エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて -14ページ目

エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

ただの戯れ言?!またはエッセイのようなもの。
そしてボクは時をかける。

『エンディングノート』


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ガンで死を宣告された人間味あふれる父とその姿を見守る家族を娘が撮影したエンターテインメント・ドキュメンタリー。



高度経済成長期に熱血営業マンとして駆け抜けた‘段取り命!’のサラリーマン。
ガンという、ふいに訪れた人生の誤算をきっかけに、彼が手がけた最期のプロジェクトは‘自らの死の段取り’だった。


砂田知昭は、67歳の時に40年以上勤めた会社を定年退職。
そして第二の人生を歩み始めた矢先に、毎年欠かさず受けていた健康診断で胃ガンが発見される。

なんとすでに‘ステージ4’まで進んでおり、余命はあと僅か。

残される家族のため、そして人生の総括のために、彼が最後のプロジェクトとして課したのは……‘自らの死の段取り’と、その集大成とも言える‘エンディングノート’の作成だった。

やがてガン発覚から半年後、急に訪れた最期。

果たして彼は人生最後の一大プロジェクトを無事に成し遂げることができたのか?
そして残された家族は?

父の遺したエンディングノートが開かれるその時……。



病と向き合い、最後の日まで前向きに生きようとする父と家族の姿を娘は記録していく。

接待ゴルフ、熟年離婚の危機、孫たちとの交流、入院生活、教会の下見、家族旅行、そして人生最期の時までも……。


膨大な映像記録から「家族の生と死」という深くて重いテーマを映し出すにも関わらず、それが何とも軽快なタッチで描写されるので、あまり悲壮感はなく思わず笑ってしまうシーンも数多い。

父親の死の段取りを見守り続ける家族の絆をユーモアと哀愁を交えて、見事に表現しています。



映画はいきなり砂田知昭の葬儀の場面から始まる。

「お忙しい中、私のような者のためにわざわざお集まり頂き、申し訳ないことです」

砂田の声を代弁するのは女性……この声の主こそ、砂田の次女でありこの作品の監督である砂田麻美だ。


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こうして父親の言葉を彼女が代弁するナレーションと共に、映画は進行していく。


砂田監督は父親がガンになったからカメラを回そうとした訳ではなく、それ以前から父親を被写体とした映像を撮り続けている。
(かなりユニークで濃いキャラの人なので、被写体としては申し分ないという感じ)

それにより長期に渡る映像のストックが豊富で、父親も日常的にカメラに撮られることに慣れてしまっているのか(他の家族も同様?)全くレンズを意識せず、自然体そのもの。

また父親自身もカメラが好きだったようで、砂田監督が生まれるずっと前……結婚式や新婚旅行、大阪万博、まだ幼い頃の子供達を映したもの等々の(これらは8ミリフィルムだが)映像が残されていたのも、映画全体に深みを与えることに一役買っている。(父親自身は、まさかこんなところで役に立つなんて考えもしていなかったでしょうが)



まだ太っていて髪の毛も黒く元気いっぱい、健康そのものの父・砂田の姿。

通勤時の様子や、定年での退職祝いの宴などもカメラに収められている。

そして驚くことに、ガン告知から僅か‘5分後’の砂田の姿までもが映し出されるのだ!


やがてガン告知から闘病生活、孫たちとのふれあい、最期の時まで、次女はカメラを回し続け……徐々にやせ細り、まるで別人のように老け込んでいく父親の姿を冷静な視線から映像に刻み付けるのです。

ただ砂田の前向きで明るいキャラクターと、それを見つめる砂田監督の優しい眼差しがあるからこそ、ただ悲しいだけではなくて、観終わったあとに清々しささえ感じるくらいポジティブな仕上がりになっています。



観客は、告知された後の砂田と家族が辿る道のりをそっくりそのまま追体験することになり、最終的には彼の死を看取ることになる訳ですが、不思議と暗くなったり、悲しい気持ちにはならない。

