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ほんとなかよし

本紹介ブログ(と格好つけてる読書感想ブログw)
ノンジャンル手当たり次第読んだ本を紹介♪

ネタバレ自重・的外れで独断偏見に満ちているけど
読んだ誰かが読書をちょっとだけ好きになるブログ

だったらいいな・・・

この作品こそ、いまの大人と、そして子どもが読むにふさわしい極上の物語。何歳になっても読める=読みたくなる、大人同士、子ども同士、大人と子どものすばらしく深い友情とユーモアが、忘れかけていた温かい人間の心を呼びさます。今回の新訳は初めて大人の目線をはっきりと導入し、軽やかで明晰な話として蘇らせた。訳者・丘沢静也は、長年ケストナーに惚れぬいてきたが、ここにその果実が結晶。


内容 「BOOK」データベースより


児童向け書物として出版された「飛ぶ教室」、むしろ大人が読むべき愛の教養書ではなかろうか・・・全体的にハッピーな展開を迎えるものの、社会や人の根底部分の問題が見え隠れしたり不確定な未来を残したまま迎える終幕は人生その物を描いているように感じる。そして「飛ぶ教室」が秀逸なのは登場人物の誰もが奇跡を期待しているのではなく奇跡を実現している点である。自らの手で奇跡を起し人生を切り開く様は見ていて痛快だ。また大人と子供の間に生まれる友情や愛の形が素晴らしい。いや大人と子供との区別などはなく人と人との繋がりの在り方が凝縮された一冊ではないだろうか?「どうして大人は自分の若いときのことをすっかり忘れてしまうのだろうか。子どもだって悲しくて不幸になることがあるのに、大人になると、さっぱり忘れてしまっている。(略)子どもの涙が大人の涙より小さいなんてことは絶対にない。」冒頭の一文を引用するのは卑怯だろうが、この作品の根幹部分でもあり終始一貫して大切に扱われているテーマでもある。僕達大人はつい子供により良い未来の為などと口にする、大人と子供を区別して物事を考えようとする。それは傲慢なのかもしれない・・・大人が感じる悲しみと同様に子どもたちも悲しみを感じている、大人が悲しみを感じる事もなく子どもの悲しみだけを無くすよう願う事はとてもおかしな話だ、悲しみを共有してやれる大人が果たして現代にいるのだろうか?自分達が悲しみを感じない、悲しみを乗り越えた存在だから子どもを守れる等と思いあがってはいないだろうか?人生は果てまで悲しい、悲しいからこそ楽しい事を願える。大人になったと思い込んでいる大人こそ読むべき作品ではないかと感じる。こと最近の日本は、未来の子どもたちの為になどと綺麗事を言いすぎる傾向があると思う、僕はこう社会等に意見する事は大嫌いなのだけども、この意識感情だけは理解に苦しむ。はっきりと言うベキである、大人になった自分自身の未来に対してもよりよい未来を望む!その延長線上や出発点に子どもの未来が繋がっていれば最高なのだと!

刑務所から出所したばかりの大男へら鹿マロイは、八年前に別れた恋人ヴェルマを探して黒人街にやってきた。しかし女は見つからず激情に駆られたマロイは酒場で殺人を犯してしまう。現場に偶然居合わせた私立探偵フィリップ・マーロウは、行方をくらました大男を追って、ロサンジェルスの街を彷徨うが…。マロイの一途な愛は成就するのか?村上春樹の新訳で贈る、チャンドラーの傑作長篇。


