普通人の映画体験―虚心な出会い -19ページ目

普通人の映画体験―虚心な出会い

私という普通の生活人は、ある一本の映画 とたまたま巡り合い、一回性の出会いを生きる。暗がりの中、ひととき何事かをその一本の映画作品と共有する。何事かを胸の内に響かせ、ひとときを終えて、明るい街に出、現実の暮らしに帰っていく…。

2018年12月19日(水)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、20:50~鑑賞。
「20センチュリー・ウーマン」
作品データ :
原題 20TH CENTURY WOMEN
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 ロングライド
上映時間 119分


自身のゲイの父親をモデルにした『人生はビギナーズ』で世界中から注目を浴びたマイク・ミルズ監督が、今度は母親をテーマに描いた半自伝的ドラマ。多感な思春期の少年が、自由奔放なシングルマザーと2人の個性的な女性たちに囲まれて過ごしたひと夏の成長の物語を、ユーモアを織り交ぜ瑞々しいタッチで綴る。主演は母親役に『キッズ・オールライト』のアネット・ベニング、その息子を『フッテージ デス・スパイラル』のルーカス・ジェイド・ズマン。共演に『マレフィセント』のエル・ファニング、『フランシス・ハ』のグレタ・ガーウィグ、『君が生きた証』のビリー・クラダップ。

ストーリー :
1979年、カリフォルニア州南部にある町サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)と母ひとり子ひとりの生活を送る15歳の少年ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)。家には他に、子宮頸がんを患いニューヨークから地元に戻ってきたパンクな写真家アビー(グレタ・ガーウィグ)と元ヒッピーの便利屋ウィリアム(ビリー・クラダップ)が間借りしていた。さらにジェイミーの2つ上の幼なじみジュリー(エル・ファニング)も夜な夜な彼の部屋にやってきては一緒のベッドで眠っていく。けれども、決して体には触らせてくれない。そんな中、反抗期を迎えた息子のことがまるで理解できず、お手上げ状態になってしまったドロシア。そこで彼女は、アビーとジュリーに「複雑な時代を生きるのは難しい。彼を助けてやって」と息子の教育係をお願いする。こうしてジェイミーは、強烈な個性を持つ3人の女性たちと15歳の特別な夏を過ごすことになるのだったが…。
アップ
本作では、ジェイミーの成長と70年代と80年代の狭間の時代を軸にして、世代の違う3人の個人史としての女性史が描かれる。
「大恐慌時代の女」であるドロシアは、ワーキング・ウーマンとして生きて、夫と離れ息子と2人で生きていくことを選ぶ。ベビー・ブーマーのアビーは、パンクやニュー・ウェイブ、女性解放運動の洗礼を受け、ジェイミーにポップ・カルチャーとフェミニズムの知識を授ける。ジェイミーより少し年上のジュリーは、80年代に20代を迎える世代で、自由を求めているが、立脚点が自分の肉体にしかなく精神的に危うい。
3人の女性を演じる女優が皆素晴らしい。年齢を重ねていくことの素晴らしさと哀愁を滲ませたドロシアを演じるアネット・ベニング。ジェイミーの水先案内人であるのと同時に彼を混乱させる存在でもあるアビーを魅力的に演じるグレタ・ガーウィグ。十代の少女のリアリティーとジェイミーの目から見たファンタジーとして女の子が入り混じった、不思議な存在感を膨らませるエル・ファニング…。

▼予告編

2018年12月19日(水)新宿武蔵野館(東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F、JR新宿駅中央東口から徒歩2分)で、14:40~鑑賞。

「マチルダ 禁断の恋」

作品データ :
原題 МАТИЛЬДА  
英題 Mathilde
製作年 2017年
製作国 ロシア
配給 シンカ
上映時間 108分


«Матильда»(マチルダ)

ロシア史上最大のタブーにして最大のスキャンダルの実話を映画化。ロマノフ朝の最後の皇帝ニコライ2世(1868~1918)と、マリインスキー・バレエ団の伝説のプリマ、マチルダ・クシェシンスカヤ(1872~1971)の許されぬ恋の行方を、現ロシア映画界が絢爛たるセットと衣装を総動員して描く。ニコライ2世役にドイツを代表する実力派俳優で、『ブルーム・オブ・イエスタデイ』のラース・アイディンガー、マチルダ役にポーランド出身の新進気鋭の女優で、『ゆれる人魚』のミハリナ・オルシャンスカ、恋のライバルであるヴォロンツォフ役にロシア映画界人気NO.1のスター俳優で、『ハードコア』のダニーラ・コズロフスキーが挑む。出演。監督は『爆走機関車 シベリア・デッドヒート』でゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にノミネートされたアレクセイ・ウチーチェリ。

ストーリー :
1890年代後半のロシア。ロシア帝国の次期継承者ニコライ2世(ラース・アイディンガー)には、イギリスのヴィクトリア女王の孫娘でアリックス(ルイーゼ・ヴォルフラム)という婚約者がいた。ある日、王室の列車が大事故に巻き込まれ、家族を助けようとした父アレクサンドル3世(Sergey Garmash)は重傷を負う。ニコライは父の死期とともに王位継承者として自由気ままな生活の終わりを悟るのだった。
ある時、帝国旅団のための競技会で、多くの見物客に交じり華やかなバレリーナたちがいた。その中でもひときわ美貌を放っていたマチルダ・クシェシンスカヤ(ミハリナ・オルシャンスカ)にニコライは釘付けとなる。二人は惹かれあうが、マチルダを一方的に恋い慕うヴォロンツォフ大尉(ダニーラ・コズロフスキー)が突然、皇帝に襲い掛かる。嫉妬に狂ったヴォロンツォフは、駆け付けた護衛たちに取り押さえられる。
王位継承者の新しいお気に入りとなり、他のバレリーナたちから激しい嫉妬の対象となるマチルダだったが、どんな時も気高く振る舞っていた。一方、拘束されたヴォロンツォフは拷問され、フィッシェル医師の研究室で実験対象となってしまう。彼はマチルダへの想いに取り付かれ、発狂してしまったのだ。
王位継承者のニコライとマチルダの情熱的な情事は、宮廷では歓迎されない禁断の恋となっていく。さらに、ニコライの婚約者アリックスはロシア入りし、マチルダというライバルがいることを知り、激しい嫉妬と憎悪を燃やすのだった。マチルダはニコライに「彼女と結婚したら、あなたは不幸になる」と言い放つが、ニコライは引き裂かれる想いで、皇后である母マリア・フョードロヴナ(インゲボルガ・ダクネイト)の強い意志でアリックスと結婚する。マチルダへの想いが募るばかりのニコライは、やがて王座を背く決断をし、マチルダの元へ戻ると彼女と約束するのだった。だが再び、ヴォロンツォフが現われ、復讐のためマチルダの乗ったボートに火を放つ。ニコライはこの惨劇を目の当たりにし、マチルダが亡くなったと思い込む。
マチルダ亡き今、王座へ背くことはせず戴冠式を受け入れるニコライ。大聖堂で妻アリックスとともに厳かにロシア新皇帝の戴冠式が執り行なわれる。その最中に、マチルダが突然現われ、彼女が生きていることが判明…。卒倒するニコライだったが、気を取り直し、王位継承者の証である王冠をその頂に戴く。
戴冠式と共に開催された即位記念の祝賀会場で、記念品に群がってきた大群衆が将棋倒しになり、千人以上が死傷するという大惨事が発生※、ニコライは陣頭指揮を執り、葬列を照らし慰霊するため、自身の皇帝即位を祝うはずだった花火を盛大に打ち上げるのだった―。

※ 映画では戴冠式と即位記念祝賀会が同日挙行となっているが、実際は戴冠式が1896年ユリウス暦5月14日に、記念祝賀会は戴冠式の数日後に行なわれた。その祝賀会当日、「ホディンカの惨事」と呼ばれる事件が起きた。モスクワ郊外のホディンカ(Ходынка)の平原に設けられた祝賀会場(飲み物とパン、それに記念品が配布されると告知された)に、50万人に達する大群衆が押しかけ、順番待ちの大混乱から将棋倒し事故が発生、約1400名の死者と1300名を超す重傷者(その大半は重度障害者となった)を出すにいたった。

▼本編映像→予告編



◆ ミハリナ・オルシャンスカ(Michalina Olszanska、1992~) インタビュー(OKWAVE Stars Vol.809 2018年12月12日) :
(2018年12月7日、ミハリナは本作の日本公開のタイミングで緊急初来日→翌12月8日、初日舞台挨拶を東京・新宿武蔵野館で行なった。)
Q:ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世の即位前の恋を描いた本作ですが、その時代背景についてはご存知でしたでしょうか。
A(ミハリナ):この時代のことは知っていましたが、マチルダという女性のことは知りませんでした。私の出身のポーランドでは無名だと思います。非常に面白いと思いましたし、尊敬できる女性だとも思いました。この役を演じて、すっかり彼女に恋に落ちました。

Q:マチルダのどんなところが魅力的だと思いますか。
A:マチルダは人生にまつわる全てに情熱を持っていました。バレエを踊るときも、ニコライを愛するときも常に100%です。そういう人はどの人からも魅力的に映ると思います。普通の人がシャイになってしまったり、躊躇してしまいそうなときも、彼女はそう考えません。マチルダはすべてのものを自分は得られる、と思っています。私たちも本当はそういう態度を持っているべきだと思います。

Q:マチルダ役はオーディションを受けて選ばれたとのことですが、オファーを受けたときと実際に決まったときのお気持ちをお聞かせください。
A:素晴らしい機会だと思いました。ポーランドではこんな大作映画はありませんので、オファーを頂いたときは100万回に1回のチャンスだと思いました。オーディションを受けている期間はワクワクとストレスの繰り返しでした。最後、役をもらえると聞いたときには、アレクセイ・ウチーチェリ監督を追い回して「本当に私ですか」「他の人に変わったりしませんよね」と何度も確認してしまいました。この映画に出演するまでは私は女優としては駆け出しの状態だったので、マチルダ役に決まったときは、まさに小さな女の子がお姫様になったような気持ちになりました。

Q:マチルダはバレリーナなので、演じる準備も大変だったと思います。役作りについてお聞かせください。
A:まずバレエの授業にたくさん通って集中してレッスンを受けました。今もロシア語で会話はできないのですが、セリフを覚えるためにもロシア語を学びました。ロシアでの公開では、私もニコライ2世を演じたラース・アイディンガーもロシアの声優さんが吹き替えていますが、やはり話すときの口の動きがシンクロしなければなりませんので、発音をしっかり練習しました。

Q:ニコライ2世を演じたラース・アイディンガーとの共演についてお聞かせください。
A:すぐに仲良くなりました。ラースは役者としてはもちろん、人柄も素晴らしいので、一緒にいて演じやすかったです。待ち時間などにおしゃべりをたくさんしていましたが、あまり役柄についての話はしませんでした。一緒のシーンではあまり準備しすぎないようにしようと思ったからです。ふたり別々のシーンも多かったのですが、共演シーンでは、彼がいろいろときっかけを与えてくれるので、心地よく演技ができました。

Q:現存する宮殿での撮影や、衣装や身につけていた宝飾品についてお聞かせください。
A:宮殿やバレエの劇場は非常に美しいロケーションでしたが、それ以上に大事だったのは、本物の場所だということです。そこにいると歴史のスピリットが感じられて、役者として大きな助けになりました。何かのフリをしたり想像するのではなく、そこで感じたまま演じればよかったからです。マチルダが身に着けていたドレスなどの衣装や宝飾品も全て本物です。それも役になりきる上で重要でした。

Q:この映画に携わったことで、新しい発見などはありましたか。
A:女優として多くのことを学びました。そもそも1年もかけて撮影をするのは初めてで、今までに経験したことがありませんでした。例えば、あるシーンを撮るときには3日、時には6日もかけていました。ポーランドではありえない撮り方です。3日間、同じシーンの芝居をすることは女優としての集中力が試されるということでもあるので、いい経験になりました。個人的に得たことでは、私の通訳をしてくれたロシア人の女性と仲良くなりました。今では彼女はポーランド人と結婚してポーランドに住んでいるんです。

Q:ポーランドの映画業界について教えてください。
A:ここのところ、毎年良くなってきていると思います。とくに女性監督が増えて活躍していると思います。90年代はロマコメやメロドラマばかりで停滞気味でしたが、そういうブームが去ってから、ポーランド映画の翼が広がってきたと思います。日本の皆さんがすぐに見られるポーランドの作品には、Netflixで配信されている「1983」というオリジナルシリーズがあります。カーシャ・アダミク、オルガ・ハイダス、アグニェシュカ・ホランド、私が出演した『ゆれる人魚』のアグニェシュカ・スモチンスカの4人の映画監督がメガホンを取っています。こちらには私も出演しています。

Q:ミハリナ・オルシャンスカさんからOKWAVEユーザーにメッセージ!
A:非常に官能的で、ビジュアルも美しい映画です。まずはそれだけでも楽しめると思います。また、歴史の事実に基づいたドラマなので、歴史好きな人にも楽しめるでしょうし、歴史に興味が無い方には逆にロマンチックなシンデレラのようなおとぎ話として楽しめると思います。いろんな人がいろんな視点で楽しめると思います。あまり考えずに映画館で楽しんでいただけたらと思います。

■私感 :
私がミハリナ・オルシャンスカの出演作を鑑賞したのは、『ヒトラーと戦った22日間』(2018年製作)(本ブログ〈September 15, 2018〉)に続いて、今作(2017年製作)が2作目。
『ヒトラーと戦った22日間』では、彼女はチョイ役ながら、何かを思いつめたような艶(なま)めかしい眼差しが実に印象的で、このポーランド・ワルシャワ出身の美人女優の存在が私の記憶にしっかりと刻み込まれた次第。本作では、ロシア革命前夜に咲いた徒花(あだばな)のようなヒロインを演じた彼女だったが、これまた何とも魅惑的で、上映時間全体を通して、マチルダ⇒ミハリナの映像美は私の目を奪いつづけた。
マチルダ⇒ミハリナの場合、何よりも私を惹きつけるのは自分に忠実な、誇りに満ちた生き方そのものである。踊りたい、美しくいたい、バレエ団の中で主役になりたい、生きているからには誰かを激しく愛したいし愛されたい、それは相手がロシアの次の皇帝であるニコライであっても同じ…。
彼女は“フエッテ(fouetté)の32回転” (チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」第3幕の黒鳥〈オディール〉の踊りでは「32回転フエッテ」が行なわれる)に敢然と挑戦する。それは彼女の、達成したい、手に入れたいという揺ぎ無き意志の強さを象徴する光景にほかならない。
それにしても、ミハリナは東欧美女の一典型か、色白で端整なルックスは見事!妖艶な美しさ、しなやかな肢体、射るような強い眼差し…これは匂い立つ情念混じりの官能美というべきか!

