行だと主って1枚だけ付き合って!!」と説き伏せて、本当に1枚だけ洋装でのツーショットをブライダル会社で撮ってもらいました
現在は髪も髭も白髪だらけで伸び放題、ほぼ仙人状態です・・AKBの握手会で若い子たちにも会うんやし(でも本人は「この格好のおかげで、逆に覚えてもらえるわ」と言い張ってますDASH!)もちっと小綺麗にしようよ、なぁ?