今回紹介するのは・・・
平野謙 中日 西武 ロッテ 外野手
生活の中で、過ぎた年を思い出す時。テレビで懐メロ特集を見ている時。
大体は、「その年は、自分は●学校●年だった、」、と回想するだろう。
俺もまずはそう思うが、次に思うのは、いや、先に思うこともあるのが、その年の巨人の成績なのだ。
特に、あと1勝で優勝を逃した、大洋が中日に勝てば優勝だった、昭和57年(1982年)。
あと一歩で日本一を逃した、昭和58年(1983年)。
この2つの年はあまり思い出したくない。
俺のイメージは、巨人の天敵は80年代に強かった広島ではなく57年の優勝を奪った中日なのだ。
無敵の昭和56年(1981年)。翌年も優勝間違いなし! のはずが・・・。
昨年の広島のような完敗であれば諦めもつくが、57年は悔しすぎた。
その中日の57年優勝メンバーである平野謙。
始めてサインを貰ったのは晩年のロッテ時代であった。
その頃、プロレス観戦、インパ(その頃はインパなんて言葉はあったのだろうか)の仲間がいて、浦和球場の秋季練習に朝から一緒に出かけた。仲間は積極的で、誰よりも最初に貰いに行く。何気に気の小さい俺はいつも2番手以降に並んでいた。
平野謙到着。今は入れないらしい球場正面から入り、左に入って行く。
仲間はすぐに「平野さーん サインお願いします」
平野は振り向き、一瞬戻る仕草をしたが、「そこ入って来ていいとこじゃねえぞ」と言って行ってしまった。
場所のルールよりも3歩ぐらい中に入ってしまっていたようだ。(仲間が)
帰り、入って来ていいところまでの場所で待ち、やはり仲間が先に行った。平野はムッとしてサインを始めた。機嫌がよろしくないようだ。
次の順番が俺だった。その頃は、ホワイトブックという白地のサイン帳に貰っていて、時々貰ったサインの裏=開いて左側に書き始めてしまう選手がいるので、「右にお願いします」と言った。
平野 「ぁあー?」 要は、「何?」という意味の聞き返しである。
「右にお願いします」 通じたらしく、右側にしてくれた。
怒鳴られた、というほどではないが、今でもおぼえている。
この印象が強く、中日コーチ時代、TTM返信を聞いても出すのは躊躇してしまっていた。
しかし、カードもたまり、思い切ってトラウマを破壊するべく、挑戦することにした。
手紙には、「ぁあー?」 と言わせてしまいすみません、
とは書けなかった。
来た。
イメージが変わった。
怒っていそうな時にサインを求めて注釈なんてする奴が悪いのだ。
(敬称略)


