今回紹介するのは・・・
林昌範 巨人 日本ハム 横浜 投手
現役最後のカードとなる、惜別球人のカード。引退後は教習所の社員であるという。
そんな林昌範。記録保持者である。その記録のことを紹介。
12球団勝利のことではない。
俺にとって、TTM初の、『便箋が二枚目にいってしまった』記録なのだ。
1991年のたしか3月。高校を卒業した俺は、進路も決まらないまま教習所に入所した。
最高で1学年12クラスあった我が団塊ジュニアの世代が進学や就職に備えて教習所に殺到。会話も聞こえないほどの混み具合であった。
こんな中、普通自動車第一種免許取得を目指した俺は、南渋川自動車教習所始まって以来かもしれない落ちこぼれになってしまった。比較的簡単と言われるオートマ限定が登場するのは翌年度のことである。
1段階14時間オーバー、2で12、3で10、4で8。
同級生に票を見せると、「ああ、こいつにばっかり当たってるのか。こいつ嫌だよなあ」と同情してくれた。
今はわからないが、この年は紹介者=担当がすべて教えるのではなく、時間ごとに教官が違ったのだ。半分ぐらいは評判が悪かった。俺はなかったが「馬鹿野郎」と呟かれたという同級生もいた。生徒数が多いから殿様商売でもやっていけたのだろう。
そういえば、その特に評判の悪い教官は、教えてくれずに俺の運転や判断に罵詈雑言を言うだけで、あげく「手に負えないから紹介者に引き取ってもらうべ」
なのに何回も当たり、嫌な顔をされる。俺じゃなくて決めた人間に言ってくれよと今にしては思う。
発進を待っていると、「少しは出る気になれよ」。 違う教官の時は、「これこれこうなんだから、こっちが優先的に出ていいんだよ」 この教官にはあとになって当たるようになった。同じぐらいに入った同級生は、「誰々は、毎回、「前回はどこまでやった?」って聞いてくるんだ」 こういう教官に当たりたい。ついに当たらなかった。
生来の真に受ける性格で、罵詈雑言を真に受け、頭が真っ白になってしまうのだ。前回はここまでやりました、これは教わってません、という頭には何故かならなかったのだ。卒業してから気付いた。
俺だけでなく、ほかの生徒にも「前どこまでやった?」なんて聞かず、自分でやらせて間違えば嫌味を言っていたのだろう。あとから入ってきた高3の同じクラスの人も、当たった時は散々嫌味を言われたと言っていた。
こんな人間になってはいけない。俺は今、仕事で誰かに教える時は、「前回はどこまでやったか」 「これから教えることは初めてか」 「一度ではおぼえられないから・・・」と教えるようにしている。あの教習所の嫌味野郎の話をすることもある。
とまあ、林昌範が教習所で働いているということで、TTMのネタに、「林さんのところにはそんな人はいないと思いますが、こんなことがありまして・・・ 」なんて書いていたら便箋が初の2枚目に突入してしまったのであった。
ちなみに、教習所で罵詈雑言を受け、当時のアルバイト先のマスターに配達途中の山道で「ここで運転してみろ」と代わって帰りに「お前は免許取って2カ月以内に絶対事故起こすぞ。賭けてもいいぞ」と言われたほどの俺は、2カ月どころか今の今まで事故を起こしたことはない。起こしたのは、同時に入ってスイスイ進み、俺のオーバーを目の奥で笑い、「どこをどうやればこんなにオーバーするの?」みたいに馬鹿にしていた同級生。しかも初心者のうちに二台。
俺のためにではないだろうが、あの罵詈雑言のおかげで、駄目さを自覚できたのかもしれない。スイスイ取れていたら調子に乗ったに違いないのだ。
(敬称略)