 ↓ 劇中、バレエダンスを披露するミハリナ・オルシャンスカ
「マチルダ」 
ミハリナ・オルシャンスカ
2018年12月19日(水)新宿武蔵野館(東京都新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F、JR新宿駅中央東口から徒歩2分)で、12:45~鑑賞。

「おとなの恋は、まわり道」

作品データ :
原題 DESTINATION WEDDING
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 ショウゲート
上映時間 87分


アメリカ・カリフォルニア南部のサンルイスオビスポ(San Luis Obispo)~極上ワインの産地としても知られ、“アメリカで最も幸福な都市”と呼ばれる~を舞台に、個性が強い男女の恋模様を描くラブストーリー。空港で出会い、同じ結婚式に参列することが判明した2人の男女が、毒舌交じりの会話を交わしながらも恋に落ちていくさまが綴られる。メガホンを取ったのは、『5時から7時の恋人カンケイ』のヴィクター・レヴィン。恋に臆病な偏屈男を『ジョン・ウィック』シリーズなどのキアヌ・リーブス、婚約者に捨てられた過去がある毒舌女をドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』などのウィノナ・ライダーが演じる。

ストーリー :
それは、最悪な出会いだった。とある金曜日、リゾート・ウエディングに招待されたフランク(キアヌ・リーブス)とリンジー(ウィノナ・ライダー)は、空港で同じ飛行機を待っていた。初対面同士の軽い挨拶のはずが思わぬ口論へと発展、イヤ~な気分で搭乗すると、なんと席が隣同士! やがてフランクは花婿のキースと絶縁中の異父兄弟で、リンジーはキースに捨てられた元婚約者だと判明する。お互いにキースから悪い噂ばかり聞かされていた相手だった。
飛行機はサンルイスオビスポ空港に到着、迎えの車を待つ間、なぜ出席するのかを探り合う二人。フランクは母親の命令でやむなく、リンジーは破談になった時にキースを訴えまでしたのだが、それでも心の広いフリをして招待するキースに、同じく心が広いフリをして受けたのだ。「けじめもつけたくて」と、いまだ未練が残っていることを、正直に認めるリンジー。
迎えの車も1台だけ、仕方なく同乗した二人は、互いの仕事を尋ねながら、ホテルに到着する。すると何と、部屋までが隣同士!二人は落ち着かない気持ちのまま、最初のイベントであるリハーサル・ディナーに出席する。フランクとキースの母、彼女と別れたキースの父、彼の元妻より年上の愛人と、フクザツな家族の全員集合だ。極めつけはフランクから聞かされた彼と亡き実父との関係で、リンジーは思わず「すごい家族ね」と目を見張る。重い腰を上げてキースに挨拶したリンジーは、別れた6年前と全く変わらない彼の姿に未練が爆発し、先に部屋へと帰ってしまう。 土曜の朝、歓迎バスケットに入っていた無料サービス券で、並んでフットマッサージを受ける二人。「僕はドケチだ」「恋愛から手を引いた」と、そのヘンクツぶりを悪びれることなく披露するフランク。一方のリンジーは、朝からキースへのドクゼツが止まらない。互いに激しくツッコミを入れながら、なぜかテンポはピッタリで、まるで息の合ったラリーのように二人の会話は尽きない。
お昼前にはワイナリーの見学だ。しゃべり通しの二人の意見が、「週末を潰して」「何千キロも遠くから幸せを祝いに来い」なんて、「リゾート・ウエディングは傲慢だ」と初めて一致する。だが、意気投合したのも束の間、「運命の人」を見つけたいリンジーと、そんな人はいないと全否定するフランクでまたまた議論が盛り上がる。
いよいよ二人にとって“最高にムカつく”、葡萄畑を見下ろす丘の上でのサンセット結婚式が始まった。幸せの絶頂のキースを見たくないリンジーは、「お散歩しない?」とフランクを誘う。のどかな道を、全然のどかでないヘリクツを交わしながら歩く二人。どういうわけか強く惹かれ合い始めた二人に、とんでもない恋のハプニングが待ち受けていた…。

▼本編映像→予告編 :



■私感 :
キアヌ・リーブス(Keanu Reeves、1964~)&ウィノナ・ライダー(Winona Ryder、1971~)は、『ドラキュラ』(1992年)→『スキャナー・ダークリー』(2006年)→『50歳の恋愛白書』(2009年)に続き、今作が4度目の共演となった。
もともとキアヌ・リーブスもウィノナ・ライダーも、私の好きなタイプの俳優(男優/女優)であり、二人のアンサンブルで生み出された本作~華やかで可笑(おか)しくて楽しい中にピリッとスパイスの利いた、大人のラブストーリー~を、私は存分に楽しめた。脚本の出来も良く、なかんずく興趣が尽きなかったのが、親族・友人が集まる結婚式で、共演者も多数いるにもかかわらず、招待客である主人公の二人(フランク⇒キアヌとリンジー⇒ウィノナ)にしか台詞がないという、大胆かつ唯一無二の舞台設定だった―。
それにしても、 “ヘンクツで憂鬱な男”~運命の出会いなんて信じない男~フランクと、“毒舌ヘリクツ女”~運命のひとを見つけたい女~リンジーが、まさかの恋に落ちこむ顛末に、私が格別の関心を向け続けたのは、何故(なにゆえ)だろうか。加齢に伴って、私自身の精神が成熟したのか、老熟したのか、それとも…。
2018年12月18日(火)吉祥寺プラザ(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-11-19、JR吉祥寺駅北口サンロード突き当たり左)で、18:35~鑑賞。

「アンクル・ドリュー」

作品データ :
原題 UNCLE DREW
製作年 2018年
製作国 アメリカ
配給 REGENTS
上映時間 103分


北米のプロバスケットボールリーグであるNBAのスター選手カイリー・アービングが特殊メイクで老人に扮し、若者相手に超絶テクニックを見せたCMを映画化した痛快スポーツ・コメディー。ストリート・バスケの弱小チームの助っ人を頼まれた元スター選手たちの活躍をコミカルに描く。主演のアービングのほか、共演にリル・レル・ハウリー、ティファニー・ハディッシュ、ニック・クロール。またシャキール・オニール、レジー・ミラーはじめ元NBAのレジェンドたちがチームメイト役を熱演。監督は『ドラムライン』のチャールズ・ストーン3世。

ストーリー :
マイケル・ジョーダンに憧れてバスケットボールを始めた青年ダックス(リル・レル・ハウリー)は、あるトラウマから選手の夢を諦め、現在はストリートバスケチームのコーチとして、大会での優勝を目指していた。しかし、ある日突然、チームの主力選手をライバルチームに引き抜かれてしまう。失意の中、ダックスは伝説の選手だったお爺さん、アンクル・ドリュー(カイリー・アービング)と出会う。二人はかつての仲間を集めて伝説のチームを復活させ、バスケの聖地“ラッカー・パーク”で開催される大会に挑むことに…。果たしてダックスの夢はかなうのか!?そして、ドリューたちはかつての輝きを取り戻すことができるのか…!?

▼予告編

2018年12月18日(火)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、13:15~鑑賞‐再見(「完全版」)。
2018年1月5日、新宿ピカデリーで初見(「国際版」)(本ブログ〈January 19, 2018〉)。

「バーフバリ 王の凱旋 完全版」

作品データ :
原題 Baahubali2-The Conclusion
製作年 2017年
製作国 インド
配給 ツイン
上映時間 167分

日本公開 2018年6月1日

古代インドの神話的叙事詩「マハーバーラタ」をベースに、伝説の戦士バーフバリの壮絶な愛と復讐を描き、本国インドで大ヒットしたほか、日本でも異例のロングランヒットを記録した『バーフバリ 王の凱旋』のオリジナル完全版。先に日本公開された141分のインターナショナル版よりも約26分長い、本国インドで公開された本編167分の完全版(テルグ語版)で、主人公バーフバリに恋をする、クンタラ王国の王女デーヴァセーナが舞い歌う「かわいいクリシュナ神よ」のシーンなど、日本初公開のシーンが多数(数秒、数十秒くらいの短いカット)含まれている。

▼予告編(完全版)



▼ epic arrow fight scene :




▼ Unbelievable Heroic Scenes :

2018年12月17日(月)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、15:00~鑑賞。

作品データ :
製作年 2017年
製作国 日本
配給 ENBUゼミナール・シネマプロジェクト
上映時間 96分


「カメラを止めるな!」

映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップから生まれた異色ホラー。前半37分間は作中劇であるB級ホラーテイストのゾンビドラマ(『ONE CUT OF THE DEAD〈ワンカット・オブ・ザ・デッド〉』)を上映し、後半の約60分間は一転して、そのドラマ制作に携わる人々をコメディータッチで描く。2018年公開時のキャッチフレーズは「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」「無名の新人監督と俳優達が創ったウルトラ娯楽作」。

ストーリー :
とある自主映画の撮影クルーが人里離れた山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。リアリティーを求める監督の要求はエスカレートし、なかなかOKの声がかからず、テイク数は42を数える。そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる!次々とクルーの面々はゾンビ化していくが、監督は撮影を中止するどころか嬉々として撮影を続行。”37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイバル”ムービーを撮った彼らとは…。

▼予告編



■私感 :
噴飯物である!
論外である!
観るに堪えない空疎な映画である!
人生に意味を見出せず、雑駁に生きる閑人(ひまじん)にはお勧めであるが…。
2018年12月17日(月)「アップリンク吉祥寺」(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、12:40~鑑賞。

作品データ :
原題 MARY SHELLEY
製作年 2017年
製作国 イギリス/ルクセンブルク/アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 121分


「メアリーの総て」

『マレフィセント』『パーティで女の子に話しかけるには』のエル・ファニング(Elle Fanning、1998~)が、わずか18~19歳で『フランケンシュタイン』を書き上げた女流作家メアリー・シェリー(Mary Shelley、1797~1851)を演じる伝記映画。19世紀のイギリスで、なぜ若い女性が恐ろしい“怪物”の物語を書くことができたのか、そのゴシック小説の古典的名作誕生に秘められた彼女の波乱の人生を、差別や偏見に立ち向かった一人の女性の物語として描き出す。共演はダグラス・ブース、ベル・パウリー、トム・スターリッジ。メアリーの生き様に感銘を受け、極上の映像美と共にスクリーンに焼き付けたのは、長編デビュー作『少女は自転車にのって』で数々の映画賞に輝いた、サウジアラビア初の女性映画監督ハイファ・アル=マンスール(Haifaa al-Mansour、1974~)。

ストーリー :
19世紀、イギリス。高名な思想家で小説家のウィリアム・ゴドウィン(スティーブン・ディレイン)を父に持ち、自身も小説家を夢見るメアリー(エル・ファニング)。父の再婚相手の連れ子クレア(ベル・パウリー)とは本当の姉妹のように仲良かったが、継母とは折り合いが悪く、見かねた父によって友人の家へと預けられる。メアリーはそこで、異端の天才詩人と噂されるパーシー・シェリー(ダグラス・ブース)と出会う。互いの才能に強く惹かれ合う二人だったが、パーシーには妻子がいた。情熱に身を任せた二人は駆け落ちし、やがてメアリーは女の子を産むが、借金の取り立てから逃げる途中で娘は呆気(あっけ)なく命を落としてしまう。失意のメアリーはある日、夫と共に滞在していた、悪名高い詩人・バイロン卿(トム・スターリッジ)の別荘で、「皆で一つずつ怪奇談を書いて披露しよう」と持ちかけられる。深い哀しみと喪失に打ちひしがれる彼女の中で、何かが生まれようとしていた…。

▼予告編

【以下は、同名映画(2)〔本ブログ〈December 31, 2018〉〕の続き…】

■私感 ② :
前回の「私感①」終盤で、『ディア・ハンター』の主人公マイケル・ヴロンスキーにおける、自らの〈個〉の特殊的現実と格闘する思想的・生活的な構えを明らかにした。
今回は、マイケルのその構え方を〈一定限度〉可能ならしめた背景として、彼がロシア系移民の町クレアトンで暮らす、ロシア系移民の青年である問題を様々に深追いしてみよう。

遠山純生編著『マイケル・チミノ読本』(boid、2013年)によると、「合衆国ペンシルヴェニア州クレアトンは、実在する町である。けれどもマイケルやニックら主要登場人物たちが住んでいる、映画のなかに登場する小さな鋼鉄生産町クレアトンは、…実在しない場所だ―つまり、全部で七つの町を使って撮影した素材を編集で組み合わせて一つの町に仮構したものなのだ。というのも、映画が必要としている教会、スーパーマーケット、ボウリング場、製鋼所等すべてを兼ね備えている町が見つからなかったからである。」(同書32頁)
本作では、クレアトンはロシア革命時に亡命してきたロシア系移民の町であり、このクレアトンで生まれ育ったマイケルらロシア系3世のアメリカ人がベトナムの戦場に行き、そして皮肉にも<ロシアン・ルーレット>の餌食となる戦慄の場面が展開される―。

メモ 問われるべきは、ロシア系アメリカ人(Russian American)が、米国内ではどういう歴史的・社会的な位置にあるのかという点である。端的に言って、クレアトンに住むマイケルたちは、ベトナム戦争当時(60年代後半~70年代前半。戦争の始期と終期に関しては諸説ある)、アメリカ社会の「マイノリティー(minority)」だったのかどうか―。