それは、砂田が最後の一瞬まで精一杯生きたことを目にしたからと云える。


几帳面な彼は、余すところなくきっちりと計画を立てて、死の準備をしていく。

気合を入れて孫たちと遊ぶ、選挙にも行く、家族旅行をする、葬儀会場の下見にまで行く……。

残された日々を悲壮な気持ちで過ごしたわけではない。
愛する家族に囲まれて、まさに死の直前まで明るさを失うことなく、穏やかに逝くのだ。


ノンフィクション……本当に人が亡くなる過程をつぶさに観ているにも関わらず、なぜだかほのぼの感が漂い、客席からは笑いも起きる。

これは偏に砂田知昭という人が、とてもユニークで魅力的な人柄だからだろう。

死を間近に控えてすら、周囲を和ませてしまうのだ。

久々に会った孫と遊んでいる時に「今の気持ちは?」と訊かれ、
「トモキ、感激~!」
と古いおやじギャグを連発するわ、見舞いに来た旧友には「こいつとの唯一の共通点は、お互いハゲてること」と自虐ネタを飛ばす。

妻との思い出話では「デートで東京駅で待ち合わせたのに、すっぽかされた」と40年以上も前のことを愚痴る。

こんな風に何とも憎めない(可愛い?)愛すべき人柄の持ち主。


亡くなる前にキリスト教に入信を決意する件りも面白い。(ちなみに砂田監督はカトリックらしい)

神父に現在の状況を話し、「私もイロイロ考えることがございまして、それで入信を……」
などともっともらしい言葉を並べ立てるのだが、実は本音は違っていた!

「仏教よりキリスト教のお葬式の方がさ、コストがかからないんだよ。リーズナブルだからね。葬式なんかに金をかけたくないんだよね」

神父様が耳にしたら、怒りそうな発言?!あせるあせる

やがて病室で砂田監督によって洗礼の式が執り行われるも……それを担当した監督は段取りをよく把握しておらず、マニュアルを見ながらの‘やっつけ儀式’。

ここで……
「私に似ず、段取りの悪い娘でございます。しかも洗礼名はパウロ。きっと適当に付けた名前に違いありません」
と抜群のタイミングでナレーションが挿入されるもんだから思わず大爆笑。


また医師から「今夜が山場かも」と宣告された後の長男の取る行動が、父親の‘段取り命’を見事に引き継いでいるあたりも可笑しい。

もはやベッドに寝たきりで口を開くのもしんどそうな父親に向かって、
「最後に聞いておきたいんだけど、もしものことがあった時は、誰に連絡すればいい?親戚と友人と……会社の人?」

「そんなのいま聞かなくてもいいじゃない」
との周囲の声にも、
「万が一だよ、万が一」
としつこく質問。

すると砂田はポツリと、
「まるで早く死んでほしいみたいだな」

そこに入ってきた長女が、これまたしつこく砂田に問い掛けると、長男は……
「同じこと何回も聞くなよ!可哀相だろ!」
と自分のことは棚に上げて激怒(笑)。

本人たちは必死だし、笑ってはいけないシーンと思いつつも、そのやり取りに笑いが込み上げてきてしまった。


もちろん笑えるだけでなく、号泣モノのシーンもある。


「もう身体を起こすことも出来ず、喋ることもままなりません」
(この時点で医師からは「あと1日もたない」と宣告されている)

ところが、そこに3人の孫が現れると……砂田は身体を起こし、会話までするのだ!

「よく来てくれたね、ありがとうね……もっと遊びたかったねぇ」

この時の彼は、とても幸せそうである。

そして……なんと彼はこの後、4日も生き続ける!

最後に妻と会話を交わすシーンでは、夫婦の固い絆の姿を映し出す。

砂田は結婚以来、初めて妻に「愛している」と伝える。
妻は、
「私も一緒に行きたい……もっと大事にしてあげればよかった」

「長い間、ありがとうな。ホント、ありがとう……」


94歳になる母親には電話で別れを告げる。
「先に逝っちゃうけど、ゴメンね。許してね」


入院5日目……遂に最期の時を迎える砂田。

「人間、引き際が肝心です」

さすがに臨終の場面の映像はなく、音声だけとなっています。


‘段取り命’で会社人生を送ってきた砂田らしい幕の引き方が涙を誘う。



本作の製作を務める是枝裕和監督に師事している砂田麻美監督。
最期の日まで前向きに生きようとする父と家族の姿を感情に流されることなく、父の死を見つめて冷静にカメラを回し、その全てを映像に記録したというのは驚嘆に値する。


