世間では(特に女性)「勝間和代」さんの考え方や生き方が共感を呼び、
ここ二年は話題になっているようだ。
あまりに不安定な社会情勢、
男子も草食化し、もはや結婚による永久就職も困難な昨今、
女性は(もちろん男性も)特に、
「これから如何に生きて行くべきか?」
と真剣に考えている。
そんな中で登場した勝間和代さんは、
ご本人は否定なさるかも知れないが、やはり成功されている女性の代表格。
勝間さんは、女性が “インディペンデンスに生きる”(主体的に生きる、という意味だろう)には、
「年収600万」
「信頼出来るパートナー」
「歳をとるほどステキになっていく」
の、3つを条件に挙げている。
(最後はかなり抽象的だが…)
こう言った表現が、時代と
そこに生きる女性にマッチし、共感を得たのは理解出来る。
不安定な時代こそ、
「こうだ!」
と言ってくれる人を欲しがる。
ちょっと前のホリエモンと同じだ。
(ここで誤解の無いように断っておくが、
私は勝間さんを否定しているわけではない)
そんな中で、最近は精神科医の香山リカさんの書「しがみつかない生き方」が売れているらしい。
そこに書かれている幸せに生きる為のポイントの一つに、
「勝間和代を目指さない」
というのがあり、これがまた世間の興味をそそったようである。
今の時代の、成功されている女性のツートップのバトル…!!?
と、確かに一般ピープルには見える。
ま、私のように心が曲がった人間からすると、
「馬場 対 猪木」 だろ…
ってな感じで。
つまり、マスコミはライバルを作って、煽りたいもの。
これで二人が結果として注目を浴び、揃って益々本が売れる、と…
そんな最中、アエラで二人の対談があった。
結局、よくよく読んでみると、
二人の訴える内容は同じである事が分かる。
つまりは、より良く生きようと思ったら向上心必要だし、努力も必要。
でも、自分がそれに対して「心地よさ」が感じられなければ意味が無い…
ということのようだ。
勝間さんのように誰もが自転車で移動出来るはずもないし、
パソコンはレッツノートである必要もないし、
体も心もしんどいのを我慢して自己啓発に走る必要もない。
残念ながら、何かの為に我慢したり、努力したり、
その為に時間を割くのには、
個人による価値観に依頼する「限界」。
言わば、これも含めて「能力」なのである。
その壁を超える努力は必要だろうが、
その上限は、成人前にある程度決っている。
そこを余りにも超えようと無理し過ぎると、
結局は自分のパフォーマンスを落とす事になる…
と。
勝間さんも、香山さんも
大筋では同じである見解とお見受けした。
勝間さんも、自分の主張が曲解されていることにとまどいを覚えているようだった。
だが、結局は時代というのは勝手なもの。
人体で言えば交感神経と副交感神経の関係のようなもので、
努力しろー勉強しろー、
という考えが共感を呼べば、
しばらくすると
そればかりが大切なの?
そこ無理し過ぎて、心もこわれたら何にもならないんじゃない?
てな考えが共感得たりする。
一時期、ヒルズ族を中心に、
「金が全て」
「稼ぐが勝ち」
という考えが主流になり共感を呼び、
それが実は犯罪に加担するものだと知ると、
途端に逆のベクトルに世間の論調が変わる。
「金だけが全てじゃない」
と。
そんなことは当たり前なのだが、
マスコミ主導のもと、世間の風潮もあっちにいったりこっちに行ったり…
世間なんてのは、ある極端な分かりやすい見解が時代とマッチすれば注目され、
だがしばらくすると必ず逆の見解が評価される。
恐らく歴史は、ずっとその繰り返し。
だから、どちらも或る意味正しくないし、
だからと言って、どちらかが絶対的正解でもない。
少しでも自分を向上させようという努力は忘れてはならないし、
尊いことである事は間違いないが、
それが自分の心に重く負担になるのであれば、
結局は自分のトータルのパフォーマンスを落とすことになる。
これはまさにアスリートと同じで、
トレーニングをして疲労が残るようなら、精神的にいっぱい一杯であれば、
実はその時には、「休養」最高のトレーニングである、
ということもある。
何しろ目的は、トレーニングそのものではなく、
パフォーマンスを向上させることなわけで。
これは一般人も同じである。
努力出来ない自分を情けない!…
と、自分を責める人が多いらしく、
それを香山さんも危惧されていたが、
つらい、と感じる自分がいるのなら、
それも含めて、それが今の自分の「能力」。
つまりは、それが許容出来るか、
心地よさを感じられるか否かも含めたものが現状ならば、
それを甘んじて受け入れるか、しかない。
皆が日本一にはなれないし、世界一にもなれるわけではない。
どこかで「折り合い」を付けながら生きていく。
多分、それが人生なのだろう。
ここ二年は話題になっているようだ。
あまりに不安定な社会情勢、
男子も草食化し、もはや結婚による永久就職も困難な昨今、
女性は(もちろん男性も)特に、
「これから如何に生きて行くべきか?」
と真剣に考えている。
そんな中で登場した勝間和代さんは、
ご本人は否定なさるかも知れないが、やはり成功されている女性の代表格。
勝間さんは、女性が “インディペンデンスに生きる”(主体的に生きる、という意味だろう)には、
「年収600万」
「信頼出来るパートナー」
「歳をとるほどステキになっていく」
の、3つを条件に挙げている。
(最後はかなり抽象的だが…)
こう言った表現が、時代と
そこに生きる女性にマッチし、共感を得たのは理解出来る。
不安定な時代こそ、
「こうだ!」
と言ってくれる人を欲しがる。
ちょっと前のホリエモンと同じだ。
(ここで誤解の無いように断っておくが、
私は勝間さんを否定しているわけではない)
そんな中で、最近は精神科医の香山リカさんの書「しがみつかない生き方」が売れているらしい。
そこに書かれている幸せに生きる為のポイントの一つに、
「勝間和代を目指さない」
というのがあり、これがまた世間の興味をそそったようである。
今の時代の、成功されている女性のツートップのバトル…!!?