ロシア系アメリカ人はロシアに出自を持つ米国市民である。民族的なロシア人以外に、ロシア国内で生まれたユダヤ人、ウクライナやベラルーシにルーツを持つアメリカ人もこのグループに含まれる場合がある。
在米ロシア人移民史を概観すると、その第1波は1881年から20世紀初頭(第1次大戦前)までに起こった。この間、ロシア帝国からの移民は300万人前後と推定され、アレクサンドル3世による“虐殺”(「ポグロム」=ユダヤ人に対する集団暴力行為、1881~84年)から逃れて来たユダヤ人が中心であった。第2波は、ロシア革命とそれに続く干渉戦争の数年間(1917~1922年)に起きた。この間、多くの亡命者が続出し、大多数はヨーロッパ、主にフランスとドイツに定住したが、約3万人が赤十字国際委員会の後援などで米国にやって来た。その後、第3波(第2次世界大戦直後の1945~1950年代初め)、第4波(1970年初め~1980年代後半のペレストロイカ)、第5波(1991年12月のソ連崩壊後)が続く。1980年のアメリカ国勢調査(センサス)によれば、ロシアないしソ連からの278万人が米国に住んでいる(全人口約2億3千万人の1%強)が、民族的なロシア人出自の米国人に限れば約75万人にすぎない。2000年のUSセンサス(census)によれば、2,652,214人の米国人がロシア系であることを主張(自己申告)している(全人口281,421,906人の0.9%)。

クリップ アメリカ合衆国は「移民の国」である。移民は米国政治・経済・社会万般に与える影響は大きい。米国の移民政策は、歴史的に3つの時期に大別することができる。1875年以前の第1期は、新興国アメリカで不足する労働者として移民を積極的に受け入れてきた自由放任の時代、1875年から1965年までの第2期は、移民の流入を規制し管理する時代、1965年から今日までの第3期は、移民に対する門戸開放、機会均等の時代である。

クリップ 18世紀後半に英国からの移民が中心となって建国した米国では、その後も、アフリカからの黒人の強制移住は別にして、重点をシフトさせながら、西欧、北欧、アイルランド(1845年からのジャガイモ飢饉による移民)、ドイツ、中国(黒人奴隷制の廃止に伴い、アジア系移民の中で最も早く登場する移民=「苦力〈クーリー〉」)、南欧・東欧(新移民)、日本、中南米と世界から移民が到来してきた。
移民人口比率(外国生まれの人口の比率)は、19世紀後半から1910年までは14%台という非常に高い水準を維持している(ピークは1890年の14.8%。その後、現在に至るまで14%台には達していない)。
1875年に売春婦・犯罪者の入国禁止を主な目的とする、最初の移民法が制定された。
やがて新旧移民の間で軋轢が高まったため、1924年に成立した移民法(ジョンソン・リード法〈Johnson–Reed Act〉)は、いわゆる「新移民」を国別に厳しく数で制限し、さらに「日本人移民」を禁止した(⇒当時の米国人口の圧倒的多数を占める西欧・北欧諸国以外からの移民を事実上消滅させた)。これをもって「自由な移民の国アメリカ」が終わったといわれる。その後は、移民人口比率も低下に転じ、1940年には10%を切る。
第2次世界大戦後、公民権法成立の翌年1965年、「移民の出身国別割り当て制度」を撤廃した新移民法(ハート・セラー法〈Hart-Celler Act〉)が制定された。人種や国籍を問わず、西半球出身者と東半球出身者という大枠で移民の数が決められ、特別な技能を持った人材が積極的に受け入れることになった(⇒日本人移民禁止も解除された)。
このため、移民人口比率は1970年の4.7%をボトムに上昇に転じ、その後再度大きく上昇して、2016年には13.5%と過去のピークに近づいている。
移民の出身地の推移を見ると、1960年の段階では欧州・カナダからの移民が、以前に引き続いてアジア、中南米からの移民を圧倒していたが、その後次第に、アジア、中南米、特にメキシコ出身の移民人口が大きく増えてくる。
また、近年の移民流入者の構成を見ると、中南米からのヒスパニック系を中国、インド、フィリピンなどのアジア系が上回るに至っているのが新しい動きである。2013年に、中国、インドからの移民はそれぞれ14.7万人、12.9万人と、従来アメリカへの移民の最大の流入元であったメキシコの12.5万人を超えた(同年の移民総数120.1万人)。

クリップ 移民(immigrants)/非移民(non-immigrants)とは誰か :
“移民”とは、米国商務省センサス局によれば、「出生時に米国民でない者で、合法もしくは非合法に米国に存在している者」。慣例的には、外国生まれの米国居住者である。
他方、“September 11 attacks”以後に設置された米国国土安全保障省(DHS)の市民権・移民局によれば、移民とは「外国生まれの合法的な永住者」であり、厳密には移民は帰化市民(naturalized citizens)、「永住権」(グリーンカード)取得者、難民および亡命者からなる。非合法に居住する人々を除く合法的入国者の総数である。移民に対して、“非移民”とは、観光客や留学生などアメリカに定住する意思を持たず、期限付きで自国に帰ることを前提としている外国人を指す。米国に入国する場合、家族に米国の市民権や永住権保有者がいない者は、非移民外国人として入国することになる。一般的には旅券(パスポート)及び査証(ビザ)の発給を受けた上で入国する。渡航目的により、取得するビザは異なる。ここで問題となるのは、合法的ではない方法(密入国)で入国した外国人、あるいは観光目的で入国した外国人が、就労ビザなしに不法に米国内で就労していることである。定住する意思はあるが、永住権を持たないこれらの外国人を、一般的には非合法移民ないし不法移民(illegal immigrants)と称するが、今日的な定義上、厳密に言えば彼らは移民ではない。この“非合法的移民”が増加し始めたのは、1970 年代中頃以降であるが、その増加が米国民の不安を高めたのは1990年代に入ってからでる。2014年には、非合法的移民の数は 1100~1200 万人であると推定されている。

クリップ 2010年のUS Censusによると、米国の総人口は3億875万人(308,745,538人)である。「人種」別にみた内訳では、1人種のみからなる人々が、白人(White=ヨーロッパ系・北アフリカ系・中東系・中央アジア系・ラテン系)2億2355万人(72.4%)、黒人orアフリカ系アメリカ人(Black or African American、以下「黒人」と表示)3893万人(12.6%)、アメリカ先住民・アラスカ先住民(American Indian and Alaska Native )293万人(0.9%)、アジア系(Asian=東アジア・東南アジア・南アジア系)1467万人(4.8%)、ハワイ先住民・太平洋諸島系(Native Hawaiian and Other Pacific Islander)54万人(0.2%)、その他(Some Other Race)1911万人(6.2%)である。そして、2人種以上からなる人々(Two or More Races、以下「混血」と表示)が901万人(2.9%)となっている。
米国は英語圏であるためにイギリス系が多いと思われがちだが、ここで最も多いのはドイツ系(17.1%)で、その次がアイルランド系(12.1%)、3番目にイングランド系(9.0%)となっている。スコットランド系やウェールズ系なども含めたイギリス系アメリカ人は13.0%を数え、ドイツ系、アイルランド系、イギリス系で全人口の4割以上を占めている。

ところで、この2010年「人種」別集計では、ヒスパニック系アメリカ人(Hispanic American)~スペイン語を母語とする中南米出身者やその子孫で米国に居住する人々~の全体がそれぞれの人種項目に分散している。
ラテン語のヒスパニクス(Hispanicus)由来の「ヒスパニック」は、スペイン人、スペイン語またはスペインの文化に関連のあることを示す形容詞または名詞。米国ではヒスパニックはメキシコ、キューバ、プエルトリコなどのラテンアメリカ出自の人を指し、ヒスパニック系アメリカ人またはラテン系アメリカ人と表示される。留意すべき点は、ヒスパニックが実際上は「人種」概念ではなく、人種(≒身体的形質)的には白人、黒人、インディオが様々な割合で混じり合った人たちから成ること。それは、自分あるいは先祖がスペイン語圏のラテンアメリカ出身であるという血筋・伝統・文化を表わす表現として、自らの存在の本質的自己規定=アイデンティティーに関する概念である。
米国センサスでは2000年までは、ヒスパニック系(Hispanic or Latino Origin)と人種(Race)がまとめて集計されていたが*、2010年のそれでは、人種とは別の範疇「エスニシティ(ethnicity)」(=所与の集団成員を他の人々から区別する文化的価値や規範)としてヒスパニック系か否かという項目が立てられ、ヒスパニック系自体が集計されている**(一般的に言えば、生物学的特徴に基づく人口の区分を人種的区分といい、これに対してエスニシティとは文化的側面である言語・文化様式による人口区分である)。

米国は連邦憲法の規定に従って10年毎にセンサス(国勢調査)を実施する。第1回センサスは1790年に行なわれた(2010年センサスは23回目)。スペイン語を母語とする人々の統計を取り始めたのは、1940年のセンサス以降のこと。また、「ヒスパニック」に関する本格的な集計は1980年のセンサス以降のことで、ヒスパニックという分類で米国の建国期からの統計を見出すことはできない。しかし、国別では1820年以来、移民統計が取られている。

* 【2000 US Census】 :
 Total US Population. . . . . . . . . . . . . . . . . . .   281,421,906人(100.0%)
One race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     274,595,678人 (97.6%)
 White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     211,460,626人(75.1%)
 Black or African American . . . . . . . . . . . . . .    34,658,190 人(12.3%)
 American Indian and Alaska Native . . . . . . . . .   2,475,956人 (0.9%)
 Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .      10,242,998人 (3.6%)
 Native Hawaiian and Other Pacific Islander. . . . .   398,835人 (0.1%)
 Some other race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    15,359,073人 (5.5%)
Two or more races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     6,826,228人 (2.4%)

 Total US Population. . . . . . . . . . . . . . . . . . .   281,421,906人(100.0%)
Hispanic or Latino. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     35,305,818人(12.5%)
 Mexican. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .      20,640,711人(7.3%)
 Puerto Rican. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .      3,406,178人 (1.2%)
 Cuban . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .      1,241,685人(0.4%)
 Other Hispanic or Latino . . . . . . . . . . . . . . .     10,017,244人(3.6%)
Not Hispanic or Latino . . . . . . . . . . . . . . . . .    246,116,088 人 (87.5%)
 White alone . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    194,552,774人(69.1%)

** 【2010 US Census】(Total Population:308,745,538)におけるヒスパニック(HISPANIC OR LATINO)VS〈非〉ヒスパニック(NOT HISPANIC OR LATINO) :
《ヒスパニック系》の人種構成〔Total Number:50,477,594(Percent:100.0)、Percentage of US population:16.3〕
One Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    47,435,002人(94.0%)
 White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     26,735,713人(53.0%)
 Black or African American . . . . . . . . . . . . . . . .   1,243,471人(2.5%)
 American Indian and Alaska Native . . . . . . . . . . .   685,150人 (1.4%)
 Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    209,128人(0.4%)
 Native Hawaiian and Other Pacific Islander . . . . . .58,437人(0.1%)
 Some Other Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .   18,503,103人(36.7%)
Two or More Races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    3,042,592人(6.0%)

《非ヒスパニック系》の人種構成〔Total Number:258,267,944(Percent:100.0)、Percentage of US population:83.7〕
One Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .  252,301,463人(97.7%)
 White . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     196,817,552人(76.2%)
 Black or African American . . . . . . . . . . . . .    37,685,848人(14.6%)
 American Indian and Alaska Native . . . . . . . .   2,247,098人 (0.9%)
 Asian . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .     14,465,124 人 (5.6%)
 Native Hawaiian and Other Pacific Islander . . . . . 481,576人(0.2%)
 Some Other Race . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .    604,265 人 (0.2%)
Two or More Races . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .   5,966,481人(2.3%)

2010年の人口調査では、ヒスパニック系米国人が5048万人、全人口の約 6分の1の16.3%を占める。その約5千万人の内訳は、「白人」2674万人(53.0%)、「黒人」124万人(2.5%)、「その他」1850万人(36.7%)、「混血」304万人(6.0%)等。 また、非ヒスパニック系については、「白人」1億9682万人(全人口中63.7%)「黒人」3769万人(12.2%)、「アジア系」1447万人(4.7%)、「混血」597万人(1.9%)等。
ヒスパニック系が全人口に占める割合は、2000年の人口調査で12.5%、“非ヒスパニック系黒人”(ヒスパニック系ではない黒人)の12.3%とほぼ同じだったが、2010年段階にいたって非ヒスパニック系黒人(12.2%)を抜き、全米最大のマイノリティー・グループ、つまり“非ヒスパニック系白人”(ヒスパニック系ではない白人、63.7%)に次ぐ単独2位の集団(16.3%)となった。米国全ヒスパニック人口のうち6割がメキシコ系で、プエルトリコ系が1割、キューバ系がそれに次ぐ。

アメリカ国勢調査局(Bureau of the Census)では、非ヒスパニック系の白人をマジョリティー(社会的多数派)、それ以外の人種や民族【ヒスパニック系+非ヒスパニック系の非白人(黒人/アメリカ先住民・アラスカ先住民/アジア系/ハワイ先住民・太平洋諸島系/その他の人種/混血)】をマイノリティー(社会的少数派)と定義している。2010年の調査では、全人口の63.7%を占める非ヒスパニック系白人がマジョリティーであり、残りの36.3%を占める“ヒスパニック系+非ヒスパニック系非白人”(=“非ヒスパニック系白人でない者”)がマイノリティーであった※。

※ マイノリティーとは、一般に「社会的少数者」・「社会的少数派」を意味し、その対義語が「マジョリティー(majority)」=「社会的多数者」・「社会的多数派」である。マイノリティーは往々にして社会的な偏見や差別の対象になったり、少数派の事情を考慮していない社会制度の不備から損失を被ったりする。ただし注意すべきは、必ずしも数の多寡にかかわらず、そこに「社会的弱者」/「社会的強者」という、“差別的構造により社会的に著しく不利な/有利な-弱い/強い立場に置かれる人々”の問題が複雑に絡みあってくる点である。例えば、数の面では人口の半数近くを占める女性や、人口では多数派である南アフリカの黒人や20世紀初頭の米国南部の黒人のように、人口の割りに社会における機会が著しく制限された層が、「社会的弱者」という意味でのマイノリティーとされる場合がある。逆に、数としては多数でなくともその集団が強い立場にある場合には「社会的強者」という意味での「マジョリティー」とされることがある。例としては、征服王朝の支配階層、植民地における宗主国出身者、ラテンアメリカ諸国における白人層、アパルトヘイト時代の南アフリカ共和国における白人層などを挙げることができる。

