最近、情報発信をしている方で気になる方が「とにかく自分を出してけ!」みたいなことを言っていて、気になっていました。
そんな時、ネットビジネスの先輩方に「正直にもっと自分を出したら?」と言われました。
そうか、と思い、私の思いを少しずつ書き綴ってみようと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです。
私は小さなころから引っ込み思案で、人の輪の中に入っていくのが苦手でした。
小学校に入ると2,3年生くらいからいじめられはじめました。
最初は「やーいやーい」ぐらいのものだったかもしれません。
辛すぎていろんな記憶を消したので正直よく覚えていません。
でも記憶しているのは
ものを隠されたり、
ものを川に流されたり、
「ばいきんき~ん」と罵られたり、
トイレに閉じ込められて、水をかけられたり、
「遊ぼう」と言われて喜んで行ってみると、私を一番下にして、友達がどんどん重なって乗っかってきたりされました。
悔しかったし、苦しかったのに、私は笑ってかわそうとしました。
そしたら「こいつは何言ってもやっても平気なんだ」ととらえられ、どんどんいじめがエスカレートしていきました。
なぜいじめられているかわからなかった私はただひたすら自分が「醜い」んだと思ってました。
ほかの人とは違う特別に「変わった」存在なんだと思いました。
私が通った軽井沢の小学校はスケートが有名で、スケートクラブというスポーツ有能な子供が集まるクラブがあったのですが、
そのスケートクラブのいじめっ子の影響で、低学年や高学年の知らない人からも馬鹿にされ、いじめられました。
自分の存在価値もわからず、嫌だけどひたすら学校に通ってました。
両親に信仰があったので「人に嫌な事されたら自分はしてはいけないよ」とか
「何があっても神様が見ててくださるよ」という言葉は聞いていました。
だから仕返しはしませんでした。
黙って耐えてました。
そして私は神様をも「なぜいつも見ていてくださるのに助けてくださらないのだろう」と
恨むような子になってました。
救いだったのは軽井沢の自然と、弟、妹たちでした。
家に帰れば私は大切なお姉ちゃんで、居場所があったのです。
軽井沢は小さな町なので小学校の友達はみんな同じ中学に進学します。
なのでいじめは続きました。
そんな私に自己表現を許してくれたのが、英語でした。
中学でなぜか英語係になった私はよく英検(英語研究室)に通いました。
英語の課題の中で、
教科書の対話を丸暗記して、ネイティブの先生と再現する
という課題がありました。
レッスンが終わるごとに付属のテープで会話を聞いて、
リズム、テンポ、発音をなるべくテープ通りに覚えて、
それをネイティブの先生と再現するのです。
一生懸命覚えてネイティブの先生を訪ねていくと、
先生は私を認めてくれ、向き合ってくれました。
どこに行っても無視されるか、
聞こえるように悪口を言われるという状態だった私を、
受け入れてくれる英語の先生が私にはとても嬉しかったし、希望でした。
ほどなく私はネイティブの先生ともっとお話ししたくなり、もっと英語を勉強しました。
そうするうちに「Beatles」のCDを貸してもらったり、
「私に答えられない質問をしたらお菓子をあげる」と言われ、
アメリカのお菓子をもらったりしました。
ほんの些細な事なのですが、先生との接点が私の楽しみになりました。
どんどん英語が好きになっていくのですが、
自分に自信がないのはそのままです。
自分に何ができるのかも全くイメージつかず、
やりたいことも見つかりませんでした。
とりあえず高校は英語科に進学します。
高校生活の中でも「英語が好き」というだけで、
自分に自信が持てなかったので
具体的に自分に何ができるかまったくイメージがつかず、
結局大学にも落ち、看護の世界に足を踏み入れることになります。
人の役に立つとか、面倒見るとか、全く興味なかった私が
看護の道に進んだのはかなりの奇跡です。
考えてみれば、弟妹の面倒はよく見ていたので、
面倒見るのは嫌いじゃなかったかもしれませんが。
看護の世界を知ることと、英語、そして韓国に来た事。
これが私の人生にかなりのインパクトを与える事件でした。
今日は長くなったのであらすじ的な内容で終えます。
明日は英語の何がいいのか、どこに惹かれたのか、なぜ英語に救われてきたかを書いてみようと思います。







