『エンディングノート』【2】 | エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

エルドラド 「時をかける言魂」 『時かけ』と仲里依紗に魅せられて

ただの戯れ言?!またはエッセイのようなもの。
そしてボクは時をかける。

『エンディングノート』


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ガンで死を宣告された人間味あふれる父とその姿を見守る家族を娘が撮影したエンターテインメント・ドキュメンタリー。



高度経済成長期に熱血営業マンとして駆け抜けた‘段取り命!’のサラリーマン。
ガンという、ふいに訪れた人生の誤算をきっかけに、彼が手がけた最期のプロジェクトは‘自らの死の段取り’だった。


砂田知昭は、67歳の時に40年以上勤めた会社を定年退職。
そして第二の人生を歩み始めた矢先に、毎年欠かさず受けていた健康診断で胃ガンが発見される。

なんとすでに‘ステージ4’まで進んでおり、余命はあと僅か。

残される家族のため、そして人生の総括のために、彼が最後のプロジェクトとして課したのは……‘自らの死の段取り’と、その集大成とも言える‘エンディングノート’の作成だった。

やがてガン発覚から半年後、急に訪れた最期。

果たして彼は人生最後の一大プロジェクトを無事に成し遂げることができたのか?
そして残された家族は?

父の遺したエンディングノートが開かれるその時……。



病と向き合い、最後の日まで前向きに生きようとする父と家族の姿を娘は記録していく。

接待ゴルフ、熟年離婚の危機、孫たちとの交流、入院生活、教会の下見、家族旅行、そして人生最期の時までも……。


膨大な映像記録から「家族の生と死」という深くて重いテーマを映し出すにも関わらず、それが何とも軽快なタッチで描写されるので、あまり悲壮感はなく思わず笑ってしまうシーンも数多い。

父親の死の段取りを見守り続ける家族の絆をユーモアと哀愁を交えて、見事に表現しています。



映画はいきなり砂田知昭の葬儀の場面から始まる。

「お忙しい中、私のような者のためにわざわざお集まり頂き、申し訳ないことです」

砂田の声を代弁するのは女性……この声の主こそ、砂田の次女でありこの作品の監督である砂田麻美だ。


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こうして父親の言葉を彼女が代弁するナレーションと共に、映画は進行していく。


砂田監督は父親がガンになったからカメラを回そうとした訳ではなく、それ以前から父親を被写体とした映像を撮り続けている。
(かなりユニークで濃いキャラの人なので、被写体としては申し分ないという感じ)

それにより長期に渡る映像のストックが豊富で、父親も日常的にカメラに撮られることに慣れてしまっているのか(他の家族も同様?)全くレンズを意識せず、自然体そのもの。

また父親自身もカメラが好きだったようで、砂田監督が生まれるずっと前……結婚式や新婚旅行、大阪万博、まだ幼い頃の子供達を映したもの等々の(これらは8ミリフィルムだが)映像が残されていたのも、映画全体に深みを与えることに一役買っている。(父親自身は、まさかこんなところで役に立つなんて考えもしていなかったでしょうが)



まだ太っていて髪の毛も黒く元気いっぱい、健康そのものの父・砂田の姿。

通勤時の様子や、定年での退職祝いの宴などもカメラに収められている。

そして驚くことに、ガン告知から僅か‘5分後’の砂田の姿までもが映し出されるのだ!


やがてガン告知から闘病生活、孫たちとのふれあい、最期の時まで、次女はカメラを回し続け……徐々にやせ細り、まるで別人のように老け込んでいく父親の姿を冷静な視線から映像に刻み付けるのです。

ただ砂田の前向きで明るいキャラクターと、それを見つめる砂田監督の優しい眼差しがあるからこそ、ただ悲しいだけではなくて、観終わったあとに清々しささえ感じるくらいポジティブな仕上がりになっています。



観客は、告知された後の砂田と家族が辿る道のりをそっくりそのまま追体験することになり、最終的には彼の死を看取ることになる訳ですが、不思議と暗くなったり、悲しい気持ちにはならない。

それは、砂田が最後の一瞬まで精一杯生きたことを目にしたからと云える。


几帳面な彼は、余すところなくきっちりと計画を立てて、死の準備をしていく。

気合を入れて孫たちと遊ぶ、選挙にも行く、家族旅行をする、葬儀会場の下見にまで行く……。

残された日々を悲壮な気持ちで過ごしたわけではない。
愛する家族に囲まれて、まさに死の直前まで明るさを失うことなく、穏やかに逝くのだ。


ノンフィクション……本当に人が亡くなる過程をつぶさに観ているにも関わらず、なぜだかほのぼの感が漂い、客席からは笑いも起きる。

これは偏に砂田知昭という人が、とてもユニークで魅力的な人柄だからだろう。

死を間近に控えてすら、周囲を和ませてしまうのだ。

久々に会った孫と遊んでいる時に「今の気持ちは?」と訊かれ、
「トモキ、感激~!」
と古いおやじギャグを連発するわ、見舞いに来た旧友には「こいつとの唯一の共通点は、お互いハゲてること」と自虐ネタを飛ばす。