と、確かに一般ピープルには見える。
ま、私のように心が曲がった人間からすると、
「馬場 対 猪木」 だろ…
ってな感じで。
つまり、マスコミはライバルを作って、煽りたいもの。
これで二人が結果として注目を浴び、揃って益々本が売れる、と…
そんな最中、アエラで二人の対談があった。
結局、よくよく読んでみると、
二人の訴える内容は同じである事が分かる。
つまりは、より良く生きようと思ったら向上心必要だし、努力も必要。
でも、自分がそれに対して「心地よさ」が感じられなければ意味が無い…
ということのようだ。
勝間さんのように誰もが自転車で移動出来るはずもないし、
パソコンはレッツノートである必要もないし、
体も心もしんどいのを我慢して自己啓発に走る必要もない。
残念ながら、何かの為に我慢したり、努力したり、
その為に時間を割くのには、
個人による価値観に依頼する「限界」。
言わば、これも含めて「能力」なのである。
その壁を超える努力は必要だろうが、
その上限は、成人前にある程度決っている。
そこを余りにも超えようと無理し過ぎると、
結局は自分のパフォーマンスを落とす事になる…
と。
勝間さんも、香山さんも
大筋では同じである見解とお見受けした。
勝間さんも、自分の主張が曲解されていることにとまどいを覚えているようだった。
だが、結局は時代というのは勝手なもの。
人体で言えば交感神経と副交感神経の関係のようなもので、
努力しろー勉強しろー、
という考えが共感を呼べば、
しばらくすると
そればかりが大切なの?
そこ無理し過ぎて、心もこわれたら何にもならないんじゃない?
てな考えが共感得たりする。
一時期、ヒルズ族を中心に、
「金が全て」
「稼ぐが勝ち」
という考えが主流になり共感を呼び、
それが実は犯罪に加担するものだと知ると、
途端に逆のベクトルに世間の論調が変わる。
「金だけが全てじゃない」
と。
そんなことは当たり前なのだが、
マスコミ主導のもと、世間の風潮もあっちにいったりこっちに行ったり…
世間なんてのは、ある極端な分かりやすい見解が時代とマッチすれば注目され、
だがしばらくすると必ず逆の見解が評価される。
恐らく歴史は、ずっとその繰り返し。
だから、どちらも或る意味正しくないし、
だからと言って、どちらかが絶対的正解でもない。
少しでも自分を向上させようという努力は忘れてはならないし、
尊いことである事は間違いないが、
それが自分の心に重く負担になるのであれば、
結局は自分のトータルのパフォーマンスを落とすことになる。
これはまさにアスリートと同じで、
トレーニングをして疲労が残るようなら、精神的にいっぱい一杯であれば、
実はその時には、「休養」最高のトレーニングである、
ということもある。
何しろ目的は、トレーニングそのものではなく、
パフォーマンスを向上させることなわけで。
これは一般人も同じである。
努力出来ない自分を情けない!…
と、自分を責める人が多いらしく、
それを香山さんも危惧されていたが、
つらい、と感じる自分がいるのなら、
それも含めて、それが今の自分の「能力」。
つまりは、それが許容出来るか、
心地よさを感じられるか否かも含めたものが現状ならば、
それを甘んじて受け入れるか、しかない。
皆が日本一にはなれないし、世界一にもなれるわけではない。
どこかで「折り合い」を付けながら生きていく。
多分、それが人生なのだろう。