アメリカ合衆国は移民により成り立った、世界でも有数の多民族国家である。同国の人口は1915年に1億人、1967年に2億人、2006年に3億人に、それぞれ達している。国勢調査局の推計では、2043年には4億人に達すると見られている。この超大国アメリカと言えば、人種も民族も多様で様々な言語が使われてはいるものの、これまで基本的に≪英語を話す“白人”の国家≫というイメージを持つ人が多かった。しかし、第2次大戦後~特に1965年の「移民法」(発効は1968 年)以降~、マイノリティー(少数派)・グループの増大に伴い、その具体的なイメージが崩れ始めている。

米国の人口増を支えているのは、何を措いてもヒスパニック系の移民の多さと、その高い出生率である。ヒスパニック・アメリカンは20世紀末頃から非合法を含め流入が活発化し、2000年からの10年間に約 43%の人口増加率を示し、カリフォルニア州、テキサス州で州人口の 3分の1以上に達するなど、西南部諸州を中心に急増した。

そして、米国の人口構成の大きな変化に照らすとき、強く注目されるのが「アジア系アメリカ人(Asian American)」の存在である。米国では、大々的なヒスパニック化の裏側で急速なアジア化も進行してきた。
アジアから米国への移民は、1965年以前に約2万人だったが、1970年には10万人を超え、2014年には41.9万人(同年の移民総数101.6万人の41.2%)を数える。他方、ヒスパニック系移民は1965年に約13万人、2014年に38.2万人(移民総数の37.6%)である。アジア系米国人(Asian alone or in combination:「民族的にアジア系である、または祖先のいずれかにアジア系を持つ」)は、2000年から2015年にかけて、1190万人から2042万人へと72%もの増加率で急増した。これは同時期(2000年/3531万人→2015年/5650万人)におけるヒスパニック系米国人の60%という増加率を上回っている。中でも、ブータン系、ネパール系、ミャンマー系が2倍以上に増えた。全体の勢力バランスとしては、2015年で中国系(24%、490万人)、インド系(20%、400万人)、フィリピン系(19%、390万人)が三大勢力である。それに、100万人以上のベトナム系、韓国系、日系が続くという形になっている。

米国の人口増加に大きく寄与してきたヒスパニック系移民とアジア系移民であるが、ここで指摘すべきは、近年ではヒスパニック系移民の増加傾向に陰りが見えていること。
最も大きなヒスパニック系移民の流出元だったメキシコの場合、2014年を見れば、米国ヒスパニック人口5528万人の64%(3532万人)を占めた(Total:318,857,056)。ヒスパニック人口におけるメキシコ系の割合は、2006年以降は60%台を維持してきた。しかし、過去に70%以上の割合を占めた時期と比べると、低下の傾向が出ていることは否めない。
実は、メキシコ系移民は2005年以降に、一方で米国への新規流入が(合法・非合法移民ともに)減少し、他方で逆に米国からの流出~つまり、米国から母国に戻る~が増加している。特に2009~2014年ではその「流入者」より「流出者」の方が14万人も多くなっているように、メキシコ系米国在住者が母国に帰国する傾向が明確になっている。この問題状況を呈するにいたった背景としては、米国での雇用状況の悪化や国外退去措置の厳格化~1990年以降顕著になった非合法滞在者に対する厳しい制裁~や国境警備の強化などが考えられるが、いずれにせよ米墨間の人の移動の潮流に大きな変化が生じてきているのは間違いない。
こうした状況下、米国におけるメキシコ系移民の「外国」~メキシコ~生まれの割合は、2000年の41%から、2013年の33%へと減少。また、米国へのメキシコからの移民総数のうち、在米10年以下の移民の割合は、50%(1990年)から23%(2013年)に低下。逆に同期間に在米20年以上のメキシコ系移民が19%から42%に増える。そして、メキシコからの移民の年齢の中央値を見ると、1990年に29歳だったのが、2013年には39歳に上昇。他方、18歳以下のメキシコ系移民は15%だったのが、2013年には6%に低下。
メキシコ系移民(米国在住者)にあっては、移民1世が高齢化するとともに、1世よりもその子供(2世)と孫(3世)である現地(1世の移住先・米国)生まれの世代が増加している。米国メキシコ系の人口増加は現在、基本的に移民の新規流入よりも米国内の自然増加~メキシコ系米国在住者の出生数~に依存する傾向を強めている。

移民国家アメリカで、今一番人口が増加しているのはアジア系移民である。今後は、アジア系の存在力がヒスパニック系(中南米系)と同等かそれ以上に強まっていくことだろう。
ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center、ワシントンD.C.を拠点とするシンクタンク〈米世論調査団体〉)の人口動態統計に基づく予測では(Source: Pew Research Center 2015 report, ”Modern Immigration Wave Brings 59 Million to US, Driving Population Growth and Change Through 2065”)、米国の移民(外国生まれ)構成上、2055年にアジア系がヒスパニック系を抑えて最大の移民集団となり、2065 年には全移民に占めるアジア系の割合が38%、ヒスパニック系が31%、白人系が20%、黒人系が9%になるとしている。そしてまた、米国の人口構成上、2043年にヒスパニック系とアジア系を中心とする“非白人”~ヒスパニック系+非ヒスパニック系非白人~が、“白人”~非ヒスパニック系白人(Non-Hispanic White)~を超えて過半数を制するようになり、2065年には総人口に占める“白人”の割合が46%、“非白人”が54%(ヒスパニック系24%+アジア系14%+黒人系13%+All other 3%)になるとされている。

アメリカ合衆国は現在、歴史上の大きな転換点に立っている。
1960年の米国は、総人口の85%が白人(ホワイト)で、圧倒的に白人国家ほかならなかった(黒人は10%、ヒスパニック〈中南米系〉は2.6%)。しかし、1965年の「移民法」を経て、1980年以降の三十数年間にヒスパニックおよびアジア系が著しく多数化する一方で、白人が8割から6割まで減少し(白人比率:1980年/79.6%→1990年/75.9%→2000年/69.1%→2010年/63.7%)、黒人の人口比が不変であった(黒人比率:1980年/11.5%→1990年/11.6%→2000年/12.3%→2010年/12.2%)。そして、少子高齢化し、人口的な優勢が揺らぐ白人が、いよいよ2040~2050年の間に~2043年説が強い!~、人口全体の過半数を割ってしまい、”マイノリティ”になるのに対し、かつてのマイノリティーである非白人(ノンホワイト)が大勢(マジョリティー)を占めるにいたる―。
〈白人〉VS〈非白人〉の人口構成が大規模に変化すると予想される中、アメリカ〈社会‐国家〉は今や、建国以来の自らのアイデンティティーの転換期を迎えていると言わねばならない。

メモ さて、話は本作『ディア・ハンター』のマイケルら主人公たちの出自である“ロシア系移民(アメリカ人)”の問題である。ロシア系移民(3世)だった彼らは、生まれながらにアメリカ社会の“マイノリティー”としてのハンディを背負って生きてきたのだろうか―。
既述した米国商務省センサス局による定義によると、ロシア系移民(米国人)は決してマイノリティーではない。他のヨーロッパ諸国からの「白人」移民ともども、アメリカ社会のマジョリティーである“非ヒスパニック系白人”として分類されている。
しかし、“白人”~「非ヒスパニック系白人」という一つの人種・民族集団~などという大雑把な概念をもっては、アメリカ移民史(Immigrants in American History)のダイナミズムに真正面から向き合うことは、もとより望むべくもない。人種・エスニシティと国家統合の関係を見るとき、「非ヒスパニック系白人」という分類自体が適切なものであるかが不断に問われざるをえないだろう。

クリップ 米国は建国の初めから、絶えず“移民”労働力を基盤にして、その国力を培ってきた。まず「従順な」労働力として「不適格」と判断された先住民(ネイティブ・アメリカン)は、戦闘や虐殺、あるいは隔離によって排除された。代わって、最底辺の労働を担う人々として、アフリカ大陸から大量の黒人奴隷が「輸入」される。一方、19世紀末までは、アメリカの国境は事実上開放されており、ヨーロッパからの多くの移民が大西洋を渡り、この新国家に特別の制限もなく自由に入国していた。かくて新しい移民が増加していく中で、最も初期の移民であるアングロ・サクソン系(WASP)※は、後続の移民に対して、人種・民族に基礎を据えたアメリカ社会のヒエラルキー構造を作り上げることに成功する。18世紀にはドイツ系、スカンジナビア系が、19世紀半ばからはアイルランド系が、19世紀末後半から20世紀初期にかけてはロシアなどの東欧系やイタリアなどの南欧系が、それぞれ差別の対象となった。そして、こうしたヨーロッパからの白人移民は、その内部に差別的階層を作りながらも総体としては、それ以後陸続と渡ってくるアジアや中南米からの有色人種移民の上層に位置するという社会構造を作り上げていった―。

クリップ 米国ヘの移民の流れは、イギリス(グレートブリテン王国)の植民地時代を別にして、〈18世紀後半~20世紀前半〉を、大掴みに言えば、二つの時期に区分することができる。第1期は建国期の1780年代から1880年代までの「旧移民」(西欧・北欧系)の時代、第2期は1880年代から1920年代までの「新移民」(東欧・南欧系)の時代である。
第1期の「外国」移民は、西欧・北欧系が主体であり、特にWASP(ワスプ)※と言われるイギリスからのアングロ・サクソン系白人のプロテスタントが中核を形作っていた。1790年の第1回センサスによると、米国の全人口約393万人〈3,929,214人〉のうち、ヨーロッパ系白人が約81%(約320万人)がであり、その民族別内訳ではイギリス系(=イングランド系47.5%+スコッチ・アイリッシュ系8%+スコットランド系4%+ウェールズ系3%)が62.5%(約250万人)と圧倒的に多く、ドイツ系が7%(28万人)、アイルランド系が5%(20万人)、オランダ系が2.5%(10万人)、フランス系が2%(8万人)、スペイン系が0.5%(2万人)、スウェーデン系(とその他)が0.5%(2万人)と続き、そして全人口の残りが白人以外のアフリカ(黒人)系19%(75万人)、ネイティブ・アメリカン(先住民)1%(5万人)で占められている。

※ WASPとは、「ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)」の頭文字をとった略称。アングロ・サクソン人とは、イギリス民族の根幹をなす人々の呼称で、厳密に言えばドイツ北西部のサクソン地方からイングランドに移住した人々をさす概念であるが、現在ではイングランド、スコットランド、ウェールズなどの諸島に住む多様な出自の人々の総称になっている。さらに、WASPと言う場合には、今日ではイギリス系の移民に限らず、西欧系や北欧系の移民も含めて、アングロ・サクソンとみなしていることが多い。 

1880年代から次第に移民の中心は、西欧・北欧から東欧・南欧に移る。特に19世紀末~20世紀初頭に、ロシアやポーランド(当時ロシア領)などの東欧と、イタリアやギリシアなどの南欧からの「新移民」が急増した。第1期の100年間には、約1500万人の旧移民が流入したのに対し、第2期ではわずか40年の間に2250万人の新移民が流入している。
宗教的にはポーランド人とイタリア人はカトリックを、ギリシア人はギリシア正教会を、ロシア人はロシア正教会を信仰し、またロシアからの移民の多数を占めたユダヤ人はユダヤ教徒である。WASPによって形作られた社会に、それとは異質の集団が入りこめば、摩擦と対立は避けられなかった。旧移民の中でも、カトリックのアイルランド人たちは19世紀前半にWASPの差別・排斥の対象とされていたが、彼らはアメリカ社会に溶けこむように努め、次第に社会的地位を向上させていく。ところが、新移民は概して貧困で文盲率も高く、知性と文化の面で欧州北部・西部の人々より劣るとされたため、アメリカ社会への適応ないし同化もかなわず、都市の一画に独自の閉鎖的なコロニーをつくることが多かった。特に彼ら(出稼ぎ型の非熟練労働者)が就業する低賃金労働は、旧移民を中心とする組織労働者の反発を買ったが、本来新移民と関係のない貧困の増大や都市問題まで、彼らの責任と考えられるようになった。そして、旧移民と新移民の人口比率が逆転した1890年代半ば以降、移民制限~質的制限(犯罪人・売春婦・伝染病患者・無政府主義者・乞食などの入国禁止)から量的制限(国別移民割当制)へ~に関する移民法を要求する声が一段と高まった―。
アップ ダウン
東欧・南欧系の移民は、故郷で土地を購入するために、およそ5倍の賃金が得られるアメリカへ出稼ぎに出かけた。彼らはいったん故郷に戻るが、家族を連れてまた渡米する者が続出する。故郷で得る賃金の数倍とはいえ、米国では格段に低い所得しか得られない彼らは、同様の境遇の者同士で共同生活することを余儀なくされた。この共同生活の中で、彼らは多文化に触れながら、自身のアイデンティティーをより明確にしていく。しかし、第1次大戦と1920年代の移民制限法制定によって移民の流入が抑制されると、帰化する者が増え、この種の祖国への帰属意識も変化していった。それでも、同じ祖国の者から結婚相手や政治家を選ぼうとする傾向は残り、民族的なコミュニティーは滅亡の危機を逃れた。

東欧系~代表格はロシア移民~と、南欧系~代表格はイタリア移民~の多くは、こうしてアメリカ社会の底辺に近い“マイノリティ-”だったことは紛れもない歴史的事実である。
しかし他方で、非WASPである東欧・南欧系は、旧移民のアイルランド系がそうであったように、その社会経済的な地位を少しずつ上昇させていく。米国では拡大する経済の中で、最も遅く同国に移住した層が主に肉体的な労働に従事し、従来の肉体労働者の層が管理する側に徐々に代わっていくという、移住した順番で社会的・経済的地位がある程度定まる「セニオリティ(seniority)」の現象が成立してきた。この社会的可動性のゆえに、東欧・南欧系が「優勢集団(dominant group)」の一部と考えられる面も見られるにいたる[東欧系‐ユダヤ系には実業界で成功した人も多く、またイタリア系では芸能関係で成功した人物(フランク・シナトラ〈Frank Sinatra、1915~98〉など)が多い]。そして、東欧・南欧系の“エスニック・ホワイト”に代わって肉体労働的な仕事を担ったのが、その後の移民であるアジア系やヒスパニック系にほかならなかった。

