ま、当たり前の話で…



問題は、要はその「中身」。





「頭がいい」

「仕事が出来る」




ということの本質は何なのか…?







私のような超凡人も含め、
一般的には「頭がいい」が、イコール「学力の高さ」とは限らない事は、
感覚的に実感しているであろう。




(ただし、確率論として、学力の高さと後に述べる「頭の良さ」が比例しやすい事も、何となく実感するところでもある…)








私も教育者の端くれなので、
漠然とこんな事を考えることが多い。







「頭がいい」「仕事が出来る」…





そんな時、作家で作詞家、
その他マルチな才能を発揮されている秋元康氏のコラムを目にした。






「これまで多くの人たちと仕事をして来て分かったことがある。
それは頭がいいとか悪いとか、経験があるとかないとか、
特別な才能があるとかないとかではなく、
『理解力』の問題だ、ということを……」








秋元氏は続ける。





「仕事が出来る人は、人の話を最後まで聞く。
そして分からない事を質問し、自分の理解で間違っていないか確かめる。
その上でオーダーされたこと、指示された事に対する設計図を描くのだ。
次に、この設計図通りに組み立てる為に、何がどう動けば良いかを考える。」








そーなんだよな…







別に、秋元康さんに便乗するつもりは毛頭ないが、
このブログでも何度か書いている事だが、
トレーナーの仕事において、「方法論から入るな」ということは、そういう意味である。






先に方法論ありきで頭が支配されると、
そもそも「設計図」を誤る。


結果的にゴールもトンチンカンな方へ…




と。









社会において、

「頭が良い」

ということは、

「仕事が出来ること」



と言い換えて良いだろう。




仕事、といっても、
例えばコピーをとる、書類をホッチキス留めする、
というシンプルな作業においても、である。



料理をつくる、人を誘導する、ポスターを描く…



何でも。




求められる最高の「ゴール」を正しく理解し、
それに向けた「設計図」を正しく描く。





そもそも、その設計図を間違えない為に、
正しくゴールを共有する為に、
的確に「質問する」。





質問は、事の本質が見えていないと正しく出来ず、
そこが間違えるとゴールがズレて、
設計図も誤る。








要は、「頭が良い」「仕事が出来る」とは、


「どのようなゴールが望まれるか?」


を考えられて、


それを理解する為に


「的確な質問」


がどれだけ出来て、


そのゴールに向かう為に「設計図を描ける」能力…。





と、いうことになるだろう。







後半の見解は、全て私の主観だが…









コラムで、秋元氏はこう結んでいる。








「考えてみれば、全て当たり前の事だ。
『仕事が出来る人』というのは、
当たり前の事をきちんとこなす人のことである。」








まさに、その通り。







私などは、それをどうやって、
若い世代に伝えるか…




に、腐心しているのである…