まちあるき新聞 -109ページ目

2008年 エリザベス女王杯 回想

ポルトフィーノやるではないか。

空馬一着といったら、僕の大好きなギャロップダイナ号がやってのけた離れ技。

四コーナー回って、思いっきり斜行して、差していく姿は凛々しすぎた。ちょっと危なかったけど。

目が離せない馬になりそうです。


僕の予想は散々でしたね。

武士沢Jには頑張って欲しい。

ベンチャーナインもアルコセニョーラも重賞を勝てる馬だと思ってます。

蛯名もあかんかった。

それにしてもルメールがまだ29歳とは恐れ入った。 

ボケるとはどうゆうことなのかな?3/3

おばあちゃんの守りたかったものは何だったのか?

ここからは、完全に僕の推理の話になりますので、信憑性はこれっぽっちもありません。

おばあちゃんの名誉のために最初に記します。



僕のおばあちゃんはこんなことが好きでした。


美術館に行く。

時代劇が好き。

歌謡曲(郷ひろみ、マツケンサンバは10年以上前から知っていた)。

舞台を見に行く。

編み物が好き。

羊羹が好き。


文化を愛する人なのです、僕が知る限り。

しかし、足が悪くなり、目が悪くなってきて、好きだったことが一つずつ一つずつ満喫できなくなってしまいました。

筋力の低下も進み、日常生活も自分ひとりでは行えなくなってしまいました。

日常生活は家族も支えられるけど、編み物を代わりにしてあげることはできません。


それはショックです。

面白くありません。

悲しくもなると思う。


自分自身に本気でがっかりするかもしれない。

それは、競争とかで自分以外の何かに負けるより、辛い。


こういった辛さみたいなのが、生きる力を削がないように、本能が選んだ手段。

それが「ボケる」ということではないだろうか。


もしそうなら、本能はとても効果的な方法をとったことになる。

仮にその選択が「ボケる」ではなく、「走る」だったらどうだろう。

おばあちゃんはそこらじゅうを走り回り、誰かにぶつかり、

怪我もするし、誰かに怪我もさせそうだ。


だけど、「ボケる」は違う。

ボケには笑いが伴う。

少なくとも、僕は笑ってしまう。

そして、おばあちゃんにつっこんでしまう。

おばあちゃんも本気でしらじらしく(←変な日本語だが、ほんとうにそうなのだ)

「あら、そうかしら」

とか言ったりしている。

ボケるということで、

周りに笑いがおき、おばあちゃんも笑っているから、

それでいいのかなと僕は思う。



年をとることで生じる辛さに折り合いをつけて生きていく。

その手段に人は、ボケるという手段を選ぶことがある。

これが、今日の段階で、僕が出した答えだ。


おばあちゃんは本当は知っているのだ。

話の内容もそれに対する受け答えも。

自分でわざと物差しを換えていることも。

物差しを取り替えると、自分もみんなも笑うことができて、幸せになれるということも。


僕はそう信じる。




だから今週末も、今までどおり話し、ボケにつっこみにいくために、

お見舞いに行こうと思う。


















ボケるとはどうゆうことなのかな? 2/3

「ボケるということは、普通の会話にはない「的外れなこと」や「勘違いなこと」を言うこと」

とりあえず定義してみましょう。


祖母と芸人さんのボケは違うボケだけど、原理的には似ています。

だから、僕は芸人さんのボケと重ねてしまったのです。


この定義の本質は何なのか?



何でしょう?



僕が出した答えは、「自分の物差しが、他人には交換されたように見える」ということです。

急に話が変わったり、脈絡の無い単語が飛び出たり、似ているようで違うことがでてきたりすることは、

本人の中では関連があっても、そのほかの人には関連性を見つけることができません。

だから、「?」がでてしまうのです。それが今までの話の流れとのギャップを生むのです。

10進法の世界で、2進法の話をしたりするのと似ているのかも。同じ数字なのに、意味を成さない。

(ほとんどの人は、2進法(0と1の数列)を見ても意味が理解できない。)


なんで、祖母は物差しを変えてしまうのだろうか。


こんな話があります。


人はあまりに精神的ダメージが多いと、

肉体的ダメージを与えることがある。


恋人にふられて、ヤケ酒。

仕事がうまくいかず、ヤケ酒。

(酒ばっかやん…)

コンクリの壁を殴る。

などなど。


このような例は、肉体的苦痛に逃れる一種の「逃避」という行為らしいです。

(高校のとき、保健体育で習いませんでしたっけ。ストレスの軽減法みたいな話。

 フロイトが考えたやつ。「逃避」の他に、「(幼児)退行」とかあった気がする。)


ボケは、このフロイトの考えたストレス軽減現象に似ているなと僕は思いました。


逃避にしろなんにしろ、このフロイトの考えは、人が本能的に何か大切なものを守るためにとる行動です。

もし僕の推測が当たっているのなら、

何らかの大事なものを守るために、おばあちゃんはボケてしまった(物差しを取り替えた)ことになります。



おばあちゃんの守る大切なものって、一体何なんだろう?


……to be continued.