移民に対するアメリカ国民の世論は歴史上、今日に至るまで常にアンビバレント(両義的)な姿勢を保持してきた。そこでは、経済的にも文化的にも積極的に移民を受け入れようとする動き~多様性を是とするプルーラリズム(pluralism、多元主義)~がある一方で、時代の社会情勢~特に経済的苦境~に絡んで、ネイティヴィズム(nativism)と呼ばれる偏狭な移民排斥運動が繰り返し続いている。

本 本作『ディア・ハンター』のマイケルら主人公の青年たちは、ロシア系アメリカン(移民第3世代)である。彼らの先祖・祖父母(移民第1世代)は、ロシア革命の際に旧ロシア帝国から亡命してきた、狭義のロシア人と見られる※。

※ 本作では1世の移住時期が判然としないが、前後の文脈上、前述した在米ロシア人移民史の第2波の「ロシア革命」時と推断される。また、その1世が広義のロシア人(旧ロシア帝国の住民or東スラブ人)であるにせよ、狭義のロシア人(中央ロシアに住むロシア語を母語とする大ロシア人)orベラルーシ人(白ロシア人)orウクライナ人(小ロシア人)かは、はっきりと見分けられない。ただし、スティーブンとアンジェラの結婚式がロシア正教会で挙げられているように、少なくとも彼ら1世→2世→3世が、“ユダヤ系”ロシア人でないことだけは確かだろう。

彼ら移民3世(1世の孫)は、米国へと移住してきた1世と異なり、米国で生まれ育ち、米国籍を持っている。ロシア系移民第1世代は、英国系や北欧・西欧系のグループ(支配的な多数派)とは社会経済的地位などで明らかな格差が見られた。しかし、第2世代→第3世代の場合、その格差が次第に縮減し、やがて社会移動を通じて社会的階梯を上り、ゆっくりと何とか“白人”主流社会に参入(仲間入り)しつつあった…と思われる。
問題は1世に比べて2世→3世がたとえ徐々に貧困や低い教育程度が改善され、暮らしこそ向上はしても、往々にして受け入れ文化(米国)と母文化(ロシア)という二つの異質文化の狭間に立って揺れ動き、心理的な葛藤に苦しむ嫌いがあること。
それは、個人差の大きい資質や努力が作用するとはいえ、基本的に“マイノリティ-”なるがゆえの生きにくさにつながる問題である。移民第2世代→第3世代は、好むと好まざるとにかかわらず、何よりも言語・家族観・結婚・料理など、日常的な生活様式については“母文化”を捨てきってはいない。そんな彼らだからこそ、自らのエスニシティと異なるアメリカ主流社会への同化(⇒アメリカ化)に努める一方で、しばしばエスニック・アイデンティティー・クライシス(ethnic identity crisis)~「自分はロシア人かアメリカ人か?」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること~に見舞われてしまうのだ。
想像するに、少なくともマイケル、ニック、スティーブンの3人にとって、この屈折した心理機制のもとでは、米兵としてベトナム戦争に参戦することが、さしせまった必要事だったのかもしれない。自らの”帰属意識”に関わるエスニック・アイデンティティーを確立するために、国家間の戦争に乾坤一擲(けんこんいってき)の“愛国心”~社会共同体or政治共同体としての米国に対する愛着感~を賭けることこそが、避けて通れぬ関門だったのだろうか。この点、本作劇中で、3人の同僚で髭面の大男アクセルが「膝さえ悪くなければ…」とベトナム戦争に出征できないことを残念がるシーンや、ベトナム・サイゴンの陸軍病院でニックが「ロシア系か?」と問われ必死に「アメリカ人だ!」と即答するシーンが、それぞれに印象深い(ちなみに言えば、マイケルたち3人のベトナム戦争への出征は、徴兵されてのものか、それとも自ら志願したものか?これは微妙な問題だが、私としては前記の思想的文脈に沿って、彼らは志願兵であると解釈したい)。

ただし、ここで注意を要するのは、本作がこのエスニシティの“スティグマ”化の問題をことさらにテーマに据えているわけではないこと。
なるほど本作の場合、マイケルたちの故郷クレアトンを、ロシア系移民からなるコミュニティー(生産・自治・風俗・習慣などで深い結びつきをもつ共同体)として描写してはいる。しかし、そこではアメリカの建国神話を牽引してきたWASP的共同体の優越性に起因するところの、心の痛みを伴う何らかの「スティグマ(stigma、傷)」(=他者や社会集団によって個人に押し付けられた負の表象〈ネガティブなレッテル〉)を負わざるをえないロシア系アメリカンの内的世界がリアルに前景化(問題化)されているわけではない。

本作がクローズアップする主立った登場人物は、町の中心たる製鋼所で汗まみれになって働き、仕事を終えれば馴染みの酒場で杯を酌み交わす彼たちであり、あるいは共同体にとっての社交場としても機能するスーパー・マーケットに勤務し、静かに日々を送る彼女たちである。彼らこそ、まさしく米国のどこにでも見出せるような「社会の片隅でさりげない日常生活を営む一般人(庶民)」であり、そうした意味合いで、総体的な国民共同体としての米国を提喩的に表象=代表しえる社会的存在にほかならない。本作では、基本的に劇中人物の庶民性⇒一般性をその重要な拠りどころとして、〈ロシア系移民の共同体〉こそが米国全体を代表する機能を果たす形で、〈米国VSベトナム〉の非日常としての戦争が、<ロシアン・ルーレット>を強要する戦地としてのベトナムの“狂気性”が鮮烈にあぶり出されていく―。

マイケル、ニック、スティーブンの3人~幼馴染みの間柄で、同じ製鋼所に勤め、鹿狩り仲間でもある、ロシア系アメリカ人の若者たち~は、ベトナム戦争へ出征する。
マイケルは冷静な判断力と卓抜した度胸の持ち主で、指導者的資質に恵まれている。ニックは内省的で、山や木を愛する繊細で心の優しい男。マイケルが鹿狩りへ行く時は必ずニックを相棒にする。スティーブンは素直で人懐こい愛すべき人物で、出征直前にアンジェラと結婚式を挙げる。実は、アンジェラは別の男の子供を孕んでいたが、スティーブンはそれでも彼女のことを愛していた…。
3人は戦場の地獄に叩き込まれた結果、それぞれに身体的・精神的な傷を負う。スティーブンは下肢を失い復員軍人病院に引き籠もっている。ニックはサイゴンで失踪し、ベトナムにとどまっている。ひっそりと帰還したマイケルは、故郷コミュニティーのなかで孤立し、帰還後も軍服を身に着けたままでいる…。
やがて、その不安定な精神状態を克服して“自律性”を取り戻すマイケル。病院に傷心のあまり引き籠もっていたスティーブンを家族のもとに連れ戻し、ニックの救出のため再びベトナムへと向かうのだった…。

話の焦点は、マイケル・ヴロンスキーの場合に絞られる。ここで私としては、(「私感①」で既述した)彼自ら切り開いた境地、つまり<受苦的⇒情熱的>な“個”におけるデュナミス(→エネルゲイア)の地平を思い合わせてみたい。
彼マイケルは悲惨な戦場体験を経て、 あくまでも“個”に徹し、よってもって個々の〈異質なもの〉の中に〈共通性=普遍性〉を認める豊饒な視線を培うにいたった。そこでは、あらゆる人間の心に潜む「自分以外の誰か(他者)を〈劣った者〉とすることで自分の優越性を感じる」という心の動きこそが否定的に克服されていく。それは本来的に、白人/非白人の人種・民族差別構造はもとより、自らの特定のエスニシティにこだわるエスノセントリズム(ethnocentrism、自民族中心主義)をもじっくりと乗り越えていく思想的・実践的構えそのものである。
【以下は、同名映画(1)〔本ブログ〈December 24, 2018〉〕の続き…】

■私感 ① :
『ディア・ハンター』は、私の人生史上、忘れがたい作品である。
本作を映画館で観たのは、今回が2度目。最初は日本公開直後の1979年3月のこと。その間、たしか80~90年代に、レンタルビデオ屋のVHSで5、6回鑑賞したように思う。私にとって本作は何度観ても、胸を揺さぶられる感動大作にほかならない。

スペード 本作は、ベトナム戦争映画としては翌1979年に製作された『地獄の黙示録』(原題:Apocalypse Now、米国公開:1979年8月15日、日本公開:1980年2月23日)と双璧をなしている。
私は『地獄の黙示録』についても、これまで数回~映画館で2回、VHSとDVDで2、3回~じっくりと味わった(本ブログ〈September 16, 2016〉)。しかし私の場合、率直に言って、その満足度を比較対照するとき、『地獄の黙示録』より格段に具体的な内容性に富む本作の方にはるかに惹きつけられてきた。

『地獄の黙示録』では、徹底的に戦争の“狂気”が描かれている。全編通して狂気の連続である。その象徴的な例が、物語の前半に見られる〈「サ-フィン」→「ワルキューレの騎行」〉のシーン。名優ロバート・デュヴァル(Robert Duvall、1931~)演じるキルゴア中佐は、いい波が来るベトナムのビーチでサーフィンをしたいという個人的な些細な目的のために、戦闘ヘリ(14台?)で編隊を組み(「空の第一騎兵隊」)、有名なワーグナー作曲の「ワルキューレの騎行」を鳴り響かせながら、海岸付近のベトコンの拠点の村もジャングルも全部、数千発のナパーム弾で焼き尽くすにいたった―。まるでスリリングなゲームを楽しむかのように村を爆撃し、ヤシ林を焼き払い、そして自分の部下に犠牲が出ているのに、どうしてもサーフィンをやると言って聞かないイケイケ指揮官のキルゴア⇒デュヴァル。この狂気の世界に浸ったイカレ野郎のヒールぶりに、私は一瞬、目を剥いて何とも驚き入った次第!

▼ cf. 『地獄の黙示録 特別完全版』(原題:Apocalypse Now Redux、2001年) Ride of the Valkyries scene :


この狂気の度合いは映画の後半へ進むに従ってますます濃くなり、最終的に元グリーンベレー隊長のカーツ大佐が作った“謎の王国”に至って、クライマックスに達する。―視界の中には常に死体がある。それは木に吊るされていたり、無造作に転がっていたり…。さらに階段には生首が点々と落ちている。この地獄さながらの死屍累々たる「王国」で“カリスマ”と化したカーツを演じたのが、「20世紀最高の俳優」と評されるマーロン・ブランド(Marlon Brando、1924~2004)。カーツ⇒ブランドの最初の登場シーンは、異様な怖さを見せつける。ほとんど暗闇に包まれた寝室で、ゆっくりと彼が起き上がり、顔を洗い始める。蝋燭(ろうそく)の明かりに照らされた彼の顔には狂気がこもり、その目は不気味な光を湛えている。カーツ⇒ブランドの存在感はどのキャストも圧倒するかのような異質で怪奇なオーラを放っていた…。

問題視すべきは、『地獄の黙示録』における当の“狂気”の描き方についてである。
特徴的なのは、狂気の何たるかを究めるに際して、大状況的な視点に立って、アメリカを始めとする帝国主義的先進諸国が第三世界に与えた衝撃を、写実的というよりは、むしろ風刺的・象徴的・ミステリアスに描いている点。ここでは端的に言って、風刺が過ぎ、その象徴性・神秘性が高まれば高まるほどに、必然的に具体的現実の総体から離れていく事態がもたらされる。要するに、『地獄の黙示録』という抽象的な表現世界は基本的に、ベトナム戦争の具体相から遊離し、現実の問題状況との対応関係がとらえにくい難点を抱えている。

私は前述したキルゴア⇒デュヴァル演じる“狂気”の場面を何心なく見入るほどに、いつしか悲惨さ・やるせなさよりも滑稽さ・阿保らしさが先に立ち、そのアッパー系の馬鹿げた指揮官の馬鹿さ加減を内心せせら笑うとともに、この映画自体が一種“尊大な”おバカ映画に思われ、それを今まさに観ている自分自身にじりじりと苛立ち始めるのだった…。
また、カーツ⇒ブランドが一身に具現するカリスマ的狂気は、何を物語るものか。それは、もともとエリート軍人の道を約束された男の、ベトナム戦争を機に精神の変調を来たした、その成れの果ての姿だった。「殺さなければ殺される、残虐な行為も躊躇してはならない、命取りになる」というシンプルな戦場の病理に搦(から)めとられた彼の場合、戦場で傷つき、地獄を見て“心の闇”に閉ざされるうちに、正常(正気)と異常(狂気)のバランスを失し、そして狂気が自己目的的に異常に増殖した結果、カリスマ(⇒神格)化された怪物に成り果(おお)せたのだ―。
私はしばしの間、マーロン・ブランドの、静謐な迫力がある狂気じみた怪演に、恐る恐る~否、恭しく!?~息を呑んで見惚れるうちに、はっとして我に返った。そもそもカーツなる危険人物がベトナム戦争そのものの実相~具体的な個々の事象~とどう直接関わってきたのか、そして正常と異常の病理的な間(あわい)でどう微妙に怪しく揺れ動いてきたのかを、一観客である私は映像を通して、はっきりと何ら感じ取ることができず、まして真っ当に理解することには到底及ばなかったのだ。なるほどカーツ本人が「王国」に入り込んだウィラード大尉に向かって、自ら見てきた地獄を語り、「地獄を知らぬ者に私を裁く権利はない」と話すシーンがある。だが、当の地獄の現実性~ベトナム戦争に絡みつく媒介性・依存性・必然性といった一切の想念~を主体的に掴みきれない私にとって、カーツという一個の人間が狂気の自己増殖体へと変質化する具体的なプロセスは、全く私自身の想像&理解の範囲を超えるものだった。
では、いったい、私はカーツという具体的な人格について何が何だか分からないにもかかわらず、なぜに画面に映じるカーツ⇒ブランドにまじまじと見入り→見惚れていたのだろうか。単に怖いもの見たさ、ということだろうか。そこでは、その禿頭(とくとう)のサタンのごとき魔性のものが、何らかの形で実体化され普遍化されていたのだろうか。生身の私自身がカーツという「王国」のカリスマ的支配者を、その個々の具体的な関係性を度外視し、いたずらに絶対的普遍の表象として対象視していたとしたら…。もとより映画の仮構上の話とはいえ、自らの思想的たたずまいを点検しつつ、思わず苦笑を禁じ得ない私であった。やがて劇終盤で気を取り直した私は、画面上のカーツ⇒ブランド像を努めて冷厳に直視・観察しながら、物語の展開を追った。

