忘れたい過去がなんだったのか忘れた。
きっと何かがしたくて、
この世に生まれてきた。
きっと何かを抱えて、
この世に生まれてきた。
それが何だったのかは、
まだ思い出せない。
それを見つけるために
もがいて苦しんで、
それでも前に進んだ。
いや、進まざるを得なかった。
「立ち止まる」という選択肢は、
初めから無かった。
時の流れは早かった……
そんな流れの中で出会った人々。
親、親戚、友達、他人etc…
出会いが自分を作った。
その中でも小中学校の頃の友達は、
大切だと思ってた。
自分はそう思ってた……
人との繋がりなんて、
所詮は形が無いと意味がない。
「離れていても繋がってる」
そんなの結局は綺麗事。
日々刻々と変化する世界で
繋がるためには
何かしらの形にしなきゃいけない。
そんなもののどこが友達なんだよ……
結局、この世は形だけの世界。
本当の意味で繋がり合える時代は、
いつになればくるのだろうか。
肉体が無いと生きられないうちは、
無理なのかもしれないな。
人は生まれたときから、
形に縛られている。
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ありがとう。
あー、なんでだろう……
ネットの世界に持ち込みたくなかった
過去を持ち込んでしまった
誰にも言いたくなかった過去
閉じ込めておきたかった過去
でも辛い経験は
誰かに伝えるために
あるのかもしれない
似たような悩みを抱えてる人に
自分と同じ痛みを
味わってほしくないから
自分はもうあの頃に戻れないから
どうしようも無いけど、
あなたはまだ間に合う
だからたとえ思い出すことで
痛みが生じようとも
誰かを救えるなら
そんな痛みぐらい、耐えられる
自分の過去で誰かが救える
誰かの未来を変えられる
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次に向かうために。
3月11日
日本を襲った、あの震災から早5ヶ月。
今もなお人々の心には、計りきれないほどの悲しみが溢れていると思う。
復興にはどれほどの時間がかかるか分からない。
だけど一歩一歩、少しずつではあるけれど着実に進んでいる。
そんな中、今だに東北三県(岩手、福島、宮城)は被災地と呼ばれている。
日本中が前を向いて頑張ろうとしているのに、まだその名で呼ぶのか……?
確かにあの日の傷跡は深く日本に刻まれているが、被災地と呼ぶのはもう止めにするべきだと思う。
今回の震災を忘れない、語り継いでいくことは大切だと思う。
ただ、その被災地という言葉が、一種の差別のように思えてならない。
「被災地の物だから」っていう風評被害だったり、移住先でのいじめ、その他にも様々な問題が起きていると耳にしたこともある。
だけどひとつ勘違いしてほしくないのが、被災地と呼ぶのを止めることは、決して忘れることでは無いということを理解してもらいたい。
僕はこの8月、いろいろ考えさせられてこう思った。
しかし、うまくまとめられず、よく分からないと思う方もいるかもしれませんね……。
皆さんは何を考えて生きていますか?
もしよかったら、気軽にコメント欄に書いていただけたら嬉しいです!
その名前を今、脱ぎ捨てよう。
痛みを乗り越えて、次に向かうために……。
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