【第39回】「御義口伝」要文編④  方便品第2〈下〉先﨑和美女子学生部長

 

緑の丘にそびえる“英知の殿堂”創価大学。

10年前の2013年6月、池田先生は、完成間近の総合教育棟と、本部棟の威容にカメラを向けた。向学と生命錬磨の青春を駆ける男女学生部の友は今、平和の世紀を開く英知の連帯、福智のスクラムの拡大へ挑んでいる

 

あなた自身が妙法の当体

1962年(昭和37年)8月31日、東西冷戦が激しさを増し、大国の多くが核武装を加速させる時代状況の中で、池田先生は男女学生部の代表に対して「御義口伝」の講義を開始してくださいました。

先生は当時の心境を「仏法の生命の哲学を、人権の思想を、平和の理念を、今こそ、世界に伝えなければならない」とつづられています(小説『新・人間革命』第6巻「若鷲」の章)。

今、混迷を深めるウクライナ情勢など、時代の転換点にあって、再び先生の“「御義口伝」講義”を受講できることに、女子学生部の一人として、深い使命と喜びを感じています。

今回研さんする講義の冒頭で、池田先生は、「若い時代にとくに大切なものは、自分の心を信ずるということである」との戸田先生の言葉を通して、「自らの仏性を信ずる。妙法と一体のわが生命を信ずる――。

この御本尊を根本とする信心さえあれば、今が、どんな困難にあっても、必ず打ち勝っていける」とつづってくださいました。

今回研さんする範囲では、仏がこの世に出現した根本目的である「一大事因縁」について触れられています。

大聖人は、一大事因縁とは、妙法蓮華経のことであると述べられ、「我らが一身は妙法五字なりと『開仏知見(仏知見を開く)』する時、即身成仏するなり」(新997・全716)と仰せです。

一人一人の存在そのものが、かけがえのない妙法の当体――先生が女子学生部に対して、何度も教えてくださっていることです。

さまざまなことで心が揺れ動く学生世代への、万感のエールのように感じ、感動とともに拝読しました。

先生はさらに、方便品で法華経の会座から立ち去った“五千の上慢の退座”を通して、教えてくださっています。

「偉大な妙法、そして自身の中に眠る尊貴な仏界を信じ抜けるか、どうか――。

この意味において、信心とは自他共の仏界を信じ切れない無明との戦いです。

月々日々に、自身の生命を磨き続ける心によって、わが胸中の仏知見、仏界が輝いていくのです」

私自身も、かつては他人と自分を比べて落ち込むこともありましたが、同志と共に祈り、広布に駆ける中で、一歩ずつ人間革命してくることができました。

いつしか「自分を信じ切れない無明」に負けなくなっていきました。

昨年、学生時代からの知人と語り合う中で、その方が、“今の社会状況の中で、宗教を持っていくことは大変なことだと思う。

どうして、そこまで一生懸命になれるのか”と、気にかけてくれました。

私が、温かな地域の学会員の存在や、信心を実践できることに誇りを持っている心情を率直に語ると、その方は大変に感動されていました。

現在も交流を重ね、対話を続けることで、深い信頼を寄せてくださっています。

私たち一人一人が、飾らず、ありのままに信仰の喜びを語っていけば、必ずその喜びは伝わり、歓喜の輪は広がっていくと感じます。

先生は、講義されています。

「師弟の触発によって、偉大な教えが継承されるのみならず、師も弟子も共に等しい境涯に立ちゆくという、法華経の荘厳なるドラマです。

救われる側から救う側へ、導かれる側から導く側へのダイナミックな人間革命が、法華経の真髄と言っても過言ではないでしょう」

先生は、昨年7月、本年1月、4月と、3回にわたって、平和への提言を発表されました。

学生部こそ、先生の提言を誰よりも学び抜いていきたい。

そして、先生と同じ責任感に立ち、師の構想を実現する主体者として立ち上がっていきたいと思います。

まもなく迎える6月30日は、学生部歌「広布に走れ」が発表されて45周年の節目です。

「学生部・未来部大会」の意義を込めて行われる7月の本部幹部会を目指し、朗らかに友情を拡大してまいります。

 

【方便品の概要(続き)】

冒頭、甚深無量の仏の智慧をたたえ、「諸法の実相」を述べた釈尊。

続いて、舎利弗たちが真剣に法を求めたのと対照的に、五千人の増上慢が教えを聞かずに退出した。

その後、釈尊は「ただ一つの特別に大事な目的があって、諸仏は世に出現する」と述べる。

すなわち、あらゆる衆生の生命には仏知見(仏の智慧、仏界)が具わり、その仏知見を、開き、示し、悟らせ、入らせることによって万人を成仏させることである。

そして、自身と等しい境地に衆生を導くこと(如我等無異)が、釈尊の誓願であり、今、その願いが成就したと語る。

 

「世界を照らす太陽の仏法」

「大白蓮華」2023年2月号から

法華経に説かれる一大事因縁とは、妙法蓮華経の五字に他ならないと示されています。

私たちから遠くかけ離れた次元でなく、どこまでも「我らが一身」のことであり、それは「妙法五字」であると明かされたのです。

私自身が、あなた自身が、そして、衆生一人一人が、等しく妙法の当体である、との大宣言です。

ここに、末法の一切衆生の成仏への方途を具体的に明かされた日蓮仏法の真髄があります。

 

大聖人は、私たちの実践に即して、「開仏知見」の「『開』とは、信心の異名なり」と、我ら自身が妙法五字であることを確信できるか否か、この一点に即身成仏の肝要があるとされています。

「開仏知見」は、法華経が万人成仏の経典であることを象徴しています。

衆生自らが内に秘めた無限の可能性を開き現せる尊極の存在であるという、生命尊厳の大哲理の表明です。

なぜなら、「開く」ということは、すでに衆生の中に仏知見が存在していることを意味しているからです。

 

信心によってこそ、最高の仏の境涯が開かれ、無窮の智慧が湧くのです。(中略)

信心が強ければ強いほど、不可能を可能にする常勝不敗の力を湧き出だせるのです。

 

一閻浮提の一切衆生のために、法華経に説かれた通りの命にも及ぶ大難を勝ち越えられる姿を通して、南無妙法蓮華経の唱題行を打ち立て、御本尊を顕され、誰もが仏知見を開ける方途を明かしてくださったのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。

釈尊の一大事因縁が法華経ならば、大聖人の出世の本懐は、この妙法の五字七字によって、万人の成仏の道を開きゆく「民衆仏法」の確立にあったのです。

 

これからも、また未来も、唱題で湧き出した慈悲と勇気をもって、仏の聖業である広宣流布の対話旅へ、悠然と共々に進みゆこうではありませんか!