一歩間違えると反則技スレスレの……映画のために家族を切り売りしているとも映るドキュメンタリーだけれど、そこには砂田監督の父親に対する深い愛情が刻み込まれているのを実感できるので、不快感はゼロ。むしろ爽やかな気持ちにすらなる不思議な感覚に浸れるでしょう。


巧みな編集、映画のイメージに合った音楽も素晴らしいです。



今年は『監督失格』という近年稀に見る大傑作ドキュメンタリーがありましたが、この『エンディングノート』もそれに匹敵する大傑作でした。



公開から2ヶ月以上経っても客入りはよく、上映館数も増えており、ドキュメンタリーとしては異例の大ヒットとなっているみたいです。

新宿ピカデリーにて『エンディングノート』を鑑賞。


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【監督】
砂田麻美


【製作・プロデューサー】
是枝裕和




“わたくし、終活に大忙し”


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<はじめに>


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私の名前は砂田知昭。享年69になります。
毎年欠かさず受けていた検診で胃ガンが発見されたのは会社を引退して2年目の2009年5月のこと、発見時にはすでに手術が不可能な状態でございました。

何よりも‘段取り’を重視してきた元熱血営業マンの私は、何事も事実を正確に把握し、自らの手で物事を進行したいという性分です。


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そんな気質が今更抜けるはずもなく、死に至るまでの段取りは、私にとって人生最後の‘一大プロジェクト’となったのでございます。

ガン告知の後、まず最初に取り組んだのは‘エンディングノート’と呼ばれるマニュアル作りでございました。

エンディングノートとは簡単に申しますと遺書なのですが、遺書よりはフランクで公的な効力を持たない家族への覚書のようなものです。
自分の人生をきちんとデッサンしておかないと、残された家族は困るでしょうから……。


<神父を訪ねる>

自らの死について私が望む唯一のことは、仏教徒である父が眠る墓に一緒に入りたいということです。
そして葬儀は、家族と近親者のみで行ってほしいと考えております。

そんな中、父の眠る墓は宗教を問わないと知った私は、かつて娘の送り迎えで目にしていた教会でお世話になることはできないものかと、とある教会にご相談に伺ったのです。
これから信心深く生きようという発想ではないのですが、気持ちが安らかになれる場所はどこがいいだろうと考えた上での選択でした。


<気合いを入れて孫と遊ぶ>

ところで私が結婚しましたのは昭和43年、翌年に長女が、2年後に長男が誕生し、全て‘完了’の予定でしたが、私の段取り足により、その7年後、次女が誕生。図らずも3人の親となりました。

私がいま最も強い関心を寄せておりますのは、嫁に行かないどころか何故だか私をカメラで追い回す次女ではなく、長男の転勤に伴いアメリカに住む孫たちの存在でございます。
秋には3番目の孫も生まれる予定になっております。
ガン告知の翌月、夏休みを利用して日本にやって来てくれたこの孫たちの前で、落ち込んでいるわけにはいかず、孫達と濃密な時間を過ごしました。


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クリスマスのアメリカ行きを目標に掲げ、早速都内の総合病院で抗がん剤の治療を始めた私ですが、子供たちはこの抗がん剤投に何とも歯切れの悪い表情を見せるのでした。
代替医療と呼ばれる数々の治療についても検討すべきだというのが彼らの意見でしたが、私は目の前の医者を信じると、心に決めていたのであります。


<自民党以外に投票してみる>

「政権交代」の声が叫ばれる8月、親子3人で選挙に向かいました。
娘は車の中でカメラをむけながら私が票を入れる政党を尋ねて来ましたが、親子といえども教えるわけにはまいりません。(うっかり少しだけ口をすべらせましたが。)

ところで、後部座席で笑みを浮かべる中年女性、こちらは妻の淳子でございます。

妻は私のガンが発覚して以来、どこか怒っているようでした。
娘の話から推測すると、仕事だ、接待ゴルフだとほとんど家におらず、やっと自由な時間ができたと思ったらガンになって先に死んでいく……そんな自分勝手なことがあるか、というのが妻の言い分のようでありました。

