今更ですが、私たちが欲してやまないお金とは何かという事について考えてみたいと思います。

 

 お金とは交換手段です。物々交換よりも効率よく便利という特徴があるでしょう。お金の最大の特徴は何と言っても貯金が出来るという事にある。

 

 貯金が沢山あると安心できるからなのでしょう。お金が沢山あれば何でも買えて豊かな生活が出来るから誰もがお金に群がるのです。

 

 そして、その先には楽とか満足とか幸せという人間が望むものがある。ただ、人間は楽とか満足とか幸せというモノを知らないというのが最大の欠点ではないかと思います。

 

 人間の最大の欠点は何かと言えば思い込むということです。要は信じやすいという事であり、素直なんだと思います。それは、人間誕生以来、そういう資質が重要だったという事を意味すると思います。

 

 しかし、時代が変わることで長所が短所になることは当然あるわけで、言葉の誕生という人類史上最大の発明によって、その長所が最大の短所になってしまったのではないかと思います。

 

 前置きはその位にして、先ずはお金があれば何でも出来るという切り札と言える価値について考えてみようと思います。確かに、それは素晴らしい事であり、そういうモノがあれば楽が出来るし満足を得られるかもしれません。

 

 しかし、見方を変えれば、やることがなくなる考えることがなくなるという人間としての根幹を奪っていることには気づかないでしょうね。

 

 要は、人間が寝たきり状態にされてしまうようなこと。人間から手足を奪い、脳を奪う事なのです。誰だって、寝たきりにはなりたくないでしょうし、手足の切断をこの願う人も居ないでしょう。

 

 ましてや脳死=痴呆なんでまっぴらごめんなのではないかと思います。

 

 でも、お金が沢山あってそういう状態になるのは気にならないのです。それは何を意味するかと言えば、正にお金に騙されているという事を意味するのです。

 

 私たちたが小さい頃、子ども誘拐事件が初めて大きなニュースとなって、親から知らない人から「アイスクリームを買ってやる」と言われても絶対について行っちゃダメだと口を酸っぱく言われていたことを思い出します。

 

 それが危険だと子どもは知らないのです。

 

 お金も同じであり、それが本当は危険だと誰も知らないのです。それを望むと殺されるという恐ろしい未来を知らないのです。

 

 何故なら、アイスクリームが手に入るから・・・・

 

 要は、お金は人間を子どもにするという事です。お金をたくさん持っているという事は超子どもだという事です。それは褒められるべきことではなく憐れむべきことだという事です。

 

 可哀そうに自分には何もないからモノで補うしかないのだと。

 

 しかし、現実には絶賛され賞賛されあこがれの的となっている。これを私は「アベコベ社会」と呼んで本にしています。

 

 そもそも、お金というのは単なる紙切れに過ぎません。日本という国家があり誰もが価値あるものと信じているから価値を保てていますが、それは何時崩れてもおかしくないのです。

 

 人間という生き物は不便な時代が長いのです。そして、その不便な時代を生きる術を未だに持っている。その能力が不要になるのは実は良くないのです。

 

 何故なら、その能力を得るために進化という過程を踏んできているから。ということは、その能力を失えば、今度は退化という現象が襲ってくるからです。

 

 現代人は人間の脳の進化を殆ど知りません。だから、人間は最初からこうだったと思っていることでしょう。しかし、よく見ると未だに人間は進化し続けている。

 

 特に外見がそれを物語っていると思います。食生活が豊かになることでガタイが大きくなったという事があるでしょう。でも、それ逆行してモノが豊かになり便利になることで、脳は退化を始めているのです。

 

 未だに宗教なるモノが蔓延っていることを見ても分かると思います。未だに神様がいると思っていることもそうでしょう。昔の人と妄想と共鳴しているという事は昔の人以下に劣化していることを意味するのです。

 

 これをもたらしているのが学びであることは言うまでもありません。その結果、脳が委縮するという悲劇が始まっている。それは便利になることで不便な時代の脳が要らなくなって来たという事なのです。

 

 椅子に座ったままで、いや寝たきりで、リモコン操作何でも出来る環境も、家に居ながら何でも買えるし何処へでも行けるという環境が更に脳の活動を不要としていることは言うまでもありません。

 

 私たちはお金を通してなりたくない人間への道をひたすら驀進しているのです。でも、アイスクリームを食べることに気を取られているので、その結果何が待っているかを知る由もない。

 

 そういう本当を知るには「自分で考えて行動する」ことをやらないと見えては来ないのです。

 

 本当に大事なことは何なのか?

 一体自分は何がしたのか?

 どういう人生にしたいのか?

 

 と言った人間にとって最も重要なことを答えないととんでもない未来へと連れていかれることになるのです。とんでもないとは、絶対に嫌な未来です。

 

 その未来を教えてくれているのが高齢者ということになります。多くの人が、あんな老人にはなりたくないと思う高齢者に向かっていることを知りましょう。

 

 彼らが歩んだ道を歩くからそうなるのです。昔の人はそれが良いと思ったからそうしたのです。もしくは、嫌だったけど仕方なかったのでしょう。

 

 その予備軍である人たちもきっと同じ道を歩いていると思います。

 

 高齢者を批判するというのは、自分の将来を批判する行為となるので、その事を知って欲しいと思います。本当はそういうことを身をもって教えてくれる高齢者に感謝しなければいけないのです。

 

 後は、それを知ってどう考えどう行動するかで人生は決まります。

 

 是非、「こんなはずじゃなかった」と後悔することのない人生にして欲しいと思います。二度とない人生ですから・・・