『地獄の黙示録』は自らの過度な主観的抽象性の支配下、戦争の“狂気”を象徴する幾多の抽象的エピソードの果てに、“観念的”終幕を迎える―。
ファイナル・シーン:ウィラード大尉は水牛の供犠祭(くぎさい)の夜にカーツの暗殺を決行する。そして、カーツの暗殺シーンと並行して、水牛の屠殺(神に生贄〈いけにえ〉を捧げる宗教的儀式)シーンが同時進行的に描かれる。

▼ 『地獄の黙示録』(Apocalypse Now) Ending scene :


このカーツ暗殺⇔牛屠殺の発想は、フランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola、1939~)監督により、ジェームズ・フレイザー(James Frazer、1854-1941)の人類学上の古典『金枝篇』(The Golden Bough、1890~1936)が示す、未開社会における「王殺し」や「犠牲牛の供儀」の風習にちなんで引き出されたとのこと[ドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness:A Filmmaker's Apocalypse、公開:1991年11月)のコッポラの妻エレノアの証言によれば、牛の屠殺の描写は当初の脚本にはなく、ロケを行なったフィリピン共和国の現地で屠殺の儀式を体験したとき発想されたアイディアであったという]。

ウーン!?私はここで首をかしげて考えこむ…。コッポラは何を言わんとするのか。それは、ベトナム戦争の何たるかを闡明(せんめい)にするために、逃れようのない歴史的現実の暗所を掘って掘って掘りまくることで達した閑寂幽遠の境地、とでも言いたいのだろうか。

『地獄の黙示録』が端的に問われるのは、そこでは現実“再”構成の想像力がどのように駆使されているかである。再構成とは、複数の要素の組み合わせで成り立っている物事の、要素の組み合わせを変えて、従前とは異なる様子につくり上げること。真価が糾(ただ)されるのは、ベトナム戦争という衝撃の内容に充ちた現実を、豊かな想像力(⇒創造力)をフルに働かることで、いかに全体として創造的・多角的に、がっしりと構成し直しているかである。ここでは、単なる写実主義的な描法を超えるとはいえ、現実の核心をなす生けるリアリティーをいかに巧みに掬(すく)い取っているかが重要な鍵となる。

作品の成否は、現実“再”構成の想像力いかんにかかっている。そうではなく、つまり何ら現実の具体性に肉薄することもなく、もっぱら現実否定(⇒拒否)の想像力~思想的文脈上、これは“空想力”と呼ぶべきだろう~を勝手気ままに飛翔させるとしたら、そこには必然的に、滑稽さ・馬鹿馬鹿しさ・滅茶苦茶さ丸出しの抽象に過ぎる駄作・愚作が帰結することになる。

私という人間は、小学生の頃から映画を見るのが無性に好きだった。時間を見つけては、好奇心に駆られるままに映画館に行き、映画を片っ端から見つづける、文字通りの“映画少年”だった。そんな私がいつからか~高校生の頃からか~、<抽象に過ぎる>映画はもとより、<具象に過ぎる>映画も、“芸術作品”としては価値的に劣ると思うようになり、現在に至っている。

クラブ 話を本作『ディア・ハンター』に戻そう。
本作はベトナム戦争に翻弄された若者たちの運命とその生死を賭けた友情を描き込んだ、インパクト絶大な不朽の名作である。初見時もそうだったが、VHS以来二十数年ぶりの鑑賞だった今次も、私は今改めて、その素晴らしさを満喫した。

本作は米国北東部の田舎町(鉄鋼労働者の町)とベトナムを主要舞台に、緩やかな三幕構成【〈第1部〉:主人公マイケル、ニック、スティーブン3人の出征前、〈第2部〉:3人が参戦したベトナム戦争、〈第3部〉:マイケル、スティーブンの帰還後→マイケルのニック探しのためのベトナム再訪】を採用。ここでは、183分の長尺を存分に生かした、ストーリー展開(構成)の妙が示されている。
私は何よりも〈第1部〉から〈第2部〉への場面転換(カット割り)の見事さに、ほとほと感心した。主人公たちの故郷の田舎町クレアトンでの平穏無事な情景から、舞台が一転し、ベトナム戦争の真っ只中~修羅場の戦場と化した南ベトナムの村~に移される。いわば“明”と“暗”の対照性が、ここでくっきりと際立つ。私は知的好奇心が膨れあがる中、〈第2部〉→〈第3部〉の全体を、〈第1部〉以上に、目を皿のようにして観続けた。もちろん、鮮烈な青春群像を描く〈第1部〉も、ロバート・デ・ニーロ(Robert De Niro、1943~)、クリストファー・ウォーケン(Christopher Walken、1943~)、ジョン・カザール(John Cazale、1935~1978/03/12)、メリル・ストリープ(Meryl Streep、1949~)らの名演技と相俟(ま)って、私を惹きつけてやまない、日常生活に即した、興味の尽きない物語を構成している(〈第1部〉は〈第2部〉〈第3部〉への用意周到な布石である)。特に結婚式→結婚披露宴の約51分に及ぶ長いシークエンスは(場の空気を壊す1人酒飲むベトナム帰還兵の登場シーンも織り込みながら)、「カチューシャ」などのロシア民謡が賑やかに流れる中、コサックダンスに酒盛りに喧嘩に興じるなどロシア系移民の熱き共同的連帯を雄弁に物語るものとして、実に興味深い。とはいえ、〈第2部〉と〈第3部〉~〈第1部〉と〈第2部〉の総合的統一~の場合は、その興味の度合いが〈第1部〉より、いや増しに増さり倍加するほどだった。

本作の“暗”の面を象徴するのは、<ロシアン・ルーレット(Russian roulette)>という究極~生か死の二択~のゲームである。それは、2人以上の複数人が、リボルバー式の拳銃に1発だけ弾を込め、弾倉を回転させて弾の位置を分からなくした後、交互に弾丸が発射されるまで引き金を引き続ける、死を賭したゲーム。この命がけ~狂気!~のゲームのシーンは、まさしく観る者を震撼させるリアリティーに満ちている。もともと「ロシアン・ルーレット(ロシア式ルーレット)」というゲーム自体はおろか、その言葉さえ知らなかった私だが、本作の鬼気迫る当該シーンを初めて観たとき、茫然とした驚きに打たれると同時に、一瞬たりとも気が抜けない緊張感で体じゅうをこわばらせたものだ。
このロシアン・ルーレットのモチーフは、〈第2部〉〈第3部〉で各2回、次のように取り入れられている。
〈第2部〉前半での1回目。戦地ベトナムで再会を果たすもベトコンの捕虜となったマイケル、ニック、スティーブンの3人が、仲間相手に強要されたロシアン・ルーレット。ここでは、目を背けたくなるような場面(ショット)の連続で、4回の「ロシアン・ルーレット」シーン中、最も迫真的で、過酷なまでに殺伐として殺気立った雰囲気を醸し出していた。
〈第2部〉後半での2回目。ニックとマイケルが結果的にすれ違いになる、サイゴンの赤線地区にある怪しげな酒場で行なわれたロシアン・ルーレット。―ニックとマイケルは~スティーブンもまた~、戦場の極限状況から命からがら散り散りになって逃げおおせたものの、それぞれ程度の差こそあれ、強烈なロシアン・ルーレットの迷妄に呪縛されて、心に一生拭い去りがたい傷を受けていた。やがて、あてもなくサイゴンの夜の街を歩き回っていたニックは、ふとした弾みで誘(いざな)われた路地裏の賭博場で、やみくもにプレイヤーから銃を奪い自らのこめかみに当てて、死のゲームを引っ掻き回す。そして偶然、一観客として現場に居合わせ、〈賭け〉ゲームを言葉に尽くされぬ複雑な思いで眺めていたマイケル。彼はニックの姿に気づいて思わず必死に呼びかけるが、総立ちになった観衆の凄まじい喧騒のせいで、声がかき消されてしまい、自分の存在に気づかせることはできなかった…。ニックとマイケルの2人は、このロシアン・ルーレットの賭博場で(互いの心が向き合う)“再会”を果たし得なかったことで、悲しい運命の赴くところ、やがて逃れようのない決定的な事態に立ち至った。
〈第3部〉前半での3回目。ベトナムから故郷に生還後のマイケルが、久々の鹿狩りの後、山小屋で軽い気持ちで護身用の銃を振り回して見せる、同郷の悪友スタンに業を煮やし、怒りに任せて仕掛けた〈ミニ版〉ロシアン・ルーレット。―もともと小心者で喧嘩っぱやく、いつも携帯する小型拳銃(リボルバー)を何かと平気で友人に突きつけてしまうスタン。出征前のマイケルの場合、そんな彼の、児戯に類する態度をまともに取り合おうともしなかった。しかし、帰還後のマイケルはどうにも我慢がならず、彼から銃を取り上げると銃弾を1発だけ残してシリンダーを回した後、彼の眉間に向け、「どんな気分だ!?ええ!?楽しいか、怖いだろう!!」とまくし立てて、そのまま引き金を引く。1発目は空撃ち、そして2発目は天井に向け再度引いて発砲!それは一瞬、場の空気が凍りつくような寒々とした光景だった。
〈第3部〉後半での4回目。ついにベトナム・サイゴンで“再見”が成ったマイケルとニックによる、差し向かいのロシアン・ルーレット。―持ち前の度胸と賢さで必死に生き抜いていたマイケルは、行方不明となったニックを捜しに、再びべトナムへ、陥落寸前のサイゴンまで赴く。ようやく捜し当てた裏社会の掃き溜めのような博打場(ばくちば)で、狂気が忍び寄り過去の記憶をほとんど喪失したニックが、プレイヤーとなって自らの命を賭けていた。マイケルは何とかニックの記憶を呼び戻し、彼を説得して家に連れ帰るために、自ら進んでニックの対戦相手となって“死のゲーム”を争う。しかし、ニックへのマイケルの身を挺した思いも虚(むな)しく、ニックは自らの手で命を絶ってしまう…。それは手に汗握る、全身を戦慄させる、感涙を誘う展開だった。マイケルを演じたロバート・デ・ニーロ、そしてニックを演じたクリストファー・ウォーケン、両者の甲乙つけがたい、迫真力に満ちた入魂の演技に、私は戦慄に似た胸一杯の感動を覚えつづけたのだった。(私は初鑑賞中、悲惨な最期を遂げたニックを、そのニックを慟哭しながら虚しく揺さぶり続けるマイケルを観て、双眸から次から次へと涙が溢れ出た。私の映画鑑賞史上、これほど泣けて泣けて仕方がなかったのは、後にも先にもその時一度きりである。)

ロシアン・ルーレットの史実について一言したい。私なりに調べると、どうやら少なくともベトナム戦争時に、それが実施されていたという確たる資料はないようである―。しかし、それが作り話か否かを云々すること自体、私に言わせると、しょせんは一面的で無意味な議論にすぎない。
私たちは篤と、肝に銘ずべきだ。身命を賭したロシアン・ルーレットこそ、ベトナム戦争の悲劇性~悲劇的な愚行~の秀抜なメタファーである、と。それは、常に生と死が紙一重である戦場における恐怖心や狂気に陥る心理状態を凝縮して余りある適切なゲシュタルトなのだ。現実“再”構成の想像力の観点に立つとき、芸術作品の現実的な作品化に当たって、物事‐事象における諸要素の組み合わせを、既成の要素から一層格別に肯綮(こうけい)に中(あ)たる新規の要素に入れ替える“芸術的”作業が奨励されて然るべきである。

この点、本作に対する多くの評者による評言:「ベトナム戦争を題材にした戦争映画ながら、戦場‐戦闘シーンがほとんど無い(極めて少ない)」にも、細心の注意を払う必要がある。 本作は決して<戦場‐戦闘>場面を設定していないわけではない。〈第2部〉の冒頭に、こんなシーンが現前する。米軍のヘリがベトコンに占領された、南ベトナムの村をナパーム弾で攻撃する→1人のベトコンが大勢の市民(一般人)が隠れている塹壕に柄つき手榴弾を投げ込み、爆破させる→失神していたマイケル(米陸軍特殊部隊の3等曹長)が意識を取り戻し、ベトコンが赤ん坊を抱いて逃げる女を射殺する様子を目にすると、その兵士を火炎放射器で焼き殺す…。
この<戦場‐戦闘>シーンは、私の特別な関心を引き寄せる。これを観たとき、瞬間的に私の頭をよぎったのは、ベトナム戦争中の“ソンミ村虐殺事件”だった。それは、1968年3月16日、アメリカ軍兵士がクアンガイ省ソンティン県ソンミ村のミライ集落で無抵抗の村民504人(奇跡的に難を逃れたのは3人のみ)を無差別射撃などで虐殺した事件である。
ベトナム戦争では、米軍による枯れ葉剤・ナパーム弾・クラスター爆弾・対人地雷などの使用で多大な人的被害・環境破壊が引き起こされた。米軍はまた、ベトコン・ゲリラ部隊およびシンパ「容疑者」への虐殺を繰り返すとともに、その過程で多くの民間人にも理不尽な犠牲をもたらした。
問題は“民間人”に幾多の犠牲が出たことである。この点は、米軍による被害だけではなく、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の攻撃によるそれも考慮に入れる必要がある。ベトコン(及び、ベトコンを支援する北ベトナム軍)は、南ベトナム各地でテロ攻撃を繰り返すことで、南ベトナム政府が任命し村落・郡部に派遣した首長・官吏・役人を襲撃・殺害・誘拐し、一般人(一般市民)にも大きな犠牲を強いた。ちなみに、南ベトナム全土の「民間人」(官吏・役人を含む)犠牲者は、南ベトナム政府の公式発表によると、1962年に1719人、63年に2073人、64年に1611人、65年の1月から5月にかけて539人。また、アメリカ国務省の発表によれば、64年には官吏や村長が436人、一般人1350人、となっている(cf.『ウィキペディア日本語版』「ベトナム戦争/南ベトナム解放民族戦線の攻撃による民間人被害」 2018年12月31日閲覧)。