妻との歴史はそうシンプルではございません。
結婚当初はままごとのように楽しくやっておりましたが、子供が3人に増え、私も昇進を重ねると互いにストレスがたまり、喧嘩の量も質も次第にエスカレートしていったのです。
それでもなんとか数十年をやり過ごしてまいりましたが、サラリーマン生活を終えると転勤で空き家になった息子の家の管理人という名目で、妻とは別々に暮らし週末だけ落ち合う、いわゆる週末婚をスタートしました。
仲間と旅行に行ったり、大学の社会人講座に通ったり、40年ぶりに一人暮らしを満喫しているうちに、なんということでしょう。妻との間に、今までにない穏やかな時間を感じるようになったのです。


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<最後の家族旅行>

ガン告知から5カ月目の11月。
三重県伊勢志摩へ気分転換の家族旅行に出かけることにしました。
この旅の同行者には名古屋で一人暮らしをする94歳の母もおります。
海女のショーを観たり、最後にもう一度食べたかったアワビステーキを堪能したり、ただ遊んでばかりの旅に見えるかもしれませんが、実はそうではございません。
接待ゴルフの目的がゴルフではないように、この旅にはとある重要な目的が控えておりました。
それは母から洗礼を受けること、即ち教会葬の許諾をること。しかし予想に反して母への根回しはあっさり完了。
「一緒に死ねれば楽なのにね」と二人で笑い合いました。


<死の準備>

旅から戻ると、東京の季節は秋から冬に変わろうとしていました。

私と家族に押し寄せてくる別れの予感。
私は妻とガンをテーマにしたテレビ番組を見ながら、ふと思います……私は死ねるのだろうか、上手に死ねるのだろうかと。

そんな想いを口には出さず、妻と葬式会場の下見に出向きました。
妻と式場の下見に来るのは結婚式以来の事。
少々早まり過ぎだと思われそうですが、そんなことはございません。段取っても段取っても必ず何かが起こるのが本番というもの、完璧すぎるということはないのです。

子ども達は、あいかわらず私の治療に好き勝手申してきます。
それでも私は、痴呆症を煩った後も最後まで医者として死んで行った父親の姿を思い浮かべ、医師の診察へと通うのであります。


<最後の晩餐>

体調が優れずに検査入院となった12月、私の肝臓は、おおよそ3倍くらいに肥大化しておりました。原因は癌が増殖したため。
今までの治療の効果がなかったのか、効果はあったが癌のスピードが速かったと考えるか。いずれにしてもトータルでは負けていたようです。

医師から家族へは「年を越せるか越せないか」と伝えられたようでした。
そんな事を知る由もない私は、クリスマス直前に一旦自宅へと帰宅。

すると、何事にも計画的な息子が、生まれたばかりの孫達を連れ一家で突然日本にやってきたのです。


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孫と語らい、妻との思い出話(主には、40年前東京駅での約束を無視されたという恨み)に花を咲かせ、古い家族のビデオを見て過ごしたクリスマスイブ。

しかし、翌25日体調が急変した私は、それでも家に帰したいという妻の想いを感じ取りながらも、最後の入院とあいなりました。


<最後の段取り>

入院翌日、起き上がることも声を出す事もできなくなっていた私を動かしたのは、孫達の声でした。

彼女たちに最後の別れを告げ、遠方の母に電話をし、学生時代からの親友とはいつものように冗談を言い合うと、息子へ最後の段取り確認まで矢継ぎ早に物事は進んで行きます。
家族から葬儀について次から次へと確認次項が飛び交うものですから、私思わずこう口にしてしまいました。


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「わかんなくなったら、携帯に電話下さい」と。

段取りの終盤で、これまで私なりに準備を重ねてきた洗礼を授かる時がやって参りました。
しかしながらベッドの前に現れたのは、あろうことか私をカメラで追いまわしておりました次女だったのでございます。
洗礼名は適当に決められたかもしれません。とにかく随分あっさりと、パウロとなった次第であります。


<妻に(初めて)愛してると言う>

「これからいいところに行く」と私が思わず口にすると、「それはどんな所なの?」と家族が次から次へと質問してきます。
しかし私はきっぱり答えました。
「それはちょっと、教えられない」と。