妻との思い出話では「デートで東京駅で待ち合わせたのに、すっぽかされた」と40年以上も前のことを愚痴る。

こんな風に何とも憎めない(可愛い?)愛すべき人柄の持ち主。


亡くなる前にキリスト教に入信を決意する件りも面白い。(ちなみに砂田監督はカトリックらしい)

神父に現在の状況を話し、「私もイロイロ考えることがございまして、それで入信を……」
などともっともらしい言葉を並べ立てるのだが、実は本音は違っていた!

「仏教よりキリスト教のお葬式の方がさ、コストがかからないんだよ。リーズナブルだからね。葬式なんかに金をかけたくないんだよね」

神父様が耳にしたら、怒りそうな発言?!あせるあせる

やがて病室で砂田監督によって洗礼の式が執り行われるも……それを担当した監督は段取りをよく把握しておらず、マニュアルを見ながらの‘やっつけ儀式’。

ここで……
「私に似ず、段取りの悪い娘でございます。しかも洗礼名はパウロ。きっと適当に付けた名前に違いありません」
と抜群のタイミングでナレーションが挿入されるもんだから思わず大爆笑。


また医師から「今夜が山場かも」と宣告された後の長男の取る行動が、父親の‘段取り命’を見事に引き継いでいるあたりも可笑しい。

もはやベッドに寝たきりで口を開くのもしんどそうな父親に向かって、
「最後に聞いておきたいんだけど、もしものことがあった時は、誰に連絡すればいい?親戚と友人と……会社の人?」

「そんなのいま聞かなくてもいいじゃない」
との周囲の声にも、
「万が一だよ、万が一」
としつこく質問。

すると砂田はポツリと、
「まるで早く死んでほしいみたいだな」

そこに入ってきた長女が、これまたしつこく砂田に問い掛けると、長男は……
「同じこと何回も聞くなよ!可哀相だろ!」
と自分のことは棚に上げて激怒(笑)。

本人たちは必死だし、笑ってはいけないシーンと思いつつも、そのやり取りに笑いが込み上げてきてしまった。


もちろん笑えるだけでなく、号泣モノのシーンもある。


「もう身体を起こすことも出来ず、喋ることもままなりません」
(この時点で医師からは「あと1日もたない」と宣告されている)

ところが、そこに3人の孫が現れると……砂田は身体を起こし、会話までするのだ!

「よく来てくれたね、ありがとうね……もっと遊びたかったねぇ」

この時の彼は、とても幸せそうである。

そして……なんと彼はこの後、4日も生き続ける!

最後に妻と会話を交わすシーンでは、夫婦の固い絆の姿を映し出す。

砂田は結婚以来、初めて妻に「愛している」と伝える。
妻は、
「私も一緒に行きたい……もっと大事にしてあげればよかった」

「長い間、ありがとうな。ホント、ありがとう……」


94歳になる母親には電話で別れを告げる。
「先に逝っちゃうけど、ゴメンね。許してね」


入院5日目……遂に最期の時を迎える砂田。

「人間、引き際が肝心です」

さすがに臨終の場面の映像はなく、音声だけとなっています。


‘段取り命’で会社人生を送ってきた砂田らしい幕の引き方が涙を誘う。



本作の製作を務める是枝裕和監督に師事している砂田麻美監督。
最期の日まで前向きに生きようとする父と家族の姿を感情に流されることなく、父の死を見つめて冷静にカメラを回し、その全てを映像に記録したというのは驚嘆に値する。


一歩間違えると反則技スレスレの……映画のために家族を切り売りしているとも映るドキュメンタリーだけれど、そこには砂田監督の父親に対する深い愛情が刻み込まれているのを実感できるので、不快感はゼロ。むしろ爽やかな気持ちにすらなる不思議な感覚に浸れるでしょう。


巧みな編集、映画のイメージに合った音楽も素晴らしいです。



今年は『監督失格』という近年稀に見る大傑作ドキュメンタリーがありましたが、この『エンディングノート』もそれに匹敵する大傑作でした。



公開から2ヶ月以上経っても客入りはよく、上映館数も増えており、ドキュメンタリーとしては異例の大ヒットとなっているみたいです。