8月から、およそ3ヶ月に渡るパーソナルトレーナー養成コースが始まっており、
自分も新たな気持ちで取り組んでいる。
(つもり)
また、今日からは、
ノルディック複合の選手の東京合宿が始まり、
そろそろシーズン入りに向けての仕上げ的プログラムに。
…んで、選手の指導中、
先のパーソナルトレーナーの受講生が多数勤務しているジムを使わせていただいて指導しているので、
明らかに皆さんが勤務の傍ら、
こちらを凝視している視線が突き刺さるほど…
もちろん、「何か盗んでやろう」という姿勢は大変重要で、
それ自体はぜひ忘れないでいただきたいもの。
それはそうと…
講習会の中でも触れたが、
私がやっていることは、決して「変わった」内容は無い。
ある意味、極めてオーソドックス。
もちろん、営業戦略上、
敢えて目新しいメソッドを指導に加えることもあるかも知れないが、
基本的には、「奇をてらう」ような事はしない事が賢明である。
特に若いうちは、
「何とかお客様の気を引こう」
「他の人がやってないテクニックで指導しよう」
などと考えがちだが…
それが全て悪いわけではない。
悪いわけではないが、
それより大事な事は、
お客様(クライアント)に提案・提供した事を、
「琴線に触れるように」
解説、説明出来ているか?
こちらの方が余程、大切である。
あるいは、そのトレーニング手法を、
何の目的で用いているのか?
また、それを説明出来ているか?
例えば、外見上は単なる腹筋運動だとして、
形を模倣して誰かに指導するのは容易いが、
キャリアのあるトレーナーは、一見同じトレーニングに見えて、
実は目的や目指すところは様々であったりする。
また、それがあまりにオーソドックスな形であると、
特にアスリートにおいては、「何だ、これかよ」と感じてスタートからモチベーションが下がる事も少なくない。
だが、
「これは、今ここのこういう能力が低いから、
こういう目的の為にやっている。」
と説明され納得行けば、
モチベーション高く黙々と取り組む。
つまり、
外見上の物珍しさや魅力でなく、
例えシンプルなオーソドックスなトレーニングであろうと、
その意味や目的を、
「琴線に触れるように」
「腑に落ちるように」
説明出来ることを目指さないと、
形を追うのみで、永遠に成長出来ない。
「あの人がやっているトレーニング、
珍しいからやってみよう…」
…から始まる気付きもあるかも知れないが、
外見上だけで飛びついたり、
また外見だけで、「あれは知ってる」と早計に判断してしまったり、
こんな事が、如何に多いことか。
常に、まずは
「意図」。
「意味」。
を考える事が肝要である。
繰り返すが、私はほとんど、「普通」のことしかやってない。
見た目の珍しさ、だけを追い求めると、
本質を見誤る。
見た目の珍しさだけを追い求めて行っても、
真の実力には程遠い。
最後は、すべて基本…
自分も新たな気持ちで取り組んでいる。
(つもり)
また、今日からは、
ノルディック複合の選手の東京合宿が始まり、
そろそろシーズン入りに向けての仕上げ的プログラムに。
…んで、選手の指導中、
先のパーソナルトレーナーの受講生が多数勤務しているジムを使わせていただいて指導しているので、
明らかに皆さんが勤務の傍ら、
こちらを凝視している視線が突き刺さるほど…
もちろん、「何か盗んでやろう」という姿勢は大変重要で、
それ自体はぜひ忘れないでいただきたいもの。
それはそうと…
講習会の中でも触れたが、
私がやっていることは、決して「変わった」内容は無い。
ある意味、極めてオーソドックス。
もちろん、営業戦略上、
敢えて目新しいメソッドを指導に加えることもあるかも知れないが、
基本的には、「奇をてらう」ような事はしない事が賢明である。
特に若いうちは、
「何とかお客様の気を引こう」
「他の人がやってないテクニックで指導しよう」
などと考えがちだが…
それが全て悪いわけではない。
悪いわけではないが、
それより大事な事は、
お客様(クライアント)に提案・提供した事を、
「琴線に触れるように」
解説、説明出来ているか?
こちらの方が余程、大切である。
あるいは、そのトレーニング手法を、
何の目的で用いているのか?
また、それを説明出来ているか?
例えば、外見上は単なる腹筋運動だとして、
形を模倣して誰かに指導するのは容易いが、
キャリアのあるトレーナーは、一見同じトレーニングに見えて、
実は目的や目指すところは様々であったりする。
また、それがあまりにオーソドックスな形であると、
特にアスリートにおいては、「何だ、これかよ」と感じてスタートからモチベーションが下がる事も少なくない。
だが、
「これは、今ここのこういう能力が低いから、
こういう目的の為にやっている。」
と説明され納得行けば、
モチベーション高く黙々と取り組む。
つまり、
外見上の物珍しさや魅力でなく、
例えシンプルなオーソドックスなトレーニングであろうと、
その意味や目的を、
「琴線に触れるように」
「腑に落ちるように」
説明出来ることを目指さないと、
形を追うのみで、永遠に成長出来ない。
「あの人がやっているトレーニング、
珍しいからやってみよう…」
…から始まる気付きもあるかも知れないが、
外見上だけで飛びついたり、
また外見だけで、「あれは知ってる」と早計に判断してしまったり、
こんな事が、如何に多いことか。
常に、まずは
「意図」。
「意味」。
を考える事が肝要である。
繰り返すが、私はほとんど、「普通」のことしかやってない。
見た目の珍しさ、だけを追い求めると、
本質を見誤る。
見た目の珍しさだけを追い求めて行っても、
真の実力には程遠い。
最後は、すべて基本…