そして入院3日目、結婚以来初めて妻に「愛している」と伝えました。

「一緒に行きたい」と、妻は言いました。
「もっと大事にしてあげればよかった」とも。

こんな話、恥ずかしくて決して子供たちには聞かせるわけにはいかないのですが……。


<最期の日>

入院5日目。
そろそろ失礼しなければなりません。営業マンは引き際が肝心です。

もう一度孫に会うために、ここまでがんばって参りました。

ありがとうございました。幸せです。

もう一度、やりなおします。


<エンディングノート>

妻と子ども達は、私が残したノートに基づいて迷うことなく葬儀を執り行ってくれました。

やがて私の身体は、教会から少しづつ遠ざかっていきます。

皆が手をあわせる姿に見送られて、東京の街をゆっくりと進んでいくうちに、先ほどから好き勝手しゃべっている娘の声が聞こえてきました。

「それで今、どこにいるの?」

だからそれは言ったはずです。
「それはちょっと……教えられない」
と……。




『アントキノイノチ』


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過去に傷を負った若者二人が、遺品整理業という職業を通じて出会い、再生を遂げていく……人と人との絆を描いた人間ドラマ。


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人間の生と死を見つめる映画です。

心を病み生きることに絶望を感じていた男女が、出逢いともに遺品整理業の現場で失われた命や、遺されたモノの息吹に触れることで、少しずつ生きる勇気を取り戻していく。
辛い過去を乗り越え、未来に踏み出そうとするその姿は感動的。


どんなに辛くて忘れたい過去であっても、忘れる必要などない。
逆に、そのようなことがあったからこそ、今の自分がある。
否定したい事実さえも敢えて肯定的に捉え、前を向いて生きて行こうと思わせられます。


シリアスな内容に対してタイトルがそぐわないのでは?……という声も多いようで、自分も最初はそう感じていた。

でも観終えた後は、こんな変なタイトルをつけた意図がわかり納得。


この作品は、人と人とのコミュニケーションの際の勘違い、受け取り違いなどから起こる齟齬をひとつのテーマとしているのです。

それを感じさせる件りが随所にちりばめられている。

主人公の杏平には軽い吃音があり、しかも小さい声でぼそぼそ喋るため、言葉が聞き取りにくい。
それによる誤解が生じたりしたこともあったのだろうと想像できる。

また遺品整理業社の先輩社員が杏平に自己紹介する時、
「よく‘佐藤’って間違われるんだけど、僕の名前は‘佐相’だからね。さ・そ・う!」

現場で仕分けの作業中では、ゆきが杏平にこう指導する。
「ご‘不’要’、ご‘供’養。ね、不要品とご供養品をこうやって口に出してやれば間違わないでしょ」

杏平が精神を病むきっかけとなった出来事は、高校時代の山木と松井とのトラブル。
ネットの掲示板に悪意の書き込みをしているのは松井だと知り、怒り心頭の山木は教室でナイフを突き付ける。

それを見た杏平は、
「もうやめろよ!あんなことしたってしょうがないだろ!」

これは松井に向けて放った言葉だったのだが、山木は唯一の友人である杏平でさえも自分を詰ったのだと誤解してしまい……彼を飛び降り自殺にまで追い込んでしまう。

その後の登山合宿で杏平が松井と二人だけで険しく危険な山路を歩いている時に、前を行く松井に殺意を覚えた杏平が、突き落とそうと手を出すも……結局は必死に松井を助けてしまい、それが自分の本意とは真逆の感動的な救出劇の写真として撮られてしまう。
これもまた誤解である。

杏平は壁に展示されたその写真をカッターで何度も何度も引き裂く。
‘違う、違うんだ!こんなの救出劇なんかじゃない。僕は松井を殺そうとしたんだ’

そして杏平は、そのカッターを次には松井に向けることになる。


一方、ゆきも杏平と同じように誤解が原因で精神を病んだ経験者だ。
高校時代、同級生にレイプされた挙げ句、子供まで宿してしまった。
しかし相手の母親からは、
「ウチの子は、あなたから誘ったって言ってますよ。あなたが悪いんでしょ」

自分の母親からにまで「あなたにも責任がある」と叱責されて……。

まるで全てが自分に非があるように責められてしまい、それが心に深い傷跡を植え付けてしまうことになるのだ。
(且つ、流産してひとつの命を奪ってしまったことに対しても自責の念を持ち続けている)


