母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
内容「BOOK」データベースより
1957年史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞した若き天才作家カミュ、処女作にして受賞の大きな要因とされた作品が「異邦人」である。およそ一般社会人からは感情や感性が欠落した主人公ムルソーを描いた作品は社会や人間性の不合理を表現している。
「~しなければならない」、社会に一歩を踏み出せばそれの連続である。我々は社会生活を人間的におくるため様々な制約を受けている、法律や規律といった取決めはもちろん、常識や良識といった概念によって縛られ生きている。故に一定以上の協調性を持たない個性に対しては嫌悪感や不快感を感じるものである。時に、そういった個性を排除しようとさえする。「異邦人」では、我々の社会の一般通念では排除対象にならざるをえない一人の男が登場する。
養老院から届いた母の死の知らせ、葬儀では涙はおろか特別な感情を示すことはなかった、その翌日には女性と関係を結んでいる。やがて男は友人のトラブルからアラブ人を射殺してしまうのだが・・・動機は太陽が眩しかったからと言う・・・その非人間性から死刑判決を受ける、死刑を前に大衆から罵声を浴びせられる事のみを希望とするようになる。 なんとも悲しい男が描かれている、彼は一貫して事実を述べているに過ぎない。母親に関しては自分の稼ぎや介護の限界から施設に預けていた、母の死は悲しいことだけどもそれ以上に仕事を休まなければ行けない事や養老院までの移動の大変さが肉体を疲れ果てさせたのだった、翌日に女を抱いたのも自然と沸き立つ人間の欲望に忠実に生きたに過ぎない。熱くてイライラし喧嘩の末に人を殺した。彼はけっして無感動・無慈悲な男ではない、ただ刹那を生きる男なのである。その時の感情や感動が全てで過去や未来と連結した物事の考え方が出来ないだけなのである。本小説の冒頭で有名な台詞「今日ママンが死んだ」この一言が彼の全てなのである。
だけど、社会はムルソーを許さない、社会はムルソーのような男を受け入れない。共同体の中で協調性をもたない者は排除しなければ全体が危険になってしまうからだ。社会性の喪失といった極端な個性を描く事で社会が個人に強いている戒めのようなものを感じ取る事ができる作品である。恐ろしい。
個人的な印象ですが、フランツ・カフカ「変身」のような衝撃を覚える作品。社会に顕在し絶対的な力を持つ人間として在らねばならぬ普遍性や協調性といったものを一度足を止めて見つめなおしてみる事でその特異な一面が見えてくる。 我々が何かに感情を動かし想う事は、それを求められ理解しているからこそなせる業なのではないのか?と自問自答したくなる物語です。ムルソーが異常なのか、それとも我々が異常なのか?うぅむ・・・深い!唸る一冊。