内容 「BOOK」データベースより


村上春樹さんの訳す作品はどれも最高だ、それもそのはず、村上春樹さん自身が絶賛してやまない作家や作品を手掛けているからだ。村上春樹さんの作風はタフでエロティックな独特な世界感を持っていて常人ではなかなか理解できない(当然私もw)しかし村上ワールドの作品感想を書く時に必ず書く事なのだが、村上作品を理解するには(理解とは偉そうだけど)他の作品、特に村上春樹さんが読んだ作品を読み解く事が良いと思う。別の作品を読んだ後で村上作品を読み返すとなんとなくリンクしたり解釈できたりする事がある、それは人によって違うし今後出会う作品によって変化するものなんだろうけども、僕はそう感じている。そしてその筆頭が村上訳作品ではないだろうかと思う。僕は最初、自分が訳した作家だから村上春樹さんが自画自賛しているのでは?と思った程に絶賛しているので「そんな商戦にのるものか!」と断固拒絶していたのですが・・・サリンジャーの「キャッチャーインザライ」を読んで衝撃を覚えた記憶があります。これは村上さんの力や訳の凄さもさながら作品自体の凄みを感じる事が出来たからである、だからこそ別訳「ライ麦畑でつかまえて」も購入して読み比べを行なった程であるwもうそうなったら村上訳作品の虜?だったフィッツジェラルドの「グレートギャツビー」を経て、チャンドラー「ロンググッドバイ」と読み、今回の「さよなら、愛しい人」となった。素晴らしい作品と評価されていて、読んで本当に素晴らしい作品は少ない・・・それがこれらだ!チャンドラーの2作品は、探偵フィリップ・マーロウものでシリーズ作品の別話である、是非とも村上訳が出続けて読み進めたいと思う作品である。 作品を比べることは無意味だし嫌いな事なんだけどもあえて比べるとすれば、チャンドラー作品は他の村上訳作品に比べると読み手を選ばない作品ではないかな?と思う。先の「ロンググッドバイ」は訳600ページにも及ぶ作品だったが一瞬で読み終わった程に魅了された。ハードボイルドな世界をタフに生きる!これは海辺のカフカなどをイメージしていただければ理解できそうな概念!これがぎゅっと詰まった探偵作品。訳者あとがきにあるように名作の中にも印象に残る名作とそうでない名作があるそうです、氏が言うように確実に残る作品でしたね。いちいちウザったらしくも格好言い台詞が出てくるマーロウ語録に夢中にさせられる一冊です。村上訳作品を最初に読むとするならば・・・「キャッチャー」と悩む所かもしれませんw


―山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい―。俗世から離れようと旅をする画家は、山中の温泉宿で那美という美しい女に出会う。シリーズ百万部超のベストセラー『神様のカルテ』に大きな影響を与えた名作中の名作を、新版としてフルリニューアル。分かりやすい新注釈付き、文字が大きくて読みやすい新しい『草枕』の誕生。


「BOOK」データベースより


宮﨑あおい→神様のカルテ→草枕と連想ゲームの様に購入したのですが・・・ふむ便乗商法に載せられてしまった感が否めないですね、新書って事で文字が大きくなっただとか、注釈が入る事で理解し易くなっているだとかの理由はあれど、他社出版社420円のところを500円もぼったく・・・なんて下世話な話は辞めましょうね♪ 純粋に作品について話していきましょう。ったく人気イラストレーターに金を払った分上乗せっt・・・・てまだ言うか!!


さて、夏目漱石氏の作品はですね~「こころ」を読もうとして2度ばかし挫折して本棚に飾ってある程に馴染が無い(いや、私の読書力が足りない)んですが、まぁこれも縁って事で読書しました。

あとがきの、夏川氏(神様のカルテ著者)の「読書は縁」って言葉は共感できて、これだけでも金額upの意味はあったのかなぁなんて(ってまだ言う?普通・・・)思ったり思わなかったり。しかし「草枕」で勉強になったのは夏目漱石氏の作品の読み方です!日本文学の最高峰と呼ばれ高い漱石氏の作品は、漢検1級の試験でも受けているかのような難解な漢字・用語が連打されます!それに加えて時の海外文学や芸術にも精通されており引用や隠喩が連発!果ては俳句や漢詩と言う古典的芸術まで披露される始末!とてもじゃないが、手を出せるレベルの代物では無い。

「近所の山で毎週登山してますよ~って人をエベレストに登らせる!」それ程に熾烈極める作品!とてもじゃないですが、作品の内容をまとめたり感想を書いたりする事が出来るレベルでは無いのが、今作を読んでも感じた夏目漱石作品の印象です、ではどうやって読むのか?

無音の部屋に籠もって読書にのみ神経を尖らせて読む!もうこれに尽きます、否こうでもしなければ1行たりとも理解出来ない・・・読書をするためにのみ専念せねば出来ぬ作品、それが漱石作品。邪念なんて振り払って読むべき作品です♪・・・ったくなんで500円・・・邪念が生まれたw

夫の名は武辜歩、妻の名は妻利愛子。お互いを「ムコさん」「ツマ」と呼び合う都会の若夫婦が、田舎にやってきたところから物語は始まる。背中に大きな鳥のタトゥーがある売れない小説家のムコは、周囲の生き物(犬、蜘蛛、鳥、花、木など)の声が聞こえてしまう過剰なエネルギーに溢れた明るいツマをやさしく見守っていた。夏から始まった二人の話は、ゆっくりと進んでいくが、ある冬の日、ムコはツマを残して東京へと向かう。それは、背中の大きな鳥に纏わるある出来事に導かれてのものだった―。