これらの小さな齟齬から引き起こされる大きな勘違い、受け取りの違いをどうやって解決していくかが、杏平が遺品整理業を経験する中での根本的なテーマになっていく。

癌で亡くなった女性が、幼い頃に別れてしまった娘に宛てて書いた何通もの手紙。しかし彼女は書いたものの出せないまましまい込んでいた。

それを見つけた杏平は、遺族である娘に届けようとするが、「そういうのは逆に迷惑がられるからやめといた方がいいよ」と佐相から窘められる。

しかし、拒絶されることを覚悟で既に結婚して幼い子供もいる遺族の娘に届けに行く。

「そんなものいりません。持って帰ってください」
やはり娘は拒否するも……遂にはその手紙に目を通すと……途端に彼女は泣き崩れる。
どのような内容なのかは明らかにはされないが、その涙が全てを物語っている。


次には、アルツハイマー病で夫に迷惑をかけないようにと勝手に病院に入った妻の遺品整理にて。
妻の真意を知らない夫は、わだかまりが消えていないため憮然とした表情でいる。
ご供養品を分けている杏平に夫はこう言い放つ。
「全部、不要品だ。勝手に捨ててくれ」

しかし杏平は「これはご供養品」と青と赤のツインのコーヒーカップを丁寧に包む。
その青いカップこそ、夫の愛用品だったもの。妻は大切にしまっておいたのだ。

続いて、杏平は電話を見つける。
留守電のスイッチを入れてみると……「今夜も仕事で遅くなる」「接待で遅くなる」など同じ内容ばかりの無愛想極まりない夫の伝言。
すると妻の声が録音されていた伝言も流れ……「すいません。今夜は遅くなります。夕飯は冷蔵庫に……」と夫を気遣う優しさ溢れるもの。

夫は巻き戻してもう一度その声を聞くと、
「私は仕事人間で妻の思いなど何も考えていなかった。それに今頃、気付くなんて」
と号泣するのだった。


このような人間同士の食い違いを遺品整理の仕事を通して正すことに全力をあげる杏平。


文字、音などで齟齬を正してきた杏平も、やがてはゆきが遺していった写真を見て、自分自身の間違いにも気付く。
ゆきが撮影した様々な杏平の写真。
居酒屋での照れた笑顔、作業中の真剣な表情や後ろ姿、観覧車内での叫び、そして……最後に海辺で撮った満面の笑みを浮かべる杏平の顔。



海辺でゆきと再会した杏平は‘命’について語り合う際、「あの時の命」と口にするゆきに、
「‘あの時の命’って続けて言ってみて」

「あのときのいのちあのときのいのちあのときのいのち……なんかプロレスの人みたくなっちゃうね。あ!わたし、みんなに言いたいことがわかった」

するとゆきは海に向かって、
「元気ですかー!元気ですかー!」

それに呼応して杏平も、
「元気ですかー!」

二人の心からの叫びが胸にグッと迫るシーンです!


杏平とゆきにやっと明るい未来が芽生えたかと思いきや、物語は残酷な結末が待っている。

トラックに轢かれそうになっていた子供を助けたゆきは、命を落としてしまうのだ。
ゆきの遺品整理をする杏平と佐相。
「ご供養品……ご供養品」
その中に、ゆきが遺していった杏平の写真が出てくるのである。


ゆきが亡くなるというラストは、下手したらベタな展開だけれど……そこは瀬々監督、その一歩手前で見事なバランスを保っていて、決してお涙頂戴的な臭い展開にはしていない。

でも泣けて泣けて……最後の10分間は涙がとまらずでした。


またエンドロール後には、爽やかな後味が残るシーンも用意されています。



主演コンビの岡田将生と榮倉奈々の演技が素晴らしいの一言。

いきなりのオールヌードで登場の岡田将生。
吃音でなかなか言葉を発せられず、緊張して口角がピクピクと痙攣するところの演技はリアル。
鬱屈した気持ちをぶつける場所がなくひたすら絶叫する際の表情や、重く沈んだ表情の出し方も秀逸。
最後に映る満面の笑みの表情にも泣けた。


榮倉奈々は、過去の出来事を語る時の演技に注目を。
徐々に涙が溜まってきてからドッと溢れ出すまでをアップ&ワンカットで描写。


助演の原田泰造も凄くいい!
もの静かな演技に徹していて、優しい雰囲気が滲み出ています。



瀬々監督の演出、役者陣の演技と見応え満点の秀作でした。