ベトナム戦争は概括的に言えば、〈北ベトナム+ベトコン〉VS〈南ベトナム+アメリカ〉の戦争である。しかし私たちは、ありありと強く脳裏に刻み付けなければならない。米軍もさることながら、ベトコン&北ベトナム軍がベトナム戦争中に自国民~<戦争・戦闘>の直接の当事者ではない、非武装のベトナム人住民~に対して、血なまぐさい数々の残虐行為を働いた、という歴史的事実を。そして、敵味方の見境なく無辜(むこ)の民を犠牲に供する非情な戦場の〈論理‐倫理〉が跳梁跋扈するとき、戦争なるものの底知れぬ恐ろしさが際立つ、という客観的真実を。
本作〈第2部〉の冒頭シーンは、ベトナム戦争の本質を鋭く衝(つ)いている。私は少年時代このかた、激しく熱っぽくドンパチやる、いわゆる戦争映画を洋画・邦画を問わず、ウンザリするほどタクサン見てきた。この凡百の賑々しい陳腐な戦争映画に食傷気味だったからだろう、当の短時間ながらもメッセージ性に富む<戦場‐戦闘>シーンを、私はまじまじと探るように見入った。そして、ベトナム戦争の根底に横たわる闇を手探りながら、戦場の現実の限界的な問題状況を描き込む映像の素晴らしさを知って、新鮮な感動が心の中に広がるのだった。

本作の緊迫感に満ちた<ロシアン・ルーレット>の場面(特に前掲の1回目と4回目)は、戦争の悲惨さを痛いほど鮮烈に浮き彫りにする、映画史上屈指の名シーンにほかならない。ただし、私個人としては、同シーンと並んで、否それ以上に、並々ならぬ関心が呼び起こされたのが、<鹿狩り(deer hunting)>のシーンである。
そもそも本作の題名は、なぜ「ディア・ハンター(原題:The Deer Hunter)」なのか。1979年の初鑑賞に当たって、私はベトナム戦争を何らかの形でテーマ化する映画のタイトルが「ディア・ハンター」であることを、半ば興味深く、半ば不思議に思った。そして映画に見入り続けて、やがて<鹿狩り>シーンの思想的文脈のにじませる重い意味合い~<鹿を撃つ(⇒撃てる)>から<鹿を撃てない(⇒撃たない)>への変化~に得心が行ったとき、思わず独りごちたのだった。「これは実に見応えのある、文字通りの秀作・力作だ!」

マイケルを中心とする狩猟仲間による、懐深い山の美しい大自然の中での<鹿狩り>。ここでは、マイケルにおける<鹿狩り>の構えの取り方が出征前(〈第1部〉終盤)と帰還後(〈第3部〉中盤)では、どう変化したかという問題に焦点が定められている。
マイケルは出征前には鹿の命を奪う「狩り」というゲームを楽しんでいた。しかも、“ワン・ショット”で射止めるというゲーム性を高めるルールを自らに課して。彼に撃たれた鹿は苦しみ踠(もが)き、その視線が何かを訴えるように宙を見つめていた…。つまるところ、彼はディア・ハンター=鹿猟師として、生き物の命を弄(もてあそ)ぶ娯楽(遊び)に興じる普通のアメリカ青年だった。
そんなマイケルが戦場での捕虜体験で<ロシアン・ルーレット>の対象として自らの命を弄ばれる、肝もすくみ上がるような恐怖を味わう。偶然の確率に命を託すロシアン・ルーレットは、リボルバーに用いられる“銃弾1発”がすべての、端的に人と人が殺し合う戦争の不条理さを象徴するゲーム。弾丸「1撃」の威力で、命を弄び(奪い)/命を弄ばれる(奪われる)ことの耐えがたい悍(おぞ)ましさ・異常さに気づいた彼は、<ロシアン・ルーレット>と<鹿狩り>の同値性(ロシアン・ルーレット⇔鹿狩り)に思い至り、自らも鹿と同じ殺される立場に追いやられたことを骨の髄まで思い知る。
ベトナムからの帰還後のマイケルは、猟に行っても鹿を撃つことはできなかった。鹿を前に銃を降ろす…。銃口を向けられる鹿の恐怖⇒“痛み”を身に染みて知った彼にとって、鹿は単なる獲物ではなく、生を自ら全うする生き物だった。彼マイケルは今後、鹿を追い詰めて仕留める“鹿狩り”自体に身を投じることはないだろう…。

戦争映画に付きまとう評価がある。それは「交戦国どうしを忠実に対等に描写しているか」というものだ。本作に対しては、公開当時はもとより、公開から約40年が過ぎた今もなお、ネガティブな評価を下す向きが少なくない。要するに、それは本作をもって、ベトコンを一方的に残酷に描く、“アジア人蔑視”映画だとするもの。そこでは、アメリカ人が単なる被害者に据え置かれ、ベトナム戦争の正当性が強調され、ベトナム人に対する差別が正当化されている、というのだ―。
バカも休み休み言え!人間の手の届かぬ“高み”~抽象的・実体的な理想境(郷)~から、軽々しい戯れ言をほざく勿(なか)れ!危険のない安全地帯から、やれ「人類みな兄弟」だ、やれ「喧嘩両成敗」だと、予定調和的な説教を垂れるは、あまりに安易で安直に過ぎる!
そもそも本作は、人間存在の基底から、戦争という過酷な現実総体に現実再構成の想像力がフルに駆使されて結実した労作にほかならない。それが、手段としての戦争に反対することが主たる目的である、いわゆる「反戦」映画~ベトナム戦争の全ての犠牲者「アメリカ兵・ベトナム兵・ベトナム民間人」を悼む、ヤワな単純ヒューマニズムに縁取られた、平板な戦争反対映画~とは一線を画する作品であることは言うまでもない。

私はここで改めて、作劇内容をしっかりと確認しておきたい。主人公のマイケル、ニック、スティーブンは、もともと《ベトナム人ならぬ》〈ロシア系〉米国人として生まれ故郷と職場を同じくし、同時期にベトナム戦争へと駆り出された若者たちである。彼ら3人は共に、米国ペンシルベニアの田舎町で、決して裕福な暮らしとは言いがたい平凡な日常を送る、ささやかながらも人生に夢と希望を持つ、質朴で陽気で健やかな青年にほかならなかった。そんな彼らが“国権”の発動たるベトナム戦争で、《米国ならぬ》ベトナムの地獄の戦場を初めて体験し、身も心も深いところで痛ましく傷つく。両脚を失い、部分的に身体麻痺を患うスティーブン。大きな精神的ダメージを受けたあげく、一命を落とす(絶望の末の自殺か?)ニック。肉体的損傷こそ少なくても、なかなか心の傷が癒えることはないマイケル。スティーブンとマイケルは、何とかベトナム戦争から米国の故郷に帰還する。だが、彼ら「ベトナム帰還兵(Vietnam veteran)」は、戦争が終わっても、昔~出征前の日常~には二度と再び戻ることはできない。非情な運命の潮が渦巻く中、重い十字架を一生背負って生きていかなければならない…。
では、ベトナムから生還したスティーブンとマイケルの前に、未来、とりわけ希望を託し得る未来が開ける可能性があるのだろうか。私の見るところ、五体を苛(さいな)まれ、障害者となったスティーブンの場合、マイケルの助力で辛くも「家庭」復帰を果たしたものの、新たな前途を切り開く前向きの姿勢にいたっては、その片鱗すら、少なくとも作中からはうかがい知ることができなかった。
しかし、本作のキー・パーソン(key person)であるマイケル・ヴロンスキーにあっては、脈動する生の在り処(ありか)を確かめることができる。それは、彼の<鹿狩り>に対する構えの取り方が、ベトナム戦争以前と以後では、著しい変化を遂げたという決定的な事実に関わる。彼は出征前の<鹿狩り>では鹿を撃てたが、帰還後のそれでは鹿を撃てなかった―。戦場~<ロシアン・ルーレット>~の死線を潜り抜けて<鹿狩り>の場面に出会った際、彼は鹿の生存の根底を脅かす自らの姿に愕然とし、胸に耐えがたい《痛み》が走って、鹿を撃つ(殺す)ことができず、とうてい<ディア・ハンター>たりえない自分自身を自覚するのだった。

ここで大事な点は、マイケルというアメリカの一青年が、ベトナム戦争を媒介とする、<ロシアン・ルーレット>→<鹿狩り>の場で、生きとし生けるものの強いられた“死”~不条理な犠牲~を、自らの痛み⇒《苦悩》として真摯に受け止めるにいたり、その逃れがたい《受苦》(=〈受動的〉苦悩)を背負い続ける中、翻って“鹿を撃たない”という〈情熱的〉(⇒前向き)な能動性・応答性を呼び起こしたことである。

マイケルの自己に忠実な生き方~行動様式~は、人間の〈生命〉が受苦→情熱という重層的・生成的な存在構造のもとにあることを端的に実証している。「世界内存在」である人間は、世界の諸連関の制約下にある事態を<痛み=苦悩=受苦(独語:Leiden〈ライデン〉)>として感取する存在であり、そしてそのようなものとして、実存的ライデンに衝き動かされて豁然として湧きだす<情熱(独語:Leidenschaft〈ライデンシャフト〉)>のもと、自らにまとわる世界の諸連関に正面から意志的に向き合う(⇒立ち向かう)存在である―。

本作の終盤(→エンディング)では、マイケルという《受苦的なるがゆえに情熱的》な生が脈動する人間存在の、存在論的な「可能態(デュナミス)」(=potentiality)が映し出されるとともに、その「可能態」から「現実態(エネルゲイア)」(=actuality)への転態が示唆されている※。

※ 「デュナミス(dynamis)」と「エネルゲイア(energeia)」は、古代ギリシアの哲学者アリストテレス(前384~前322)の使用した対概念である。彼は事物の生成をこの対概念によって説明し、事物はデュナミス=【何かになりうる状態】からエネルゲイア=【可能性が実現し既に何かになった状態】へと発展すると考えた。例えば、植物の種子と花の場合、まだ生長していない~花の咲く可能性を秘めた~種子の段階はデュナミス(可能的存在)であり、その種子が実際に生長(発芽)して花を咲かせた段階がエネルゲイア(現実的存在)である。可能的な状態にあった事物が実現されるというエネルゲイアの段階は、現に活動しているという動的な現実も、完成されてあるという静的な現実も示している。     

マイケルという一個の実在者における可能態から現実態への移行(転態)は、時間の問題である。なぜなら、マイケルの場合、<鹿狩り>の実存的体験を経て、一層深刻な《痛み》~ニックという掛け替えのない最愛の友を救おうとして結局自らの力及ばず救えなかったことに起因する全身的な悔い・苦痛~を我が事として引き受けるにいたったからである。彼はやがて次第に内面の《受苦》を黙々と一身に請け負いながら、自然および他人との間に不断の交流過程を保った~人間・生物全般相互の《受苦》を通して出会う~<共苦的・共生的>な関係を何らかの形で実現していくであろう…。より具体的に言えば、彼マイケルは遅かれ早かれ、国家/国民の枠組み~ex.「アメリカ」国家・「ベトナム」国家/「アメリカ」国民・「ベトナム」国民~を超えて、 “世界内存在”である人間一人一人に関心を向け続けるとともに、あくまでも赤裸々な“個”に立脚した、“自他”に対する平等かつ対等な目を育み続けるであろう…。

本作が「世界」了解上いかに優れた作品であるかは、マイケルという個的実在の足下に深く拓けるデュナミス(→エネルゲイア)の地平が雄弁に物語っている。それは突きつめて言えば、<受苦的→情熱的>なマイケルその人が自己に徹して、自己に固有の生を、世界的な連関性を持った現実(ベトナム戦争という名の、〈アメリカ国家VSベトナム国家〉のロシアン・ルーレット!)が突きつける一切の問い~国家と個人の相克の問題~に、どこまでも不断に関わらせていく思想的な生活態度以外の何物でもない。
マイケルという冷静沈着で胆力が据わった人物が包蔵するデュナミス(→エネルゲイア)は、限りなく深く大きい。彼の本来的な思想力⇒生活力は、国家間のクレージーな戦争ゲームの問題に対して、自らの日常生活の場所から国家権力をはじめとする諸エスタブリッシュメントをトータルに相対化(→超克化)するほどにラジカル(根本的)なものである―。

本作をもって「米軍のベトナム人に対する狂気の沙汰を捨象した」、ベトナム人蔑視の映画だとする向きは、自らの不明を恥じるべし!