内容 「BOOK」データベースより

本屋で目に入ったのは 「いつかツマ役を演じてみたい」宮﨑あおい の帯だった・・・神様のカルテに便乗・・・もとい影響を与えたって事で売り出されていた夏目漱石「草枕」も同時購入した事もあり、ここ最近完全に宮﨑あおい中心に読書が進んでいるなといった個人的な事はさておいて・・・作品の感想は、不思議でいて魅力的そして愛に満ちた作品♪データベースにもある様に作品には四季を通じて物語が進行します。春夏秋冬は自然の生命循環とリンクして起承転結に使われる事が多い。
「きいろいゾウ」は、夏から物語が始まります、僕は夏から始まる物語が大好きです!余程のことが無い限り結末は春になるのだから・・・作品の結末を書く事はやぶさかではないので控えますが、きいろいゾウも四季を一周する物語であったとだけ言っておきましょう。
さて、作風ですが僕の偏見でしかないのですがメタファー色の強い作品だと思います。現実生活の中に突然に出現する空想世界(ツマにとっては空想では無いのだろうけども)は浮世離れと表現して差障りが無いと思います、村上春樹さんの作品をもうすこし現実路線にして読みやすくした印象でしょうか?
メタファーだとか何かを自分でつかまなければならない作品は賛否両論が分かれる事が多いと思います。しかし「きいろいゾウ」に関しては、ちょぴっと個性的で過去に謎をもった登場人物がおりなす愛の物語!この解釈で楽しめばよいんじゃないかなぁ・・・心がほっこりする春を迎える作品。

最後に、ツマ=宮﨑あおい!う~ん、宮﨑あおいさんだったら何でも認めるし実際演じきっちゃうだろうなぁ~しかしかわいいツマってイメージにピッタリだけど、神秘的なツマってイメージにするなら菊池凛子さんかなぁ~とも思う。ノルウェイの森の直子の印象が強いのかな・・・ところでムコさん役は誰がいいのだろう?なかなかイメージできないなぁ~
大好きな人に手紙を書きたくなったとき。上司に意見をしなければならないとき。人を叱らなければならないとき。大切な人を失ってしまったとき。嫌でもケンカをしなければならないとき。とてつもない悲しみに包まれたとき。こんなとき、大人ならどう考え、どう振る舞うのだろう。

(「BOOK」 データベースより)

情熱大陸で紹介されて知ったのですが、第一印象は最悪でなんだか偉そうなオッサンだなぁ~だった。しかし僅か数分の紹介番組で伝わってきた伊集院静という男の人間臭さに惹かれて手に取った・・・購入時点での印象は、面白そうなおっさんだな・・・そして読んでみてその印象は変わらなかったように思う。「車屋が飯を評価するな」が口癖wな様子で、評論や批評に対して辛口の文章が書かれている彼の作品レビューなどを読むと、彼の作品を評価する事自体に気がひけている文面が多い。
作家が物をいう場合に多く使われる手法で、物事を評価する事自体が無意味だって論調をぶつけておけば一先ず自分への評価だけは堅持できると言うわけだ、それでいて他人やその他多くの物事を自分目線で評価してくるのだから、作家とは食えぬ職業だなと感じるのは僕だけではないだろう。
さて、彼の作品から受けたあくまで私の印象だけども、大人の流儀と言うよりも大人の理想像といったものでしょうか?当然売れる本には様々な理由が存在すると思うのですが、伊集院静の作品の最大の魅力は「あぁ~こんな大人の生き方・考え方が出来れば良いなぁ~」と感じれる点ではなかろうか・・・社会人の読む、処世術本にはスグに役立つ(本来そんな便利なものは無いと思うのだが)系の本と、理想(実現できれば最高だよ)系の本があって、「大人の流儀」は完全に後者に属すると思います。
こんな生き方が出来ればなと思いながらも、そんな生き方を選択できない人が社会には大勢いる。単純で明確な思考なんだけど、実現には難しい事・・・そういった思いの積み重ねが伊集院静のファンを形成していくのではないか?と感じた。 大人の魅力を感じる一冊。新しい価値観を求めるのでなく、少し古風でも日本人としての大人を知るに良い一冊です。