【「映画『ディア・ハンター』(3)」[本ブログ〈January 01, 2019〉]へ続く…】
2018年12月15日(土)「アップリンク吉祥寺パルコ」(通称「アップリンク吉祥寺」)(東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目5−1 吉祥寺パルコ地下2階、吉祥寺駅北口から徒歩約2分)で、14:50~鑑賞。

※昨日(2018年12月14日)、ミニシアターコンプレックス「アップリンク吉祥寺パルコ」が、吉祥寺PARCOのB2Fにオープン。同館は5つのスクリーンからなる。各スクリーンは「ポップ」「レインボー」「レッド」「ウッド」「ストライプ」というコンセプトで、それぞれ個性的な壁紙、椅子、照明デザインになっている。バラエティに富んだ劇場で、映画ファン向け作品からファミリー向け作品まで多種多様な映画を上映する。【POP(スクリーン1)/座席数:63席|RAINBOW(スクリーン2)/座席数:52席|RED(スクリーン3)/座席数:98席|WOOD(スクリーン4)/座席数:58席|STRIPE(スクリーン5)/座席数:29席】

「ディア・ハンター 4Kデジタル修復版」

作品データ :
原題 THE DEER HUNTER
製作年 1978年
製作国 アメリカ
上映時間 184分

米国初公開 1978年12月8日
日本初公開 1979年3月17日

THE DEER HUNTER「ディア・ハンター」

ベトナム戦争映画の最高傑作と称される作品。ベトナム戦争で心身に深い傷を負った若者たちの苦悩と友情、そして戦争の恐怖と狂気を描く。1974年の『サンダーボルト』で長編監督デビューしたマイケル・チミノ(Michael Cimino、1939~ 2016)の2作目(出世作)。監督渾身の3時間余の超大作。主演のロバート・デ・ニーロ、本作でアカデミー賞助演男優賞を受賞したクリストファー・ウォーケン(Christopher Walken、1943~)、これが遺作となったジョン・カザールらに加え、映画デビュー間もない頃のメリル・ストリープが出演(ストリープもアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた)。第51回アカデミー賞作品賞・監督賞・助演男優賞・音響賞・編集賞の5部門受賞作品であり、また1996年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の中の1本。2018年12月14日より、製作40周年を記念して「4Kデジタル修復版」が公開された(配給:KADOKAWA)。

ストーリー :
1968年のロシア系移民の町、米国ペンシルベニア州クレアトン(Clairton)。製鋼所で働くマイケル(ロバート・デ・ニーロ)、ニック(クリストファー・ウォーケン)、スティーブン(ジョン・サヴェージ)、スタン(ジョン・カザール)、アクセル(チャック・アスペグレン)の5人、そして地元の酒場のオーナーであるジョン(ジョージ・ズンザ)は、子供の頃からの親友グループで、休日には山で鹿狩りを楽しむ平凡な青年たちである。そんな彼らにもベトナム戦争※の影が迫っていた。

※ベトナム戦争(Vietnam War)は、インドシナ戦争(1946~54)後に南北に分裂したベトナムで発生した戦争の総称。旧北ベトナム、現在のベトナム社会主義共和国では、「反米救国戦争」、「抗米救国戦争」と呼ばれる。ベトナムの共産化を阻止する口実で、米国は1964年の「トンキン湾事件」を経て、65年から本格的に軍事介入して南ベトナム軍を支援、北爆を行ない地上軍を投入、北ベトナム軍&「南ベトナム解放民族戦線」(National Liberation Front、略称はNLF、南ベトナムで60年12月に結成された反サイゴン政権・反米・反帝国主義を標榜する統一戦線組織)との戦闘を開始。戦争は長期化したが、68年のNLFによる「テト(旧正月)攻勢」から米軍は後退し始め、73年1月の「パリ和平協定」を経て撤退。75年4月30日には南ベトナム政府の首都サイゴンが陥落(ベトナム戦争での米国の敗戦が確定)、76年7月2日には南北ベトナム統一と「ベトナム社会主義共和国」樹立(北ベトナムによる南ベトナムの吸収)が正式に宣言された。この戦争は、米国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソ連を盟主とする共産主義・社会主義陣営との間に、第二次世界大戦後に生じた対立(いわゆる冷戦)を背景とした代理戦争でもあった。また、ホー・チ・ミン(1890~1969)が率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)側は、南ベトナムを「米国の傀儡国家」と規定し、共産主義イデオロギーを背景に、ベトナム人による南北ベトナム統一独立国家の建国を求めるナショナリズムに基づく植民地解放戦争であるとした。

ある土曜日、ベトナム戦争に出征するマイケル、ニック、スティーブンの壮行会と、スティーブンとアンジェラ(ルターニャ・アルダ)の結婚式が町の教会で合同で行なわれた。結婚披露パーティーで、ロシア民謡が賑やかに流れる中、ダンスに酒に喧嘩に興じる若い男たちと女たち。熱気に溢れた宴も終盤に近づいた頃、ニックはグループのアイドルであるリンダ(メリル・ストリープ)に「戦争から戻ったら結婚してほしい」とプロポーズ、彼女も快諾した。パーティーの帰り道、ニックはマイケルに「大事なものは全てここにある。俺に何があっても、必ずこの町へ連れ帰ってくれ」と頼む。一夜明けて、新婚のスティーブンを除く仲間たち5人~マイケル、ニック、スタン、アクセル、ジョン~は、アレゲニーの山へ鹿狩りに出かける。マイケルとニックにとっては、出征前最後の狩猟である。山中で、マイケルはいつものように大鹿を一頭、「1発(ワン・ショット)で」仕留める(マイケルは鹿狩りともなれば、口癖のように “One shot is what it's all about. A deer has to be taken with one shot.” 〈「1発が全てなんだ。鹿は1発で仕留めなきゃいけない」〉と言う)。その後、彼らはジョンの酒場「ウェルシュズ・バー」で痛飲する。
【場面は一転し、地獄と化したベトナムの戦場へ】 1970年、ベトナムにおけるアメリカ軍は予想外の苦戦を強いられていた。酸鼻を極める戦況下、逃げまどう農民を虐殺するベトコン※に対し、マイケルは狂ったように撃ちまくっていたが、偶然にも、その戦場でニックとスティーブンに再会した。しかし、ベトナム人民軍の攻勢はとどまることがなく、3人は捕虜になってしまい、川の畔に建てられた丸太小屋の下の檻に囚われてしまう。

※ベトコン(Vietcong)はベトナム戦争中、南ベトナムの武装共産主義ゲリラ(非公然戦闘員)に対する、南ベトナム政府および米国側の呼称。また、「南ベトナム解放民族戦線(NLF)」の通称としても用いられた。したがって「ベトコン」はNLF、そのゲリラ部隊という両義性を持つ言葉である。

その小屋では、<ロシアン・ルーレット>というゲームが進められていた。それは、弾丸を1発だけ込めたリボルバー(回転式拳銃)を捕虜が交互にこめかみに当てて撃ち合い、それにベトコンたちが金を賭けるというものだった。3人の番になり、銃弾が放たれる音を聞き、恐怖のあまり精神錯乱に陥るスティーブン。だが、冷静なマイケルはサディスティックなベトコンの心理を逆に利用して脱出することを考える。彼は半狂乱を演じながら兵士たちに弾倉に込める弾を3発に増やすことを提案。これはベトコンたちにとって自分たちを瞬時に殺傷する機会を相手に与えてしまうことを意味したが、彼らはそれには気づかず、複数の弾の込められた銃をマイケルに渡してしまう。果たして目論見は成功し、隙をついたマイケルは次々にベトコン数人を射殺し、スティーブンとニックを連れて逃走する。追っ手から逃れるため、流木にしがみついて濁流を下るところを、米軍のヘリコプターが発見。3人は壊れかけた橋に掴まり低空でホバリングするヘリに飛び移る→ニックはヘリに引き上げられる→スティーブンは力尽きて川に落下→マイケルは咄嗟(とっさ)に濁流に飛び込み、足を骨折したスティーブンを助け、かろうじて川岸にたどり着く。マイケルはスティーブンを背負って陸路で脱出し、街道に出ると、難民の群れと共にサイゴンに向け歩く。そこに友軍のジープが通りかかり、「帰りたい」と泣くスティーブンだけを乗せて病院に運ぶように依頼し、マイケルは再び1人歩き出す…。
ヘリでサイゴンの陸軍病院へ運ばれたニックは、医師の問いかけにも真面に答えることができないほど強い精神的ショックを受けていた。やがて病院を抜け出し、サイゴンの夜の街をさまよう彼は、繁華街の外れの路地裏で銃声を聞く。その賭博場には大金を賭けて<ロシアン・ルーレット>をする若者たちと大勢の客がいた。彼は突然、狂気に憑かれたように若者の銃を奪い、自らのこめかみに銃口を向けて躊躇なく引き金を引く。弾は出なかった。場が騒然となる中、彼は怪しいフランス人の男に誘われるまま車に乗り込み、夜の闇へ消えていく。その時、たまたま現場にいたマイケルは、すぐに車の後を追うが見失ってしまう…。
2年が経ち、マイケルはベトナムからクレアトンに生還する。故郷の人々は無事を祝ってくれたものの、マイケルは昔の明るさを失い、自分の心がここではない遠いどこかにあるような感覚にとらわれていた。仲間たちと昔のようにボウリングをしたり猟に出かけたりもするが、以前とは何かが違う。スタン、アクセル、ジョンと久々に鹿狩りに行った際、マイケルはもはや目の前の鹿を“撃てなく”なっていた。山中で一頭の大鹿を見つけ、追いかけて“1発で”仕留めようとするが、最後の瞬間にライフルの銃口を獲物から逸らして空に向け発射する。その夜、山小屋でリボルバーを携行してそれを振り回して見せるスタンを、彼は叱りつける。戦争と暴力の恐ろしさを知らないスタンの能天気な態度が、マイケルには我慢ならなかった。
ある日、マイケルは地元の退役軍人保健局にスティーブンが入院していることを、彼の妻アンジェラから聞く。訪ねてみると、スティーブンは両足を切除され、左半身にも麻痺が残り、車椅子の生活を強いられていた。再会を懐かしんだ後、スティーブンはサイゴンから毎月届く差出人不明の大金を見せる。それは間違いなくニックからの送金だった。マイケルは「帰りたくない」というスティーブンを強引に退院させてアンジェラの許(もと)に帰すと、ニックを求めて陥落寸前で大混乱のサイゴンへ飛んだ。
マイケルは敗戦目前の沸き返るようなサイゴンの街中を歩き回り、あの賭博場へ行く。しかし、そこは閉鎖されていた。マイケルはニックを連れ出した怪しいフランス人に大金を渡し、秘密の賭博場へ案内してもらう。川を渡ってたどり着いた<ロシアン・ルーレット>の賭博場で、マイケルはついにニックと再会する。ニックはロシアン・ルーレットの闇にはまり込んだ廃人となっており、マイケルのことも分からない。マイケルが「帰ろう」と呼びかけても、ニックは虚ろな目で見返し、マイケルに唾を吐きかける始末。マイケルはここのボスに大金を支払い急遽ニックの対戦相手となって、必死にニックの魂を呼び返し、何とか自分を思い出してもらおうとする。
6発のうち1発の弾が入ったリボルバーが二人の間に置かれ、マイケルはニックへの思いを語り家へ帰るよう説得する。マイケルが止めてもニックは何のためらいもなく、こめかみに銃口を向け引き金を引く。マイケルの番が来て、「ニック、愛してる」と告げて、意を決して引き金を引く。弾は不発。二巡目。マイケルは「木を覚えているか?山を覚えているか?」と問いかける。ニックは思い出したように少し微笑んで、「1発か」という猟の時のマイケルの口癖を口にする。マイケルも微笑んで答える。「ああ、1発だ」と。次の瞬間、引き金は引かれ、銃は轟音と共に銃弾を吐き出した。マイケルは頭から血を吹き出し倒れるニックを抱き抱えて泣き叫ぶ…。

マイケルは出征前の約束通り、ニックを故郷へ連れて帰った。生まれ故郷で、ニックの葬儀が営まれた。弔いの後、マイケル、リンダ、スタン、アクセル、スティーブン、アンジェラはジョンの酒場に集まる。皆で食卓を囲むと、沈黙を破るようにジョンが「ゴッド・ブレス・アメリカ」を歌い出し、いつしか皆もそれに続いた。歌い終わった後、マイケルが「ニックに」とグラスを上げると、それに応えて皆が亡き友を偲んで献杯した。

▼「4Kデジタル修復版」予告編



▼「1978年版」Trailer




▼晴れ Bar Scene-“Can't Take My Eyes off You” :
【マイケル、ニック、スティーブンが戦地に赴く前に、ジョンの酒場でビリヤードに興じながら、「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes off You)」を熱唱する狩猟仲間たち~マイケル、ニック、スティーブン、スタン、アクセル、ジョン~。田舎に住む労働者階級の素朴な青年たちの、日常の幸せを大切に生きる、率直な自己をさらけ出す姿が鮮やかに浮かぶ!】


[“Can't Take My Eyes off You” ー<作詞・作曲:ボブ・クルー、ボブ・ゴーディオ/アーティスト:フランキー・ヴァリ(Frankie Valli、1934~)(Frankie Valli & The Four Seasons)> cf. 本ブログ〈March 27, 2015〉 ]

▼ 霧 bar scene :
【鹿狩りを終えた仲間6人が、ジョンの酒場で痛飲し、ゴスペル・ソングのようなものを歌いだし→まもなくジョンがショパンのノクターン(「夜想曲第6番ト短調作品15の3」)弾き出す(ジョンに扮したジョージ・ズンザの実際の演奏)。その切ない響きに、満座が黙り込み感傷的に耳を傾ける。(→と、場面が一転し、我々観客はベトナムの戦場へと連れて行かれる…)】


▼ Village attack :



▼ Russian Roulette scene :



▼ One Last Shot :



▼雨 FINAL SCENE-“God Bless America” :
【いつものジョンの酒場に欠けている仲間、ニックの不在はマイケルだけでなく、スティーブン、スタン、アクセル、リンダ、ジョンも重く感じている。彼らが口遊む「GOD BLESS AMERICA」は、国家に対して抱く複雑な心情を表わすようで深い余韻が残る…。「ゴッド・ブレス・アメリカ」は、米国の作詞・作曲家アーヴィング・バーリン(Irving Berlin、1888~1989)が1918年に作詞・作曲した楽曲。これは「米国第2の国歌」などとも言われるが、米国政府が認定したわけではない。】



音譜 “Cavatina” :
【テーマ音楽はスタンリー・マイヤーズ(Stanley Myers、1930~93)作曲の「カヴァティーナ(Cavatina)」。ギターはジョン・ウィリアムズ(John Williams, 1941~)による。このクラシックギターの名曲は、私の心を惹きつけ、言葉に尽くされぬ思いの虜(とりこ)にしてやまない…。】


▼ The Deer Hunter and Michael Cimino winning BEST PICTURE and DIRECTING|the 51st Academy Awards :
[第51回アカデミー賞は1979年4月9日、ロサンゼルスのドロシー・チャンドラー・パビリオン(Dorothy Chandler Pavilion)で発表・授賞式が行なわれた。司会はジョニー・カーソン(Johnny Carson、1925~2005)。監督賞のプレゼンターをフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola、1939~)&アリ・マッグロー(Ali MacGraw、1939~)、作品賞のプレゼンターをジョン・ウェイン(John Wayne、1907~1979/06/11)が、それぞれ務めた。](Michael Cimino wins the Oscar for Directing and Barry Spikings, Michael Deeley, Michael Cimino and John Peverall win the Oscar for Best Picture for “The Deer Hunter” at the 51st Academy Awards. Presented by Francis Ford Coppola, Ali McGraw and John Wayne, and hosted by Johnny Carson.)


▼ Christopher Walken winning ACTOR IN A SUPPORTING ROLE |the 51st Academy Awards :
[助演男優賞のプレゼンターを務めたのは、ダイアン・キャノン(Dyan Cannon、1937~)とテリー・サバラス(Telly Savalas、1922~94)。](Dyan Cannon and Telly Savalas presenting Christopher Walken with the Best Supporting Actor Oscar for his performance in “The Deer Hunter” at the 51st Academy Awards.)


【「映画『ディア・ハンター』(2)」[本ブログ〈December 31, 2018〉]へ続く…】